ゴエモンのつぶやき

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改正障害者自立支援法が成立

2010年12月06日 11時40分03秒 | 障害者の自立
 改正障害者自立支援法は12月3日の参院本会議で、民主、自民、公明各党などの賛成多数で可決、成立した。


 同法には、▽利用者の応能負担を原則とすること▽発達障害者が障害者自立支援法の対象になることの明確化▽相談支援体制の強化▽市町村による成年後見制度利用支援事業の必須事業化▽障害者向けグループホームやケアホームを利用する際の助成制度の創設▽障害児らが利用する「放課後等デイサービス」の創設―などが新たに盛り込まれている。

 障害者自立支援法は廃止が予定されており、同法に代わる新法「障害者総合福祉法」(仮称)の2013年8月までの施行を目指すことが閣議決定されている。




( 2010年12月03日 21:13 キャリアブレイン )

障害者雇用でモノが言えない企業は生き残れないエフピコ≪後編≫2

2010年12月06日 01時41分21秒 | 障害者の自立
 この選別センターは2009年1月に本格操業した。案内役の松尾和則エフピコ環境対策室ジェネラルマネージャーによると、当初は完全自動選別ラインの構築を目指して研究開発を重ねたものの、形・大きさ・色柄が異なる多種多様なトレーを機械で効率的に選別することは難しく、導入を断念。障害のある社員の力を借りることになったそうだ。瞬時で仕分けることができる人間の識別・判断能力はいまだ機械の及ぶところではない、ということであろう。

 こうして選別されたトレーは、別棟の大型プラントで洗浄・乾燥・粉砕工程を経て粒状のペレットに生まれ変わる。白トレーから生まれた白い再生ペレットは再びトレー用の原料となり、色トレーから生まれた黒いペレットは建設資材の原料に転用される。

 25人の障害者の勤務時間は、ウッド製品工場と同じ午前8時30分~午後5時30分。ただし、身体的な負担が大きいことに配慮して、午前、午後に各15分ずつの休憩時間を設けている。

 選別センターを担当する石川令(さとる)サービス管理責任者によると、操業開始当初は1時間ごとに10分の休みを取るシフトから始め、少しずつ作業時間を延ばしていった。「スキルの習得に要する時間は人それぞれ異なりますが、みんな真面目で仕事熱心。ほとんどの人が数カ月でフルタイム勤務ができるようになりました」という。

 操業後まだ間もないこともあり、障害のある社員の平均年齢は20歳弱と若い。昼休みに食堂で昼食を取っていた1人の男性社員に「何が一番楽しいですか?」と尋ねてみた。すると即座に、「友だちと一緒に働けるのが楽しいです」と、はにかみながら答えてくれた。友だちとは、地元の特別支援学校に通い、一緒に入社した同級生のことである。「友だちが一緒」という安心感と心強さは、何物にも代え難いものであることを実感した。

 なお、同じ工場棟内には、トレーとは別に回収されたPET(ポリエチレンテレフタレート)ボトルなどのプラスチック透明容器の選別ラインもあり、そこでも知的障害者が活躍している。

 トレーの選別センターで回収された物も含めて、集まった透明容器をPET、PP(ポリプロピレン)、PS(ポリスチレン)など6種類に選別するラインだ。選別それ自体は近赤外線センサーで行っているが、センサーがきちんと感知できるようにベルトコンベヤー上に整列させる作業を担当している。このラインは、特例子会社のダックス四国(高知県南国市)の福山工場に所属する知的障害者が受け持っている。

利益を出し続ける仕組みを作ってこその障害者雇用だ
小松安弘・エフピコ会長兼CEO(最高経営責任者)に聞く
 現場の取材を終えて、再びエフピコに戻り、小松安弘会長兼CEO(最高経営責任者)にインタビューした。

 小松氏は1937年岡山県生まれで、今年73歳。1962年にエフピコの前身である福山パール紙工を設立し、一代で同社を食品トレー業界最大手に育て上げた。計数と技術に明るく、歯に衣着せぬ鋭い発言でもよく知られる。追随を許さないその異能の経営は、「先取りの遵法経営」とでも表現できるかもしれない。その辺りについては、日経ビジネスオンライン「まねしていいですよ。我々は先を行くから~エフピコの快走は止まらない」、日経トップリーダー「経営者のための『危機管理』本音講座」(2009年9月号)などに詳しい。

