風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

花も嵐も

2011-12-31 00:10:23 | ご挨拶
        我が家は下戸ばかりである。
      お酒を呑んで、家族で盛り上がる、などという話を聞くと羨ましい。
 
      呑ンべえの夫を持つ友だちに、そう言ったら、
     「とんでもない!」と言う。
 
       仕事の関係で、彼女は色んな宴席に、
      夫と同伴することが多かったそうである。
 
        呑んだときのご主人のお得意は
        ♪ 花も嵐も踏み越えて ♪
          だと言う。
 
       ひとりで歌うのではない。
      は~な~も……、と歌うとき、奥さんに、
      オイ、花、と言う。

        奥さんは、
       幼稚園児のように、手をひらひらさせて、
       頭の上で花をつくらねばならない。

        嵐も~~、と来たら、
       身をくねらせて嵐で揺れないといけない。

        踏~み~越えてぇというときは、
       横たわり、ご主人がその上を踏み越えるのだという。

       「面白いねえ、ワッハッハハ」
        風子が笑ったら
       「なんが面白かね」

       やらないと座が白けるから、
      我慢してつきあってやったとよ……とのこと。

        えらいなあ。感心だなあ。

       でも見てみたかったなあ、花も嵐も……を。

       今はご主人もその元気はないそうである。
   
       花も嵐も踏み越えられるうちが、花なのである。

        今年もお世話になりました。
      では、みなさまも、どうぞほどほどに、
      新年のお酒をお楽しみくださいますように。

オニイチャン

2011-12-29 18:09:03 | 歳月
       風子ばあさんが住むここいらは、
      40数年前は造成されたばかりの新興住宅地だった。
      みな同じころに家を建てた。
 
       うちの子がまだ生まれたばかりのころ、
      近所の××さんちには中学生のオニイチャンがいた。

       オニイチャンは、こちらが、おはよう、と声をかけると
      「おはようございます」
      と、はにかんだようにお辞儀をしてくれた。

       その後、彼はこの地で結婚して、
      子供が出来て、パパになった。
       
       子供を抱いたオニイチャンは、
      風子ばあさんに会うと
      「お出かけですか」
      と、にこやかに声をかけてくれた。

       先日、久しぶりに会ったら、 
      「お出かけ?」と訊かれた。 
      「ええ」
      「気をつけて行くんだよ」
       と言われた。

       仕方ないね、
      オニイチャンはすっかりオジサンになったし、
      風子は、いつ転んでもおかしくないオバアサンになってしまったのだから。

      過ぎた日は夢まぼろしのごとくなり……です。
       
      今年もまもなく暮れようとしています。

おじいさん考

2011-12-27 11:22:16 | 俳句、川柳、エッセイ
       昨日は、
      一人でカップ麵を買う物哀しいお爺さんのことを書いたが、
      年をとっても物哀しく見えないお爺さんもいる。

       同じスーパーでよく顔をあわせる別のお爺さんは、
      もうすぐ100歳になる。

       誰にでも話しかけ、
      もうすぐ100歳なんですと、
      自分で言うから間違いない。

       白い髭を仙人みたいに生やして、
      杖をついている。

       ひとり暮らしだろうと思うのは、
      誰かと一緒のところを見たことがないし、
      それに、無農薬のホウレンソウの、
      小束を買っているのを見たことがあるからである。

       100歳になっても、
      まだ無農薬を気にして長生きをしたいのか、
      これまでずっとそういうふうに心がけてきたから、
      100歳まで生きてこられたのかは、わからない。

       彼は、ほぼ毎日のようにスーパーに来ている。
      多分ヒマはあるのだろう、よく、衣類を見ている。
      男性用のスポーバッグや、ズックなどにも関心があるらしい。
      触ってみたり裏返してみたりしている。

