一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

痴漢事件、最高裁で逆転無罪判決

2009-04-15 | よしなしごと

痴漢事件で防衛医大教授に逆転無罪 最高裁が判決
(2009年4月14日(火)19:07 朝日新聞)

電車内で女子高校生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた名倉正博・防衛医大教授(63)=休職中=の上告審判決で、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は14日、懲役1年10カ月の実刑とした一、二審判決を破棄し、無罪を言い渡した。

最高裁が事実誤認を理由に自ら無罪を言い渡すのは異例。5人の裁判官が審理し、3対2の小差だった。

裁判所のHPを見たら、早くも判決文が載っていました。(参照

弁護人秋山賢三ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。

ここ数年、痴漢については冤罪問題がクローズアップされてきましたが、最高裁もそのへんの世間動向を踏まえて冤罪の可能性についての一定の理解を示したということでしょうか。
以下長くなりますがさらに引用します。

当審における事実誤認の主張に関する審査は,当審が法律審であることを原則としていることにかんがみ,原判決の認定が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが,本件のような満員電車内の痴漢事件においては,被害事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく,被害者の供述が唯一の証拠である場合も多い上,被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合,その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから,これらの点を考慮した上で特に慎重な判断をすることが求められる。

那須弘平裁判官の補足意見は痴漢冤罪を防ぐための事実認定のあり方についてふれています。これは痴漢冤罪をなくそうという運動の主張に近いものがあります。

痴漢事件について冤罪が争われている場合に,被害者とされる女性の公判で
の供述内容について「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により信用性を肯定して有罪の根拠とする例は,公表された痴漢事件関係判決例をみただけでも少なくなく,非公表のものを含めれば相当数に上ることが推測できる。しかし,被害者女性の供述がそのようなものであっても,他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要であると考える。

被害者が公判で供述する場合には,被害事実を立証するために検察官側の証人として出廷するのが一般的であり,検察官の要請により事前に面接して尋問の内容及び方法等について詳細な打ち合わせをすることは,広く行われている。痴漢犯罪について虚偽の被害申出をしたことが明らかになれば,刑事及び民事上の責任を追及されることにもなるのであるから(刑法172条,軽犯罪法1条16号,民法709条),被害者とされる女性が公判で被害事実を自ら覆す供述をすることはない。検察官としても,被害者の供述が犯行の存在を証明し公判を維持するための頼りの綱であるから,捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定(刑事訴訟規則191条の3)に添った当然のものであって,何ら非難されるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見上「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである。これを裏返して言えば,公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険が伴い,そこに事実誤認の余地が生じることになる。

満員電車内の痴漢事件については上記のような特別の事情があるのであるから,冤罪が真摯に争われている場合については,たとえ被害者女性の供述が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,弁護人の反対尋問を経てもなお「不自然・不合理な点がない」かのように見えるときであっても,供述を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う必要がある。その上で,補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み切るについては,「合理的な疑いを超えた証明」の視点から問題がないかどうか,格別に厳しい点検を欠かせない。

合議体による裁判の評議においては,このように,意見が二つ又はそれ以上に分かれて調整がつかない事態も生じうるところであって,その相違は各裁判官の歩んできた人生体験の中で培ってきたものの見方,考え方,価値観に由来する部分が多いのであるから,これを解消することも容易ではない。そこで,問題はこの相違をどう結論に結びつけるかであるが,私は,個人の裁判官における有罪の心証形成の場合と同様に,「合理的な疑いを超えた証明」の基準(及び「疑わしきは被告人の利益に」の原則)に十分配慮する必要があり,少なくとも本件のように合議体における複数の裁判官がAの供述の信用性に疑いをもち,しかもその疑いが単なる直感や感想を超えて論理的に筋の通った明確な言葉によって表示されている場合には,有罪に必要な「合理的な疑いを超えた証明」はなおなされていないものとして処理されることが望ましいと考える(これは,「疑わしきは被告人の利益に」の原則にも適合する。)。

つぎは堀籠幸男裁判官の反対意見。これは、上告審で事実誤認として覆すには原審によほど大きな不合理がある場合に限られるとします。そうでないと何でもかんでも上告されてしまうということも背景にあるのでしょうか。

刑訴法は,第一審の審理については,直接主義,口頭主義を採用しており,証人や被告人の供述の信用性が問題となる場合,第一審の裁判所は,証人や被告人の供述態度の誠実性,供述内容の具体性・合理性,論理の一貫性のみならず,論告・弁論で当事者から示された経験時の条件,記憶やその正確性,他の証拠との整合性あるいは矛盾等についての指摘を踏まえ,その信用性を総合的に検討して判断することになるのであり,その判断は,まさしく経験則・論理則に照らして行われるのである。証人や被告人の供述の信用性についての上訴審の審査は,その供述を直接的に見聞して行うものではなく,特に最高裁判所では書面のみを通じて行うものであるから,その供述の信用性についての判断は,経験則や論理則に違反しているか又はこれに準ずる程度に明らかに不合理と認められるかどうかの観点から行うべ
きものである。

以上述べたように,多数意見がAの供述の信用性を否定する理由として挙げる第2の5の(1),(2)及び(3)は,いずれも理由としては極めて薄弱であり,このような薄弱な理由を3点合わせたからといって,その薄弱性が是正されるというものではなく,多数意見が指摘するような理由のみではAの供述の信用性を否定することはできないというべきである。

判決文のほかに補足意見(2つ)と反対意見(2つ)とも原審の認定に事実誤認があったといえるかについて詳細に論じていますが、それでも意見が分かれるというところが、客観的な証拠が乏しい事件の難しさを象徴していると思います。

裁判員制度が導入後は裁判員がこういう判断を迫られるわけですが、なかなか難しそうです(痴漢のような微罪は対象にならなかったと思いますが、殺人などでこのようなケースにあたったら余計大変ですね。)。


ところで今回無罪が確定した名倉さんは「休職中」とのことですが、給料は出なかったのでしょうから生活費は貯金を取り崩していたのでしょうか。
また、無罪が確定した時点で休職処分は不当だと勤務先を訴えれば損害賠償をとれるのかというと、そこはちょっと微妙かもしれません。
やはり、徹底的に争うということは相当コストがかかるので、冤罪の場合でも罪を認めてしまう人が多いというのもわかる気がします。


一方、今回の判決を勘違いして受け止めて、「つかまっても開き直ればいい」と調子に乗って痴漢をして現行犯逮捕されたりする阿呆が出てきそうですね。
またそうなると容疑者に厳しい事実認定がなされるようになると思います。
そして、そういう振れを何回か繰り返す中で痴漢事件の立証の方法の相場が出来ていくのでしょう。



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