風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

アルゼンチンタンゴ

2010-06-30 03:58:22 | ギター、映画など他
 五十年以上も昔のことだが、神保町三省堂裏のミロンガという喫茶店によく通った。
便所のカギがいつも毀れかかっていたが、こだわりのタンゴを聴かせてくれた。

 あの店には一人で行くことが多かった。
人と行って喋る店ではないと勝手に決めていた。
若かったから、黒づくめの服装で、気取って煙草など吹かして、そういうことが似合う店だった。
風子ばあさんにも、青春のときはあったのである。

 十数年前、上京したおり、まさかと思って行ったら、ミロンガ健在で、感動した。
感動のあまり、外に飛び出して、使い捨てカメラを買ってきて、店内を撮りまくった。

 今日、映画アルゼンチンタンゴを見てきた。
アルゼンチンの国宝級のマエストロたちが、一堂に会した貴重な感動物の映画だった。
今はなきカルロス・ラサロを見たときは、おお、あなた、会いたかったよ、と声を発しそうになった。

 映画から帰って、しばらく、ぼうっとしたあと、私をタンゴ好きにした、わが青春のミロンガ、まさかもうあるまいと思いながら、ネット検索してみた。

 ありました! まだ健在でした。

 いつかまた上京したら、行きます。
 タンゴ大好き!

子育て

2010-06-29 15:13:58 | 家族
 向こうから、幼稚園児くらいの女の子と、母親らしい二人連れが歩いてきた。
住宅地の中の、あまり広くもないごくありふれたアスファルト道路である。

  並んで歩いていた母親が、ほら、そこを歩いたらいけません、と女の子に注意した。
マンホールの丸い鉄製の蓋を踏むなと言っているのだ。
 ほう、と感心した。

 風子ばあさんも、たいがい用心深い。
子供を育てる間、棒のついた飴をなめさせたことはない。
よその子供のことでも、棒のついた菓子を食べながら歩いているのを見ると、もし転んで、咽喉でも突いたらと恐ろしい。
 
 ストーブの上に薬缶などもおかなかった。
しかし、歩いていて、マンホールの蓋を踏むなと言った覚えはない。
 ばあさん自身、多分、いつも何気なく踏んでいる。
なるほど、蓋がある以上、それがずれることも浮くことだって、ないとはいえない。
踏まなければゼロの危険を、わざわざ冒すことはない。

 賢いお母さんである。

 しかし、そうやって数えあげればこの世は危険なことばかりである。

 ばあさんは、うちの子供たちが小さいころ、汚れたものを触ろうとすれば、バッチイヨ、といい、高いところに登ろうとすればアブナイよ、と言った。
 我が家の息子どもが、大胆不敵な大物になれなかったのは、バッチイヨ、アブナイヨ、と言われ続けたせいかもしれない。

 今さら、謝りようもないが、すんでみれば数々お詫びの言葉を述べたい子育てではあった。

2010-06-28 13:45:10 | 歳月
  風子ばあさんの友だちに、よく弟の自慢をするばあさんがいる。
一人暮らしの彼女の近くに住んでいて、なにくれとなく面倒をみてくれるのだという。
 電球の取り換え、植木の剪定、買い物時や病院通いのときの車の運転……。

 スポーツが得意で、今も登山や水泳を続けているという。
 弟がね……、というときの彼女の顔は、どこかうっとりとして見える。
 いいわねえ、と風子ばあさんは羨ましい。

 彼らの姪の結婚式があり、このときも、弟が迎えに来て式場まで連れていってくれたという。
  
 写真が出来たのよ、ほら。
 花の飾られたテーブルには数人のジジババが並んでいた。
 
  えっ? どれ、弟さんは?
  これよ、これ、弟。

 健康で中肉中背と聞かされていた弟は、風子ばあさんの連れ合いとあまり変わらず、口元にも首筋にもたっぷりと皺のあるただのじいさんだった。
 考えてみれば、友だちは、風子ばあさんと同じ年、弟は三つ下というのだから、何も不思議な話ではなかった。

人の噂

2010-06-27 22:40:51 | 口は災いのもと
 人の噂は蜜の味……、という。
 このときの噂は、例え、上品にはじまったとしても、行きつくところ、悪口のことである。

 風子ばあさんの友だちに、人の悪口は一切言わないひとがいる。
悪口を言ったら、次回、その人の顔を見たとき、自分の気分が悪いから言わないのだそうである。
立派なものである。

 別の友だちは、「批判を恐れていては、分かりあえる友になりえません」
つまり、平たくいえば悪口大いに結構、と言っている。

 どちらも親しい友人である。どちらにも敬意を表してつきあっている。
風子ばあさんは、あっち行ったりこっち行ったり、あまり信念のない人間である。
人の尻馬にのって悪口も言う。

 風子ばあさんが関わるボランティアグループの男性リーダーが、仲間うちでひどく評判が悪い。
ケチで愚図で、依怙贔屓する、連絡が悪い、etc……である。
みんなで口に泡してリーダーの悪口を言い合ったあと、一人が、だけど、彼にも効用があるわ、と言った。

