風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

シルクロードは広かった

2010-08-21 17:49:46 | 旅行
 今夏、日本は猛暑である。
あまりの暑さに、数年前にシルクロードへ旅したときのことを思いだした。

 あのときは汗が乾くと、顔や手足に塩が吹いた。
あれを思えばこの暑さも、まだましである。

 今日は、暑くて何もする気になれないので、そのときの写真を出して眺めた。
添えられたメモには、広かった、暑かった、汚かった,しつこかった、くたぶれた、でも面白かったと記してある。

 風子ばあさんも、今ならもう行けない。
で、牛が反芻するように、思い出をたどるのである。  

 ヨーロッパなら、つきあってくれる友だちも、シルクロードとなると、二の足を踏む。
相手を探すのも面倒で手頃なツアーに一人で参加したのである。

 行ってみたら、このツアーには一人参加が思いのほか多く、男女それぞれかなりの人数が一人で来ていた。

 朝はモーニングコールで五時起き、自助早餐、バイキングのことである。六時半出発、これが六日間のほぼ毎日のパターンであったから、かなりハードである。

 日本との時差は、一時間で、一応中国全土、飛行機や列車などは北京時間で動く。
ところが、ウルムチ時間というのは厳然と存在していて、夕食は北京時間の七時過ぎでないと出てこない。
 
 一日目にウルムチのホテルから街の向こうの丘に太陽が沈むのを見た。
あたりを赤く染めながら、ずんずんと落ちていく太陽は迫力があり、沈んだあとも、空は赤く、やがてそれが紫色に、そして灰色に暮れていく空は見事だった。
陽が沈んだのは、北京時間では九時四五分だった。

 就寝はウルムチ時間、起床は北京時間、このハードな旅に付き合えたのだから、風子ばあさんもまだ若かった。

お隣り

2010-08-20 21:57:44 | ご近所
 お隣りの奥さんは、もう何年も前から、心臓が悪くて寝たり起きたりしている。
日中はデイサービスに預けて、ご主人がひとりである。
 
 今日、暑い盛りの午後、風子ばあさんちの、玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、ご主人が血相を変えて、電話を貸してくださいという。

 さては、奥さんに異変でも起きたかと、はっとする。

 どうぞ、どうぞ、今、子機を持って来ますからと、室内に入ると、隣のご主人は、そのまま風子ばあさんについて、上がって来た。

 お隣りといっても、ふだん、ほとんど付き合いはない
ご主人も奥さんも、これまでうちに上がったことはない。

 とても、うろたえているので、何事かと思えば、エアコンの使い過ぎで電気が切れたという。
 電話も通じないので、電機屋への連絡に、こちらの電話を使わせてほしいということである。
 ご主人は、耳が遠い。電機屋に、すぐ来てください、急いでください、と割れるような大声で怒鳴った。

 電機屋も外回りの人間が出払っているので、すぐには行かれませんということらしい。

 ご主人がいったん家に戻ったあと、電機屋から、うちに電話がかかった。
「一時間あとに行きますから、伝えてください」

 エアコンの切れた家でひとりは気の毒だから、では、こちらに来てもらおうかと、隣家を訪ねた。
 電気が切れているので、チャイムも鳴らない。
大声で何度も呼んだ。
 
 へいへいと、ご主人は、上半身裸のブリーフ一枚で出てきた
蒸し風呂のような室内だから無理もないが、電機屋が来るまで、このじいさんを預かることになるのかと正直がっかりしたが、ご主人は、いえいえ、大丈夫と、ブリーフ姿で何度も何度も丁寧に頭を下げた。

女心

2010-08-19 10:21:09 | 口は災いのもと
 背の高い、カッコいい男性ヘルパーさんに引率されて、おばあさんたちが、婦人服売り場を散歩している。

 冷房完備のショッピングセンター内は、ばあさんたちの格好の散歩コースなのである。

 ウオーキングには好都合の海辺の町に住む風子ばあさんも、この暑い季節は、ショッピングセンターの中をうろうろとしてその代替としている。

 ヘルパーさんに手をつないでもらっている人、杖を突く人、どうにか自分の足で歩ける人たちが、夏物バーゲンセール、半額の値札に、安い安いと手にとってはしゃいでいる。

 いくつになっても女性は洋服が好きである。

「だけど、これ透けてるねえ」
 一人が、シースルーのブラウスを広げて言う。

横目で見ていた風子ばあさんも、うん、そうだねえ、透け過ぎてるよねえと思う。

 しかし、カッコいいお兄さんヘルパーは、にこやかに優しい声で、無情にも言い放ったのである。

「いいんじゃない、もう八十過ぎなんだから。 透けても……どこが見えても」

 やだねえ。

 風子ばあさんも、腰が悪いし、物忘れはひどい、ヘルパーさんのお世話になる資格は十分あると思うけど、もうしばらく我が家で頑張っていようと思った。

孫のこと

2010-08-18 21:44:23 | 家族
 孫のことは書くまい、語るまいと思い決めている。
自分の孫が可愛いのは当り前だが、他人の孫の話ほど退屈なことはない……。
 と言いながら、語るもおろかなことだが。

