風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

6月の西瓜

2018-06-25 22:02:23 | 友情

  大きな大きな西瓜を友人が届けてくれた。

西瓜は真夏が旬と思う人がいるけど、

ほんとは6月が初生りで一番おいしいそうである。

7月8月になると、2番生り、3番生りになるのだと業者に言われたとか。

   

 

 

 


親しいひと

2018-04-06 11:44:34 | 友情

 3日にあげず電話をくれる人がいる。

風子も待っている。

電話がかからない日は心配もするし、寂しい。

 その人は、ただいま、旅行中で、昨日今日電話はかからない。

なんだかほっとしている。

 いなくなっては困る、死なれたらもっと困る。

旅行中で電話がかからないのは、一番いい。

 あれ? これってなんだろう。


訃報

2014-11-23 11:43:42 | 友情

 

喪中挨拶が届く昨今である。

中学から高校まで一緒に進んだ友人の死を昨日知った。

中学生になったときから、伯母の家の養女になったひとである。

三人姉妹で、真ん中の自分だけがなぜ養女に出されたか、

彼女は悩んだ。

養家の伯母を看とったあとの晩年は、一人で寂しかったはずである。

 

宅配の弁当業者が、異変に気付き、通報して中に入ると

玄関近くで倒れていたという。

服用した薬などの状況から、死亡は前日。

解剖の結果は、心筋梗塞。

治療は受けていなかったが、

心臓への血管がかなり狭くなっていたそうである。

 

喪中挨拶は、養家の兄でなく、実家の妹の名前で届けられた。

妹さんに電話をすると、

一人で死なせて可哀想なことをしたとしきりに悔やまれていたが、

数奇で、孤独な人生を生きた彼女に、

悔やんでくれる肉親がいてよかったと私は嬉しかった。

仲良くしてました、と実妹は言った。

お墓も、実母のいる墓に入り、

いずれ私たちも一緒に入りますと妹さんが言った。


台所

2012-08-28 22:39:16 | 友情
             台所にいて、ふいとM子さんのことを思い出した。

          ひとまわり年上のM子さんの家をはじめて訪問したときのことである。

                  待ち合わせの交差点で待っていると、 
              坂の上から転がるようにして自転車で疾走してきた。
             あぶないなあ、そんなに急がないでもいいのにと見ていた。

                 風子は、今あのときのM子さんの齢になった。

                案内された玄関先に見事な梅の花が咲いていた。

                その時はまだこの家の間取りなど知る由もなかったが、
           どっしりとした洋風の応接間も、欄間のある和室もあって広い家だった。

                   しかし、彼女が風子を招じ入れたのは、
                  食器棚を背にした小さな食卓のある台所だった。

                   流し台には洗い桶があり生活感にあふれた、
                 彼女の日ごろの暮らしぶりがしのばれる場所だった。

                   彼女は、ああ恥ずかしい! と笑った。

               「でも、今日は寒いからね、狭いけどここが一番暖かいのよ」と言った。

             とかく人は見栄を張る、はじめて来た人には一番立派な部屋に座らせたい。
                   ……しかし、彼女はそうでなかった。
              恥ずかしいけど、寒いところ来てくれたのだから、一番暖かいところ、と。

           それまでも尊敬する先輩として接していたが、これで、ますますM子さんが好きになった。

                      後日、この日の礼状を書いた。
                  まだ携帯電話はどちらも持っていなかった。
               むろんパソコンなどもなかったから、もっぱら葉書をよく書いた。

              よせばいいのに、凛と咲いた玄関先の梅の花に彼女を重ねた一句をひねり、
                     それを葉書に添えた。

                すぐに返事が来て、風子の句は、ケチョンケチョンにけなしてあった。
                   これもまた凡人には中々真似の出来ないことである。

                        ますます彼女が好きになった。

                今は遠くにいるが、離れていてもM子さんを生涯の友と慕っている。



今生の別れ

2012-07-06 15:23:26 | 友情
       東京から来てホテルに滞在中の友だちと、博多駅で待ち合わせた。
 
      相変わらずの美人ではあるが、20年という歳月は隠しようもなく、
         道ですれ違ったら判るだろうかと首をかしげた。
 
    変貌はお互い様のはずだが、風子さん、変わらないわねえ、と言ってくれたので、
           あなたも、ちっとも……と言った。

       こういうときに、真実を語るのは、必ずしも誠実とは限らない。
     お互い、口に出すまでもなく、胸のうちは語らずとも分かりあっているのである。

           駅ビルのなかの中華料理店で食事をした。
          遠来の客なので、風子は奢るつもりでいたが、
            彼女は頑固なまでにワリカンを主張した。

