風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

 チップ

2010-03-24 15:48:54 | 旅行
 小心者のフーフーばあさんが、もっと年上の友だちと二人で、外国へ行きました。
 
道中、居眠りとお喋りに夢中で、ほんとは機内ですませておくはずの入国審査の用紙記入が済んでいませんでした。
 
 降り立った空港は、日本のJRのローカル駅ほどの粗末で小さなものでした。
でも、観光客を乗せた飛行機が到着したので、ビザの申請がまだの人などもいて、そこは大変込み合っていました。 

 滞在先のホテル名をたどたどしく横文字で書きこんでいると、空港職員とおぼしき制服の男性が、にっこり笑って、私の手から申請用紙を取り上げました。
 
 ささっと馴れた手つきで記入をしてくれましたので、やれありがたや、サンキュー、サンキューと言いました。 

 ところが、彼は、その用紙をこちらに渡さず、一方の手を腰のあたりでひらひらさせて、チッチッチ、と言うのです。チッチッチ? 何だろう?

 横から連れが、チップって言ってるんだよ、と囁きました。
 
 これって、日本でやったら間違いなく問題になるでしょうが、まあ、この際、固いこと言わないで、ワンダラー一枚を渡して、やれやれ。
 
 記入してもらった用紙を持って出国カウンターの列に並びました。
 
 順番が来て、パスポートを差し出し、顔をあげると、さきほどのチッチッチのおっさんが、すましてスタンプを押してくれたのです。
 
 あれからすでに数年が経ちました。某国と言わないでも、もう時効かもしれませんが、気が小さいフーフーおばさんは、国際問題に発展するのを恐れて、某国の名を明かせないのです。

旅  高所恐怖症

2010-03-15 22:10:47 | 旅行
 高所恐怖症の友だちをスペイン旅行へ誘った。
 レストランでも高層ビルは駄目という人だ。

 飛行機は生まれてこの方、一度も乗ったことがないという。

 大丈夫、飛行機は席さえ選べば、外なんか見えない、寝ているうちに着いちゃうよ、という私の説得に、ころりとひっかかった。

 彼女の生家はお寺である。
 だからどこかに諦観があり、高い所は嫌だが、死ぬのが怖いわけではないと、彼女は自分に言い聞かせるように、機内食を食べながら話した。

 マドリッドまでは、まずは無事に到着した。

 何日目かの、マラガからバルセロナまでの移動で、横六列の小型の飛行機に乗った。
動き始めてすぐに、ガツガツと不気味な音がして、揺れた。
 いやな予感がしたが、私は平気を装っていた。

 振動は上昇とともにひどくなり、雲の中で乱暴に揺さぶられた。
大きく機体が傾ぎ、乗客の間に、早くも、キャっという悲鳴が聞こえた。
 隣の彼女は、目をつぶって耐えている。
キャッと言わないところが、かえって気の毒である。

 それでもスチュワートは軽食を配って歩き、私は、ほら見てごらん、大丈夫だよ、と言った。
 彼女は、あれはね、最後の一瞬まで乗客を動揺させないように教育されているんだよ、と恨めしそうだった。

 揺れは続き、目の前に置かれたトレーの中で食器がカタカタと音をたてた。

 窓際でずっと外を見ていた青い目のニイチャンが、私の方を向き、両手を広げ、肩をすくめて、にやりとした。
 よく揺れますね、ちょっと怖いですね、と言っているようだった。

 ぐらぐらっときて、ついに前につんのめるように大きく揺れた。前の座席の、同じツアーの男性が、ウオーと吠えるような声を出した。

 彼は海外勤務が長く、世界くまなく歩いたが、特にアルゼンチンが気に入ったそうで、あちらのタンゴはね、とあまりタンゴの話をするので、私たちは、彼のことをひそかにタンゴと呼んでいた。

