風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

ウフフ

2011-04-29 15:50:13 | バス
 風子ばあさんはバスに乗るのが好きである。
バスの中で、若い女が連れの男に機嫌をとらせていたり、
婆さんどうしのグループが、そこにいない人の悪口を言い合ったりしているのを、
黙って聞いているのは中々にオツなものである。

 今日は、風子ばあさんが座っていると、三人連れのばあさんが後から乗ってきた。
あいにく、ほぼ満席であった。

 ばあさんが集団になると怖いものなしとなる。
中の一人が、風子の方をじろりと見て、
「年寄りが乗ってきたんだから、席を譲りなさい」
 という。
「?」
 まさか、私のことじゃあないよね。
辺りを見まわすが、どうもやっぱり風子に言っているようである。ついには、
「私、70ン歳なのよ、代わってよ」
と迫ってきた。

 マア、私と同じ齢ね……むらむらと戦闘的になりかけたが、やめた。
これ以上のお世辞はないだろうから、にっこり笑って席を譲った。

 こんなことがあるからバスは楽しい。

      ウフフ……。

新学期

2011-04-28 16:50:15 | 思い出
まだまだ気の晴れない日本列島だが、幼稚園、小学校の新学期は、じいさんやばあさん達の気分を少し明るくしてくれる。

 デパートの家具売り場、文具売り場も、それらしいデスプレイで、我が子たちの幼く愛らしかったあのころが思いだされて懐かしい。

 デパートで用が足らずに、スーパーへ回ったら、掃除具……、つまりバケツやモップの売り場にも、
でかでかと「新学期」のポスターが貼りだしてあった。
 
「?」

 この頃の新学期は、バケツやモップまで家から持参させるのかしらと、訝しみながら、傍によると、ひとまわり小さな文字で、
「もうすぐ家庭訪問!」と書いてあった。

 なるほど。

 先生が見える! と、緊張して、ぴかぴかに窓ガラスを拭いた日もあったなあ。

 あの頃は、風子ばあさんも、まだまだウブで可愛いママだったのである。懐かしいなあ……。

がんばれ日本

2011-04-27 10:25:43 | 時事

 いつものスーパーへ行ったら、がんばれ日本! の垂れ幕が日の丸つきで、でかでかと掲げてあった。
どこへ行っても、がんばれ日本である。

 風子ばあさんたち年寄りは、 がんばれ日本! を見ると、その先に続く 「欲しがりません勝つまでは」 を思い浮かべ、
それは 「国民一丸」 となって 「鬼畜米英」、それを唱えないと 「非国民 」と呼ばれた時代に記憶がつながってしまうのです。
  
 3.11以後、たださえ我が身を叱咤して、よろよろと頑張っているのに、この上、声高に言わないでほしいなあと、
ばあさんは日の丸を前に、つい俯いてしまうのです。

 それに、でかでか旗をあげたら、それだけで、何かを成し遂げたように免罪符としているような意地悪い見方もできます。

 みんなちがって、みんないい……という詩がありましたよね。

 被災地や復興へ寄せる思いも、それぞれがそれぞれに……でいいのではないでしょうか。

 非常事態の団結には危うさが含まれていることも、あの戦争の時代を体験したひとりとして肝に銘じておきたいのです。

東京

2011-04-26 15:57:02 | 俳句、川柳、エッセイ
 友だちの息子が、めでたく某大学に入学して、東京暮らしとなった。

 あちらには、親せきも多く、目下、折りにふれて夕飯によばれたりするそうである。

 叔父さん叔母さん達からは、
「東京は誘惑が多いから、気をつけるように……」にと言われ、
「賑やかで驚いたでしょう?」と、
 まるっきりの田舎者扱いをされて面くらったそうである。

