風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

買いたいなあ

2011-09-30 18:50:59 | ショッピング
   買い物が好きである。

   近場の唐津へ行く前に、
  家人から、土産はいらないぞと言われている。
  はいはい、と出かけるが、やっぱり買わずにいられない。

   なにを買ったか? 
  かぼちゃと梨と生姜とハーブ塩などなどである。

   風子ばあさんは腰が悪いから、重いものは持てない。
  で、どうするかといえば、わざわざ宅配便で送らせる。

   自宅に届いたこれを開けて、
  我ながら、愚かだなあとあきれる。
  かぼちゃも梨も、ここいらへんのどこででも手に入る物ばかりである。

   土産物に限らず、買い物は、通販までも好きなのである。
  チラシやカタログは必ず目を通す。

   今日もカタログを見ていたら、忘れ物探知機というのがあった。
  サブタイトルが、「どこいった?」をなくします……とある。
   
    面白い!

   親機のボタンを押すだけで番号に対応した子機がピピッと鳴り、
  探し物の在り場所を知らせるのだという。


   しょっちゅう探し物をしている風子ばあさんには、
  お誂え向きである。写真で見るかぎり、丁度携帯電話の大きさである。

   値段もそれほど高くない。買うかなあ~。

   しかし、待てよ、この探知機そのものをどこかへ失くしてしまいそうだなあ。
  ただ今思案中なのである。

唐津観光ガイド

2011-09-29 17:52:45 | 旅行
   眺めの良い展望浴場で、スベスベお風呂に一泊。
  目的を果たして、10時にチェックアウトをした。
  送迎車で唐津駅まで送られたが、
  さて、このまま家に帰るには早すぎる。

   ふと目についたのが、駅構内の観光ガイド、
  二時間700円の案内。
  にこにこ笑っている森田さんとの出会いである。

  「私たちおばあさんで、二時間も歩けるかしら?」
  「大丈夫、大丈夫、休みながら行けばいいんですから。
  楽しんで歩いていたらすぐですよ」

   森田さんは励まし上手。

   みちみち、初代、寺沢広高藩主から、
  大久保、松浦、土井、水野、小笠原と治世の変遷などを
  大変わかりやすく話しながらの歴史散歩。

   唐津っ子の心意気がつまった曳山会館、
  重要文化財の旧高取邸など見どころ満載の唐津の街を丁寧に案内してくれた。

   自分たちだけなら、すうっと見過ごしてしまいかねない、
  襖絵一枚、欄間ひとつも彼女の口上でぐっと奥行き深く見物できた。

   いやあ、森田さんの博識と郷土唐津への熱い思いに感服。

   おかげで唐津の街に親しみを覚え、再訪したくなった。
  森田さんの末長い活躍を、
  唐津市のためにも、旅人のためにも、願ってやまない。


唐津 国民宿舎 いろは島

2011-09-28 22:12:29 | 旅行
   以前から、唐津の国民宿舎、いろは島へ行ってみたいと願っていた。

   さして遠くもなく、いつでも行けるという思いから、
  かえって果たせずにいた。

   昨夜から一泊で、
  いつもの仲良し、クミちゃんとカナちゃんにつきあってもらった。

   結論、よかったあ!

   弘法大使の筆が落としたとされる、いろは模様に浮かぶ島々を見ながら
  展望浴場に大満足。

   お湯は、美人湯の名のとおり、ツルンツルン。
  浴場で滑らぬようにだけ、気をつけないといけない。

   プライベートビーチに出て、
  対岸の山蔭に夕陽が落ちるのを三人で眺めた。

   そのあと、肥前会席に生ビールで、カンパ~イ!

   クミちゃん、カナちゃん、いつもありがとう!
  あなたたちがいてくれるから、私の人生は豊かなものになっています。

セルフレジ

2011-09-25 17:47:10 | ショッピング
   週末のスーパーは、レジも混雑している。
  多勢の人が並んで順番を待っているのに、
  ちょっと離れた無人の、客自身が操作するレジには、誰もいない。

   風子ばあさんは、この間、一度試したことがあるので、
  そちらへ、すいっと行った。

   歯磨き粉のバーコード面を機器にかざしてピ!
  洗剤、同じくピ!

   ピッピッピ……としたあと、
  5千円札を入れて、またピ!
  硬貨でお釣りがジャラジャラっと出てきて、終了!

