風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

採点表

2010-04-28 16:40:30 | 旅行
 ホーチミンのガイドは、コイさんという小柄で親しみ深い笑顔の若い男性だった。
 
 自己紹介で「オナメエはコイです」と言われたとき、はじめは意味が分からず、それから、思わず噴き出しそうになった。
 
 しかし、例えば、日本人であれば誰でも最低でも数年は英語教育を受けたはずだが、だからと言って外国人を相手に、英語を喋れる人間はどれだけいるだろうか。

マイネーム・イズ・ペラペラ、と言ったところで、コイさんの「オナメエ」と同じようにおかしなことなのだろう。笑ってはいけない。

しかし、聞き取るのにかなり難渋し、はてな、と見当をつけて、イチチボシが五つ星、オチカレサマがお疲れ様、と分かった時、笑わずにすますのはかなりの努力がいった。

 帰国前に、ガイドを手配してくれた会社へ提出する採点表に記入させられた。

 空港へ出迎えたときの態度はどうでしたか。服装は清潔でしたか。観光地についての知識はどうでしたか。日本語はどうでしたか。以下まだ沢山。
 
 それに対して、大変良い、良い、普通、やや悪い、悪い、と五段階で評価をする仕組みになっている。
サインも自筆で、と言われ、ごまかせないように出来ている。
 
 彼らはこれに合格しないと次の仕事をもらえないのだろうか。

 コイさんが、満面笑顔で空港に出迎えてくれ、レストランへ案内した後は、直立不動の姿勢で、ゴユクリと礼を尽くしてくれたのも頷けるというものだ。
 
 帰りの空港で、採点表には全部大変良いの丸印を付けましたよと言ったら、コイさんはとびきりの笑顔で喜んでくれた。
 
 見送り人はここから先へは入れませんという場所で、最敬礼をしてくれたのは言うまでもないが、その先、ぐるりと回ったところで、まだガラス越しに鼻先を擦り付けるように笑顔をこちらに向けていつまでも手を振ってくれた。

トンレサップ湖

2010-04-24 23:15:45 | 旅行
 旅行社でアンコールワットへの日程を組むとき、トンレサップ湖とバンデアスレイ、どち

らかを選べます、と言われて、湖のほうを選んだ。
 
湖というのは美しいところという無知で勝手な思い込みがあった。
 
 私たち二人だけのために現地ガイドがついてくれた。
 
車がトンレサップ湖へ近づくと、ガイドが、ハンカチ、イルネ と口もとを覆う仕草をし

た。何のことかわからなかった。

 トンレサップ湖では、人々が筏を組んで水上生活をしていた。水上には病院も学校もあっ

た。この湖で、水浴びをして、用便をして、魚を獲って暮らす。
 
濁った水面からの異臭に、ようやく、ハンカチ、イルネ、の意味がわかった。

 湖岸には、水上よりさらに粗末なニッパ椰子の葉で屋根を葺いた小屋が並び、そのどの小

屋にも申しあわせたようにテレビのあるのが見えた。窓も扉もない柱と床だけの小屋に、ほ

かには家具らしいものは見当たらなかった。
 
船頭がボートを漕ぎ出し、しばらく行くと、すぐに水平線が見えてきた。ガイドが「海みた

いに広い」と言ったのは本当だった。
 
 大きなお椀のような小舟にのった女の子が二人近づいてきたので写真を撮ったら、チップ

を要求された。
 
 女の子は受け取った紙幣が濡れないように口にくわえ、もう一人の分も寄こせと、こちら

のボートのふちに手をかけたまま離れようとしなかった。
 
 チップを渡したことが良かったのかどうか私にはわからない。あの貧しい国の子供たちの

前へ、遊覧気分で出かけたこちらの浅はかさを指摘されたら一言もない。
 
 しかし、行ったから分かったともいえるのだとも思う。
 
 ある意味同じ水上の暮らしともいえるベニスのゴンドラの兄チャンたちは、粋でカッコよ

かったが、私はお椀の舟のたくましい女の子のことを今もいきいきと哀しく思いだすのであ

る。

旅 アンコールワット ストロー

2010-04-09 23:29:40 | 旅行
 今回、添乗員なし、女二人だけのアンコールワット。
現地ガイドのサンボーさんのお世話になった。
 ばりっと糊のきいたクリーム色の半袖開襟シャツ、黒いズボンにもきちんと折り目があり、清潔感マンテン、ハンサム、長身、ほれぼれ。
 