 こんなケーキ食べたことないでしょ? とカラメルパイを出されたときは、
この人たち、おかしいんじゃない……博多に来てみろ、と吹き出しそうになったという。

 彼のアパートは京王線沿線にあり、天神界隈で遊び馴れた身には、はなはだ田舎で、これでも東京かよ、と嘆かわしいそうである。

 東京の親戚や友人宅に行って、九州と違うと思うのは、食事のお代わりのときや、お茶やお菓子のときだという。

「もうひとついかが?」と誘われて、
「いえ、もう結構です」と答えると、
見事にそれっきり。
どなたもそれ以上には勧めてくれないそうである。
 
 よかたい、もうひとつ食べんしゃい……などとは言わないのであろう。
 東京とは世知辛いところなのである。

豚もおだてりゃ木に登る

2011-04-25 12:02:37 | 時事
 多くの命を奪った津波は憎い。
 地を割った地震は怖い。
 諦めようのない衝撃である。

 しかし、それでもあえて言えば、天災は諦めるしかない。
自然の猛威の前に、人間はいかにちっぽけで無力であったかと、うなだれるしかない。

 だが、原発は違う。
あれは人間が作って人間が牙をむかれた。
地震津波は、どんなに残酷な結果で打ちのめされても、いずれ復興に向かって立ち上がるしかない。
しかし、原発はまだ進行形である。

一度作ってしまったものは、チャラには出来ず、未来永劫何万年もの間、地球を、人類を脅かす。

 大げさではない。
福島を見よ。
ある日を境に、町ごと村ごと田地田畑まるまる投げ出さなければならない。
水も飲めない、空気も吸えない。
これからも放射能が空や海を汚染し続ける。

 原発を国策としてきた国や、東電だけのせいにしているのではない。
ぬくぬくとエアコンの中にいてイルミネーションなどにうつつを抜かしてきた己を責めずにはいられないのである。

 
これらのことを思うとき、風子ばあさんは、とても愚かな戯言でブログを綴る気にならなかったのである。

 しかし、風子ばあさんのブログにも思いがけなく隠れファンがいた。
あれから一ヵ月、ブログが再開されないのは、風子ばあさん、いよいよ、くたばったか……とご心配くださる方がいた。

 問い合わせが続き、お元気なら続けて下さいと声をかけられた。
豚もおだてりゃ木に登る……で、昨日からようやく重い腰をあげました。

 またよろしくお願いします。


有機栽培

2011-04-24 11:42:11 | 時事
 風子ばあさんは、無農薬や有機栽培の野菜が好きである。
少々高くつくが、無理しても安心な食品を求める。
それを買って食べることによって生産者を励ますことができると思っている。

 農家との交流もある。
だから農薬を使わないでキャベツを作る難しさを多少は分かっているつもりである。
土壌管理、手作業での虫の除去、etcetc でご苦労続きのはずである。

 福島で有機栽培キャベツを作っていた人が、放射能汚染で出荷規制されて自死された。
丸々と美味しそうに育ったキャベツ畑がテレビに映った。

 ここまで育てるのに、どれだけの辛苦困苦があったことだろう。
大きくなるのをどれだけ楽しみにしていただろう。
何年も何年もかかって研究されたことだろう。

 その何十年の努力が、放射能によって水泡と帰した。
理不尽で立ち向かえない相手に彼はどれだけ虚しく腹立たしく哀しかったことだろう。
これを絶望と言わずして何という。
テレビを見ながら、涙がとまらなかった。

 あとで分かったのだが、このキャベツ畑は実は汚染されていなかったそうである。
いったい誰が、どうやって詫びてくれるというのだ。
風子ばあさんの腹わたが煮えくりかえる。

 原爆でこりごりしているはずの日本人が、原発などに頼ってはいけなかった。
使用済み燃料はどこにでも廃棄できない。
岩盤の奥深くにコンクリートで固めておくしかないそうである。
極めて危険な物質を放出し続けるそれを何万年も、ただ閉じ込めておくしかないというのだから空恐ろしい。

 蝋燭の灯りだけでもいい、家族が一緒に暮らせるなら……どんなに暗くてもいいと男泣きしていた人がいた。

 日の出と共に起き、日が沈めば寝る。
寒ければ身を寄り添わせて寝る。
貧乏人の子沢山とは昔からいうではないか。
少子化対策などと声高に言わないでも、若い男女が日暮れと共に寄り添えば子は増える。

 後出しジャンケンみたいで言いたくないが、原発は反対である。
昨日、原発反対のグループが天神をデモしたそうである。
風子ばあさんも次の機会には、久しぶりにデモに参加しようかと考えている。

 やれやれ、ばあさんは子子孫孫のためにも、おちおち昼寝などしていられないのである。