風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

年賀状

2011-11-30 13:00:44 | 友情
     今日はまだ11月なのに、
    早々と爺さんメル友から賀状が届いた。
    ジイサンは惚けているわけではない。

     パソコンに夢中のジイサンは、
    写真を取りこみ、なかなか味のある賀状を作成した。
    早く風子ばあさんに見せたくてたまらなかったのだろう。
    添付で届いた。

     風子ばあさんは、まだ年賀状を購入さえしていない。
    謹賀新年、2012年かあ、とちょっとあせる。

     会えば偉そうなジイサンだが、
    出来た賀状が嬉しくて、見て見て見てと
    送信してくるジイサンはなかなか可愛く、
    風子ばあさんは、よくできました、花マルですと返信したのである。

     それにしても、ジイサンは、まだブログは知らないようである。
    風子のフーフーを見られたら困るから、
    彼がいつまでもブログに目覚めないように切に願う昨今なのである。

神田川

2011-11-29 14:19:44 | 歳月
     「神田川」という唄が一世を風靡したことがある。
   
    ♪ 二人で行った横丁の風呂屋~
      ~~~
    ♪ 小さな石鹸カタカタ鳴って~
      ~~~
    ♪ 三畳一間の小さな下宿~

     土一升金一升と言うが、都会は土地も家賃も高い。

     三畳一間のアパートなどというのが珍しくなかった時代の唄である。
    トイレは共同、風呂は銭湯に行った。

     今でも、古い旅館や国民宿舎では、
    風呂トイレ別……というのがときどきある。
    風呂は、まあ、大浴場だからいいとして、
    トイレは寒い廊下の端まで歩く。

     この間、不動産の広告を見ていたら、
    風呂トイレ別というマンションがあり、あれっと思った。
    いまどきなあ、誰が入るのかなあと、首を傾げた。

     しばらく見ていて、ようやく分かった。

     狭いマンションやビジネスホテルでは、
    浴槽とトイレが一緒に並んでいることがある。
    あれは窮屈だしだいいち寛げない。

     広告にある「風呂トイレ別」は、
    狭いながらも
    トイレと風呂がそれぞれ独立した個室ですよ、
    別べつなんですよ、ということらしい。

     同じ「風呂トイレ別」でも、まるきり意味が違った。

     それがどうしたと言われれば、それまでだが、
    若いもんは知らんめえが……。
    昔を知るばあさんは、ちょっと吹聴してみたかったのである。

ドロボーさん

2011-11-22 23:08:00 | 時事
    世の中不景気である。
 
    この町でも、ドロボーに入られた話をよく聞く。
   ドロボーなんか、したくてする人は滅多にいないだろうが、
   出来ればあまり来てほしくない相手である。
 
    風子ばあさんの友だちの家でもやられた。
   空き巣ならまだしも、夜中、寝ている間に入られたそうである。

    朝、起きたら、窓ガラスの錠のところが切られていて、
   二万円ばかり入れていた財布がなくなっていたという。

    お金を抜き取ったあとの財布は、庭の隅に捨ててあったそうだが、
   もし、目が覚めて、ぎゃっとか言って、刺されたりしたらと、ぞっとしたという。

    まったく、そのとおりである。

    翌日、彼女は、「監視カメラ作動中」の札をどこだかで買ってきて、
   玄関に下げ、裏口には以下の事を手書きした紙を張ったそうである。

   「ドロボーさん、うちにお金はありません。
    お母さんが見たらきっと悲しみますよ」

    暗闇で読めるのかなあと、
   風子ばあさんの心配の種がまたひとつふえたのである。

バックの中身

2011-11-19 23:57:50 | 俳句、川柳、エッセイ
      齢をとると、外出時の荷物が多くなる。
     坐骨神経痛があるので、
     どこへ行くのも小さな座布団を持ち歩く。

