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風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

動物の涙

2010-05-28 12:20:44 | 猫および動物
 野良あがりの犬を飼ったひとの話である。

 ひどく行儀が悪く、さんざん手こずらせたあげく、飼い主夫人を押し倒して怪我をさせたという。
家族が集まって対応を話し合い、可哀想だが、こうなったら、もう、役所で処分してもらうしかないという結論に達したそうである。

 ところが、話が終わってひょいと見ると、いつもやんちゃなこの犬が、窓の方を向いてぼうっとしている。
 どうも肩のあたりが震えているようなので、覗き込んだら涙をぽろっとこぼしたという。

 うちのお隣の奥さんは宇和島の出身だが、女学生のころ、近くに場があり、引かれて行く牛に何度も出会ったそうである。
 牛は涙をいっぱいためて歩いていて、それを見てきたので、奥さんは今も牛肉は食べないという。

 我が家の老猫を獣医さんに連れていき、受付で、年寄りだから、もう長くないと思いますけどと言ったら、受付嬢が、シッと唇に指をあて、聞いてますよ、と猫のほうを見た。
 艶を失った目のふちに、猫はいっぱい涙をためてうなだれていた。

 宮崎県で発生した口蹄疫で、おびただしい数の牛や豚が殺処分されている。
人は罪深い生き物だと思うことしきりである。
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美しき老い

2010-05-23 11:16:46 | 歳月
 年をとったら日々は穏やかなものであると思うのは、若いときの勝手な思い込みであった。
自分が年をとってみて初めてわかるのだが、存外、気分は若いころのままなのである。

 よく、生きてきたように死ぬと言われるが、まさに過ごしてきた人生の延長でしか年をとれないのである。
 
 激しくやり合ってきた夫婦が、年をとったからといって、急に温和な夫婦にはなれないのだ。
長年連れ添った夫婦でも、互いに見栄も外聞もある。

 近頃、耳が遠くなったじいさんは、ばあさんにそれを言われるのがいやなのである。

 ある朝、鶯が鳴いた。
ばあさんが、あ、鳥が鳴いた、と言うと、じいさんは聞こえなかったという。
 間をおいてまた鳴いた。
 
 ほら、鳴いたでしょう、と言うと、聞こえなかったと言いたくないじいさんは、ほんとだ、と頷いた。
 意地悪なばあさんが,なんて鳴いた? と訊くと、チュンチュンだ、と答える。
 
 チュンチュンじゃない、ホーホケキョです! とばあさんは勝ち誇るのである。
 
 ああ、美しき老いとは難しいものである。
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忘れ物

2010-05-21 22:28:59 | 友情
 小説を書く仲間で、楽しく語らうことがある。
話題が、自分たちの書いている小説のテーマやストーリーになる。

 一人が、首つりのモチーフがあるのよねえと言えば、もう一人が、私は、今、最期をなんで殺そうかと考えてるんだけど、何が自然かしらね、という。
 そうね、やっぱり、今どきは薬物かしら……、睡眠薬の致死量はどのくらいかねえ。

 居酒屋で、若者がビールを運んできたとき、みんな、はっと口を噤んだ。
いささか物騒な話題と気づいた。

 先日は句会へ行った。
行きがけのバスの中で、書きかけの小説のことが浮かんだ。
 バックから句会用のノートを取り出し、放火犯、友だち、ガソリン、などと思いつくままの単語を並べた。
 自分ではそれなりの脈絡があるのだが、なにぶん、バスの中だから、心覚えのメモだった。

 句会の帰りのバスは、渋滞に巻きこまれて、のろのろ運転だった。
座っていた私は、次回の兼題は何だったかしらとノートを探した。
 ない! ノートには人に見られたくない駄句やら、特売で買ったカバンの値段も書いてあった。
忘れたのは句会の会場に決まっていた。 

 その日、私はみんなより一足さきに出たのだ。
しまった、と思うが、引き返したところでもう間に合わない。

 夜になって、会のお世話をしているFさんから、ノートをお預かりしていますと電話があった。
ああ、お恥ずかしい、と思わず言うと、まあ、どうしてです? と、とぼけてくれた。