 世界で最も貧しい国のひとつであるカンボジア、未就学児童が三割もいるといわれるから、日本語が喋れてガイドとして活躍するサンボーさんは、あちらでは、いわばエリートなのかもしれない。
 
 迷子になったときは、日本語ガイドなら誰でもいいから、サンボーさんを探してと言いなさいとのこと。
 ただし、サンボーさん、同じ名前多いから、足の長いサンボーさんと言いなさい。
ワカリマスカ? このあと何回も、ワカリマスカ? が繰り返された。
 自分の日本語がこちらに通じているかどうか、確かめているようだった。
 
 急勾配で有名な寺院の階段は、落ちたら病院でなくお葬式よ、と脅され、これ登るの、自由行動、ワタシ責任ないねと念を押された。

 そのあと、夕陽を見るための丘へ向かう途中、サンボーさんは、私たちを旅行者相手の高級カフェとおぼしき店へ連れていってくれた。

 トイレも水洗だし、店の造りも立派だった。
器もセンスがよかったが、ストローだけはこれまでどこでも見たことのないものだった。
親指くらいの太さの緑色のプラスチック製で、何度も洗いなおして使用したらしく、古びていた。
 
 現地の暮らしむきに比べて、旅行者があまりに特別待遇を受けているらしいことに恐縮していたので、このストローにはささやかな安堵をおぼえた。

 貰っていいかと店員に確かめて、日本へ持ち帰り、今も唯一カンボジアのお土産として手元に置いて眺めている。                      続く

旅 アンコールワット 小旗

2010-04-02 22:27:23 | 旅行
 外国へお邪魔するにはそれなりの勉強をしていくのが礼儀というものであろうが、実際には中々そうもいかない。
 
 カンボジアでは、内戦、大虐殺のあったのがつい三十数年前で、今も地雷の被害は続いている。
 しかし、観光目的の旅行社のツアー広告にはそんなことはどこにも書いていない。

アンコールワットの夕陽。ああ、素敵、行ってみたい。浅はかな動機で出かけることになった私、すみません。
 
 空港からシェムリアップ市内へ向かう幹線道路沿いに、赤い小旗があちこちに立っていた。
まだ地雷がそこに埋まっているので危険という表示である。
 道路は穴ぼこだらけで旅行社から手配された車は揺れた。
 
 街には自転車とバイクがそれぞれ勝手な方向に走りまわる。
小型トラックに立ったままの人間が詰め込まれて走っているが、あれがバス、とガイドはいう。

一台のバイクに六人くらいは乗るというが、実際、私も、幼児に夫婦らしい三、四人が曲芸のように乗っているところを何回か目にした。
 ヘルメットなし、ナンバープレートなし、免許なしは普通だそうである。

 アンコールワットの遺跡群が黒ずんでいるのは、周囲のジャングルが焼かれたからだそうである。十二世紀に栄えたクメール王朝は、広大で荘厳な建造物を遺したが、アユタヤ王朝に滅ぼされてのち、成長の早い熱帯植物の繁茂に長く埋もれていた。

 遺跡群が発見されても、さそりや蛇などが潜むため近づけず、まずその鬱蒼とした茂みに火を放ったのだという。
 
 今、遺跡は修復が進められる一方で、太い木の根に絡みつかれて、崩壊寸前のものもある。  

 でも、大丈夫、とガイドは言う。ここが壊れても遺跡はまだまだいくらでもあるから、と彼は鷹揚に胸をはるのである。               次回 続く