風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

またまた朝顔

2019-07-30 17:45:09 | はらから集いてソウル

            

     おばあさんだから暇、ということはない。これでも結構忙しい。

      スマホのソフトウエアを更新したら、まるで使いにくくなった。

     それで、ドコモショップに駆け込んだ。

       午後、友人に頼みごとの電話。頼みごとだから、鄭重に。

        さて、それから予約してある歯科へ。 

        そして本日も、そろそろナイター中継がはじまるので、

        テレビ観戦。むろん、ソフトバンクの応援 !

   

            本日もまたまた朝顔の写真


ああ困ったしくじった その2

2019-05-03 10:54:21 | はらから集いてソウル

 うかつにも鍵を持たずに家から閉め出された。

鍵なし、携帯なし、財布なし。

処置なしである.

だぶだぶの庭履きをつっかけて

まだ出かけられる身支度ではない。

 扉ひとつ向こうの携帯にさえ手が届けば、

助けてくれる友人知人は何人でもいるがその携帯に手が届かない。

まずは一番親しい徒歩5分の友人を訪ねることにした。

小雨が降っているが、傘もない。

サンダルを引きずり、濡れながら友の家へ行くと、

なんと留守。誰もいない。

玄関の外の置きっぱなしにしてあるビニール傘を拝借して

ひとまず自宅へ戻る。

入れないと分かっていても、そこしか戻る場所はない。


ソウルは近しされど

2018-11-14 10:05:19 | はらから集いてソウル

ソウルから福岡までの飛行時間は1時間8分とアナウンスされた。

 しかし、今朝ホテルをチェックアウトしたのが10時半。

搭乗15時、出発15時半だが、

空港には早々と到着して、ちょっとした買い物をしたあと

広い空港内でレストランを探し回り、

昼食に蟹のドリアを食べたりしていたら時間はあっという間に過ぎた。

 空港入ってすぐにブランド化粧品売り場があったがそこは通り過ぎて、

シャトルトレーンの乗り場に降りるエスカレーターの傍のショップで

頼まれてきた化粧品を買った。

 なぜこんな細かいことを書いているかというと、

次回行ったときに迷わぬためである、とここまで書いて、思わず苦笑した。

 もうこれが最後の海外旅行とあちこち触れまわって行ったのではなかったか。

 枯れそこないのおばあさんである。

 遙ちゃん一家には世話になったね、

あの人たちもくたぶれたはずだよね、また来てくださいっては言わなかったよね、

と帰路の機内で妹と笑い合っているうちに福岡に到着した。

 福岡に戻ったあとも、まだ荷物の受け取り、国内線空港へバスで移動、

その後、妹を博多駅まで送り、地下鉄でわが家に帰りついたら7時になっていた。

ソウル―福岡の飛行時間は短くても、海外からの帰国には違いなく、一日仕事であった。

 帰国した次の日、妹が弟に、楽しかったからまた行きたいねと電話したら、

今度はお姉ちゃんと二人で行っといでと言われたそうである。

また一緒に行こうとは言わなかったよ、

やっぱりね、おばあさん二人を守りするのはあの人たちも大変だったんだろうね、

と二人でまた笑った。

               ↓   仁川空港内で。

        


奉恩寺

2018-11-13 16:34:35 | はらから集いてソウル

 宿泊したインターコンチネンタルホテルの目の前に奉恩寺がある。

ビル街の中にある寺は緑に囲まれ、伝統を感じさせた。

こんもりとしたこの緑を、わたしたちはホテルの出入りの際の目印にした。

見知らぬビルの街で方角がわからなくなっても、あ、お寺が見えたからこっちだよ、というように。

 ホテルを出てこの奉恩寺の緑を背にして一分ほど歩くと、

道路際を広めにとったスペースの奥に韓国都心空港(CALT)がある。

空港に直接行くより、ここでチェックインからセキュリティ、出国手続きまで

コンパクトにまとめて行えて、終わればリムジンバスがそれぞれの空港まで直行する。

あとは三階の出発ゲート専用出国通路にそのまま入れる。

 迂闊にも携帯の充電池をスーツケースの中に入れていたので、

別室で鞄をあけさせられてちょっともたついてしまった。

仁川空港行きのバスはすでに待機中だったの急いだ。

金浦空港から東京へ向かう弟たちとはここでお別れ。

挨拶もそこそこに手を振ってバスに乗りこんだ。

      

 


養子

2018-11-11 16:23:48 | はらから集いてソウル

 末っ子の妹が生まれたとき、子どものいない広島勤務の叔父が、

自分たちの養子に欲しがったそうである。

母はこの叔父とはとくべつ仲がよかった。

子ども好きなのに出来ないで可愛そうけど、これだけはねえ、

と母から聞かされた覚えがわたしにはある。

12歳下の妹は初めて聞く話だと言った。

 あんたもしかしたら叔父さんちの子になっていたかもよ。

 結局叔父夫婦は赤の他人の子を養子に迎えた。

若い女性が不倫で産み、育てられない子どもで、

養子として迎えたばかりなのに、

叔父は酒場の階段から転げ落ちて亡くなってしまった。

 あとに遺された叔母は、この子を連れて広島から東京の実家へ引き上げた。

子どもはまだ2歳になったばかりだった。

経済的な事情もあり、周囲からのすすめで、

人を介して、その子の父親に戻すことになった。

不倫相手で、妻子のある父親だから、引き取って育てるわけにいかず、

子どもは祖父母の家で育てられることに話が決まった。

 その話にわたしがくわしいのは、その子の引き渡しが我が家で行われ、

わたしはその席にお茶を運んだからである。

不倫で子まで産ませた男というのがどんなにカッコいいのか興味津津だったが、

あまりぱっとしないどこにでもいそうな中年男だった。

亡くなった叔父のことを思いだしては涙する養母の膝で、

子どもは怪訝そうにその男の顔をみていた。

 その日、子どもは父親と養母に連れられて家を出た。どこかの駅で別れたのだろう。

 あとから聞いた話では、

その翌日、叔母は預けられた先の男の両親の家に行き、

子供を取り戻してきたそうである。

 生まれてすぐに引き取り二年間育てた子を手放すなんてとても出来ない、

自分の実子なら夫が死んだからといって返す先などはないのに間違っていたと、

一晩泣きあかして育てる覚悟を決めたそうである。

        