 日本の起業家の系譜で見ると、本田宗一郎や井深大ら戦後第一世代の後に続いた戦後第二世代、いわゆる「稲森世代」に属する起業家の一人と言える。

 この世代には、ウシオ電機の牛尾治朗(1931年生まれ)、ロームの佐藤研一郎(同)、ユニ・チャームの高原慶一朗(同)、京セラの稲盛和夫(1932年生まれ)、セブン・イレブン-ジャパンの鈴木敏文(同)、セコムの飯田亮(1933年生まれ)、シダックスの志太勤(1934年生まれ)、ドトールコーヒーの鳥羽博道(1937年生まれ)各氏ら、ビッグネームがキラ星の如くに並ぶ。いずれも昭和30年代前後に会社を興し、独創的なビジネスモデルによってそれぞれの分野で地歩を築いたカリスマ型経営者ばかりである。

 小松会長兼CEOへのインタビューには、エフピコの障害者雇用の牽引役を担い、現在はダックス四国、ダックス佐賀、茨城ピジョンリサイクルの特例子会社3社の社長を務める且田久雄氏が同席してくれた。

高嶋 健夫(以下、高嶋) 障害者雇用にここまで熱心に取り組む理由を、教えてください。

小松 安弘(以下、小松) 障害者雇用促進法で1.8%という法定雇用率が定められている以上、これを守るのは当たり前のこと。日本は法治国家なんだから、法律は守らならければなりません。食品衛生法も、製造物責任(PL)法も、食品容器リサイクル法も、みんな同じですよ。

高嶋 障害者雇用の拡大に取り組むようになったきっかけは?

小松 25年ほど前にある国会議員を通して、千葉県習志野市で福祉活動をしている方から「障害者が働く場を作りたい。力を貸してくれないか」と相談されたんです。今は「あかね園」という施設になっています(注:1981年設立の社会福祉法人あひるの会が運営する障害者福祉サービス事業所)。

 詳しく話を聞くと、「もう用地は確保できている」って言うんだ。そこまで言われたら、やらないわけにはいかない(笑)。そこで、どんな仕事ならできるか、一緒に考えて、「手作業のウッド製品なら何とかなりそうだ」ということになった。それが1986年に作ったダックスです。最初は20%出資でスタートして、92年には51%の株式を取得して特例子会社にしました(現在は100%子会社)。

且田 久雄(以下、且田) 千葉に障害のある子供を持つ親の会(注:1984年にあひるの会が組織した「働く場を作る親の会」)が発足して、全国行脚して協力してくれる企業を探していたんです。そこで当時は社長だった小松会長と出会ったんです。

高嶋 その当時、且田さんは高知で障害児のための学校を運営していて、福山パール紙工(現エフピコ)から仕事を出してもらっていたそうですね。

且田 そのご縁もあって、会長には「障害者が働く会社を作ってほしい」と、ずっとお願いしていたんです。ところが、最初のうちは全く相手にされませんでした(笑)。

小松 全然ダメだよ。正直言って、できるわけないと思っていたから(笑)。でも、千葉のダックスでやってみたら、最初こそたいへんでしたが、素晴らしい成績を上げるようになった。

 その後、法定雇用率が1.6%から1.8%に引き上げられることになった。そこで、1997年にダックス四国を作り、且田君に任せたんですよ。そうしたら、今度は佐賀県知事から電話が来て、「うちにも作ってほしい」というので、2006年にダックス佐賀を設立することになったんです。

高嶋 産業界全体で見ると、なかなか御社のようには進みません。

小松 それはね、オーナー経営だから(できる)。オーナー経営者というのは、長い目で経営を考え、挑戦することを恐れずに自分の目の黒いうちにやり遂げようとする。サラリーマン社長は他人の中傷をするだけで、自分では決してリスクを取ろうとしない。そこがオーナー社長との差なんです。

 リサイクル事業も、「これからは環境対策についてモノが言えない企業は生き残っていけない」と考えて挑戦を続けてきた。障害者雇用も同じです。2007年に立ち上げたエフピコ愛パックは、必ず全国展開していかなければならない事業だと考えています。障害のある人に働く場所を提供すれば、家族もみんなハッピーになる。昼間の時間を当社で働くようになれば、家族の人も外で働けるようになりますからね。


