風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

サブウェイ

2011-08-29 21:21:56 | 俳句、川柳、エッセイ
   若い知人を見送るために、新幹線駅の構内にいた。
  向こうから外国人と覚しき二人連れがやってきた。

   風子ばあさんたちの前へ来ると、いきなり
  「ギヨーン」と訊いてきた。

   どうやら行き先を尋ねているらしい。
  こういうときは、年寄りの風子ばあさんよりも
  若い方が頼りになるのだろう、連れの知人の方を向いている。

   連れは福岡の人間でない。
  ギヨーンに首を傾げる。
  風子ばあさんは、ピンときた。

  「オオ、祇園ねえ」としゃしゃり出る。
  なぜかここで、オオがつく。

   相手も、オオ、ギオン! と頷く。
  風子ばあさん、得意になって、
  ココ、新幹線ネ、ギオン、ノーという。
  ココ、も何故か、片言風になる。
 「ギオン、地下鉄ゥ!」
   
   風子ばあさんは叫びながら、改札めざして腕をふりまわす。
  「チーカーテツ? チーカーテツ?」
   外人さんは地下鉄がわからなくて悩ましい顔になる。

   このときである、
  横に控えていた風子の無口な連れが、
  ようやくしずしずと口を開いた。

  「サブウエィ」
  「オオ、サブウエィ……アイシー、サンキュー」

  てなことで、無事に彼らは去って行った。
 はじめから、ばあさんが出しゃばらないでもよかったのである。
 それにしても、サブウエィくらい知ってたんだけどなあ。
 咄嗟に出なかったのが残念でならない。

お隣り

2011-08-28 11:09:30 | ご近所
   突然大声が聞こえたような気がした。

   外は降りだした雨の音がする。声はすぐにやんだ。

   空が暗くなったので、
  さっき洗濯物は取り込んだばかりである。
  空耳だったかと、読みかけの本を再び広げた。

   と、そのとき、電話が鳴った。

   お隣りからだった。

  「雨ですよ、雨! お二階です! お二階のベランダで布団が濡れてま………」 
  最後まで聞かずに、飛び上がって二階へ上がった。

   あ~あ~ である。

   それにしても、電話を下さったお隣りの奥さんは八十半ばである。
  まだまだこうして他人のことを気遣える。
  素晴らしいなあと、布団が濡れたことよりそっちが嬉しい。

映画 一枚のハガキ

2011-08-27 11:01:19 | ギター、映画など他
   新藤兼人監督の、最後で最高の映画と言われる
  「一枚のハガキ」を見た。

   監督99歳というから、「最後」のは、本当だろうと思った。
  大変失礼ながら、「最高の」は……、まあ、興業的に言っても、
  そう言うわなあ、と思って行った。

   見終わって、ほんとうに「最高の」映画だったと、自分の不明を恥じた。

   セットはシンプル、
  話の結末もだいたい予測がつきながら、場面ごとに感動した。

   二人もの夫を戦争で亡くした妻の大竹しのぶと、
  生き残って帰還した兵士を演じた豊川悦司はむろん文句なしだが、
  大竹の舅、姑を演じた柄本明と倍賞美津子もよかった。

   ことに縊死する直前に食事をする倍賞美津子の表情には唸った。

   大竹しのぶは群を向いてうまかった。
  演技ではなく魂がのりうつっていた。すごい女優だ。

   絶望と希望を見事に描いた映画だった。

看板

2011-08-26 10:42:36 | 俳句、川柳、エッセイ
   近くの交差点のところに二枚の大きな看板が並んでいる。

   一枚は○○神社、仲良く並んでいるのは葬祭業の××社。
  交差点だから、車で走って来たひとにわかるように
  どちらにも大きな矢印がついているが標識ではない。
  れっきとした看板広告である。