 過日、四歳の孫を連れて蕎麦屋へ入った。
勘定を払う段になり、千円札を二枚出して釣銭を待った。
 
 そのときである。
この子は、伸び上がるようにしてレジに小さな手を突き出した。
「お釣りちょうだい」

 相手が子供のことだから、店員さんは、
「はいはい、おりこうさんね」
 と数個の硬貨を幼い手に握らせてくれた。

 店を出たところで、風子ばあさんが、はい、おばあちゃんに返しなさいと言った。
すると、この子は、
「ねえ、これ私に頂戴、ママがいつもお金がないって言うから、これ、あげたいの」

むむむ……。
 
 この孫は、むろん女児である。男の子は、多分、この手のことは言わないような気がするが、どうであろうか。

キャタピラ

2010-08-17 21:17:20 | ギター、映画など他
 平日なのに、満員の映画館は久しぶりだった。
上映20分前にはおよその席が埋まっていた。
 全自由席だったが、スクリーンすぐ前まで満席となり、あそこに座ったひとは気の毒だった。

 前評判どおり、寺島しのぶはうまかった。視線ひとつで微妙な感情の揺れを表現していた。
 元ちとせの歌もよかった。たしかに反戦映画ではある。

 しかし、夫の久蔵は嫌な奴だった
出征前から妻に暴力をふるい、戦地で逃げまどう女を犯し、四肢欠損の身を献身的に介護する妻に感謝の言葉もなかった。
 あれでは、戦争があってもなくても、たとえ五体満足で帰還しても、幸せな夫婦にはなれなかったことだろう。

 本来、どんな嫌な役柄でも、あの状況の夫なら、哀れはあるはずである。
そこがもっと感じ取れれば、いっそう深いものになっていたような気がする、というのが風子ばあさんの本音である。

方言

2010-08-14 12:53:50 | ほのぼの
 あらっ、おっちゃけた!
バスの中でうとうとしかけていた私は、その声ではっと目が覚めた。 

 前の座席の女性が、座席の下に何かを落としたらしい
周囲の何人かがクスクスと笑った。

 くだんの彼女は、屈みこんで拾い上げたあと、何事もなかったように前を向いている。
周囲の忍び笑いは聞こえただろうから、しまった、と自分のひとり言を悔いているかもしれない。

 それにしても、方言とはなんと和やかな笑いを誘うものだろう。「あら、落ちた」 なら、誰も笑いはしなかったかもしれない。

 私は関東の出身である。縁があって九州に住みついた。
長男の小学校入学式の日、教室で担任の挨拶があった。

 親になってはじめてのことで、子供よりもこちらが、緊張もしていたし、張り切ってもいた。

 どんな教育方針が述べられたのか肝心のことは記憶にない。
ただ、「オシッコをしかぶったら」と言われたそのシカブル、という方言は覚えている。
当時はこちらが、まだ若くて気負っていた。
 先生ともあろう人が、こんな日に、方言丸出しでと、がっかりした。

 年寄りになった今は、方言を親しく微笑ましいものに思う。
「なんで方言が悪かとね、よかろうが」
すっかり九州弁がうまくなったと自分では思っているが、さて、他人にはどう聞こえているのだろうか。
 さぞ、いい加減な出自不明の九州弁を喋っているのだろうが、 ま、よかじゃなかですか。


親兄妹

2010-08-13 22:50:27 | 家族
 とかく親というものは、物分かりの良いところを見せたがる。
うちの親もそうだった。本人が幸せになるなら、どこへでも好きな所へ行ったらいい……。親は束縛しない……。自由にしたらいい。
 
 どこまで本気だったろうか。
 
 あげく、長姉のフーちゃんは九州へ、末娘のリョウちゃんは広島へ、まんなかのビンちゃんは東京へ残った。両親はもうとうに亡くなっている。

 離れて暮らす姉妹はそう度々会えるものではない。
 齢を取ったこのごろは、みんなにあと何回会えるかなと思う。
 同じ土地で暮らすなら、一緒に街へ出たり、温泉へ行ったり、ダンナの愚痴を言い合ったり、病気になったら助けたり助けられたり出来るものを。

