風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

譲り合い

2011-06-18 22:15:20 | 口は災いのもと
  バスの中はおよそ満席であった。
 途中から乗ってきたよぼよぼのバアサンが、風子の前に立った。
 杖を持っていて、バスが振動するたびによろける。

  あたりを見回したが、誰も席を代わってやる人がいない。

  風子ばあさんは自分も年寄りだが、見かねて、どうぞ、と立ち上がった。

 「あらら、まあ、あなたのような方に代わって頂いて、ありがとうございます」

  むむむ、 あなたのような方……とは、いったい、どういう意味だ!
  くそ!  口だけ達者なバアサンだなあ、と、内心むっとした。

   しかし、ここで腹をたてては気分が悪い。
  替れる体力気力があるのだから、これはこれで有難いと思うことにした。

  「いえいえ、どういたしまして……」
   とにっこり微笑んで見せたが、 美しく齢を取るのはなかなか難しいものである。

ようやく

2011-06-17 22:30:59 | 口は災いのもと
しばらく休んでいた健康体操の仲間が、久しぶりに戻ってきた。

「長い間お休みして、どうもすみません、ようやく義母が亡くなりましたので……」
  と言われ、みんな顔を見合わせて返事に困った。

 いくら姑でも、「ようやく」とは、あんまりな挨拶ではないか……。

 周囲の非難めいた気配を感じたのだろう、彼女は、
「だってえ、義母は25年間、寝た切りだったんですよう」
 と言った。

「それは大変だったわねえ」
  とねぎらいながら,  風子ばあさんは、出来れば、
ようやく……と言われないうちに、おさらばしたいものだと思った。



物忘れ

2011-03-05 10:08:02 | 口は災いのもと

 人の名前、場所の名前、あらゆる名称がすぐに出てこない。
すわっ、ボケがはじまったか! と戦々恐々の日々である。

 先日も、友だちと話していて、昔、近所に住んでいた人の名前が思い出せない。

「ほら、公園から数えて三軒目の家よ」
「ええと……」
 まだ顔も名前も思い出せない。
「ご主人が浮気をしたお宅よ」
「ああ、あの家ね」

 ここでにわかに記憶が鮮明になる。
「そうそう、奥さんが、相手の女性に慰謝料を請求して評判になったよね」
「100万円払わせて、うちの主人の値打ちはたったの100万円だったのって自分で言いふらしたって話だったよね」

 名前は忘れても、この手の話は忘れないものである。
100万円の金額まで覚えているのだからたいしたものである。

 ついに名前は出てこなかったが、物事の核心部分だけは記憶しているからまだ大丈夫だろうと安堵した。


冥土の土産

2011-02-27 15:48:48 | 口は災いのもと
 若い仲間と、海辺に牡蠣を食べに行った。
砂浜の小屋で、コンロの炭火に生牡蠣をのせて焼く。

 十名を超す仲間の中で、風子が一番年長である。
年をとって嬉しいことのひとつに、みんなが大事にしてくれることがある。

 風子さん、これ焼けましたよ、と殻まで剥いてくれる。
「ありがとう」
ビールはいかがですか。
「ありがとう」
握り飯もありますよ。
「ありがとう」

 うちわエビはどうですか?
「え? 食べたことないなあ」 と言ったら、
冥土の土産に食べてみませんか?……ときた。

 冥土の土産ねえ……。

そうまで言われる年になったかと思ったら、大事にされても、喜んでばかりはいられない。

2011-02-22 13:39:07 | 口は災いのもと

 風子ばあさんたちの世代は、家庭でも、職場でも、電話のマナーはやかましく、しつけられた。
 だから、いまでも電話に出るときは、明るい声で、朗らかに名乗ることにしている。

 先日、あるショップに、掃除機の付属品を取り寄せてもらうように頼んでいた。

 中々連絡がないので、こちらから問い合わせの電話をかけた。
もちろん、明るく朗らかな声を出した。

 受話器の向こうで、受けたひとが、別の店員さんにその件を尋ねるやり取りが聞こえた。

「ええ、一週間ほど前だそうなの……、××風子って。……、年寄りの声よ」

 今の電話の感度は大変よろしい。全部聞こえている。

 顔も見ないで、声だけで、年寄りってわかるんだよねえ、
明るく朗らかな声を出したつもりのばあさんは、ちょっとばかりショックではあった。

女の幸せ

2010-09-22 21:36:24 | 口は災いのもと
 病身の夫を介護する友人とお茶を飲んだ。
当然ながらいろいろ介護の苦労話を聞かされた。

 友人も七十半ばだから、我が身ひとつさえ持て余している。
老老介護が大変なのはよくわかる。

 彼女と私には共通の知人がいて、ひととおり愚痴が終わると、話はそちらに及んだ。

「あの人はいいわよ、娘さんと一緒に暮らせて幸せなひとよ」
 全くその通りなのである。

「年金のほかに貸家もあって、お金に不自由もしていないし」
 それも全くその通りなのである。
「そうそう」

「年齢のわりに健康で、旅行にも出かけられるし」
「そうそう」

「第一、ご主人が早くに亡くなっているし」
「……」

 これには、ちょっと返答に困った。


 