   神道で葬式を行う家もあるから、
  別に神社と葬儀屋さんが広告を並べていてもおかしくないのかもしれない。

   しかしである。神社の看板には、
  ご祈願の○○神社と、はっきり書いてある。

   ふつう祈願といえば病気平癒とか安産とか合格を祈願するであろう。
  商売繁盛の神様としても有名な神社である。

   早くあの世に行けますようにと祈願するひとは、
  たまにはいるかもしれないが、まあ、あまりいないだろう。

   どうも違和感があるなあと、
  通りかかるたびに思うが、もうだいぶ以前からそこに両方並んでいるのだから、
  べつにケチをつけるべき問題でもないらしい。

   よそ見をしていて撥ねられ、葬祭の××社行きにならないとも限らない。
  余計なことを考えずに、気をつけて歩くことにしよう。


尊厳死協会

2011-08-25 23:15:47 | 友情
   人はいつか死ぬ。自明の理である。
 
   だから、死ぬのは覚悟している。
  ただ死ぬときに痛い苦しい目に遭いませんようにとだけ願っている。

   風子ばあさんは60歳になったとき、尊厳死協会に入会した。
  痛みの緩和のためには最大限の努力をしてほしいが、
  延命措置はお断りしますという主旨の意思表示をカードにしている。

   今は多くの医師が協会に理解を示し、意思を尊重してくれると聞く。

   三年前、友人に治療不可能の癌が判明した。
  風子のすすめによって彼女は尊厳死協会に入会した。

   あれから三年、ホスピスに入院中の彼女から、昨夜電話がかかった。

  「風子さん、ありがとう。尊厳死協会を教えてもらってよかったわ。感謝してるの。
  風子さんは頑張り屋さんだけど、齢は齢だからね、あんまり無理したらあかんよ」

   関西出身の彼女の「あかんよ」を聞いて思わず涙がこぼれた。
  もう自力では起きあがれなくなっているのに、
  彼女は、たえだえの息で風子の身を案じてくれているのだ。

   こういう友人を与えてくださったことを神に感謝し、彼女のために風子は祈りたい。

ずぶ濡れ

2011-08-24 10:46:22 | 健康
   それにしても昨日はよく降った。

   雨が小やみになったのを見計らって、近所のクリニックへ向かった。
  途中で土砂降りになり、なぜかスカートの後ろ側だけがびっしょり濡れた。
  しぼれるほどだった。

   今さら引き返せないので、そのままクリニックへ行った。

   先生の前で、椅子が濡れては悪いので、失礼します……と断り、
  スカートをぐるりと回して、濡れていない前側をお尻のほうにして座った。

   先生は、あはははは……と大きな声で笑った。

   痛い人や気分が悪い人が来るのだから、
  お医者さんはあまり笑ったりしないほうがいいのにと、
  頭痛気味の風子ばあさんは、ちょっと恨めしく思いながら、
  あ~ん、と口を開けさせられた。

見送り

2011-08-22 16:08:54 | 俳句、川柳、エッセイ
   夏休みも残り少なくなった。
  お盆を中心に、帰省ラッシュの風景はテレビでも度々映しだされた。
  新幹線の中から、ホームのジジババに泣きながら手を振る幼児の姿があった。

   存分に甘えたジジババとの別れを惜しむ幼い泣き顔は実に愛らしかった。
  こんな小さな子供にある別れの胸のうちとはどんなものだろうかと思った。

   駅から列車が離れる瞬間は子供でなくても物哀しい。

   しかし、同じ別れでも、飛行機の搭乗口へ見送る際の別れは情緒がない。
  手荷物をトレーに入れて、ショルダーバックを肩から外して、
  ペットボトルはないですかと問われ、係員に急かされ、あそこではまず泣けない。

   新幹線のホームでは、ピーと笛が鳴り、スルスルと車体が走り出すから泣けるのである。

   昔の列車は、走り出す速度がもっとずっとゆっくりだった。
  だから見送る方はホームを走って列車のあとを追い、列車の窓から身を乗り出してはハンカチを振り、
  今よりいっそうみんな涙もろかったような気がするけどどうだろうか。


レストラン ゆずの木

2011-08-20 14:53:39 | グルメ
   姪浜にある「ゆずの木」は、
  社会福祉法人が経営する就労支援のレストランである。
  営利が主目的ではないから、大変良心的なお店である。

