当ブログをお訪ねくださったみなさん、
今年もわがままな振る舞いだった風子ばあさんをお許しください。
新年が、みなさまによい一年となりますようお祈りします。
当ブログをお訪ねくださったみなさん、
今年もわがままな振る舞いだった風子ばあさんをお許しください。
新年が、みなさまによい一年となりますようお祈りします。
贈与非課税が、来年から見直されるらしい。
親が子への住宅資金や、祖父母から孫への教育資金などへの贈与の金額が、
大幅に非課税扱いになるそうだ。
1000万円が4000万円まで……とか、金額が大きすぎて、
えっ! どこにそんなお金持ちがいるの? と思うが、
いるんでしょうねえ。
それにしても、こういうことが大きく報道されると、
年末年始、おりしもどこの家庭も帰省の時季。
持たざる親としましては、肩身が狭いですねえ。
しかし、正直なところ、なにもジジババが死ぬまで、ちょっと待ってもいいではないかと
思いもするのですがね。
贈与したくても、ないから、どうでもいいけど。
題名は、自転車に乗って旅をしたら、下り坂になるとラクなので、
そうか、人生も下りになるのがいいんだと思うところからついた。
以下、脈絡なく、本分から。
「原稿はすべて手書きである。忘れた漢字は辞書を引いて調べ、一字一字原稿用紙に書きつけていく。
思考するときは文字を書く。パソコンを使うと思考が蒸発してしまい、蓄積されない。文字を書いて思考する」
謝罪会見について。
申し訳ありませんでしたというところでいっせいに頭を下げる。
「このとき、頭の下げ方が揃っていないと見栄えが悪い。
ひとりが下げ遅れると、見ているほうは、ダラケておるな、と腹をたてる。
ぴたりとあって頭を下げればすっきりする。まだらはげもいい。
あれは、控え室で予行演習をしているはずだ。
頭を下げるきっかけを責任者が、セーノと声をかけるわけにはいかず、アウンの呼吸でいっせいに頭を下げる。
それには稽古が求められる」
「男と女が、短い一生のあいだに幸福でいられる時間は限られている。
どれほど仲のよい夫婦でも、賞味期限があり、期限切れを我慢しているうちに家庭内離婚となる」
「さて、あと何年生きるかわからぬが、風雅に行きたいと考えた。
ところが風雅というのは、やってみると退屈する」
というような事が書いてありました。
いよいよ今年も押し詰まった。
購読してしている新聞の販売店から、お願いの赤いチラシが入った。
元旦の新聞が多く、ポストに入りきれずに濡れたりするといけないので、
玄関先に段ボール箱か、大きな袋を用意して、この紙を貼ってくださいというものだ。
なるほど、と頷きかけて、でも、待てよ、と思う。
例年、元旦の新聞の本紙はろくに読むところがない。
それはそうだろう、年末年始新聞社だって交代ながら休む。
よって、おまけのような別紙や、チラシで膨らむだけで、
膨大なごみになる容量を、こちらが望んだわけではない。
こちらは、あふれて困らんくらいのページで届けてほしいと思うのに、
ポストがわりの新聞受けを用意しろとは、なにを横柄な……、
と、まあ、へそ曲がりばあさんは、思わぬでもないのだが、
ま、しかし、もめるだけの気力体力はもうありません。
へいへい、と、今から大きなユニクロの袋を出して、これでいいかなあと思案しているところです。
2013年8月、藤圭子が衝撃的な死を遂げたあとの10月に、
この本は出版されている。
実は、今から30年ほども前、まだ藤圭子が20代の人気歌手であった頃にこの本は書かれていた。
しかし、著者、沢木耕太郎は、藤圭子の状況から、
当時は、これを出版しないという選択をして
一冊だけ製本して藤圭子に渡したそうである。
健気な少女が歌手として登りつめながら、
人間として真摯な生き方を思いあぐね、傷つきながら、
