古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

⊿佐太神社-宇佐神宮-沖津宮・宗像大社

2015年10月04日 12時58分12秒 | Weblog
猿田彦を西洋人ではないかと考えたことがありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%92%E3%82%B3
猿田毘古大神 2005年04月05日

しかし、確か源氏物語の末摘花も大きな鼻でした。
容貌はだいぶ違っているはずですが、イメージがなんとなく同じです。

また、宇佐神宮の『申殿《もうしでん》』の「申」は干支の「申・猿」の意味もあるのではないかと考えたことがありました。
そこで、宇佐神宮も猿田彦と関係があるのではないか、と考えました・

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6a2dba06fcd56f494371d7ada01ab0c8
神石郡?2015年08月08日

そうしますと、宇佐神宮-佐太神社にも関連があるかもしれません。
また宇佐神宮の祭神には宗像三女神が含まれていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE
《一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ) - 誉田別尊(応神天皇)とする
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ) - 宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)とする
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう) - 別名として息長足姫命とも》

すると⊿佐太神社-宗像大社-宇佐神宮も関連があるかもしれません。
結びますと、確かに、直角三角形になります。
90度、60度、30度の直角三角形に近い。
白村江の戦いも関連するとは思いますが、宇佐は卑弥呼・臺与(とよ)が250年ごろ東に向かった出発地点のはずです。案内役の猿田彦がいても良さそうです。
色々な意味、もしかすると大事な意味がありそうな気がしますが、わかりかねています。



宇佐神宮→佐太神社
 Ⅰ33°48′00.48″  Ⅱ214°43′29.70″ Ⅲ266,131.057(m)
宇佐神宮→沖津宮・宗像大社
 Ⅰ304°22′23.22″  Ⅱ123°39′52.09″ Ⅲ141,863.088(m)
佐太神社→沖津宮・宗像大社
 Ⅰ242°55′19.34″ Ⅱ61°15′43.02″  Ⅲ300,306.612(m)

宇佐神宮での角度
 360°-304°22′23.22″ +33°48′00.48″=89°25′37.26”≒89.4270度
佐太神社での角度
 242°55′19.34″-214°43′29.70″=28°11′49.64”≒28.1971度
沖津宮・宗像大社での角度
 123°39′52.09″-61°15′43.02″=62°24′09.07”≒62.4025度
宇佐神宮
北緯33度31分33.61秒 東経131度22分28.98秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=333133.61&l=1312258.98
33.5260,131.3747

佐太神社
北緯35度30分32.02秒 東経133度00分23.03秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=353032.02&l=1330023.03
35.50889,133.006397

沖津宮・宗像大社
北緯34度14分29.66秒 東経130度06分13.26秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=341429.66&l=1300613.26
34.24157,130.10368

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