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わかっちゃいるけど、やめられない(04/06/29)

蒸し暑い日が続いています。
地球温暖化防止策について、アジェンダ21すいた策定委員会で話し合っているにもかかわらず、我が家ではすでにクーラーのお世話になっています。
自然の風を感じて、季節感を感じて生活していたいと思うのですが、暑くなるとアトピー症状がひどくなり、それにともなって機嫌も悪化する息子たちがいるので、そうもいきません。
せめて、温度設定を高い目にして、省エネモードで運転するようにしています。
頭じゃわかっているけど、なかなかできないことってあるんですよね。


環境家計簿 大阪府 http://www.epcc.pref.osaka.jp/kanri/ecoaction/download/kankyoukakeibo.pdf

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参議院選始まる(04/06/26)

参議院選が木曜日から始まりました。今回の選挙、まちの人の関心も薄く、立候補予定者の公開討論会の開催回数も少ないし、「投票に行こう!」運動をしている若者たちへの反応も薄いようだと新聞報道にありました。
 昨年春の統一地方選とは違い、選挙区であっても対象は大阪府全域と広いので、ほとんど選挙期間に入ったという実感がありません。選挙カーも通りませんし、かろうじて、選挙ポスター掲示板のポスターで、「ああそうなんや、選挙なんや」と思うだけです。そういう希薄感がよけい関心を薄れさせているのかもしれません。

 衆議院より影が薄いといわれている参議院であっても、その半数が入れ替わる選挙です。また、先の通常国会での年金問題、国会後の多国籍軍への自衛隊参加はもちろん、教育基本法の改正を虎視眈々と狙っている与党の動きなど、決して
無関心ではいられないはずの選挙です。
 
 堺市議会で、議場への国旗(日の丸)掲揚をめぐって議会運営委員会で議論が続けられていました。今朝(6月26日)の新聞で、自民、公明、民主などの5会派が提案し、共産、無所属の3会派が反対したが賛成多数で可決され、9月から国旗と市旗を掲揚することに決まったと知りました。

掲揚を提案していた会派の理由は
<議場における国旗・市旗の掲揚について>
 国旗及び国家に関する法律は、平成11年の施行からまもなく5年目を迎えようとしております。この間本市におきましても、市庁舎を一とする市の主要施設に国旗が掲揚されるとともに、小中学校においても入学式や卒業式の際に、等しく国旗の掲揚と国歌の斉唱が行われています。このように、国旗である日章旗は国家の象徴として市民生活に定着しております。
 したがって、市民代表たる議員が参集する本市議会場にも国旗及び市旗を掲揚し、厳粛かつ清新な環境の下、更なる真摯な議論を展開すべきであると考え、別紙の通り議場における国旗及び市旗の掲揚を提案するものであります。
 
 なぜ、国旗や市旗が掲揚されたら 厳粛かつ清新な環境になるのか?また、さらに真摯な議論が展開されるのか?よくわかりません。国旗があろうがなかろうが、議場は厳粛であり、真摯な議論が展開されるべきところです。もし今、真摯な議論が展開されていないなら、そのことが問題であって、国旗の掲揚とは全く別問題です。
 吹田市も市役所駐車場横のポールに国旗と市旗が掲揚されていますが、堺市においても、それだけで十分ではないですか?
 是が非でも国旗を議場に掲げたい、そのことが目的のように思えます。
 イラク人質事件で自民党議員の「反日的分子」という発言や東京都教育委員会が事細かに手順を決めて、守らせようとしている入学式卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱など、内心の自由を守るとか個人の尊厳はどこへやら、国を大事にせよ、愛せよ、ということがまず第一になってきています。
 反日的分子:http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404260246.html

 愛とは強制されてするものでしょうか?法律や指導で愛が始まりますか?
 そして、国を愛するって、国家を愛するのでしょうか?それとも、国民や国土を愛するのでしょうか?
 さらに、私たちの国は本当に愛せる国になっているのか?一人ひとりを大切にする国だからこそ愛されるということが抜けています。
 吹田でも5月議会において、今年小学校教科書の選定の年に当たっているので、国旗の表現がまずい教科書があるが、それは選定しないのかとか、入学式、卒業式で国歌斉唱時に立たなかった教員への指導は?というような質問がありました。

※法学上は、以下の「国家の三要素」を持つものを国家とする。これは、ドイツの法学者・国家学者であるゲオルク・イェリネックの学説に基づくものであるが、今日では、一般に国際法上の国家の承認要件として認められている。

領域(Staatsgebiet:領土、領海、領空)- 一定に区画されている。
人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・体内的に排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souveran)なければならない。
つまり、このモデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第四の要素に挙げる場合もある。

以上、ウィキペディア(自由に利用できる百科事典)「国家」のページから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

