風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

50年前50年後

2018-08-22 17:47:38 | 歳月

 50年前は携帯どころか普通の家にも電話はなかった。

呼びだし電話というのは、近所の家にある電話を借りることで、

履歴書に他人の家の電話番号を書いたものである。

今のように家族それぞれ子どもまでが携帯を持って通話できるなんて考えもしなかった。

むろんパソコンもネットもなかった。人の暮らしは信じられないほど進化して変化した。

50年後はどうだろうか。私の関心は、人がいくつになるまで生きられるようになるか、である。

50年後人は死ねない時代がくるかもしれない。

ips細胞や臓器移植や脳に埋め込む機器などを考えれば夢物語とも言えない。

行きつく先は、生命の定年制度なんかが制定されて、

150歳になったら一服差しだされるなんてことにならないだろうか。

むかしはこんな目に遭わないで死ねたんだってねえ、なんてことを想像すると恐ろしいような。

                     

     


美容院 ヒイばあちゃん

2018-07-25 20:53:33 | 歳月

                                 

 

 いつもの美容院へ行った。

まだ学校を出たばかりのオニイチャンが、洗髪をしてくれた。

席に移る前に、お手洗いは大丈夫ですか、と訊かれた。

「ええ、大丈夫」

カットとパーマはベテラン美容師が担当してくれたあと

さっきのオニイチャンが洗髪をしてくれた。そしてまた

「お手洗い大丈夫ですか」と訊かれた。

「せっかくだから、行っておこうかしら」

 トイレを借りた。

 それからカラ―のあと、再度シャンプーである。

そして、またまた、お手洗いは大丈夫ですか、ときた。

ははん、きっと彼には私くらいの齢の祖母がいるのだ、と察して、

「おばあちゃんはおいくつ?」と訊いてみた。

「63歳です」という。

「えっ、そうなんだ」

ちょっとショックである。ことわっておくが、ノンバアチャンは80歳である。

「じゃあ、ヒイおばあちゃんは?」

 彼はちょっと思案したあと、たしか、80何歳かでしたという。

 そうかあ、わたしはヒイおばあちゃんなんだ、とあらためて納得した。

年寄りだ、年寄りだと口で言うわりには実際の自覚が足りなかった。

なるほど、ヒイばあちゃんなら、トイレの心配はしてくれて当たり前なのだ。

   ありがとう。


冷蔵庫

2012-09-01 12:38:52 | 歳月
                  夫の姉は今年85歳になる。
               股関節が不調で、ヘルパーさんの介護を受けて、
                  どうにか一人で暮らしている。

               話かわって、先日、風子の友だちが我が家へ来た。
                 彼女はまだ60歳になったばかりである。

              我が家の車庫に、いつもある夫の車がないので、友だちが、
               「あら、ご主人、お出かけなんですね」と言った。

         「そうなの、義姉のところの冷蔵庫が壊れてね、新しいのを買いに連れて行くって」
         「えっ! お義姉さん、もうその齢で、まだ冷蔵庫、買うんですか」

                言われてこちらが驚いた。

         「冷蔵庫はね、明日死ぬかも知れなくても、生きてるかぎりいるんだよ」
         「まあ、そりゃあ、そうですけど」

                納得いかない顔をしている。

          だいいち、まだ明日死ぬとは限らない、一か月先か、三年先か、十年先か、
            それがわからないところが厄介である。

     で、いるんですよ、冷蔵庫は。

オニイチャン

2011-12-29 18:09:03 | 歳月
       風子ばあさんが住むここいらは、
      40数年前は造成されたばかりの新興住宅地だった。
      みな同じころに家を建てた。
 
