風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

名医

2010-08-31 10:15:08 | 健康
 目じり、耳たぶが痒くて痛い。
 どこの皮膚科に受診しようか?

 友だちに相談したら、駅前のあそこがいいよ、と教えてくれた。

 彼女が、腕の湿疹が中々治らずに受診したら、先生は、ひと目、見て、「隠してもダメだ、足に水虫があるだろう」と見破ったそうである。
 たいしたもんだ、あの先生は名医だと感心していた。

 それではと、風子ばあさんも、診てもらいに行った。

 たいしたことはない……、と先生は重々しい口調で言われた。
 お薬を出しましょう、というが、病名と原因はおっしゃらない

 これはいったいどういう皮膚病でしょうか? とばあさんは訊ねた。

「なにか哀しいことはないかね」と先生。
 はっ?
「いや毎晩泣いているんじゃないのかね」
 にこりともせずにおっしゃる。

 つまり涙が刺激して、炎症をおこしているという意味のようだが、これではあまりに文学的? にすぎる診断である。

 では、耳の方は、とお訊きしたら、
「誰かが悪口言ってるんだよ」
 これもにこりとも笑わずにおっしゃった。

 どちらも同じ軟膏が処方された。
 一応軟膏で炎症はおさまっているが、はてさて彼は名医か否か。


白内障手術

2010-08-30 12:06:34 | 健康
 風子ばあさんは、声はでかいが、気が小さい。
ことに針だのメスだの、切ったり刺したりに、めっぽう弱い。
 
 いまどき、白内障手術は30分もかからない、簡単、と聞いても、恐ろしい。
恐ろしいからと目をつぶっているわけにいかない場所だから、なお困る。

 メスが目の中に入ってくるなんて、思っただけで気絶しそうになる。
 
他人からは、白内障くらいでと笑われたが、数年前、全身麻酔で手術した。

 麻酔医が、手術時間に眼科まで出張してきてくれた。 

 当然のことだが、怖くも痛くもなく、眠っているうちに無事にすんだ。

 あとで看護婦さんに聞いたら、全身麻酔を希望する人間は、100人に1人くらいはいるそうである。
 男の人が多いです、ということで、意外のようでもあり、さもありなんと、納得もした。

 局所麻酔の予定で手術室に入り、緊張のあまり血圧が上がり過ぎて、手術が出来なかったという患者も、たまにはいるそうである。

 後日あらためて手術、などということになるよりは、風子さんのような方は、はじめから全身麻酔を希望されてよかったです、と、この看護婦さんは、ばあさんを優しく慰めてくれた。
 
 術後、良く見えるようになり、一番驚いたのは、自分の皺である。これほどの皺くちゃばあさんだったとは知らなかった。
 人間、見えない方がいいことだって、あるのである。

夜更けのコンビニ

2010-08-29 14:33:37 | ご近所
 いつでも開いているコンビニが好きである。
暑いので、夜が更けてから、散歩ついでに立ち寄る。

 コピーをしたり、メール便を出したりする。
週刊誌の立ち読みもする。
 物はめったに買わないので、あまりいいお客とは言い難い。

 昨夜、近所の外人さんが、息子を連れてアイスクリームを買いに来ていた。

 母親が日本人で、息子はハーフである。
ときどき、通学途中の小学生の群れの中に、この子を見るが、際立って美貌で、目立つ。
 子供どうしでは、立派な日本語で悪態もついている。

 アイスクリームを選ぶとき、金髪の父親は、ベラベラベラ~、と早口に何か言った。

息子も、ベラベラベラ~と答えて、びっくりするほど大量のアイスクリームを買っていた。

 ふ~ん、この子は父親と話すときは英語なんだと感心した。

 家では、父の方を向いて英語、母の方を向いて日本語を喋っているのだろうか。
ときには、父親と母親の通訳をするかもしれない。

 いいなあ、羨ましいなあ。

 金髪の夫は無理にしても、せめて英語だけでも、もっと勉強しておけばよかったと悔やみながら、ばあさんは、家で待つじいさんのために、あの子と同じアイスクリームを籠に入れてレジに並んだ。

孝行息子

2010-08-28 14:16:22 | 歳月
 夫婦も新婚のときはひとつベッドで寝るが、そのうち隣のベッドになる。
もっと年をとると、隣の部屋になり、やがて階上、階下になる。
 
 おならをしても、いびきをかいても、夜更かしをしても、歯ぎしりをしても、誰にも遠慮はいらない。
 深夜のひとときは、それぞれに、なかなかオツなものである。

 友だちの息子が結婚することになった。
相手が東京の人で、顔合わせに、友だちは夫婦で上京することになった。
 
 よく気がつく息子は、両親のために、赤坂の一流ホテルを予約してくれた。
 ついでに、どこでも行きたいところへ案内するからと、二泊、食事つきで息子の招待だったそうである。
 