社会の評価は後から付いてくる

高嶋 おっしゃる通りですが、それが実行できない。

小松 私はリサイクル事業も、障害者雇用もビジネスモデルだと思っています。つまり、利益を出す仕組みということ。障害のある人だってこんなに仕事ができて、会社に貢献している。愛社精神も持ってくれている。当社がそうした全国的なモデルを示すことができれば、真似をする会社も出てくるんじゃないですか。

 ただし、問題は十分な仕事量があるかどうか。仕事があり、さらに将来も増やす見込みがあることが重要です。そうでないと、長く続かない。だから、リーディングカンパニーでないと難しいかもしれない。一度始めたら、簡単には止められないんです。

高嶋 まさにリサイクル事業がそうですよね。

小松 消費者がわざわざ洗って持ってきてくれる。それを「使えない」「リサイクルできない」とは言えないですよ、企業の責任として。でも、結果として、それが貴重な資源になっている。国内にはまだまだ使える資源がある。

 食品トレーに続いて、いよいよ透明容器の再生事業を本格的に始めますが、原料調達コストの低減にかなり貢献するでしょう。石油価格は安定してきたように見えますが、私はまだ1バレル=100ドル超えという事態も十分にあり得ると予想していますから。

高嶋 リサイクル事業にしろ、障害者雇用にしろ、先進的に取り組むことで、企業イメージが向上するというメリットもあるはずです。実際、御社もみずほ銀行が障害者や高齢者の雇用に積極的な企業を対象に創設した優遇貸出制度「みずほハートフルローン」の適用第1号になった、と聞いています。

小松 確かに、そういう面はあるでしょう。環境関連でも三菱東京UFJ銀行や三井住友銀行、日本政策投資銀行などから優遇融資を受けています。こうした低利融資は安定資金として使えるから、ありがたい話ではあります。

 ですが、企業イメージや社会の評価というのは、後から付いてくるもの。肝心なのは、法律を守り、やるべきことをきちんと実行すること。そこを間違えてはいけません。

日経ビジネス オンライン

障害者雇用でモノが言えない企業は生き残れないエフピコ≪後編≫1

2010年12月06日 01時38分29秒 | 障害者の自立
 2010年9月末現在、事業提携先を含むグループ全体で321人の障害者を雇用している食品トレー最大手のエフピコ。「障害者も労働者であり、なくてならない戦力。環境を整えれば、障害のある社員でも戦力化できる」。エフピコグループの障害者雇用の中核企業の1つ、エフピコ愛パック(就労継続支援A型事業所)の藤井良朗社長は、このように語る。

 それでは、障害のある社員たちは実際にどのような働き方をしているのだろうか。本拠地・広島県福山市内に立地するエフピコ愛パックの2つの工場に足を運んだ。

 最初に案内されたのは、エフピコから車で10分ほどの広島県福山市箕島町にあるエフピコ愛パック福山工場。福山港にほど近い工業地帯の一角に立地している。幕末、坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船が紀伊和歌山藩船と衝突した「いろは丸事件」が起きたのは、この港の沖合だという。

 ここでは、主に弁当用に使われる「ウッド製品」が組み立てられている。赤や黒のプラスチック容器(トレー)本体の周りを木目模様を施した発泡スチロール製の枠材で囲った高付加価値製品だ。


ハイテクと人手によるダブルチェック

 工場内は半導体工場のクリーンルーム並みの厳重さで衛生管理されている。筆者もまず全身のほこりをクリーナーで吸い取ってから防塵用のつなぎを着込み、髪をヘアネットで押さえたうえで首まで覆うキャップをかぶり、最後にマスクを着用。エアシャワーを全身に浴びて、ようやく入室を許された。

 IDカードで管理された自動ドアが開くと、最終アセンブルラインが6列、整然と配置されていた。容器本体に枠材を巻き付けるようにして貼り合わせ、一定の枚数(個数)ずつにまとめて結束していくまでを処理する専用ラインだ。

 特徴は「ハイテクと人手によるダブルチェック体制」である。1つのラインを原則1人の工員が受け持っているのだが、工程はほぼ自動化されていて、要所要所で人間による検査を重ねながら事故や不良品の発生を防ぐ仕組みになっている。同時に、各工程中には殺菌灯や金属探知センサーなども設備されて、何重ものフェイルセーフの安全・衛生管理体制を敷いている。

 2つのパーツを貼り合わせる最初の工程は、ロボットアームを使って完全自動化。独自ノウハウによって機械メーカーと共同開発した最新鋭マシンということで、この部分は撮影禁止だった。