 ノートには、どこにも記名をしてなかった。
私のものだとは、広げてみないと分からないはずだった。
 しかし、それには全く触れずに、明日にでもお送りしましょうと言ってくれた。
何人の人たちの間でノートが回ったのかしらと私は今でもまだ恥入っている。

 しかし、世の中には曖昧なままの方がいいこともある。
なにげなかったり、考えた末の言葉だったりするのだろうが、人はちょっとした言葉で、救われたり傷ついたりしながら生きている。
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変形性頚椎症

2010-05-17 21:37:16 | 健康
 八十歳になるつれあいが、指先の不具合を訴える。
見ているかぎりではたいしたことはない。
 しかし、本人は、物が掴みにくいなどの不調を言いたてる。

 八十になって、まがりなりにも箸でご飯が食べられて、自分の足で歩けるんだから、多少のことは我慢せな……とつれない女房です、風子ばあさんは。
 
 近所のかかりつけの医師も、風子ばあさんと同じ意見。気休めですが、とマッサージや温熱療法をしてくれるが、快方には向かわない。

 本人の訴えが強いので、念のためと整形外科病院が紹介された。
 ここでついた病名が変形性頚椎症。

 長年使ってきた身体だから、変形もするわよ、老化現象ね、治らないよ、とまたもや、ばあさんの憎まれ口。

 この整形外科病院からさらに大学病院へ紹介された。
どこへ行っても同じ事でしょう、というばあさんの診断どおり、MRIの検査を受けても、結論は、まあ、お年ですから……ということで落ち着いた。
 
 昔なら、いきなり、お年ですから、で片付けられたものを、いまどきの年寄りはあきらめが悪い。大学病院も来られたら診ないというわけにはいかない。
 保険料はいくらあっても足りないわけである。
 
 しかし、じいさんは、大学病院で検査を受けて満足したのか、このごろあまり文句を言わないのである。
 
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唄う犬

2010-05-15 11:53:39 | ギター、映画など他
 歌を唄うと犬に吠えられる、というエッセイを読んだ。
なんだ、犬にはそういう習性があるのかとほっとした。
 
 私はギターを少し弾くのだが、これに必ず隣の犬が吠える。
調弦を始めるともうそれだけで、犬の方もウーウーと発声に入り、曲を奏ではじめるとワンワンと鳴く。
 私の演奏が下手だからかと思っていたが、そのエッセイを読んで、そうでもないのかもしれないと思い直した。
 
 あらためて犬の声を聞くと、曲によってワンワンがウォーン、ウォーンになったりすることに気づいた。
 犬はあきらかに曲を聴き分けているのだ。一緒に歌ってくれている。
 
 長い間、犬に吠えられるたびに、飼い主に気兼ねだったが、これで安心して弾けると思った。
だが、しかし、待てよ、である。
 私にはそれが分かるが、飼い主の方はどうだろうか。

 やっぱり犬に吠えられるような演奏は止せばいいのにと思っているかもしれない。
 
 ある作家の奥さんが、フルートを習いたいと言い出し、彼が、勘弁してくれよと、習字に替えてもらったというエッセイも読んだ。
 
 勘弁してくれよ、がおかしかった。
私も、実はピアノが習いたかったのだが、夫がピアノは勘弁してくれよというので、ギターになったいきさつがある。
 
 いずれにしても、音が出る趣味は、ハタ迷惑ということだろう。
定年を迎えた夫は家にいることが多くなった。
 若い頃は夫が出勤したあとに練習が出来たが、今はつい遠慮がちになる。

 クラシックの名曲も、ぶつ切りにそこだけ何度も繰り返して練習するので、横にいる夫から、演歌の方がええなあ、などと言われる。
 年をとって趣味を続けるのも中々に骨が折れることなのである。
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ギター歴

2010-05-12 22:11:44 | ギター、映画など他
 道楽にギターを弾く。
 たいがいの人が、「もう何年くらいしていますか」と訊く。
 これがつらい。長年やっていれば上手なはずと相手は思いこんでいる。
 ところがそうはいかない。