純な心を持て余していたのが読んでいて分かり、切ない。
喉の手術をして声が変わってからの悩みは、切実であり、
歌っても歌っても満足できず、
舞台に上がりたくなくて泣いて柱にしがみつく。
その絶望のあと、宝石なんかいらない、贅沢な服なんか少しもほしくないと、
引退の道を選ぶ。
潔く、人間としてまっとう過ぎて胸を打つ。
前川清との結婚から離婚のいきさつも丁寧に彼女の心の軌跡を追っている。
「前川清は日本一歌がうまい、ウソをついたり、裏切ったり絶対にしないひと、あんないい人はいない」
と藤圭子は断言する。
前川清の方も、困ったことがあったら一番におれに相談しろよと言っていたそうである。
前川清ってカッコいい男だなと思わせ、彼の歌も、聞いてみたくなる一冊である。
まずは、著者の紹介。
熊谷達也
宮城県出身、「ウエンカムイの爪」で小説すばる新人賞を受賞でデビュー。
2000年には「漂白の牙」で新田次郎文学賞を受賞。
04年「邂逅の森」で山本周五郎賞と直木賞のダブル受賞。
近年、「仙河海市」を舞台とした作品群をライフワークとし、
ありし日の「被災地」から現在、そして未来へと繋がる人々のリアルな人生と生活を描き続けている。
「微睡みの海」も、その仙河海市を舞台にした一作である。
主人公、笑子は、中学の教員時代に問題のある生徒とのいきさつから退職し
美術館の学芸員をしている。
その美術館副館長である菅原貴之との不倫関係にあるが
個人的に絵の指導をするうちに、もと教え子の吉田祐樹とも、
関係をもつようになる。
ほかに、バー経営のともだちの希、もと教え子の中村航平らが登場。
今日も、また、ランチ忘年会だった。
「忘年会」と言っても、主婦のそれは、
コップ半分のビール乾杯ではじまるささやかなものである。
2800円のランチにしては、大仰な 「お献立表」によると
鯛のお造里にはじまり、胡桃豆腐、海老と若芽などなど、なんと35行に及ぶ。
すっごい、御馳走!
しかしなあ、としげしげ「お献立表」を眺めると、
土佐醤油、三杯酢、酢味噌、紅塩、ヒマラヤ塩……まだまだ続く。
そっかあ、我が家でもやるかなあ、これを。
キッコーマン醤油、ブルドックソース、キューピーマヨネーズ、玄米茶、まだまだ続く……とか。
帰りは、うちで待っているおじいさんのための夕飯用食材を買うため、
みんな、そわそわと散会した。
主婦の忘年会は、可愛いものである。
先日の新聞に、
夏目漱石の直筆のハガキが新宿区に寄託された記事が出ていた。
今日また、竹久夢二の原稿と手紙などが記念館に寄贈されたとの記事があった。
おそらく、それぞれの思いや人柄が表れていて、
後世に伝える価値あるものなのだろうと読んだ。
パソコン全盛の今はどうか。
パソコン機能を駆使している作家の原稿は、
完成稿のファイルだけが残り、
推敲の経緯はあとかたもなくなる。
今は直筆原稿や、万年筆などが展示されている文学館や記念館というようなものは、
そう遠くない先で、いずれ消えていくしかないだろう。
だから、どうした? と言われても困る。
私だって、パソコン愛用派で、
手紙ひとつ手書きが出来なくなっている。
人間、これでいいのか、? と思いながら。
18名のサークル仲間でランチ忘年会をした。
もよりの駅まで送迎バスが来てくれて、
和食の店へ連れていってもらった。
さて、帰り。
ワイワイ、バスに乗り込んで、
だれかが言った。
「そろいましたかあ~」
「はあ~い」
で、バスは出発した。
駅前まで戻って、サークル唯一の男性会員がいないことに気付いた。
あれれ、である。
一人、置いてけぼりにしてきた。
「そろいましたかあ」、で、「はあ~い」って
居るもんが返事してどうすんだと思ったがあとのまつり。
唯一の男性にしては、彼の存在はあまりに……だったなあ。