 組み立てられた容器は短いベルトに乗って、製品の種類に応じて15~30枚ずつにまとめる次の工程へ。ここではセンサーが所定枚数がたまったかどうかを管理している。担当者はそれを人間の目でもう一度確認。OKなら自動包装機で透明フィルムをかけ、すぐ脇にある結束台に移して結束機で紐掛けし、発送用の段ボールに箱詰していく。

 結束台の上には、今流れているのと同じ実物を使った「高さ見本」が設置されていた。見本と比べることで、一目で正しい枚数になっているかどうかを最終点検できるようにした小さな工夫である。

 ただし、「わざわざ高さ見本を置くために、台を設けたわけではありません」と、案内してくれた藤井智彦サービス管理責任者は念を押した。「結束する時に台に移す作業は、どうしても省けません。元々あった作業スペースを活用しただけなので、高さ見本を使うようになっても、生産性が落ちるようなことはありません」と強調する。

 同工場にはもう一つ、障害のある社員が活躍する製造ラインがある。自動化ラインの奥に配置された手作り製品のラインだ。同じウッド製品でも自動化が難しい六角形や八角形など変形の特注品を、流れるような手さばきで組み立てている。

 枠材を容器に貼り付けている障害のある社員の1人は、のぞき込むように見学する筆者に気づくと、一瞬だけ顔を上げて「こんにちは」と笑顔を見せ、またすぐに視線を手許に落とした。それでも集中力を切らすことはなく、作業スピードも全く変化なかった。


カイゼンで「限界値の生産効率を達成」

 驚いたのは、6列のラインの内、入り口手前側の3列はエフピコ愛パックの知的障害のある社員が、残りの3列は別会社のエフピコ福山に所属する健常の社員がそれぞれ担当していること。つまり、健常者と障害者が同じラインで、同じ仕事を分担し合っているのだ。

 現在、エフピコ愛パックには知的障害のある社員13人(うち12人が重度障害者)と支援スタッフ5人、一方のエフピコ福山には約15人が配置されている。そう聞いても、全員が同じような防塵着を着用していることもあり、各人の動き方などを見比べても、全く見分けはつかない。

 エフピコ愛パック側の作業は障害のある社員たちに完全に委ねられており、藤井サービス管理責任者は「支援スタッフが張り付いたり、アレコレと指示を出したりするようなことは一切ありません」と胸を張る。勤務時間は平日の午前8時30分~午後5時30分で、昼の休憩1時間を除いて実労8時間。特別な途中休憩を設けることもなく、この点も一般の工場と何ら変わらない。

 平均年齢は28歳で、2007年5月の操業開始から辞めた人はまだ誰もいないという。給与は「最低賃金以上」に設定している。藤井サービス管理責任者は「採用する際には、本人の働きたいという意欲を最も重視しています。面接でも本人の気持ちを詳しく聞きます。いくら保護者が勧めても、本人にその気がないと長くは続かない。逆に、本人に意欲があれば、少々辛くても頑張ることができます」と指摘する。

 肝心の生産量は日産3万枚。4秒に1枚を生産している計算といい、「操業開始から3カ月ほどで現在の生産量を達成し、採算ラインをクリアしています」と、エフピコ愛パックの藤井良朗社長は説明する。

 高い生産性を実現させた原動力は、やはり、カイゼン(改善)活動だという。5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)、3T(定位・定数・定量=どこに・何を・いくつ)といった作業・工程管理の基本を、障害のある社員自身が考え、修正していく仕組みをしっかりと構築しているのだ。その際の留意点は「伝えるべき内容、求められるレベルなどを丁寧に、分かりやすく説明すること」と、藤井社長は語る。

 毎月開かれるエフピコグループ全体の品質会議にも必ず参加し、「クレームゼロ」とか「生産効率向上」といった具体的な管理目標を与えるようにしているという。この辺りは、本連載で以前に紹介した川崎市のチョークメーカー、日本理化学工業(「改善で能力を引き出す――知的障害者の戦力化」)と同じ手法と言えるだろう。

 その結果、「創業当初に比べると、事故率やロス率は半減し、クレーム発生率も3分の1以下になりました。現在では、ほとんど限界値に近いレベルを実現しています」と藤井社長。「私の顔を見ると、すかさず『クレームないよ!』と声をかけてくる社員もいますよ」と嬉しそうに笑顔を見せた。