       カップ麵のお爺さんと、こちらのお爺さんと、
      ほんとはどちらのお爺さんが哀しい現実を抱えているか、
      などということは分からない。

       しかし、無農薬のホウレンソウを買うお爺さんを見ると、
      なんだか微笑ましく、風子は、頑張れ! と心の中で応援してしまうのである。

       頑張れ! 100歳

カップ麺

2011-12-26 14:54:33 | ショッピング
      スーパーの食品売り場へ行く機会の多いこのごろである。

      人さまのカートの中を覗きこむのは、はしたないことではあるが、
     つい目のいくことがある。

      痩せたおじいさんが、すがるようにして押すカートの中に、
     カップ麺一個、レトルトカレーひとパック、ひじき煮の惣菜一つ……。

      一人暮らしなんだろうなあ。
     奥さんは亡くなったのかなあ。
     もうすぐお正月だけど、誰も来ないのかなあ。

      想像力のたくましい風子ばあさんは、
     勝手に想像して勝手に切なくなってしまった。

   これが、おじいさんでなく、おばあさんだと
       またちょっと印象が違うだろうから不思議だ。

     カップ麺とおじいさんはどこか物哀しい組み合わせである。

        大きなお世話だけど。


新婚旅行

2011-12-24 15:02:18 | 思い出
     昨日の、昭和の新婚旅行についての続きである。

     新婚旅行には、なぜか、新婦がみな、帽子をかぶった。

     べつに、そのころ帽子が流行っていたわけではない。
    いわば新婚旅行の制服みたいなものだった。

     今の皇族方が被るような帽子を被るのが定番だった。

     行く先は熱海か、別府あたりで、
    駅のホームには同僚や友人が見送りに集まった。

     披露宴からそのまま旅行というケースが多く、
    友人たちはたいがい少しお酒が入っていた。

     ホームでは、バンザイ、バンザイが叫ばれる中、
    新婚さんは列車に乗り込む。
    これ、ごく普通の眺めであった。

     今のひとたちなら恥ずかしくて出来ないだろう。

     そのかわり、離婚をすれば「出戻り」と言われ、
    結婚前に妊娠でもしたら、お腹の目立たぬうちにと、
    取り急ぎ式が行われた。
     そういうことは恥と言われた。

      どっちが恥なのか……。今考えるとおかしい。

      できちゃった婚という言葉も、
     バツイチという言葉もなかった時代のことである。

      あれもこれも、時と共にうつろう。

デンセン

2011-12-22 22:17:59 | 思い出
     必要があって、「昭和の値段史」という本を見ていた。

     なんと、昭和30年、初任給が6000円前後の頃、
    ナイロンストッキングは、一足400円もしていた。

     今日、サークルでその話をしたら、
 「そうそう、今のようにデンセンしたらポイと捨てるなどというわけにいかなかったよねえ」
 「デンセン一本30円だか、50円だかで、修理をしてくれる商売があったわねえ」
     と大いに盛り上がった。

     それから、なぜか話は新婚旅行に発展した。

     東京の人間の行く先は、伊豆か熱海と相場が決まっていた、    
    ちょっとお金持ちになると九州は宮崎辺りまで足を延ばしたのよと
    風子が言った。

    すると、誰かが、  
   「九州では、フツーが別府か雲仙あたりで、
    お金持ちが熱海へ行ったんですよ」と言った。

      ナルホド。

    その少しあとになると、紀州は白浜温泉あたりが人気だったねえ。

    そうそう。

    今のようにハワイでもイタリアでもなかったけど、
   それで充分幸せだったねえ。

     デンセンしたストッキングに共感した世代は、
    つつましく頷きあって、一年を締めくくったのである。
 
   

いまどきのパパ

2011-12-21 10:45:55 | 家族
       双子の男の子を連れたお父さんがバスを待っていた。

      ねえ、パパ、ダッコ!

      ぼくも!

      ダッコ、もういやあ。

      ぼくも!

      ねえ、パパ、ダッコ!

       ああ、可愛いけど、大変だねえ、と見ていたら、
      
        片方の子が、
      パパ、オシッコ! ときた。

      え、オシッコ?
   