 今は、み~んなで、彼の悪口を言って、何事もうまくいかないことは、ぜ~んぶ、彼のせいにしていればいいけど、彼が辞めたら、今度は、誰かが、悪口を言われることになるわ。
 なるほどなあ。ひとにはそれぞれの役割があるものである。

健康体操

2010-06-26 11:06:34 | 健康
 いつ死んでもいいというくせに、風子ばあさんはもう二十年来、健康体操のサークルに在籍して体操に励んでいる。

風子ばあさんも年寄りだが、サークルにはもっと年長者がいる。
その高齢者の一人が、来週は休みますと言う。

 広島の息子が、九十の祝いをしてくれるというので行ってきます、と言われて、風子ばあさんは、思わず、え? 噓! と叫んだ。
 彼女はとても九十には見えない。
八十を越しているのは知っていた。
八十二、三になったかなと思ったのは、いつのことだったろうか。

しかし、あれからまた、思いがけずに歳月が過ぎていたのだ。
 ええ、ほんとです。もう九十です。
彼女は、にっこりと微笑した。
 美しい人である。
スタイルもいい。

ズボンは太もものあたりをちょっとミシンで狭くしたら足が長く見えるという工夫もしている。
筋力をつけるためにわざわざオモリをつけた靴を履いたりする。
昆布入りのケーキや、シイタケ汁を飲んだりもしている。
努力のたまものである。
サークルでは、年下の人に交じって膝の屈伸も腕立て伏せだってやってのける。

 すごい! カッコいい、とてもその齢には見えない……しばらくみんなの賛辞が続いた。

 後ろで、彼女に聞こえないように、こっそり、囁くひとがいた。
 あれはねえ、彼女が未亡人だから出来るんです。
一人暮らしは気儘で、ストレスもありませんしねえ……。
 
ため息まじりのその人は夫と二人暮らしなのである。

尊厳死

2010-06-24 22:27:44 | 健康
 出来ればまだ死にたくはない、しかし、いずれは死ななければならならい。
当たり前のことである。
 
 今日死ぬと言われるのと十年先で死ぬと言われる差はあまりに大きい。
 しかし、よく考えてみると、本当にそうだろうか。

 今日死ねば、やり残したことがあり、あまりに無念だし、周囲は慌てる。
 だが、十年先だったらどうか。
これでよかった、などと思えるだろうか。
 やっぱり無念は残り、周囲は慌てるのではなかろうか。

 どちらにしたところで、死んで半年もたてば、この世にいなくなったことに周囲は馴れるし、ばあさんの無念が怨霊になってあたりを脅かすことなどないのである。

 五年先に死んでも十年先に死んでも、死んだあとは同じなのである。
 だから、風子ばあさんは、死ぬのはそれほど怖くないのである。
仕方がないと思っている。

 けれども、何が嫌と言って、痛い苦しいのだけは勘弁してほしい。
トゲが刺さっても、腹をくだしても、インフルエンザで熱を出しても、ばあさんは、のたうちまわる。
 来る日も来る日ものたうちまわる末期など、想像するだけで気が狂いそうになる。
それなくして死ねると約束してくれるなら、今日は無理でも、そう遠からぬ日に、ぽっくり死んでいいとさえ思う。

 尊厳死協会に入っているが、あれは延命治療をしないというだけで、安楽死はさせてくれない。
オランダでは、希望すれば注射で眠るように安楽死をさせてくれるという。
実に羨ましい。

 もうこれまで、と思ったときに、お願いしますと言って、気持ちよく死なせてもらえると思ったら、安心して明るく生きていられるではないか。
 いまさらオランダへ移住は出来ない。

 末期でさえ過大な医療を施すこの国に住むばあさんは、ピンピンコロリを日夜念じて生きているのである。

ピロリ菌

2010-06-22 22:12:51 | 健康
 正確には、ヘリコバクター・ピロリ菌という。
ピロリ、と聞けばどこか愛嬌もあるが、ヘリコバクターとは、なんとおどろおどろしい名前ではないか。

 胃炎、潰瘍、胃癌の犯人説がある。

 三年ほど前、風子ばあさんは、胃痛、食欲不振でげっそり痩せた。
ひそかに胃癌を疑った。
 医者ぎらいで、常々、いつ死んでもいい、などと言っているが、その場になれば大いに慌てる小心者である。

 厭々医者へ行き、胃カメラを飲んだ。
糜爛はたいしたことはないが、ピロリの退治をしましょうということになった。

 抗生物質を一週間飲むだけだから、治療といってもたいしたことではなかった。
はじめにいろいろ注意があって、めったにないことですが、これでもピロリが退治できないことがあります、と言われた。
 その確率は十パーセントと聞いて、それなら、まずは大丈夫、よもや、十パーセントには入るまいと楽観していた。

 一週間後、みごとに予想は外れて、十パーセントのくじに当たってしまった。
いい籤に当たることはないのに、こんなときだけと恨めしかったが、乗りかかった舟、もう一週間、別の抗生剤で試した。