機械でできない仕事を障害者が担う

 続いて、すぐ近くの箕沖町にあるエフピコハートリサイクル福山選別センターに向かう。ここは、スーパーマーケットの店頭などで回収された使用済みトレーを種類別に仕分けする、「トレーtoトレー」のリサイクル工程の心臓部とも言える重要なラインだ。

 テニスコートが何面もとれるほど巨大な工場内は、ベルトコンベヤーや様々な大型設備が轟音を上げ、かなりの騒音レベルだ。ここには25人の障害のある社員が配置され、中国・四国と関西の一部地域から回収されてくるトレーを1日平均10トン、数にして数百万枚を選別している。

 回収されたトレーは種々雑多。無地の白いトレー、いろいろな色や模様が付いたカラートレー(これもエフピコが最初に商品化した)、さらには卵の容器などのプラスチック製透明容器も混ざり込んでいる。中には、油のしみ込んだカップ麺の容器など、回収しても廃棄するしかない「不適品」、つまりゴミも含まれている。

 ベルトコンベヤーから休むことなく流れてくるこれらの回収品を、5列のラインに向かい合うように配置された障害のある社員たちが白トレー、カラートレー、透明容器、その他の不適品などに、猛烈なスピードで選別していく。その手際の良さ、“さばき”の素早さには、ただただ圧倒される。


障害者の自宅介護、9割が親頼み 支える側の高齢化深刻

2010年12月06日 01時15分51秒 | 障害者の自立
 自宅で家族の介護を受けている障害者の9割が親に頼っていることが、障害者団体の調査で明らかになった。介護者の過半数は60歳以上で、障害者を支える側の高齢化が深刻になっている。こうした実態を全国規模で調べるのは初めて。

 調査は、障害者が働く小規模作業所などが加盟する「きょうされん」が今年7月、3万2573人の障害者を対象に実施。親やきょうだいなどの介護者にも記入を求め、3277人の障害者と4123人の介護者から回答を得た。

 主な介護者のうち、母親が64.2%と3分の2近くを占め、次いで父親が25.4%だった。年齢別では60代が33.6%と最も多い。60歳以上は過半数の53.1%に上った。

 東京都の93歳の母親が、身体・知的障害がある72歳の息子と2人暮らしをしている事例や、静岡県の94歳の父親が58歳の精神障害のある娘を介護している事例もあった。介護者の半数近くは居宅支援サービスを利用せず、70代の介護者の利用率は13.7%、80代は3.1%と低い。

 こうしたなか、介護者の84.5%は負担感を感じている。とくに精神的負担が68.7%と最も多く、身体的負担の52.0%、経済的負担の40.8%と続く。調査には、「障害や症状が重くなり、親が支えきれない」「親亡き後の生活を考えると不安」などの懸念が寄せられた。

 調査結果について、きょうされんは「障害者自立支援法はサービス選択の保障や自立支援を掲げたが、家族介護への依存と負担感を助長した。障害者とその家族の状況に応じた支援ができる制度改革が急務だ」と指摘している。

朝日新聞

作品や舞台 夢いっぱい 静岡で障害者フェスティバル

2010年12月06日 00時53分22秒 | 障害者の自立
 障害者が合奏や授産製品を披露する「夢いっぱいアートフェスティバル」(中日新聞東海本社など後援)が4日、静岡市葵区の葵スクエアなどで開かれた。5日は市役所本館の市民ギャラリーで、障害者たちの絵画や絵手紙など作品約300点が展示される。 (西山輝一)

 障害者福祉への関心を広める「障害者週間」(3~9日)の一環で、県が主催。浜松産の米を使ったせんべいやカツオの絵が描かれたバッグなど、県内の作業所約40施設で作られた授産製品のコンクール受賞作16点が並んだ。

 浜松市中区の「くるみ作業所」は、牛乳パックをリサイクルした卓上カレンダーを出品。通所する伊藤律子さん(41)は「(溶かした牛乳パックを)手で漉(す)いて、薄い和紙を作るのが難しい」と話した。

 特設ステージでは、ハンドベルの演奏や車いすダンスが繰り広げられ、県立藤枝特別支援学校(藤枝市前島)はバンド演奏を披露。15人の合奏部員は指揮者をまっすぐ見つめてドラムや鉄琴、シンバルをリズム良くたたき、演奏後には観客から「アンコール」の声も上がった。

 高等部3年生の岩崎聖(しょう)さん(17)は「緊張したけど頭の中にリズムが入っているので、いつも通り演奏できた」と話した。

中日新聞