風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

大雨

2018-06-30 10:45:48 | 昭和つれづれ

      

大雨による被害が続く昨今である。

もう七十余年以上むかし、長野県南佐久郡田口村に疎開していた頃のこと。

小学一年生だった私がどうしてそこを走っていたのかは覚えはない。

雨上がりで増水した太い川の縁を独りで走っていた。

うねりながら流れ下っていくその流れが刺激的で、それに合わせて必死で走っていた。

恐れを知らない子どもは、ただ夢中で走っていた。 と、その堤の上に突然母が現れた。

声を出さずに、しぐさで、止まれ、止まれと合図をしていた。

 遊びに出た娘を探しに出たら、激流と遊んでいて、肝を冷やして声も出なかったのか、

声を出して驚かせたらいけないと思ったのか、

必死の形相で止まれ止まれと身体ごとで制している母の姿があった。

あのとき一歩踏み外していたら、その後の私はいない。

命というものの偶然を思う雨上がりの今日である。


蝗(イナゴ)捕り

2018-06-29 12:08:50 | 昭和つれづれ

        

 疎開先で都会っ子がいじめに遭ったという話はよく聞くが、

わたしの場合そんなことはなかった。むしろ、みな親切で暖かった。

昔からマイペースだったのか、教室で弁当を食べるのが周りよりはるかに遅かった。

誰かが、ノンさん、まだ食べてる……と言ったら、

先生が、ノンさんはよく噛んで食べるから、遅いんです、ノンさん偉いねえ、

皆も見習うようにと言われた。それで、わたしは、ほんとに自分は偉いんだと思った。

 授業の一環として、田んぼのイナゴ捕りがあった。

イナゴは稲にとっては害虫で、国民総動員時代、小学生といえども、

米の増産に、ひいては国家のためにお役にたつよう、田んぼに布袋を持って動員された。

田舎の子供たち馴れたもので、バッタのように跳ぶイナゴをつぎつぎ捕まえては袋を一杯にさせていった。

手をのばすとぱっと逃げるイナゴはつかまえるどころかこわくて、

私の袋はいつまでたってもカラのままであった。

「やる……」とひとりの男の子が拳を突き出し、私の布袋の中でその手を開いた。

布袋の中で暴れるイナゴはやっぱり怖かったけど、わたしは口紐をぎゅっと握り、ありがとうと言った。

七十年経った今も忘れられない男の子の優しさである。


杏の実の落ちる音

2018-06-28 10:16:51 | 昭和つれづれ

     

 疎開先は、島崎藤村が歌った千曲川に近い農家の離れだった。

座敷をぐるりと囲む土間は東京育ちの幼児にも目新しかったのだろうか、

これは覚えている。

 寒さの厳しい地で、真冬に急須にお茶を入れたままで寝ると

朝、急須が割れていた……というのは、

記憶というより、母に聞いた話であろう。

 夜になると、外便所のブリキの屋根に杏の実が落ちる音が聞こえた。

ブリキにあたるコツンという音に続いて、

勾配のある屋根から地面に滑り落ちる頼りない音も聞いた。

疎開……、というと、心細いようなあの音を真っ先に思い出す。


疎開

2018-06-27 12:06:39 | 昭和つれづれ

 

戦時中、空襲を恐れて都会から田舎へ移転することを疎開と言った。

学童疎開といって学校単位の疎開もあったが、

わたしはまだ小学校入学前だったから母子4人で長野県へ疎開した。

父は仕事があるので、ひとり東京に残った。

広島に父方の祖母がいたので、そちらへ行くことも視野にあったらしいが、

嫁の立場の母がそれを嫌った。

長野には知り合いがいたわけではないが、父の職場の人の斡旋で決まった。

いわば、私たち家族が広島の原爆に遭わずにすんだのは、

嫁姑の不仲からということになる。

人生、どこに運命の岐路があるかは誰にもわからないものである。

   


社交家

2018-06-26 15:34:37 | 昭和つれづれ

   

 これも、自分の記憶というより、母から聞いた話である。

当時、五歳の私を頭に、三歳の妹、一歳の弟がいた。

母も忙しかったのだろう、わたしを馴染みの床屋へ連れて行った際、

終わったら来るからと言いのこして、いったんどこかへ行き、終わったころに迎えに来ると、

にこにこした床屋さんが、

「お嬢ちゃんはなかなかの社交家ですねえ、お話が上手でしたよ」と言われたそうである。

何を喋ったのかと思うと、恥ずかしくて顔が赤くなった、と母から何度もその話を聞かされた。

大人には大人の都合があるから、子供にべらべら喋られたら困ることでもあったのかしら。

 三つ子の魂百まで、と言うけど、社交家かどうかはともかくとして、

今もわたしはお喋りで、それを恥ずかしがるのは、今は母ではなく、息子になってしまった。


6月の西瓜

2018-06-25 22:02:23 | 友情

  大きな大きな西瓜を友人が届けてくれた。

西瓜は真夏が旬と思う人がいるけど、

ほんとは6月が初生りで一番おいしいそうである。

7月8月になると、2番生り、3番生りになるのだと業者に言われたとか。

   

 

 

 


記憶のはじまり

2018-06-24 09:32:54 | 昭和つれづれ

人の記憶というのはどこからはじまっているのだろうか。

産道から覚えているというのを聞いたことがあるが、いささか信じ難い。

二歳、三歳の記憶があるという話はよく聞くが、

わたしは物覚えが悪いのか、記憶らしい記憶といえば小学校入学のころからしかない。

それも、あとから親に聞いた話と自分の記憶の境はあいまいである。

 泣き虫の甘ったれで、幼稚園では先生がピアノを弾くときもわたしを膝にのせていたそうだが、

それも親から聞いた話のようである。

目黒の柿の木坂幼稚園というのは現存するそうである。

記憶にないのは、昭和十九年に大空襲が始まる前に長野県に疎開したから、

長くは幼稚園には通わなかったからかもしれない。


試合中止

2018-06-23 20:14:27 | ソフトバンクにわかファン

 午後の外出から急いで帰宅した。

今日はソフトバンクとオリックスのデイゲームのある日。

さっそくケーブルテレビをつけたけど、画面には

 ケーブル会社に問い合わせてください……と出る。

 時間はもう4時を過ぎている。

試合は中盤にさしかかっているだろう、と焦る。

チャンネル操作を間違えたかと、ケーブル会社に電話した。

調べたあと、今日の試合は中止です、と鄭重に教えてくれた。

そそっかしいオバアサンは、電話のこちらで平身低頭した。

    

  ブロックの隙間に咲く小さな花のたくましさ。


重要なお知らせ

2018-06-21 22:10:43 | 時事

  後期高齢者医療広域連合というところから、「重要なお知らせ」というのが届いた。

「重要」というから、何度か読みなおしてみたが、正直なところ、よくわからない。

 

 今日、たまたま十余名ほどの年寄りが集まった。

 みんなのところにも来たというので、

あれ分かった? と訊いたら、みんな、よくわかんない……という。

 義務教育受けた人間がすんなり納得できるような

通知にしてほしいという意見が多数出た。

後期高齢者で、あれが分かる人間が何人いるだろうかという人もいた。

 同じ書類が夫婦それぞれに届くのも、なんとも無駄なことだという意見もあった。

 多分、なにか値上げの通知だろうね、

 こんな分かんない通知にお金つかわないでいいのにね、

 というのが、バアサン連中の結論となった。