      降っても照ってもいいように折り畳み傘も必需品である。
     
      ペットボトルの水もかかせない。
     若い人にはわからないだろうが、
     喋るときに喉を潤さないと喋りにくくなるのである。
     
      そうまでして喋らないでもいいのだが、
     ばあさんどうしのお喋りは、極上の楽しみのひとつなのである。

      そのほか、老眼鏡、のど飴、
    これからの季節ならカイロとマスクetc。
 
      重い、重いと言いながら、段々バックが大きくなる。
 
      今日も今日とて、雨具の用意をしながら、
      ふっと亡母の口癖、
     「張り子の虎じゃあるまいし」を思い出した。
  
      張り子の虎は、紙で出来た玩具である。
     母は、少々雨に濡れるくらいのことを恐れるなと言ったのである。

      娘時代からそう言われたところを見ると、
     風子の荷物が多いのは、今に始まったことではないのかもしれない。

      そういえば、母にはよくこうも言われた。 
     「ちょっとそこまで行くのに、ハワイまで出かけるような荷物を持って」
 
      冬でも薄着だった江戸っ子の母は、
    どこへ行くのも身ひとつでカッコよかった。
 
     あの世へ行くのまでも、カッコよく、
    ピンピンコロリを地で行って、
    身軽にひょいと三途の川を渡ってしまった。
 
     あの世から、張り子の虎がハワイへ渡るような重装備と
    母が笑っているかもしれないが、
    今しばらくこの世にとどまって面白可笑しく暮らしたいから、
    濡れないよう、風邪ひかぬよう、転ばぬ先の杖で、
    風子ばあさんのバックの中身はますます増えて重くなるのである。

干し柿

2011-11-18 11:14:05 | グルメ
      風子ばあさんには、爺さんメル友がいる。
     彼は、目下パソコン修業中だから、風子ばあさんへのメールは、
     丁度よいレッスンになっているようなのである。

      先日は、浮羽へ柿もぎに行ったそうで、
     100個ほどちぎってきましたとメールが入った。

      翌日は、一日がかりで、その皮を剥き、湯通しをして
     干し柿作りで大変だったと知らせてきた。

      さらに二、三日後は、黄金色に輝く干し柿を見てくださいと
     添付で写真が送られてきた。 見事なものだった。

      気温が高くて何個か落ちたというメールも届いた。

      それから十日ばかり後に、風子ばあさんは、
     もうひとりの女友だちとその彼に会う機会があった。

      あれだけ、干し柿、干し柿と言ったのだから、
     きっと土産に柿を持ってくるよと、風子ばあさんは友だちに予告した。

      三人で会食しながら雑談を交わしたとき、
     蝿が寄ってきて困るんですよ、と彼はまた干し柿のことを話題にしたが、
     土産に干し柿は持ってきていなかった。

      あとで、友だちに、
    「蝿のたかった干し柿なんていらないよね」
    と負け惜しみを言ったが、本心を言えば、あれだけ期待させられたのである。
    一個でも二個でも賞味してみたかったよね、と
    風子ばあさんは、ちょっと無念だったのである。

スポーツ音痴

2011-11-17 10:44:22 | 時事
       風子ばあさんはまったくのスポーツ音痴である。
      しかし、根が野次馬だから、
      ワールドカップだの日本シリーズだのというこの時季だけは、
      にわかスポーツファンとなる。

       家事もおろそかに、サッカー、女子バレー、日本シリーズと
      日々、テレビ観戦に励んでいる。

       見上げるように大きな選手がそろうブラジル、ケニアの女子バレーに、
      子供のように小柄な竹下や佐野が立ち向かう姿に、
      風子ばあさんは声を上げて喜ぶのだ。

       そのくせ、ときどき、ねえ、トスってなに? 
      などと訊くので、横にいる家人にあきれられる。

       野球も、バットを振れば点が入ったものと思い、
      オオッと声を上げると、あれはファウル……と馬鹿にされる。

       もちろん、ご当地、ソフトバンクホークスを応援する。

       あまり調子がよくないらしい外人投手が、
      途中で交代したのに、また出てきた。
      あら、また……と言ったら、
    さっきのはホルトンで、今度はファルケンボーグ、まるで違うそうである。

     どっちも白人で、見わけがつかなかったが、
    よくよく見れば髭がないのがホルトンで、ある方がファルケンボーグだった。

      「なに言ってんだ、投手は一度しか出られない!」
    
    そんなこともわからんで、見てて面白いのかと言われたが、
    面白いのである、ソフトバンクが福岡に帰ってきたら
    またしっかり応援するつもりでいるのだけど……あと何試合あるのかしら。
 

緑の手紙

2011-11-16 11:07:32 | 読書
     「アンコールワットとトンレサップ湖遊覧」
     優雅な響きに誘われてカンボジアに旅をしたのは
     七、八年前のことになる。

     ベトナム経由でシェムリアップ空港に下りたとたん、
    これは優雅には程遠いところへ来たなと実感した。

     空港を出て市内に向かう幹線道路沿いに、
    いまだ地雷がここにあることを示す赤い旗が散見されていたのである。

     手足をもがれた物乞い、うつろな目をした幼児が、
    こちらの腰のバックに手をのばしてきた。

     「緑の手紙」はそれよりさらにさかのぼる1999年が初版である。
     作者は五十嵐勉、インターネット文芸新人賞、最優秀賞作品である。

      難民として日本に逃れてきたポ・シティと、
     日本語教師をしている主人公との関わりを綴りながら、
     重層的に旧日本軍の飢餓と死の敗退を語り、戦争と平和を考える。

