ともかく豪華絢爛、遠くから見に来る人もいます。
わたしの実家では、バナナは洗ってから皮をむき、卵も洗ってから割った。
それが当り前と思っていたら、大人になってから、みんなに笑われた。
今になって、あれは父の衛生志向だったのだろうと考える。
明治生まれの父の父(私の祖父)はキリスト教の牧師兼英語教師だったと聞く。
新しい西洋思想にカブレたかと思えば、父の刺身嫌いも沢庵きらいも多少納得がいく。
父は、ただ、キライだ! と食べなかっただけで、理屈は言わなかったけど。
いずれにしても、我が家で沢庵は厳禁、父が留守の日は、今日はお父さんがいないからと
母親がいそいそと沢庵を食卓に並べた。父は見るだけでもいやがった。
青魚も一切食べなかった。肉もおよそ食べなかった。漬物類もダメだった。
もっぱら卵と豆腐と芋の煮っころがしを好んで食べて、82歳まで生き、たいして患わずに逝った。
生卵は洗ってから割る。それが当り前だと思っていたら、いつか友達に笑われた。
さっきバナナを食べながら子供のころを思いだした。わたしの家ではバナナも皮を剥く前に洗って食べた。
これはどうやら普通じゃなさそうと気づいてから、いきなり剥くようになった。
それぞれの「当たり前」が当たり前でないことがあるんだと、今頃になって気づいている。
古い本の間から、メモ用紙が出てきた。
友だちの俳句である。いやあ、うまいなあと感心したので無断借用する。
怒るような友だちではない。
壺の奥暗きに挿して曼珠沙華
夕焼けのごとき柿あるたなごころ
淋しさの一口ごとにむかご飯
春暁を覚めてひとりの奈落ある
息すれば大気匂ひて春隣 ……今の季節ならこの二句だろうが、
上記、秋の句がわたしは好きである。