「ええ、まあ、長いばかりで」
 
 と答えても、まだ追求してくる人がいる。仕方がないから、

「さあ、十年は超えているかしら」
 
 とかわす。実は私のギター歴は、もう少し長い。
この根性はなんだかいやらしい。
 長くやっているんですが、こんなに下手なんですよ、と正直にご披露する潔さがない。

 人前での演奏となると、足が震える。
足の震えはまだいいとしても手が震えて弦に指が届かない。
弾く方も聴く方も気持のいい演奏にはほど遠い。

 一人静かに爪弾いて、人前では弾かないことにすればいいが、練習した成果は聴いてもらいたい気持ちが少しだがある。

 幸いなことに長年のギター仲間がいるので、このごろはもっぱら合奏のお付き合いをして、独奏はご勘弁願っている。

 合奏も、これはこれで難しいが、それでも一人で弾くより、はるかに心理的負担が軽い。
それなりの発表の場にいたるまでのその過程が楽しい。
 
 自分のパートが間違いなく弾けるようになると、そのうち、周りの音が聞こえるようになる。
互いの音が合い、響きあうのを確かめて、次ぎのフレーズに入りこんでいく呼吸があったときなど、痺れるような快感がある。

 少しずつ曲が仕上がっていくのを実感して喜び合える仲間がいて、風子ばあさんはなかなか齢をとれないのである。
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おへそ

2010-05-06 16:22:57 | 健康
 健康体操の教室で一緒の知人が、胆石の手術をした。
彼女は、ほんとは六〇歳になるのだが、ミメカタチ麗しく、着ているもののセンスも良いので、十歳は若く見える。
 
 手術をしたらいつもむかむかしていた胸がすっきりしたそうで、顔色もよく、前にも増して若々しくなって教室に復帰した。
 
 いまどきの胆石手術は、開腹などせずに、おへその傍に穴をあける術式だから、回復が早いのだそうである。
 穴は、おへそのごく近くに開けるので、傷跡はまるでおへそと一つになったようで目立たないという。
 
 見せましょうか、と言われた。
 誰も返事をしなかった。小さな声で、いいよ、と後ろへ下がる人もいた。
 
 だけど、彼女は見せたかったのだ。あっという間に、服をめくり上げた。
 
 おへそ、おへそ、と言われて、みんな顔を近づけて注視した。
いいよ、といったんは後ろに下がった人も、前に出てきて覗き込んだ。
 
 他人のおへそを間近に見る機会など滅多にないが、茶色の窪みがシワシワに畳み込まれたその場所は、当たり前だが、美しいものではなかった。

 いつもは十歳は若く見える彼女だが、めくり上げたお腹はやっぱりその年齢にふさわしいお腹でしかなく、十歳若くは見えなかった。

 たしかに、傷は目立たず、どこが手術痕なのかは判然としなかった。
 
 ね、どれが傷か分からないでしょ、と彼女は嬉しそうに笑った。
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貼り紙

2010-05-03 14:40:44 | 家族
 近くに小さな八百屋さんが出来た。

 まだ若くて可愛らしい奥さんと、少し年長のご主人と、仲良く二人で立ち働いていた。
 年中無休だが、ときどき、貼り紙をしてシャッターを下ろした。
 
 貼り紙に、「運動会につき休みます」と書いてあるのを見たときは、そうか、青果業者の組合かなんかで、運動会でもあるのかと思った。
 
 次ぎにまた貼り紙があったので見たら、「お遊戯会につき休みます」とあった。
さすがに、夫婦そろって子供のお遊戯会見学なんだと気づき、それを書くなら「子供の」の主語が抜けていますよ、とおかしかった。
 
 しかし、その日の献立に、どうしても大根が必要だったので、そう遠くないスーパーへ回った。
 何年もしないで、貼り紙もしないで八百屋さんはつぶれた。
 
 以来、シャッターはずっと閉まったままである。

 仲良し家族はその後、どこかで無事に暮らしているのだろうか。
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