      国家とは民族とはそこにある個人の生きることとは……。
     深く重い問いかけがここにある。

      カンボジアでは、危機に際して、緑色の用紙、封筒を使うのだと
     ポ・シティは病院から手紙を発信しつづける。

      緑の手紙は狂気の世界からの便りではない。
     人間の世界から戦争がなくならないかぎり続く祈りなのだ。
              アジア文化社の出版である。

曽野綾子さん、夏樹静子さん

2011-11-13 10:07:07 | 読書
     もう20年以上むかしになるが、
    曽野綾子さんの「贈られた目の記録」を読んだ。
    作家というのはすごいもんだなとつくづく感心した覚えがある。

     視力に不安を覚え、白内障と診断を受けて、病院を探し、手術を受けた……
    いうなればそれだけのことを書いた長いものだが、一気に読んだ。

     プロだから当たり前と言ってしまえばそれまでだが、
    退屈せずに読ませる力にほとほと感じいったものであった。

     その後、同じように思ったのが、夏樹静子さんの「椅子がこわい」である。
    これも、腰痛で悩み、何ヵ所もの病院をめぐりあるき、
    ようやく心因性のものとわかって治癒したことがえんえんと書いてあるのだが、
    退屈するどころか、ぐんぐん引き込まれて読まされた。
    腰が痛い痛い痛い……と書いて、これだけ読者を引き込んでいくのだから、
    プロとはすごいもんだなと唸った。

     長年腰痛に悩む風子ばあさんは、どんなに逆立ちしてもああは書けない。
    せいぜい特製の座布団を作って、どこへでも持ち歩くのが関の山である。

     昨日も友人と会うのに、いつものように座布団を持参した。
    居酒屋の椅子に置いて座り、楽しく呑んだはいいが、立つ時に忘れた。
    帰宅してから気づいた。
    居酒屋のお兄ちゃんかお姉ちゃんは、妙な忘れものにきっと驚いているに違いない。

ペシャワール会 中村哲さん

2011-11-12 22:23:21 | 時事
     今やペシャワール会も中村哲さんも知らぬ人はおるまい。
    マスコミを通じて、その活動を知ってはいたが、
    昨日、ご本人の講演に接する機会を得た。

    「助けることで助けられる」と語る中村哲さんの
    謙虚なお人柄と実行された功績の大きさにあらためて尊敬の念を深くした。

     講演を聴きに来ていた92歳の男性が、
    自作の漢詩を中村氏に呈したいと申し出て、吟詠された。

     車椅子のその男性は、目下入院闘病中の身ながら、
    病院から駆けつけたられたそうである。
    中村氏を、現代のキリスト、あるいはかのシュバイツアーに匹敵すると畏敬し、
    とても92歳とは思えぬ張りのある声で中村氏を讃えた。

     28年かけて乾いた大地をうるおし、戦乱のなか、
    農業を復活させた中村氏の仕事は、なせばなる、有言実行、
    アフガンのみならず今この困難な日本、いや世界中に
    勇気と希望を与えてくれる偉業であることに間違いはない。

     人として最後まで守るべきものは何か。
    感動的で意義ある講演会だった。

ソフトバンク・ホークス ファン

2011-11-08 15:59:33 | 時事
     昨日の西日本新聞テレホンプラザに、
    ホークスの日本シリーズ進出を喜ぶファンの声が載っていた。

     久留米市の女性で、観戦にあたり家族に内緒で早起きして近くの神社で
    必勝祈願をしてから球場入りしたとある。

     年齢を見て、オオッとのけぞった。

     なんと84歳である。

     風子ばあさんの家はドームに近いが、
    試合のある日は交通渋滞その他であまり球場には近づかないことにしている。

     球場のあの熱気に触れてみたくもあるが、
    人ごみに押されて怪我でもしないとも限らない。
    地元球団だから、応援はしているが、
    まあ、せいぜいテレビにかじりついて一喜一憂というところである。
    これが足腰弱ったふつうのバアサンである。

     84歳で、必勝祈願までして久留米市から出て来てくれるとは、
    なかなかできないことである。
    ファンとはなんとありがたいものだろう。

     ちなみに、彼女は和田毅投手が大好きだそうである。
    和田投手よ、ありがたいと思いなさいね。