   無農薬野菜を使った健康ランチは数種類のおかずがセルフ式でお代わり自由である。
  ご飯は雑穀米と白米が選べるし、ワンドリンク付きで880円。

   風子ばあさんはこのお店がお気に入りである。
  就労支援が目的だから、お客は「食べるボランティアさん」と大事にされる。

   いつもは健康ランチひとすじの風子ばあさんだが、
  先日は連れがいて、彼女は880円の天ぷらそばを頼んだ。

   少しお時間がかかりますがよろしいでしょうかと訊かれた。

   いっこうにかまいませんと答えると、
  やがて蕎麦に添えた皿に大きなエビと白身の魚がどで~んとやってきた。

   すごいねえ、とのけぞるほど立派な天ぷら蕎麦だった。
  運んできたウエイター氏は、
  「このあと、お野菜のてんぷらもまいります」と告げた。
  
   へえ、と言うまもなく、別皿に盛られてきたのは
  ニンジン、春菊、なす、さつまいも……などなどで、
  思わずぎゃはははと笑った。

   まだご存じない方は一度食べるボランティアさんになってみてください。
  パーティやお弁当も引き受けてくれるようです。

才能

2011-08-19 21:44:27 | 俳句、川柳、エッセイ
   若いころは、とかく人間は等しく皆同じ能力を持ち、
  努力をすればなんとかなる、と思いがちである。

   自分が齢をとってようやく分かったのは、
  人間は生まれながらにして能力というのが決まっているということである。

   よく、各人それぞれに違う才能を持ちあわせているというが、これもどうだろうか。

   天は二物を与えずというが、そんなことはない。
  まあ、バカと天才紙ひとえ的な人もいるが、
  えてして一つ才能があるひとは何をやってもひと並み以上という場合が多い。
  二物も三物も与えられていて、神様はけっこう不公平なのである。

   では、凡人は努力しても無駄で、努力しないでいいかといえばそうでもない。
  平凡な人間は、努力してようやくひと並みということだからである。

   では、才能に恵まれた人の生涯が幸福で、凡人は不幸かといえばこれもそうでもない。

   美人必ずしも幸福が保障されていないのと同じで、
  天才必ず花開いて満たされるかと言えばそうでもない。

   齢をとると、こういうつまらないことを、うつらうつらと思って日が暮れるのである。

他人の記憶

2011-08-18 10:07:45 | 俳句、川柳、エッセイ
  人は貸した金品のことは忘れないが、
 借りた方はとかく忘れがちである。
 形のない恩義やちょっとした頂き物など、なおのことである。

  言葉のやりとりもそうで、
 相手の軽い冗談を、皮肉と受けて生涯忘れない……などという人もいる。
 言った方は忘れている。

  ずっと若いころ、食べざかりの子供がいるので家計が大変、
 牛肉なんかめったに食べない……と風子ばあさんは言ったそうである。
 自分では忘れている。

  それに、我が家は格別に肉好きな一家というわけでもないから、
 これはおそらく若かった風子の多少おおげさな話のなりゆきだったのだろう。
 ごくふつうのやりくりはしたが、とくに日々の暮らしに事欠いた覚えもない。

  しかし、相手は、牛肉なんかめったに食べないというそこのところだけを、
 くっきりと覚えているらしく、何年振りかに会ったとき、
 「このごろ、牛肉食べられている?」
  と真顔で訊く。

 「へっ?」
  こちらはすっかり忘れていて、なんのことかわからない。
  ああ、そういうことだったかと、
 「ええ、なんとか食べていますよ」

  と言ったら、次に会うと、
 「世の中厳しいけど、頑張ってね」
  などと慰めてくれる。

  風子さんは貧乏……のイメージは彼女の中で凝り固まってしまっているのだ。
 マア、この程度のことは一向に構わないが、
 他人は口に出さないあれこれをそれぞれの記憶に持っているのだと思うと空恐ろしい。