風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

美容師

2010-07-31 20:36:39 | ほのぼの
 風子ばあさんには、思いこんだら命がけの、いちずなところがある。
美容院でも、あちらの都合が変わらない限り、こちらから行かなくなることはない。
五年でも十年でも、同じ美容師さんにお世話になる。
 しかし、あちらが何かの都合で引っ越したりすると、新しい店を開拓しないといけなくなる。
 
 そうなると、結構うるさいばあさんになる。
だいたい、一度や二度でこちらの好みが伝わるはずがない。
だから、はじめは気にいらないのが当たり前である、というのがばあさんの持論である。
 この人、と決めたら、気にいるまで根気よく、こちらの希望を伝えればよいのである。
 はじめは、うるさいばあさんだなあ、と思われても、そうやって、だんだん、「あなた」でないと駄目になる。

 そうして、うちとけた彼が、この春、店長になりました、と嬉しそうに言った。ほう、よかったねえ、頑張りなさい、と風子ばあさんは、わが子が出世したように嬉しいのである。

 付け加えると、彼は中々のイケメンである。

MRI

2010-07-30 16:23:48 | 健康
 親戚のじいさんのMRI検査につきそった。
じいさんは息子のヨメと同居している。
仕事の都合で休めないというヨメさんにかわって風子がお伴をした。

 ヨメは、常々じいさんの健康を気遣い、身体に良いというサプリメントを飲ませ、磁気をゴムのところに埋め込んだ血流をよくするというパンツなどを穿かせている。
見かけはふつうのパンツとかわらない。

 検査室に入るとき、じいさんはすっかりそのことを忘れていた。
じいさんは忘れていても、最新鋭の機械は見逃してはくれない。正直に磁気に反応して、コンコンだかカンカンだか音がして、じいさんはパンツを脱がされたそうである。
穿くべきものを穿かないで、ドラム缶のようなMRIの中に寝かされていたじいさんの姿を想像すると悪いけどおかしい。

 いつまでも笑っていたら、じいさんが憤然として、おかしくない! と怒鳴った。

 健康管理に熱心で感心なヨメさんも、ときに災いをなすものである。

バーコード

2010-07-29 17:03:24 | 健康
 病院は元気でないと行けないところである。
比喩ではない。実感である。

 親戚のじいさんが、検査で入院することになった。
 事情があって、風子ばあさんが同行した。
指定された時間に行くと、すでに待合室は駅のプラットホームなみに混雑している。
 椅子に掛けようと見回しても空席がない。
誰かが呼ばれて立ち上がると、電車の中の席取りのように、横からさっと尻がおりる。
 じいさんを引き連れて、入院手続きをすませ、それから、さっそく検査票のようなものを渡された。
 このカードを二階の機械で……と指示がある。バーコード入力である。
 先客がいて、そちらも老人である。
どうするんですかねえ、と機械を前に困惑している。
 こうではないでしょうか、と風子ばあさんが出しゃばる。ピッと音がするはずなんですがねえ。
 ピッですか?

 昔はどこにでも案内係などというのがいたが今は見当たらない。
先客はおろおろしながら、何度もカードをふりかざし、ようやくピッといったときは、のぼせあがったような顔になっていた。
 あれでは病人でなくとも血圧が上がる。

挨拶

2010-07-28 17:22:09 | ほのぼの
近所の顔見知りに出会った。
それほど親しい相手ではない。
お久しぶり……、と決まり文句を口にした。

こちらと同年輩の相手は、
「賢そうでなにより」と思いがけない挨拶を返してきた。
お元気そうでなにより、というのはよく使うが、賢そうで、という挨拶は初めてである。
え! っと一瞬つまった。すぐに彼女の言葉続いた。
「このごろ、物忘れはするし、判断力は衰えるし」
と自分の頭脳の衰えを訴えはじめた。
 それで、なんとなく、さきほどの「賢そうで……」に納得がいった。別に、本気でこちらを賢いとみているわけではないのだ。
お互いに齢をとったけど、あなたはまだ正常なようね、というくらいのことらしい。

 思えば、挨拶言葉というのは変なのが沢山ある。
お暑いですね、お寒いですねと、かんかん照りや空っ風の日にわざわざ言わないでも分かり切ったことである。
 あら、お出かけですか……、などというのも、お節介きわまりない。
お元気そうでだって、見た目でどうしてわかるか! ってもんだ。
 しかし、雨のあと、よいお湿りで……などというのは、なかなかおつなものである。
お天気はおよそ農耕民族だったころのみんなの関心事だったはずである。
 そうしてみると、このごろ年寄りが増えたのだから、「お賢そうで……」などというのも、案外おかしくない挨拶ということになるのかもしれない。