       おうちへ帰るかなあ、
       それともコンビニ近くにないかなあ、と言いながら、
       パパは、両脇に双子を抱えると、いきなり走りだした。

      まあ。そこの街路樹にでもシイシイさせちゃえばいいのにと、
      風子ばあさんは歯がゆい。

      今どきのパパは教育的配慮なのか、
     道徳心が勝っているのか、融通がきかないというべきか。

     途中で漏らさないようにと祈るばかりの、これぞまさしく老婆心。


不器用

2011-12-20 15:11:18 | 友情
       半年ばかり夢中になったミシンは、
      その後長いこと押し入れの中にしまいっ放しになった。

       何年かして、出したら、動かなくなっていた。
 
       ミシンにはよくよく縁がないのである。

       でも、風子には、ありがた~い友だちがいて、
      スカートの裾あげや、
      ちょっとしたミシン仕事ならすぐに引き受けてくれる。

       しかし、いつもいつも彼女をあてにしているのでは申し訳ない。

       自分で出来ることは自分でしようと、
      風子が不器用な手仕事をすると、すぐに彼女は気がつく。

       風子さん、はじめから何もしないで、うちに持っておいで。
      なまじ、中途半端なことをされるより、
      はじめから私がする方がいいから、と言われる。

       私が生きてるうちは私がしてやるけん、
      もう、ミシンなんか買いなさんなと、言ってくれる。

     ありがた~い、ありがた~い、風子ばあさんの女房みたいな人である。


洋裁

2011-12-19 23:10:47 | 俳句、川柳、エッセイ
      子育ても終わった中年過ぎに、
     ひょんなことから、洋裁教室へ行くようになった。

       風子は、よく言えば何事にも熱意を持つ集中型である。
      悪くいえば、のぼせもんの、おっちょこちょいである。

       まだ何も縫えないうちに、腕まくりして、
      ミシンとロックミシンを買った。

       まず、自己流に、山本山の海苔缶の蓋を型紙にして、
      キルト生地で鍋つかみを縫った。

       これが、結構面白くて、ジャンジャン作った。
      ジャンジャン作って、どんどん人にあげた。

       あとで、聞いたら、
      あの人、洋裁の内職をしているんだよ、という人にまであげた。

       そのとき作った鍋つかみが、
      この間、大掃除をしていたら出てきた。

       ミシンの目があっちへ行き、こっちへとびのひどいもので、
      これを人にあげたかと思ったら今ごろになって、ひとりで赤面した。

      洋裁教室は、半年と続かず、鍋つかみを作っただけでやめた。

ミシン

2011-12-18 11:18:26 | 歳月
      昔、風子ばあさんがまだ娘だったころ、
     ミシンは大事な嫁入り道具のひとつだった。

      若い娘はみんな毎月500円づつの積み立てをして、
     嫁入り時に満額になるように備えた。

      風子ばあさんは心がけが悪くて、
     ミシンを持たずに結婚した。
     
      亭主になったうちのじいさんは、
     あげな物は邪魔だから、要らんと言ってくれた。

      不器用だから、何かを縫ってみたいとも思わなかった。

      子供が幼稚園に行くようになっても、
     今のように手作りのバザーなどということはなかったし、
     ミシンがなくて不自由だと思ったことはなかった。

       子供が小学校に上がると、
      学期のはじめに雑巾が要ったが、
      雑巾くらい手で縫えばそれで事足りた。

       ところがである、
      ごく最近、もう四十歳になる息子が言った。

       あの雑巾は、下手だったね、
      学校へ持っていくと、友だちから、
      お前が縫ったのか?とからかわれたもんだよ。

       アリャア、である。

       「でなんと言ったの?」
       「うん、僕が縫ったんだよって、自慢してた」

      ああ、恥ずかしい! 
     何十年も知らなんだ。すまなんだ、

      申し訳ない……。
     不出来な母を許してほしい。

      数々の後悔で、
     風子は息子に頭が上がらないばあさんなのである。