 孝行息子だねえと、風子ばあさんが褒めた。

 東京から帰った彼女が、お土産のくず餅を持って来てくれた。

「それがねえ、ツインの部屋でね。長年、主人と一緒の部屋になんか寝たことがないから、なんだか、きまりが悪くてね」

 我が家に戻った昨夜は、数日ぶりに、一人で、ぐっすり眠ったという報告であった。

 きまりが悪い……という日本語を久しぶりで聞いた。
 きまりが悪い、という言葉も、こんな状況も、若いひとには通じないかもしれないが。

アイム・ソーリー

2010-08-27 10:46:03 | ご近所
 我が家の斜め向かいのご主人は、外国の人である。
金髪の白人だからそう思うだけで、ほんとうの国籍は知らない。

 奥さんは日本人らしいが、玄関の向きが我が家と反対なので、奥さんの顔はまだ見たことがない。

 車庫で洗車をしていたり、庭木の剪定をしているご主人の姿はよく見かける。
もうここに来て半年ほどになるが、とくに挨拶を交わしたことはない。

 とにかく、こちらは日本語しか喋れない。
英語……かどうか、わからないけど、ペラペラペラと言われたら困るので、なんとなく会釈だけして通り過ぎる。

 先日、風子ばあさんが、自転車で帰ってきて、段差につまずき、転びそうになった。
たまたま、このときも車を磨いていた外人さんは、ダイジョウブデスカ、と声をかけ、近づいて来てくれた。

 オオ、失礼しました。ダイジョウブ、ダイジョウブ。

それから、こんにちは、こんばんは、と日本語で挨拶をするようになった。

 昨日、この暑いのに、脚立にのってカイヅカイブキの剪定をしている彼に出会った。
調子にのって、つい、「ご精が出ますね」と言ったら、彼は、きょとんとしていた。

 そうだよねえ、ご精が出ますね、なんて、いまどき、日本人でも遣わない年寄り言葉だよね、と反省した。

 で、アイム・ソーリーと言ったら、剪定作業がなんでアイム・ソーリーになるのか分からず、彼はますます、きょとんとしていた。
 

シルクロードは果てしなかった

2010-08-26 22:13:33 | 旅行
 牛のよだれみたいに、だらだらと旅の思い出をつづって申し訳ない。
もう終わるつもりでいたが、あとひとつ、ふたつ……。

 陽関は、ゴビ砂漠が広がる最果ての地、中国西南の国境にある漢代の関所だった。
 今は、狼煙(のろし)台が残るだけで、その狼煙台も、年々砂に埋もれて風に削られていくという。

 狼煙とは文字どおり、狼の糞を燃やしたのでこの字をあてる。
 ガイドからは、狼の尻尾を燃やしたと聞いたが、調べてみると、糞のようである。
いちいち尻尾を切っていては大変だから、やはり糞であろう。
 
 いずれにしても、肉食の狼は脂肪が多く、燃やすと、煙が黒っぽくて風になびかず、早く高く立ち昇るので、狼煙として最適だったそうである。
 
 昔の人はなんでもよく知っていた。

 この付近に、僅かな面積だが、緑色の葡萄の育つ地域があり、お土産に干し葡萄として売られている。

 日干しレンガで出来た乾燥小屋に、蔓も葉もそのままの葡萄をさかさまにしてこの小屋に吊るしておく。
 乾燥したころに実を揺すり落としたのが干し葡萄である。

 日本では、オーガニックとか言って、けっこうな値段がするが、天然とは、本来、埃っぽくて、非衛生的なものなのである。

シルクロードで万歳をした

2010-08-25 09:35:54 | 旅行
 他人の孫の話もつまらないが、旅の話もけっこう退屈なものである。
もういい加減で、やめたほうがいいのだが、書きはじめたら、とまらなくなった。

 これでお終いにするつもりだが、砂漠の中の小山から見た日の出は、素晴らしかった。 

 まだ真っ暗な早朝、バスを下りた先からは、駱駝の背にまたがって砂漠の中を行く。

 見上げる星空に天の川が見える。
カックンカックンと揺れる駱駝の背で、ああ、はるばる来たなあ、と胸に迫るものがあった。

 日の出を見る絶好のスポットまでは駱駝から下りて自分の足で登らないと行けない。
砂地の斜面は崩れやすく、歩きにくい。きつくて、息が弾んだ。

 そうして登り切った山の上で、ご来光を待つ瞬間は、もう、最高の気分だった。

 薄闇の砂漠の向こうが、少しづつ明るんできて、やがて黄金色の太陽の頭が見えてきたときは、一緒に登った仲間たちと思わず万歳を叫んだ。


シルクロードは面白かった

2010-08-24 21:10:47 | 旅行
 シルクロードに限らないが、中国には行ってみたいが、便所がどうも……と敬遠する人がいる。

 風子ばあさんは、それほど多くの地を訪れたわけではないが、中国も日本人がツアーで案内される範囲であれば、今はほとんど心配しないでもまずまずのトイレ事情になっているはずである。