ファッション

2010-07-27 22:11:55 | 口は災いのもと
 服を見ると欲しくなる。
 押し入れの中には、十年も二十年も前の服が取ってある。
 そこが二十歳(はたち)やそこいらの若者と違うところである。
 これは風子ばあさんに限らない、ばあさんたちの習性である。
 
 一生着るだけの衣類があるのに、まだ欲しい。
 5万も10万もするブランド物がほしいというわけではない。そういうものは惜しくて買えない。
 数千円、せいぜい弾んで一万円どまりである。
 それでも、いまどきは、おしゃれでカラフルな衣類があふれている。おおむね若者向きのデザインである。
 世の中には年寄りがこんなに多いのに、なぜか洋服は若いひとたち向きの服ばかりが並ぶ。
 それでも服を見ると欲しくなる。
 店頭で、しげしげ眺めていると、すぐに店員さんが寄ってくる。
 あれこれ上手にすすめてくれる。
「派手じゃないかしら?」
「そんなことはございません、どうぞ、あてて見てください、さあ、どうぞ、お鏡をごらんになりませんか」
 で、鏡の前に進む。

 むむむ、 なんというイメージとの違い! 胸にあてた流行の服と、自分の皺だらけの顔のギャップに、ぎょっとする。

 店員さんへ
お鏡をどうぞ……というすすめは、ばあさん相手のときは言わない方がいいと思います。
鏡を見せないうちに、さっさと勝負しなさい。

よかった

2010-07-26 16:06:26 | ほのぼの
  よかった
  微笑んでいてよかった
  黙っていてよかった
  悪口を言わないでよかった
  優しくしてよかった

 今日、無名の詩人のこのうたを、ジョイントコンサートの合唱で聴いた。
しみじみと歌い上げて良い歌だった。
 ウイーンの曲集や、ジョンラターのレクイエムなど美しいコーラスのあとのアンコール曲である。
 指揮者の荒谷俊治氏は、ヨーロッパではレクイエムのあとにアンコールはありえませんがと断った上で、この「よかった」に指揮棒を振った。

 小説書きは真も書くが、嘘も書く。微笑んでばかりもいられないのである。批判精神もないと進歩もないのである。

風子ばあさんは、目下、従順な初老の妻を書いて苦戦しているのである。

キャッシュカード

2010-07-25 10:15:34 | 時事
 風子ばあさんは、キャッシュカードを持たない。
物は現金を払って交換するもんだというごくシンプルな発想から、いまだに抜けきれずにいる。

 一度、夫のカードが不正に使われそうになったこともカード不信の一因である。

 日曜の昼、突然、宝石店から電話がかかり、お宅のカードは、今、お手もとにありますかと訊かれた。確かめたあと、いつもの財布に入っていますと言うと、わかりました、といったん電話が切れた。
 再度かかってきたところによると、若い男女が宝石店で数十万円の指輪を買おうと差し出したカードが、うちの夫名義だったのである。
 不審を感じた店側が、カード会社に照会して、うちに電話をくれたのである。
 待たされた客は、その間にいなくなってしまい、実害はなかった。
 すぐに警察に連絡したが、犯人は捕まらなかったようである。
 実物そっくりのカードが出来るというから恐ろしい。
いつコピーされたのか、夫には身に覚えがないそうである。
 
 そんなわけで、ばあさんはカードがきらいである。
 カードがなくて困ったことはあまりない。
 一度ベトナムのホテルで、カードの提示がないなら、前金で、と言われたことがあるくらいだ。
 もうひとつ打ち明ければ、ばあさんには、いささか浪費癖がある。
 我が身の欲望に打ち勝てるだろうか……。
 カードを持たないのは、実はそれが一番恐ろしいからである。

大奥

2010-07-24 10:03:09 | 口は災いのもと
 音楽会でも芝居でも、自腹で一万円ものチケットを買うときは自分の好みに合ったものに限られる。
 何かの都合で、タダ券が頂けたときは、ふだんあまり関心がなかったり、食わずぎらいだったりするものに出合えて、これもまた楽しい。
 