女心

2010-08-19 10:21:09 | 口は災いのもと
 背の高い、カッコいい男性ヘルパーさんに引率されて、おばあさんたちが、婦人服売り場を散歩している。

 冷房完備のショッピングセンター内は、ばあさんたちの格好の散歩コースなのである。

 ウオーキングには好都合の海辺の町に住む風子ばあさんも、この暑い季節は、ショッピングセンターの中をうろうろとしてその代替としている。

 ヘルパーさんに手をつないでもらっている人、杖を突く人、どうにか自分の足で歩ける人たちが、夏物バーゲンセール、半額の値札に、安い安いと手にとってはしゃいでいる。

 いくつになっても女性は洋服が好きである。

「だけど、これ透けてるねえ」
 一人が、シースルーのブラウスを広げて言う。

横目で見ていた風子ばあさんも、うん、そうだねえ、透け過ぎてるよねえと思う。

 しかし、カッコいいお兄さんヘルパーは、にこやかに優しい声で、無情にも言い放ったのである。

「いいんじゃない、もう八十過ぎなんだから。 透けても……どこが見えても」

 やだねえ。

 風子ばあさんも、腰が悪いし、物忘れはひどい、ヘルパーさんのお世話になる資格は十分あると思うけど、もうしばらく我が家で頑張っていようと思った。

歯科医の妻

2010-08-06 22:16:03 | 口は災いのもと
 歯科医を夫に持つ友人がいる。
 風子ばあさんよりはるかに若い。
仲間と喋っていても、夕方になるとそわそわとして、人より早く帰りたがる。
 一日中、患者の汚い口の中をのぞいているのだから、家に帰ったときくらい、綺麗にしていてくれと夫がいうそうである。

 それで夫の帰宅までに、怠りなく家の掃除をすませ、折々の花を飾り、彼女自身も化粧をして着飾っていないといけないのだという。
 そうしないと、耳を噛んでやらないって言うの……。
 (これは、ばあさんには、意味不明である)

 今日、虫歯の治療で近所の歯科に行き、口をあんぐり開けたとたんに彼女の話を思いだした。
 汚い口で大変恐縮だが、この先生も家に帰ったら奥さんにそんなことを言うのかしらんとおかしかったが、口をこじ開けられているので、にやりとも出来ない。

ファッション

2010-07-27 22:11:55 | 口は災いのもと
 服を見ると欲しくなる。
 押し入れの中には、十年も二十年も前の服が取ってある。
 そこが二十歳(はたち)やそこいらの若者と違うところである。
 これは風子ばあさんに限らない、ばあさんたちの習性である。
 
 一生着るだけの衣類があるのに、まだ欲しい。
 5万も10万もするブランド物がほしいというわけではない。そういうものは惜しくて買えない。
 数千円、せいぜい弾んで一万円どまりである。
 それでも、いまどきは、おしゃれでカラフルな衣類があふれている。おおむね若者向きのデザインである。
 世の中には年寄りがこんなに多いのに、なぜか洋服は若いひとたち向きの服ばかりが並ぶ。
 それでも服を見ると欲しくなる。
 店頭で、しげしげ眺めていると、すぐに店員さんが寄ってくる。
 あれこれ上手にすすめてくれる。
「派手じゃないかしら?」
「そんなことはございません、どうぞ、あてて見てください、さあ、どうぞ、お鏡をごらんになりませんか」
 で、鏡の前に進む。

 むむむ、 なんというイメージとの違い! 胸にあてた流行の服と、自分の皺だらけの顔のギャップに、ぎょっとする。

 店員さんへ
お鏡をどうぞ……というすすめは、ばあさん相手のときは言わない方がいいと思います。
鏡を見せないうちに、さっさと勝負しなさい。

大奥

2010-07-24 10:03:09 | 口は災いのもと
 音楽会でも芝居でも、自腹で一万円ものチケットを買うときは自分の好みに合ったものに限られる。
 何かの都合で、タダ券が頂けたときは、ふだんあまり関心がなかったり、食わずぎらいだったりするものに出合えて、これもまた楽しい。
 
 昨日、頂いたチケットで「大奥」を観劇した。
TVドラマで人気があったそうで、浅野ゆう子の瀧山と安達祐美の和宮、多岐川裕美の家茂生母らの出演である。
 いじめあり純愛あり、涙あり笑いありの、てんこ盛りであった。

 風子ばあさんの隣に、若い男女が座った。女性のほうは、「大奥」のツーらしく、開演を前にして、連れに、瀧山と和宮と家茂について解説をしていた。家茂は徳川十四代将軍で……、と女性が言うと、オレ、徳川は、家康しか知らないなあという。 家康は何代将軍だ? と訊かれて、女性は一瞬、絶句した。
 しかし、すぐに穏やかな声で、初代なのよねと答えた。

 聞いていたこちらもちょっと驚いた。しかし彼は、歴史音痴かもしれないが、もしかしたら、宇宙のことには詳しいかもしれない。あるいは動植物のことに詳しいかもしれない。家康を知らないでもパソコンに精通している方が、現代を生きやすいかもしれない。

 となりで半分以上居眠りをしていた彼が、芝居が終わると、ああ、面白かったと言い、彼女が、そう、よかったあ、と笑顔を見せた。
 仲良きことは美しきかな。風子ばあさんは、心から、二人の幸を祈ったのである。