       うちの子がまだ生まれたばかりのころ、
      近所の××さんちには中学生のオニイチャンがいた。

       オニイチャンは、こちらが、おはよう、と声をかけると
      「おはようございます」
      と、はにかんだようにお辞儀をしてくれた。

       その後、彼はこの地で結婚して、
      子供が出来て、パパになった。
       
       子供を抱いたオニイチャンは、
      風子ばあさんに会うと
      「お出かけですか」
      と、にこやかに声をかけてくれた。

       先日、久しぶりに会ったら、 
      「お出かけ?」と訊かれた。 
      「ええ」
      「気をつけて行くんだよ」
       と言われた。

       仕方ないね、
      オニイチャンはすっかりオジサンになったし、
      風子は、いつ転んでもおかしくないオバアサンになってしまったのだから。

      過ぎた日は夢まぼろしのごとくなり……です。
       
      今年もまもなく暮れようとしています。

ミシン

2011-12-18 11:18:26 | 歳月
      昔、風子ばあさんがまだ娘だったころ、
     ミシンは大事な嫁入り道具のひとつだった。

      若い娘はみんな毎月500円づつの積み立てをして、
     嫁入り時に満額になるように備えた。

      風子ばあさんは心がけが悪くて、
     ミシンを持たずに結婚した。
     
      亭主になったうちのじいさんは、
     あげな物は邪魔だから、要らんと言ってくれた。

      不器用だから、何かを縫ってみたいとも思わなかった。

      子供が幼稚園に行くようになっても、
     今のように手作りのバザーなどということはなかったし、
     ミシンがなくて不自由だと思ったことはなかった。

       子供が小学校に上がると、
      学期のはじめに雑巾が要ったが、
      雑巾くらい手で縫えばそれで事足りた。

       ところがである、
      ごく最近、もう四十歳になる息子が言った。

       あの雑巾は、下手だったね、
      学校へ持っていくと、友だちから、
      お前が縫ったのか?とからかわれたもんだよ。

       アリャア、である。

       「でなんと言ったの?」
       「うん、僕が縫ったんだよって、自慢してた」

      ああ、恥ずかしい! 
     何十年も知らなんだ。すまなんだ、

      申し訳ない……。
     不出来な母を許してほしい。

      数々の後悔で、
     風子は息子に頭が上がらないばあさんなのである。

神田川

2011-11-29 14:19:44 | 歳月
     「神田川」という唄が一世を風靡したことがある。
   
    ♪ 二人で行った横丁の風呂屋~
      ~~~
    ♪ 小さな石鹸カタカタ鳴って~
      ~~~
    ♪ 三畳一間の小さな下宿~

     土一升金一升と言うが、都会は土地も家賃も高い。

     三畳一間のアパートなどというのが珍しくなかった時代の唄である。
    トイレは共同、風呂は銭湯に行った。

     今でも、古い旅館や国民宿舎では、
    風呂トイレ別……というのがときどきある。
    風呂は、まあ、大浴場だからいいとして、
    トイレは寒い廊下の端まで歩く。

     この間、不動産の広告を見ていたら、
    風呂トイレ別というマンションがあり、あれっと思った。
    いまどきなあ、誰が入るのかなあと、首を傾げた。

     しばらく見ていて、ようやく分かった。

     狭いマンションやビジネスホテルでは、
    浴槽とトイレが一緒に並んでいることがある。
    あれは窮屈だしだいいち寛げない。

     広告にある「風呂トイレ別」は、
    狭いながらも
    トイレと風呂がそれぞれ独立した個室ですよ、
    別べつなんですよ、ということらしい。

     同じ「風呂トイレ別」でも、まるきり意味が違った。

     それがどうしたと言われれば、それまでだが、
    若いもんは知らんめえが……。
    昔を知るばあさんは、ちょっと吹聴してみたかったのである。

印刷業

2011-03-07 21:34:17 | 歳月
 仲間と出している冊子のことで印刷屋さんへ行った。
すでに馴染みの、担当者と雑談になった。

 風子ばあさんが
「私、若いときに印刷会社にいたこともあるんですよ、写植印刷の初期のころでした」
と言った。
「ほう、いつ頃ですか?」
「そうね、五十年ほど前になるかしら」
「じゃあ、僕はまだ生まれてなかったなあ」
 と笑われた。

 印刷の歴史への蘊蓄など、彼には無用のようであった。

 むろん、謄写版印刷などの話をしても、ばかにされるだけだと思い、女子社員の運んでくれたコーヒーを、上品に頂いて失礼してきた。

 謄写版印刷は、蠟紙に、鉄筆で、ガリガリと文字を刻んでいくからガリ版とも言った。
 これはこれで、達人がいて、謄写版印刷会社などと言う企業も存在した時代があったのである。

 

