風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

おなごん子のほしかあ (バアチャンの迷言)

2019-01-11 11:47:29 | 家族

 バアチャンは12人の子を産みながら、

死ぬ前は、うちの夫と、その二歳上の姉しか残っていなかった。

47歳で産むときは、恥ずかしゅうて、生まれたらすぐに、どこぞへやるつもりだった……そうだが、

顔を見たら、可愛ゆうしてどこもやりきらんだったということで、溺愛された。

年寄りっ子の三文安の夫である。

 結局、バアチャンは、どこぞへやるつもりだったこの恥かきっ子に最後の世話になった。

わからんものである。夫はバアチャンを風呂にも入れ、下の世話もした。

 しかし、いずこの男も同じ。余計なことは言わない。

しみじみ話相手にはなるのはたまにくる姉のほうである。

鈴ちゃあ~ん、と心を通い合わせ、夫には言わない甘えを口にする。

 

 そして、男の子しかいない、わたしに言ったものである。

あんたにも、おなごんの子がひとりおったらほんによかとになあ。

 

 あれから50年、我が家の息子は親を気遣う優しい息子である。

不足を言ったらバチがあたると分かっていても、

娘がいて、女どうしのお喋りが出来たらどんなにいいだろうと思う。

病気になったとき、男の子には、パンツ買ってきてとは言えない。

 おなごの子がひとりおったらなあ。バアチャンの名言をしきりに思うこのごろである。

   


誰でもこげんなる (バアチャンの迷言)

2019-01-08 10:42:45 | 家族

 バアチャンのいる郷里は廃坑の町で、若者に働く場所はない。

わたしは東京を捨てて福岡へ来たが、バアチャンもまた息子一家と暮らすために

故郷を捨てて福岡へ来た。新しい家で、家族のはじまりであった。

 すでにこのときバアチャンは85歳。

室内をよちよち歩き、這いつくばって便所まで通った。当然、汚す。

上から下まで着換えさせ、洗濯がすんだとほっとしても、また汚す。

着物の裾についた汚物で床を引きずる。

優しいヨメさんでいられるわけもなく、わたしがヒステリーがおこす。

そのとき、バアチャンが言ったものである。

「誰でも齢をとればこげんなると、あんたも今にわかる」

 あれからあっという間の50年。わたしもあのころのバアチャンの齢にちかづいた。

 誰でも齢をとりこげんなる、まさに名言であった。

 


九州くんだり (バアチャンの迷言)

2019-01-07 15:22:25 | 家族

 わたしが東京から九州へ転居したのは、バアチャンの介護が必要になったからである。

 誰も看るひとがいないバアチャンが倒れ、東京でサラリーマンをしていた夫が、

まず長期休暇をとって半年、その後退職して一年、ひとりで看護した。

献身的な介護で、近くに住む年寄りが、新聞記者さんに知らせてやりたか……

と言われるほどであった。

 しかし、いつ終わるか分からないのが老人介護である。

50年前の85歳は超高齢である。実をいえばすぐに亡くなると思っていたのだ。

だから夫は全力で介護し、わたしは東京で仕事を続けた。

しかし、一年二年と続き、三年めに覚悟を決めてわたしも東京から九州に移転した。

 バアチャンが長患いさえしなかったら

わたしは九州くんだりまで来ないですんだのにというのが、

いまでも夫の身内に言えない本音である。

 


煙草ば一本 (バアチャンの迷言3)

2019-01-06 12:24:17 | 家族

 バアチャンは煙草好きだった。若いころの私も愛煙家だった。

二人で紫煙を燻らせながら、バアチャンは言った。

「よそで、ご飯ば一杯食べさせておくれとは言えんばって、

煙草なら一本おくれって言うてもおかしくなかなあ」

 それだけの話なのに、なぜか忘れない。バアチャンは、いこい党だった。

バアチャンは好きなだけ、いこいを吸って、自宅で眠るように88歳の天命を全うした。


コショー (バアチャンの迷言2)

2019-01-05 11:53:24 | 家族

 結婚して初めて、夫の故郷で正月を迎えたときのことである。

バアチャンに数の子の味付けを教えてもらった。

「醤油と酒と砂糖と出し汁と、最後にちかっとコショーば入れるとたい」

 東京もんのわたしは、文字通り、仕上げにコショーをぱっぱと振りいれた。

ヨメに来たばかりのわたしに遠慮があったか、気がねがあったか、それで誰からも文句は出なかった。

しかし、どうも味がおかしい。それもそのはず、九州では唐辛子のことをコショーということを

後から知った。では、コショーのことは何というか? 洋コショーという。

いまでもお正月の用意をするとき、数の子に唐辛子を入れながら、ちかッとコショーね、とひとり呟く。


恥かきっ子(バアチャンの迷言1)

2019-01-04 20:24:46 | 家族

 明けましておめでとうございます.

 

 お正月という節目に、

バアチャンが亡くなってもう50年も経つことに思いがいたりました。

光陰矢のごとしです。

 

 夫は、俗にいう恥かきっ子で、義母が47歳の時の子である。

すでに姉が嫁入りして姪を産んだあとだから、

夫は生まれながらにして叔父さんである。

夫はようやく口が利けるようになったとき、

ふつうなら「かあちゃん」と呼ぶべき母親を、

いきなり「バアチャン」と呼んだ。

夫がバアチャンと呼ぶのだから

ヨメになった私も当然バアチャンと呼んだ。