 今度はうまくいった。

 一年後、医者は、定期健診で胃カメラの検査をしましょうと言った。
えっ? ピロリをやっつけたら、胃癌にならないとおっしゃったでしょう、と言ったら、ならないわけではない、なりにくいんです。
 念のためですという。

 しかし、ばあさん、すこぶる調子がいいのに、胃カメラなどごめんこうむりたい。
すると、では、心電図と肺のレントゲンだけでも……と言われた。
 考えておきます、と言って以来、逃げるにしかずで、風子ばあさん、この医院への足は遠のいている。

電子マネー

2010-06-20 14:20:55 | 時事
 バスにも電車にも乗れる電子マネーをICカードというそうだ。
スイカ、トイヤ、バスモ、などなど呼称は似たようで分かりにくいが、それぞれの地域で、そこそこ浸透してきている。

 風子ばあさんの地域では、ニモカというのがそれだ。
ばあさんがはじめて購入するとき、窓口で、使用方法を聞いた。

 中年の女性職員は、こちらがばあさんと思うせいか、大変親切に教えてくれた。
乗るときはこうして機械に押し付けるようにすると、ピッと言います。
下りるときはこうして水平におくようにすると、チャラーンといいます。

 実に的確な表現で、ほう、と感心した。以来、バスの乗り降りのたびに、ピッとチャラーンを確認しつつ使用している。

 ところで、本日、そのカードのチャージ機に、下記のような貼り紙があった。
「入金チャージの際は、残額が10001円以上のときは、バス車内では取り扱いできません」
 10001円? 何だかおかしいと思うのは、ばあさんの考えすぎだった。

 一万円以上というときは、一万円が含まれる、一万円以下というときは一万円までのことだ。
一万まではいいが、一万円を超えたらいけませんという事だから、これでいいのだろう。

 しかし、ピッとチャラーンに比べたら、この貼り紙はどこかスマートでないお知らせである。

男ぎらい

2010-06-19 09:03:33 | 猫および動物
 風子ばあさんは男が嫌いである。
 男は黙って……、という古いコマーシャルがあったが、あれは、高倉健がやっているから、さまになるのである。

 うちのじいさんが、仏頂面で黙っていれば、さてはまた頑固な便秘かな、としか思わない。
 ペラペラ喋るのはなお悪い。

 ばあさんは、やっぱり女どうしで喋るのが好きである。
新しい服に気がついてくれるのも、美味しい店を探してくれるのも女どうしなのである。
 
 ばあさんには息子はいるが、娘はいない。
姉妹も遠い。猫でもいいから女がほしい。

 だから、猫を飼うなら、メス、と決めていた。

 野良猫が生んだ数匹の中から、一匹だけ引き受けるとき、メス、メスと言ってタマを貰った。
タマなんて名前でなくて、もっと女っぽい名前、たとえば朱里ちゃんとか、すみれちゃんとかつけたかったのだが、うちの不粋なじいさんが、猫なら、タマだと言い張った。

 それで、ばあさんは、仕方ないから、タマ子姫と呼ぶことにした。
動物病院のカルテにも、そう書いた。

 何度か、診察を受けたが、十数年生きた最後の最後になって、獣医さんが、あれっと言った。
この猫、オスでしたかね?
 いえ、メスですけど。
 いやあ、去勢はしてあるけど、これってオスですよ。
獣医さんは、ほらあ、と毛をかきわけて痕跡を示した。 

 十数年、女の子のつもりで可愛がったタマ子姫は、最後にオスになって昇天した。
風子ばあさんはよくよく女の子に縁がないのである。

マナーモード

2010-06-18 11:46:29 | 時事
 最近はさすがに、コンサート会場や講演会で携帯電話が鳴りだすようなことは少なくなった。
たいがいの人は、電源をお切り下さいと言われても、マナーモードにしておく。

 今日、長く患った末に亡くなった知人の通夜の席に座った。
故人および、遺族の人徳だろう、参列者の多い立派な式だった。

 時間ぎりぎりで駆けつけた風子ばあさんは、会場の一番後ろ、廊下側に着席した。
おごそかなお経が続く中、やがて、しんと静まった会場から、地虫でも鳴くように、ブルルル、ブルルとマナーモードの振動音が聞こえてきた。

 どうやら、風子ばあさんの二、三列前方の席のようだ。
受けた本人は、気になるから、あたりに気がねをしながら、そっと携帯をのぞいているらしい。
 携帯は、開くときは音がしないが、それを閉じるときは小さく、カチリと音がする。

 気の小さい風子ばあさんは、はらはらするのである。
遺族の耳に聞こえはしないか、一心にお経をあげている導師様の耳障りにならないだろうか、と。
 
 やがて、お経を終えて導師様、退場。

 ばあさんの席からは廊下が見える。
見るともなく見ていると、前方の扉から出てきた導師様、すぐに腰のあたりを探り、歩きながら、携帯を取り出して確認しているのである。

 ひょっとして、お経の途中で、導師様にも、ブルル、ブルルと振動音があったのかもしれない。