          

 


松茸

2018-11-10 10:41:54 | はらから集いてソウル

 遙ちゃんのダンナの親戚が、わたしたちに食べさせようと

20本もあろうかという松茸を届けてくれた。

 ホテルで焼くわけにはいかないので、

ちかくの料理屋へ持ち込み炭火を用意してもらった。

日本では松茸が高価であることを知っての好意であろう。

香りも歯触りも久しぶりに堪能したが、

いくら美味しくても、そうそう食べられるものではない。

 最後はのん兵衛の弟が焼酎のグラスに浸してしゃぶっていた。

 私たち姉妹はアルコールはまったく呑めない。

両親も付き合い程度で、決して強くはなかった。

 遙ちゃんが、うちの父だけどうして強いんでしょうね、と言った。

そう言われて思い出した。 母方の叔父に大酒飲みがいた。

 転勤で広島にいるとき酒場の階段から転げ落ちて亡くなった。

階段を下りようとして脳の血管でも切れて落下したのか、

あるいは階段を踏み外して打ちどころが悪かったのか、

本人は亡くなってしまったので真実は分からない。

 今なら検視解剖がされるかもしれないが、

意識不明で一日大いびきをかいたあと亡くなった。

 あとにはまだよちよち歩きの男児と奥さんが遺された。

      

                        

 

 


言語

2018-11-09 22:51:04 | はらから集いてソウル

 わたしたちと一緒のときは遙ちゃん一家も日本語で喋る。

ときどき家族同士で小声になるときは韓国語である。

ははん、ナイショ話をするには都合がいいなと勘ぐる。

 ユウトくんはインターナショナルスクールだから

授業も遊びもすべて英語である。

 家では何語を喋るの? と訊いたら、

お母さんとふたりのときは日本語が多いかなあ、

ユウトは英語のことが多いけど。

お父さんはユウトくんが韓国語を忘れないようにと

韓国語で話しかけることが多いという。

  つまり、三人でいるときは、三ヵ国語が入り乱れるらしい。

 ユウトくんの友だちを呼んでパーティをするようなときは、

巻きずしが人気だそうである。

オーストラリアの食事は大雑把で、子どもたちのお弁当も、

パンにハムやソーセージを挟んだだけの

サンドイッチというようなものであるという。

 イスラム圏の子供もいて、

彼らが遊びにくるときは食材に多少気をつかうけど、

子どもたちの方が、これは何が入っていますかと訊ねてくるので、

こちらからはそれほど気にしないことにしているという。

 ただし、断食月のときは育ち盛りの子が食べないのは可哀想な気もするけど、

そういう信条、文化なのだからと割り切ってつきあっているそうである。

      

 


うちのきょうだい

2018-11-07 15:09:48 | はらから集いてソウル

 弟は、病弱で早逝させた長女のことも、

ひとり息子がどうしているかもあまり話したがらない。

わたしの88歳になる夫がどうしているかも訊かない。

離婚再婚した妹のこともあれこれ訊かない。

お互いきょうだいにしては距離を保ったつきあいである。

 その弟も、器量よしで賢い薬学部を卒業した遙ちゃんのことだけは

嬉しそうに話すことがあった。

その自慢の娘が、国籍の違う男と結婚するといって、

弟が、すんなりよろこんだとはとても思えない。

 たぶんすったもんだの末の結婚だったはずである。

 しかし、いまはマティーニのグラスで婿さんとふたり

嬉しそうに乾杯している。

婿さんは弟の好きなビールの銘柄も、焼酎の好みもすっかり心得ていて、

痒いところを搔くがごとくに世話をする。

いささか気難しい弟とすっかり意気投合している。

 ソウルの街は橋が多い。

ラウンジからの夜景にもライトアップされた橋が観える。

朝になれば新しい斬新なデザインが多いビルの街になる。

 今朝6時過ぎにホテルの部屋からみごとな朝日が昇るのを見た。

振り返れば夜の景色が朝を迎えるように、

昼の街に夜がくるように、人の一生が過ぎていく。

     


ぼくちゃん

2018-11-06 14:50:01 | はらから集いてソウル

 ラウンジから街の灯りを見降ろす75歳の弟の横顔に、

何十年もむかし「ぼくちゃん」と呼んだ弟の顔が重なる。

今は孫のユウトくんに目を細める老人にも、

遠い日には、家族から待望の男の子、「ぼくちゃん」と呼ばれていたころがある。

ぼくちゃんは大学を卒業したその年に、親の反対を押し切ってひとつ年上の女性と結婚した。

 結婚した女性は一人娘で、その親が近くにマンションを買ってやるからそこに住んでくれと、

いうことになった。ぼくちゃんはなぜかこれを猛烈に拒否した。

 相手の親がうちの親のところへ、弟を説得してくれと泣きついてきて、

うちの母親が、いいじゃないの、買ってくれるっていうんだから。

住んでやれば……、と言った。

 今も弟たちは後楽園ドームのすぐ傍のそのマンションに住んでいる。

泣きついてきた相手の親も、説得したこちらの親も、

とうにこの世からいなくなっている。往時茫々。

     

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