 日本は大きなターニングポイントに来ています。ターニングポイントは、その最中にはわからなくて、過ぎてからわかるものだといわれます。だけど、「炭坑のカナリヤ」ではありませんが、数は少ないかもしれませんが、気づいている人がいます。
 目先のことや耳に心地よいフレーズに惑わされず、日本がこのままの方向に進んでいってもいいのか?ということを自分自身で考え、投票に行きたいと思います。
 誰に投票していいかわからないから、行かなかったということをよく聞きますが、投票に行って自分の考えに一番近い人や党の名前を書くこと、それでもわからなかったら、自分に一番似通った人に投票するのも一つの方法だと聞いたことがあります。 自分に似通った人に代表を任せる、たとえば子育て中の人は子育て中の候補者を選ぶ、若者は若者を選ぶ、年金問題に関心がある人は年金をきっちり納めている候補者を選ぶ、などなど、とてもシンプルだけど、理に適った選び方だとと思います。
 ありきたりだけど、「選挙に行こう!」


※投票日の7月11日に都合の悪い人は、市役所で期日前投票ができます。結構、期日前投票に来られる人を見かけます。地域の投票場がバリアフリーになっていないところの方などは、エレベータのある市役所で投票されるほうが便利だそうです。
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台風一過(04/06/22)

6月21日は週の初めだというのに、台風6号がやってきて、子どもたちはもちろん休校。大学も休講でした。
私は議会だよりの配布準備作業のため、事務所に一日こもりっきりでした。雨がひどく降ったときもありますが、風が結構強かったですね。

事務所からの帰り道、千里山団地の桜並木の年老いた枝が強風にもまれて折れたのか、たくさん道路に落ちていました。

その横には、雨にずぶぬれになった参議院選挙の候補者ポスター掲示板がありました。
7月11日の投票日。参議院の半数が入れ替わるだけで何にも変わらないのかもしれないけれど、もしかしたら、年金台風一過、国会のありようが変わるかも・・・
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のらりくらりの小泉さん(04/06/20)

 国会終了後の内閣総理大臣演説と記者とのやり取りを読みました。
演説の部分だけ見れば、もっともなことを言っているように見えていても、記者とのやり取りを読むと、こうも都合よく言えるものだと、開いた口もふさがりません。

たとえば、
「多国籍軍への自衛隊の参加は、これまでの自衛隊海外派遣の活動の枠組みを一歩踏み出し、今後、自衛隊の海外での活動が際限なく広がっていくのではないか?との国民の懸念に対してどう考えるか?」
との記者の質問に対して、
「多国籍軍全体の中で考えるが、あくまでも日本は日本のできること。日本にふさわしい支援活動を国民の理解を得られる形でしていかなければならないと。そういうことは、今もはっきりと米英とも了解を得ております」
との回答でした。
しかし、小泉さんが言うところの、
  多国籍軍全体の中で考えること と、
  あくまでも日本のできること、ふさわしい支援活動とは矛盾しないのでしょうか?

また、
「イラクに引き続き自衛隊が駐留するために、暫定政府と個別に協定を結ぶ方法もあると思うが、なぜ今回その方法ではなくて多国籍軍への参加なのか?」との記者質問に対しては、
「イラク暫定政府が国連に多国籍軍を要請しているから」との回答であり、多国籍軍への参加が必要な理由を尋ねているのに、その質問には答えていません。

また、さらに、
「人道・復興支援にできるだけ限定していくとのことだが、今も実際にイラクで活動している自衛隊は、航空自衛隊が米兵を輸送するような、安全確保支援活動もやっている。今後多国籍軍に参加すれば、より多国籍軍との連携が求められ、それは多国籍軍の指揮下には入らないと言えるのか?」との質問に対しても、
「今までも人道支援、復興支援が中心だが、中にはそれは米軍に対して機械等を支援活動する、必要な部品等、実際の生活をする面において輸送などをする場合もある。だけど、主として、日本は人道支援、復興支援活動だ。」
と言いつつ、その後続けて
「多国籍軍に参加する各国との協力関係を考えると、各国が必要な生活、あるいは活動をする場合に、どのような支援が必要かというのは、その国々との協力関係を考えながら支援をしていきたい。」
と小泉さんは答えていて、
結局、「人道支援、復興支援に限定していく」と言った自らの言葉をすぐに翻してしまっています。
言葉遊びをしているのではないのです。
のらりくらりの質問の受け流しは、私たち国民に対する姿勢ものらりくらりにしか見えません。
詳しくは【内閣総理大臣演説】
第159回通常国会終了後の小泉内閣総理大臣記者会見(H16.6.17)
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2004/06/17press.html
をご覧ください。
もっと総理大臣の言葉は重みのあるものであってほしいものです。

(1)独自の指揮命令系統を維持
(2)活動は非戦闘地域に限定
(3)活動はイラク特措法の人道支援活動に限る
(4)武力行使と一体化しない
という4原則ですが、戦場で日本だけ口約束だけで、勝手に判断できるのでしょうか?
また、国会の審議もなく、閣議だけで決まるのなら、国会の意味は何なんでしょうか?国民への説明は不要なんでしょうか?
自衛隊の海外派兵、有事法制、そのうえ多国籍軍参加、そして、教育基本法で愛国心の強調と、どんどん軍国化しています。本当に今のままでいいのでしょうか?のらりくらりではなく、ちゃんと議論して、その過程を国会で見せて欲しいと思います
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2004年5月議会質問

2004年5月議会の質問項目は以下の通りです。

●アルバイト職員の採用と雇用

内容はここをクリックしてください。
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