 しかし、天池近くで、ちょっとした事情から、現地の人が使用する厠所に入った。
扉なし、仕切りなし、あるのは細い溝だけで、みんなが連なってその溝をまたいで用を足した。
 これはこれで純中国式を体験できたと思えば悪くない、郷に入れば郷に従えである。

 しょっぱなの扇子からしくじったが、買い物は値切るのが彼の地流である。
これは、日本人だからボッているというわけではないと聞いた。
 彼らどうしでも値段交渉はするらしい。
多民族国家とその歴史という事情が関係しているらしい。

 同じ干し葡萄が、三袋で千円だったり、四袋だったり、五袋になったりする。
琥珀だというアクセサリーも、二万円からいっきに五千円になったりする。そのやりとりを面白がるくらいの気持ちで対抗したほうがいい。

 しかし、土産物売りはかなりしつこいので、最後のほうは疲れた。


 帰国した翌日、いつものスーパーでビオラの鉢植えを買おうとして、思わず値切り、ああ、ここは日本だったよねえ、と赤面した。

シルクロードは美しかった

2010-08-23 15:10:33 | 旅行
 シルクロードには四十もの少数民族が暮らす。
このうち遊牧民のカザフ族は百十万人という。
 百十万といえば少数とはいえないだろうが、放牧民族である。

 ウルムチからバスが天池へ近づくにつれ、彼らの住居であるパオも散見されるようになる。
 夏は涼しい天池近くで過ごし、厳しい冬になると山を下りるのだそうである。

 その彼らに率いられた羊の群れが、突然、バスの行く手を遮った。何百頭もの羊がメヘーメヘーと鳴きながら、もこもこと道路を横切る。

 どうなることかと思ったが、バスの運転手さんがブーブーと鳴らしたら、羊さんたちは素早く道を渡り切り、馬上の牧夫も少しも慌てなかった。

 氷河が溶けて天山山脈に流れ込んで出来た湖が天池で、晴れの日は年間、八十日ほどしかないそうである。
 幸い、この日は上天気で、美しいエメラルド色の湖上を遊覧することが出来た。

 この日、ウイグル自治博物館も見学した。かの有名な楼蘭ミイラの美女がいるところである。

 博物館はまるでミイラ館みたいに沢山のミイラさんがいらっしゃったが、かの美女は格別の美しさで、美女というのはミイラになっても美女であることを納得した。
 
 これだけ大事なミイラのいる博物館だから、決していかがわしいものではなかろうが、館内を案内していた職員が、最後はやっぱり商売気をだした。
 貴重な骨董品だという壺や玉が詰まった木箱が、日本までの送料込で百五十万円という。

 誰も買わなかったけど、偽物を売れば国の名誉に関わるだろうし、本物なら、保護しなければならないはずだが、やっぱりよその国のことは分からないものである。

シルクロードは暑かった

2010-08-22 14:28:14 | 旅行
 ウルムチで一泊した翌朝、敦煌へ向かうために空港へ行った。
空港も暑いので、扇子を買おうとした。
 ガラスケースの中におさまっている扇子はまずまずの品物に見えた。

 二千円というのは高い気がしたが、なにせ空港の売店である。
出発時間もせまっていたのでそれを買った。
 
 すぐに使うべく広げたのはいいが、閉じられない。手にとってみて分かったのだが、新品ではない。
 色あせた扇子の中古品に唖然とした。

 今買ったばかりである。広がったままの現物を突き出して、文句を言った。

 売店のおばさんは、慌てず騒がず、扇子のひだをひとつひとつ無理やり折り畳み、しれっと、こちらに返してきた。

 こんなぼろはいらない、と言ったら、首を横に振った。
一度お金を払ったら、例えどんな事情があろうとも、もう二度と戻らない。
 日本とは違うのである。

 しかし、暑いので、滞在中、やむをえずこれを使用した。

 敦煌で一泊したあと、またウルムチに戻り、バスでトルファンに向かった。
車窓からの眺めは、砂地、荒野、岩山が続く。行けども、行けども、灰色の大地が果てしなく続く。
 ところどころにある窪地や小山の膨らみは、波のようで、まるで曇天の海のごとくに広がる。 
  
 廃墟である高昌故城や、三蔵法師で知られる火焔山のあるトルファンは、 日中の気温が四〇度近くになる。
 その炎天下を歩くのである。  

 砂漠の中をロバ馬車に乗って移動する。
 ロバ馬車といえば可愛いが、西部劇の馬車もかくやと思えるほど、ガタガタに揺れる。突っ走る。
 しがみつく鉄枠は灼けて素手では触れないほどに熱い。

 このときの写真を見ると、砂よけのマスク、タオルで顔を覆い、そのうえに帽子をかぶり、サングラス。
 みんなまるで山賊一味のスタイルであった。
 
 とにかく暑かった!