   うふふふ、まだ、あっちはあんなに並んでる……。

   これってけっこう気持ちいい。


   ところで、先日、このブログで「無人レジ」と書いたけど、
  今日、あらためて眺めたら「無人」なんて言葉はどこにも書いてなかった。

   セルフレジ……、無人ではなく、「セルフ……」でした。

   勝手に「無人」と思いこむところが、哀しいかな、老人現象でありました。


サラエボのチェリスト

2011-09-23 11:44:23 | 読書
     アルビノーニのアダージオという曲は哀切で美しい。
    何度聴いても、胸を締め付けられるように物悲しく高潔である。


     スティヴィン・ギャロウェイ著「サラエボのチェリスト」は、
    ボスニア内戦でのサラエボ包囲を題材とした小説である。

     実話としてのモデルはあるが、ここではあくまで小説として書かれている。

     市場でパンを買おうとしていた市民22名が迫撃砲で殺された。
    次の日から、ひとりのチェリストが、
    その場所で「アルビノーニのアダージオ」を弾き始める。

     山裾に小川の流れる落ち着いた街だったサラエボは、
    今やいつ迫撃砲弾が飛んでくるかわからない危険な場所だ。
    人々は水汲みにさえ、命がけで家を出る。

     その危険極まる場所で、死者の数の22日間、
    チェリストは鎮魂のためのアルビノーニのアダージオを弾き続けた。

     女性の狙撃手アローは、
    廃ビルの窓からチェリストを守るべくライフルを構えて監視するが、
    丘の上の兵士たちもまた、チェリストが演奏を始める時間になると
    砲弾を打つのをやめにする。

     そして、ついに22日目が来た……。

     読み終わるまで、アルビノーニのアダージオが静かに切々と聴こえてくる
     ……そんな小説である。

以上

2011-09-21 16:38:18 | ご挨拶
   今どきの若い男性は女性に優しい。
  荷物を持ってくれる、家事を手伝う、
  子守りをする……などは当たり前である。

   戦前戦中生まれのじいさんたちはこうはいかない。

   昔、うちの子たちが小学生だったころ、父親参観日に
  「父の日は、父が休むためにある、学校行事に呼び出すとは何事か」
  と学校へ抗議した父親がいた。

   しかし、そのじいさんたちも
  老後、家にばかりいると妻たちに鬱陶しがられる。
  このごろは、色んなサークルでじいさん連中の参加がふえてきた。

   男女どちらも元気で仲良く齢をとるのは結構なことである。

   ところで、昨日、あるサークルから連絡網を通じて、
  男性会員から風子ばあさんちへ留守電が入っていた。

   ×月×日、先生の都合で、時間が変更になりました~、
  会場は~などという伝言は、ごく普通だったが、最後に

    以上!

   と偉そうな声で叫んでぷつりと終わっていた。
  以上! はないでしょう、
  あんたの家来でも部下でもないんだけどなあ、
  と思いながら、でも、なんだかおかしくて笑った。

蕎麦屋

2011-09-20 17:39:16 | グルメ
    風子ばあさんに友だちは多いが、
   イタリアンや和風のランチに付き合ってくれても、
   ラーメン屋につきあってくれる仲間は案外いない。

    たまにラーメンが食べたくなっても、年寄りが一人では入りにくい。
   そのてん、蕎麦屋はなぜか一人でも入りやすい。

    おかめ蕎麦をバアサンが一人で食べていても、
   ジイサンが手酌でビールを飲みながら天ぷら蕎麦を食べていてもおかしくない。 
 
    今日も今日とて、風子ばあさんは某店で一人でざる蕎麦を食べていた。
    
    通路を挟んだテーブルに一人の老女。
   そのまた隣のテーブルには老夫婦ひと組。

    聞くともなしに聞いていると、
   赤の他人の双方、すぐに親しげな会話がはじまった。

    お元気そうで……、いやいや、足が悪く……、
   はいはい、こちらは腰が痛くて……。

    これもなぜか年寄りの特権で、
   若者どうしではこうすぐに友好的にはならない。

  「私は主人を半年前に亡くしましてねえ。こうしてお二人お揃いなのが羨ましい」
  一人でいる方のバアサンが、あまり苦しまずに逝った夫の最期を語れば、
  一方の二人連れの夫は92歳を誇り、妻は13歳も齢下だという。

   年寄りの声は大きいから全部筒抜けである。
 「60年も一緒におりますけん、つまらん家内でも、もう放り出せんとですばい」

   92歳にしてはしっかりした受け答えの夫がぬけぬけという。
  なにをぬかすか、放りだされればすぐに困るのは、
  あんただろうもんと思いながら、風子ばあさんはざる蕎麦を啜りこむ。