電話

2010-09-28 17:33:10 | 歳月
 昔は、ふつうの家には、電話がなかった。
昭和の中ごろまでは、電話があるのは商家かお金持ちの家と決まっていた。

 電話のあるお金持ちは、そのあたりの人たちにかかってくる電話を取り次いで貸してあげるのが普通のことだった。
 これを「呼び出し電話」といった。

 履歴書などには(呼)と書いて赤の他人の電話番号を記していたのだから、いま考えれば、あきれた話である。

 ○○さあ~ん、電話ですよ~、
 ありがとうございま~す、と数軒先まで、どちらもが走って行くのである。 

 だから、テレビが我が家に来たときも、電話を我が家に引いたときも、とても晴れがましく嬉しかった。
 
 つい十年ほど前までは、各家庭の電話はおもに居間あたりにあり、誰かにかかってくると、家族みんなが聞き耳たてているところで喋らないといけなかった。

 場所や時間などを約束していると、ははん、あそこへ行くのだなとか、あの人と会うんだなとか、家人の行動はおよそ知れたものである。

 風子ばあさんの息子がはじめて携帯電話を買ったとき、彼の携帯がテーブルの上で鳴った。
たまたま彼は洗面所かどこかへ行っていたので、傍にいたばあさんが、モシモシと出たら、あとで息子からえらく怒られた。

 携帯は、本人しか出たらいけないものだとは、この時まで知らなかった。

 今は固定電話、と、わざわざ「固定」をつけるけど、これにも子機というものがある。
子機をそれぞれの部屋に持って入れば、どこへかけているのか、誰と話しているのかわからない。

 昔……といってそれほど大昔というわけではないのだけど。変われば変わったものである。

女の年齢

2010-09-21 23:57:17 | 歳月
 女性に年齢を訊くのは失礼とされている。

 他人から見れば、一歳や二歳、違ったところで、どうってことはないが、なぜか、年が近いほどにこだわる。
 まったく同じ年なのに、あら、私の方が五カ月、年下よ……などと言う人がいる。

 これが、超高齢になると、また事情が変わるようだ。

 バス停でよく行き合わせる高齢の女性がいた。
こういう元気のいい年寄りはへんに社交的である。
 自分のほうから、バス、まだ来ませんね、などと話しかけてくる。

 「私、九十一歳になるんですよ」
 「ほう」
 始めてのときは正直、驚いた。

 ペタンコ靴でなくパンプスを履いている。
オールドファッションながらお洒落もしている。
 お元気そうですねと言うと満足気に微笑んだ。

 度々出会うようになった。
いつも 「九十一歳なんですよ」と話しかけてくる。
 もう驚かないが、驚いた顔をしてあげる。

 そのうち、バス停の近くまで行って、見かけると、あ、いるいる、とこちらが逃げ腰になる。

 九十二になり三になり、五になって、まだお元気だった。
今年になって、お見かけしないので、さすがに外出が難しくなったかと思っていた。
 それが当たり前だよねと、どこかほっとしていた。

 昨日、デパートの食料品売り場で、紙袋一杯の荷物を抱えて、相変わらずパンプスで歩いている彼女を見かけた。

 おっ、とのけ反りそうになった。

 お幾つになりましたか? と訊いてあげたかったが、混雑していたのでやめた。


孝行息子

2010-08-28 14:16:22 | 歳月
 夫婦も新婚のときはひとつベッドで寝るが、そのうち隣のベッドになる。
もっと年をとると、隣の部屋になり、やがて階上、階下になる。
 
 おならをしても、いびきをかいても、夜更かしをしても、歯ぎしりをしても、誰にも遠慮はいらない。
 深夜のひとときは、それぞれに、なかなかオツなものである。

 友だちの息子が結婚することになった。
相手が東京の人で、顔合わせに、友だちは夫婦で上京することになった。
 
 よく気がつく息子は、両親のために、赤坂の一流ホテルを予約してくれた。
 ついでに、どこでも行きたいところへ案内するからと、二泊、食事つきで息子の招待だったそうである。
 
 孝行息子だねえと、風子ばあさんが褒めた。

 東京から帰った彼女が、お土産のくず餅を持って来てくれた。

「それがねえ、ツインの部屋でね。長年、主人と一緒の部屋になんか寝たことがないから、なんだか、きまりが悪くてね」

 我が家に戻った昨夜は、数日ぶりに、一人で、ぐっすり眠ったという報告であった。

 きまりが悪い……という日本語を久しぶりで聞いた。
 きまりが悪い、という言葉も、こんな状況も、若いひとには通じないかもしれないが。