 あの人でも怖いんだから、あなたが怖いのは無理ないね、と私は彼女を慰めた。

 あなたが、大丈夫、大丈夫っていうから来たのに、ちっとも大丈夫でないじゃない、と友だちは泣き出しそうにしていた。
 なによ、お寺の娘だから死ぬのは怖くないって言ったじゃない、と私が返した。

 さらに揺れて、トレーは床に滑り落ち、ジュースが零れ、ソースが散った。

 しかし、とにかく、飛行機は落ちずに着いた。バルセロナの空港ロビーでは、もうみんな笑っていた。
 前の座席で、オーと吠えたタンゴに、怖かったですね、と話しかけたら、いや、あのくらいのことは、よくありますと彼は言った。

口は災いのもと 沈黙は金

2010-03-13 13:59:37 | 口は災いのもと
 人の印象や記憶は、そこだけ取り出して、こちらの都合に関係なく覚えていられるのだと思うと恐ろしい。

 私もどこかで誰かに思いだし笑いされているかもしれない。
 あるいは、一言のために、どこかで恨まれていないとも限らない。いや、その可能性のほうが高い。

 友だちが可愛がっていた猫が、階段から落ちて怪我をしたことがある。
 たまたま訪ねたとき、猫は包帯を巻かれ、それが邪魔だから、ぐるぐる回って外そうとしていた。その様子がおかしくて、私はげらげら笑った。
 猫はその怪我がもとで数ヵ月後に死んだ。

 別の友だちが、気分がすぐれずに痩せたことを気にしていたのに、スマートになったね、と愛想のつもりで言い、後で、ほかの知人から、あのひと、癌じゃないかって、痩せたこと気に病んでいたのと教えられた。

 悔やまれることは、数え上げれば切りがない。いや、口にしたり書いたり出来ない、もっと根深い後悔の数々は山ほどある。

 生きて喋ってきたことを、今さら取り消しには出来ない。

 女の沈黙は金、などと言えば、しかるべき女史たちから、お叱りを受けるかもしれないが、少なくとも、私の場合、沈黙は金、黙って微笑んでいるにかぎるのだが。


口は災いのもと 結納

2010-03-13 13:48:45 | 口は災いのもと
 隣の奥さんと一緒に、近所のお宅へ、結婚のお祝いを持参した。

 娘さんは勤めに出ていて留守だったが、母親から、ぜひ上がって結納飾りを見ていってほしいと勧められた。
 翁、媼の人形に、お決まりの檀飾りはなかなか豪勢なものだった。

 檀の中ほどには、ダイヤの指輪がキラリと光り、こちら向きに飾られていた。

 まあ、無造作にこんなところに置いて、盗られますわよ、と、連れの奥さんが冗談を言った。
 婿さんになる人の申し分のない肩書きが語られ、若い二人の写真も披露された。
 新郎になるはずの彼は、髪型のせいか、少々老けて見えた。体型も、やや小太りで、まあ、美形とは言いがたかった。

 突然、隣に座っていた連れが言った。

 よろしいんですよ、こういう方は、浮気をしないから安心です。
 何を言い出したのかと、私は、えっ? と問い返した。
 ハンサムなんて、初めはいいけど、長い間には、浮気をしたり、いい気になったりするから、ちっとも良いことないの。その点、こういう方が安心でよろしいんですよ。

 そこまで言って、さすがに、はっとしたらしい。
 何を付け加えても、つくろいようもなく、すでに述べた檀飾りの美しさと豪華さを繰り返して讃えたが、もう遅かった。

 みんなが、しゅんと押し黙った。せっかく用意してもらったお茶菓子も、手をつけずに、そうそうに引き上げる羽目になった。

 口は災いのもと。

口は災いのもと 鬼瓦

2010-03-13 13:33:47 | 口は災いのもと
 十年も前の話だから、もう時効と思って許してもらおう。
ご近所の娘さん夫婦に、離婚話が持ち上がった。

 母親である私の知人は、ざっくばらんな人だったから、原因も話してくれたのだが、それは忘れた。

 覚えているのは、ある日、婿さんと娘さんが親の家に集まって、深刻な話合いがされたというその時の話である。

 娘は、もう、どうしても別れるっていうんですよ、と言う。

 で、婿さんは何て言ってるんですか、と訊くと、それが、どうしても別れないって。
まあ、あんな鬼瓦みたいな顔して、思いつめたように、××子を愛してますって、こういうんですよ。