 うちのお隣は東京へ進学したいという息子を地元の大学にやり、就職も家から通える地元企業、結婚も親が同居、娘は同じ町内にヨメにやった。それでうまくいっている。
 みんな仲良く和気あいあいの笑い声がよく聞こえる。

 このごろはよくビンちゃんと長電話をする。
「うちの親は物分かりが良すぎたねえ」
「だけど、フーちゃん、そんなに遠くへやれませんて言われたら、はい、わかりましたって言ったと思う?」

 そのうちまた東京へ出ていらっしゃいよ、とビンちゃんに誘われながら、また一年が過ぎてしまった。
 ほんとに、ビンちゃんやリョウちゃんに、あと何回会えるかしら。

焼酎

2010-08-11 06:44:58 | 友情
商店街で、雑貨を商っている知人がいる。
ある日、その彼女から電話がかかった。

うちの店の近くにとても良いショーツューの店が出来て、手に入れたので、今度会うときに差し上げますとのこと。

 風子ばあさんも家人も、アルコールは一切飲めないたちなので、焼酎をもらっても困るなと思った。

せっかくの人の好意を断るのも愛想がないが、飲めないものを頂いて、流しの下で置きっぱなしにしたり、人に回すというような失礼なこともしたくない。
 とっさの判断で、ここは思いきって断ろうと決意した。

 ありがたいのですが、うちは下戸ばかりなので……。
えっ、と相手が怪訝な声を出した。
アルコールはダメなんですよ、焼酎でしょ?
 と念を押すと、あのう……、差し上げたいのは、生地の良いショーツなんですけど。

 アハハ……。相変わらずそそっかしい風子ばあさんです。

誤算

2010-08-10 22:39:19 | ギター、映画など他
子育てからようやく手が離れたとき、ふっと、老後のことを考えた。

晩年の父は、ほとんど目が見えない状態だったから、強度近視の自分も多分そうなるだろうと思った。
読書も出来なくなった父は、ときどき思いだしたように、ブ~カブ~カとハーモニカを吹いていた。
 音楽なら、目が見えないでも、楽しめるかもしれない。
 
それで風子ばあさんは、中年になってから、ギターをはじめた。
 父の齢に近づいて、やっぱり視力が極端に衰えた。
 このときになってはじめて、目が見えなければ楽譜が読めず、ギターを弾くにも不自由であることに気がついた。誤算である。

もうひとつ誤算があった。老後ひとりで爪弾くのに良いと思って始めたが、実際に齢をとってみると、そうではなかった。
ギターを弾く姿勢は、とても腰に負担がかかり、老人にはなかなかしんどいのであった。
 なってみないとわからないものである。

 楽譜を拡大コピーして、目をしょぼつかせ、腰をさすりながら、それでもまだやめないのは、老後の暇つぶしではなく、ひとり爪弾くためでもなく、仲間と一緒の合奏がこの上なく楽しいからなのである。これは思いがけずに嬉しい誤算であった。



強度近視

2010-08-09 14:02:25 | 健康
 強度近視で、中学生のときには、もう黒板の文字が見えなかった。
 
 女らしく身体が膨らみはじめたころで、父は、「豚のように肥えて」と聞き捨てならないことを言った。
 お前のようなデブが、メガネなんか掛けたら、ヨメの貰い手がなくなる……、と今の親なら言わないようなことを、平気で言い、メガネを買ってくれなかった。
 
 こちらも、いまどきの子のように、それでぐれたりひねくれたりもせず、そういうもんかと、見えないままで学校へ通った。

 人の顔もさだかに見えず、家の近くへ来ると誰彼かまわず適当にお辞儀をしていた。
お辞儀をした相手が、すれ違いざまに、「今お帰りですか」と笑いを含んだ声で言った。
 おやっと声で気づいた。母であった。
 それでも両方で、けらけら笑っていたのだから、ひどい話である。
 
 勤めるようになって、ボーイフレンドが出来た。
ハイキングの途中、ひょいとはぐれた彼が、野っぱらのはずれに佇んでいるのを見つけた。
あんなところにいた……、とフーちゃんは彼のいるところまで、全速力で駆け寄った。
 むこうを向いて立ちションをしていた彼もぎょっとしただろうが、駆け寄って事態を了解したフーちゃんも、あのときは焦った。