 昨日、頂いたチケットで「大奥」を観劇した。
TVドラマで人気があったそうで、浅野ゆう子の瀧山と安達祐美の和宮、多岐川裕美の家茂生母らの出演である。
 いじめあり純愛あり、涙あり笑いありの、てんこ盛りであった。

 風子ばあさんの隣に、若い男女が座った。女性のほうは、「大奥」のツーらしく、開演を前にして、連れに、瀧山と和宮と家茂について解説をしていた。家茂は徳川十四代将軍で……、と女性が言うと、オレ、徳川は、家康しか知らないなあという。 家康は何代将軍だ? と訊かれて、女性は一瞬、絶句した。
 しかし、すぐに穏やかな声で、初代なのよねと答えた。

 聞いていたこちらもちょっと驚いた。しかし彼は、歴史音痴かもしれないが、もしかしたら、宇宙のことには詳しいかもしれない。あるいは動植物のことに詳しいかもしれない。家康を知らないでもパソコンに精通している方が、現代を生きやすいかもしれない。

 となりで半分以上居眠りをしていた彼が、芝居が終わると、ああ、面白かったと言い、彼女が、そう、よかったあ、と笑顔を見せた。
 仲良きことは美しきかな。風子ばあさんは、心から、二人の幸を祈ったのである。

特定健診

2010-07-23 17:11:22 | 健康
 高齢受給者証が届き、特定健診のお知らせが同封されていた。
 特定健診とは、何をするか? 
身長、体重測定、血圧測定、尿、血液検査、今年から心電図も加わったそうである。

 しかし、なあ……。
 身長体重などは、わざわざ保健所まで行かないでもヘルスメーターに乗ればすむことである。

 さらに、こうある。
「かかりつけ医で、同じ項目の検査を定期的に受けていても利用できます」
つまり、いつも医者にかかっていて、ふだん検査をしていても、また来ていいですよ、ということらしい。
 無料だそうだが、昔から、タダより高いものはない、というではないか。

 このお知らせの用紙だって、印刷代だって、検査に関わる人件費だって、莫大な経費がかかっているはずである。
 いったい幾らかかったのだろうか。税金からにしろ保険料からにしろ、見えにくいが、払っているのは私たち自身だ。
 言ったら悪いが、もったいないなあ~。

 だいたい七十過ぎたら、なるべく病気なんか探さないで、そっとしておいた方がいい。
 病気が分かっても分からなくても、どっちみちそう遠くない先にあの世へ行くのである。 
 最後に、以下のような記載があった。この通知は70~75歳の人へ向けて発送されてきたのだ。
 風子ばあさんをはじめ、衰えはじめた脳みそでいったいどれだけの人がこれを即座に理解出来るのだろうか。

「特定同一世帯所属者とは、後期高齢者(長寿)医療制度の被保険者になったことで、国保の資格を喪失した人で、引き続き同じ世帯に属する人です。(後期高齢者医療制度の被保険者となった日に、国保の世帯主であった場合は、その後もひきつづき国保の世帯主である人)」

 あ~ ふーふー。

生きがい

2010-07-22 10:11:24 | ギター、映画など他
 定年後の趣味に、皿まわしを習い始めたという男性のことをテレビでとりあげていた。
何人かが一堂に集まって、一心不乱に天井に向けた棒の先で皿をまわす。
 なかなか難しくて上達しないが、今はこれが生き甲斐ですと楽しそうではあった。
 しかし、あれが生き甲斐ねえ、とちょっと考えさせられた。
くるくる皿を回すだけのことは、いくら上達してもこちらから見たら、たいしたことには思えない。
 本人がいくら打ちこんで生き甲斐と言われても、こちらは、そうですか、と言うしかない。
 
 生き甲斐と言って憚られないことって何だろう。
 そこで、はたと我が身を振り返る。ギターを弾く、雑文を書く、どちらも、風子ばあさんは力を入れている。
だけど、それがどうした……と言われたら、どちらも下手の横好きでしかない。
皿まわしと同じで、何かを生むわけでもない。
 世のため人のためにもなることでもない。こんなことをしている暇があったらラッキョウや梅干しでも漬けているほうが、なんぼか家族だけでも喜ぶ。
 もうばあさんの人生も終わりにさしかかっている。
 ああ、生き甲斐です、と胸を張って言えることに打ち込んだ人生を生きたかった、と、ばあさんは、もう間にあわないことを愚かにも悔やむのである。