   男というのは幾つになっても、見栄っぱりなものである。

無人レジ

2011-09-17 13:57:05 | ショッピング
     いつものスーパーへ行ったら、これまでのレジの横に
    無人のレジが設置されていた。
     
     えっ、と思ったが、駅の改札だって、銀行のATMだって、
   もとはと言えば駅員さんがいたり、窓口に並んだりしたのだから、
   驚くにはあたらないかもしれない。

    バスだってICカードや自動払いなんてものはなかったから
   車掌さんが切符を売っていた時代もあったのである。
   
    なんでもこう機械化されたら、失業者がふえるわけである。

    スーパーのレジ係は、
   お世辞を言ってくれるわけでも世間話をするわけでもないが、
   しかし、そこは人間だから、チラっとくらい通いあうものがある。

    無人の機械で清算するというのも、味気ないなあ……
   と風子ばあさん、まあ、一応、理屈をこねて思案する。

    しかし、馴れるなら早いほうがいい。
   いずれ無人が主流になるかもしれない。

    み~んなが使いこなすようになった頃、自分だけが、
   使い方がわからずに横目に通り過ぎるというのも癪である。

    まあ、早い話が、好奇心が先にたち、
   けっこうイソイソと試してみることにした。

    バーコードのついてる商品は、読みとり機でピッ!
   バーコードのないブロッコリーなどは、
   野菜の表示にタッチして、絵が出て、選んでピッ!
   清算ボタンを押して、一万円札をスルスルと滑り込ませて、
   おつりが出てきて、終了。

     なあ~ンだ、簡単簡単。

   政府は雇用促進と言うけれど……企業は人件費削減に必死である。
   
   簡単だけど、これでいいのかなあ。 

吉村昭著 関東大震災

2011-09-16 10:56:09 | 読書
   亡くなった私の母は、大正生まれの東京育ちである。
  まだ子供だったとはいえ関東大震災の体験者である。

   当然、私も、地震にまつわる話は聞いて育ったはずだが、意外に記憶がない。

   昭和48年に刊行された吉村昭著 「関東大震災」を読んだ。

   関東育ちの私でさえ、20万人が死亡したというあの大地震について
  何も知らなかったのだと改めて思った。

   安全と信じて避難した被服廠跡では3万8千名の焼死者が出ている。
  ほかでも至るところで焼死者が多数である。
  倒壊による死者より断然焼死者が多い。

   安政の大地震と大正の地震は同規模だそうである。
  消火能力においては、安政より近代がはるかに優れていたと思うのが普通だが、
  水道管の破裂でその能力が発揮できなかったということである。

   時代はさらに進んだ現代、過密人口などを思うと空恐ろしい。
  これもよく知られたことだが、災害時の流言の恐ろしさにも本著は触れてある。

   警察は暴徒化した群衆を制圧することが出来ず、
  署内まで暴徒がなだれこんだという。

   ふだんは糞尿汲み取りを業としていた作業員が、
  死体の処理に雇われ、東京中の便槽から糞尿があふれて伝染病が蔓延したことなども
  正確に数字を表示して記録され、なまなましい。
 
   過去の事としてではなく、
  今に生きる私たちが学ばねばならないことの多くが語られている書である。

吉村昭著 三陸海岸大津波

2011-09-14 11:39:18 | 読書
  吉村昭著「三陸海岸大津波」は、昭和45年に「海の壁」として上梓され、
 平成16年に「三陸海岸大津波」と改題されて文庫になった。
 今年の震災後再び文庫化されて広く知られた。

  明治29年、昭和8年、昭和35年、
 いずれも三陸海岸を襲った大津波の記録である。

  明治29年の津波については、吉村昭氏本人が、昭和45年当時、
 まだ存命中だった津波から辛くも逃れた二人の体験者からの聞きとりをしている。

  昭和8年の津波については当時の小学生の作文が引用されている。
 いずれも今と違って映像のない時代である。
 記録の重みは現代の比ではなかろうと思う。

  巻末の解説で、高山文彦氏は著している。
 「明治の大津波についで、なぜ昭和の大津波でも大きな犠牲を払わなければならなかったのか。
 これは悔いても悔いきれない、痛ましい事実である」
  この「昭和の大津波」というのは、昭和八年の津波のことである。

  時代は進んだが、津波により原発というさらなる事故が加わったことを思うとき、
 人間はこれまでいったい何を学んできたのだろうかとの思いを深くし、
 まさに悔いても悔いきれないのである。
 
  まずは知ることからの思いで読み終えた。