夏目房之介さんのエッセイから
最近海外の若者に日本マンガの表現文法を伝える機会が増えてきて、ふと、それが過去の批評の積み重ねによって得られた理論と、年長者から学んだ若い人にそれをつたえる話法の上に成り立っている、ということに気づいて
ずっと、自分がいつまでも大人になれないと感じていた。が、気がつくと「大人」の役割を果たしていたりする。自覚はなくとも僕の世代はもう社会の中で「大人」として機能しているのだ。
若い人からみて僕が大人なら、その場所はけっこう楽しい。
大人の立場や権利を主張するのでなく、機能としての大人の役割を果たす。
僕は、そういう大人になれているだろうか?