 その婿さんの顔を知ってる私は、おかしくて笑いを堪えるのに、困った。

 別に鬼瓦みたいとは思わないし、やや厳つい顔は中々男らしくて、好もしかった。
 でも、あの人がそんなことを言うのかしら、と思ったら、やっぱりおかしかった。

 映画やドラマの中でなく、ふつうの生活の中で、愛してるんです、という言葉が、おかしくなくて、似合う男って、そんなにいるのかしらと思った。

 いきさつは忘れたのに、妙にそこだけ、はっきり覚えていて、今でもときどきその婿さんを見かけるたびに思い出して、その場面を想像してしまう。

 ご夫婦はその後、円満で、仲良く散歩などされている。
 もう、それを話した奥さんも、きっとそんなことは忘れているだろうし、鬼瓦と言われた本人は、まさかそんなことが喋られていることも知らないだろう。

 そう思うと、今もおかしい。

饅頭

2010-03-09 15:11:49 | バス
 妹に聞いた話である。
街に出た帰り、バスを待っていたら、高齢の夫婦が、手を取り合って、いかにも支えあうように道路を横断してきたそうである。

 どちらもよちよちと、いかにも危うげなのでつい気になって見ていたら、丁度妹の前まで来て、足をもつれさせて二人が重なるように倒れた。
 
 そこはまだ車道で、あと一歩で歩道になるところだったので、妹はとっさに二人の危険を思った。とりあえず、二人を歩道にひっぱりあげるのに手をかした。

 妹が自分の手提げ袋もバッグも地べたにほうり出して何とか二人をひきずりあげた丁度そのとき、バスが来た。
 そのバスは老夫婦の乗りたかったバスらしくて、妹に礼を言うと、自分たちの荷物を手にあたふたとバスに乗り込んでいった。

 すぐに人のかげに隠れてふたりの姿は見えなくなりバスは走り去った。
 
 妹もなんだかほっとして後続のバスに乗り、やれやれと自分の荷物をひざに載せたらなんだかほんわか暖かい。

 えっ、なんだろうと、手元を確かめたらデパートの紙袋の中にほかほか饅頭が二個、それと弁当も二人分が入っていたそうである。

 妹は買った覚えがない。さっきの二人の荷物だったと気づいた。

すぐ次ぎのバス停で降りて、交番を探した。事情を聞いたおまわりさんは、それは遺失物として預かるわけにはいかない、もう自分で処分してくれと言ったそうである。

 おそらく、外出もままならぬ老夫婦が、たまたま街に出て、ほかほか饅頭を買い、家に帰ってお弁当を食べたあと、お茶でも飲みながら食べるのを楽しみにしていたはずと思ったら、とても処分などできず、妹はまたバスに乗って引き返し、饅頭屋と弁当屋さんへ行き事情を話したそうである。

 店員は、お預かりします、と忙しそうに受け取ったけど、あの足の不自由な老夫婦がもう一度あそこまで取りに行ったとは思えない、悪いことをしたと妹は涙ぐんでいた。

 ほんとにねえ、間が悪かったねえ、と聞いているこちらもいささか胸の痛む話だった。

 お腹をすかせてがっかりしている二人のことも、バスで行ったり来たりご苦労をした妹もどちらも気の毒だが、膝に饅頭の温かみを感じたときの妹のはっとした表情を想像すると、ちょっとおかしかった。

 あんた昔からそそっかしかったもんね、と言うと、いやなこというわねえ、でもそうだわねえ、としょんぼりしていた。