           そうか、今生の別れになるかもしれないのに、
     カリを作りたくないのかもしれないと、彼女が望むようにワリカンにした。
 
          もうこれが最後かもしれない……、
       これも互いに口には出さず、またね、元気でね、と言い交わした。

        齢をとって、さようなら、と言う挨拶は寂しすぎる。

      店の外に出て、テーブルの横に傘を置き忘れてきたことに気付いた。
           ちょっと取って来るわと言うと、
        「いやあねえ、風子さんったら、オッホッホホ」と笑われた。
          
          今生の別れらしからぬ展開に、小さくなって店内に戻った。
         さっきまで座っていたテーブル脇の自分の傘に手をかけ、
             ふと足もとを見ると、
    ビニール袋に入った折りたたみ傘がもうひとつあるのに気づき、持って出た。

        「ひょっとして、これ、あなたの?」
        「あらあ。そうよ、わたしの」
     
     これもお互いさま。今生の別れが笑いでしめくくれて、よかった、よかった。

連休

2012-05-06 17:02:35 | 友情
            連休は若者のためにあるのだから、
     この時季は、ジイサンバアサンは黙って引っ込んでいた方が身のためである。
 
        で、風子ばあさんにしては珍しく、ずっと家で過ごした。

   しかし、二日三日目くらいまでは、まだいいが、四日五日とつづくと、休日にも飽きる。

           カナちゃんやクミちゃんどうしてるかなあ、
   一緒に遊ぼって誘いたいけど、お客さんかもしれないしなあ、孫が来てるかもなあ……。
           連休だもんなあ、誘ったら悪いよなあ。

         でも、今朝、起きぬけに二人にメールした。


        連休も今日までですが、いかがお過ごしですか。 長いねえ。
            いささか休みにも飽きました。
          今日は映画でも行こうかと思っています。
      ベイビーズ、世界の赤ちゃんのオンパレード、カッワイイ映画です。

             すぐにカナちゃんから返信があった。
              「ご一緒していいかしら」

             クミちゃんからの返信も入った。
   「夫も早う行っておいでって、すすめてくれます。夫も二人でいるに飽きたようです」

           ウフフフ、映画のあと三人でランチをして帰ってきた。
              

記憶

2012-02-20 17:17:38 | 友情
      毎週会っているクミちゃんからの古い手紙が出てきた。
     便箋三枚の入った封筒を見るまで、貰った記憶がないのである。

      綺麗な文字でびっしりと書いてある。

       毎週、毎週、姉妹以上に顔を合わせているから、
    わざわざ手紙など交わす必要もないはずなので、え、なんだろうと、
   広げてみたら、20数年前に風子が入院したときの見舞状であった。

        クミちゃんも驚いて、
        うっそ! 私があ? 

     書いた私も忘れてた……、と両方でげらげら笑った。

     見舞いに行かなかったから書いたのかなあ、とクミちゃん。

       ううん、違うよ、来てるよ、
     病院へ行ったら、楽しい入院生活のようで
    安心しましたって書いてあったよ。

     人の記憶はこうも曖昧なものかと両方で驚く。

      いやだなあ、捨てといてとクミちゃんが言うから、
         はいはい、そうしますと答えたが、
         友情にあふれた貴重な手紙だからね。
       たとえクミちゃんのお願いでも、捨てたくない。
       
          何度も読み返してまた仕舞った。

         かくして、終活は一向にはかどらない。

サイン帳

2012-02-18 22:25:19 | 友情
      アルバムに続いて、押し入れの中の古い手紙の整理を始めた。

        自分でもまったく忘れていた60年も前の、
         中学卒業時のサイン帳なども出てきた。

        山の好きな風子さんが、いつか富士山に登れますように、
          というのから、
        歌の上手な風子さんの声を忘れません、
          などというのもある。
        今となっては、ハテナと本人が首を傾げる。

        私と風子さんは、切っても切れない親友です、
         と書いてくれたのはセキチャン。

       遠く離れて暮らすから、会う機会はめっきり少なくなったが、
         数年前に上京したときは、
    待ち合わせた地下にあるレストランの入り口がわからないといけないからと、
         舗道で待っていてくれた。

       セキチャンは風子の知りあいの中で、
        もっとも上品な奥様である。
     
      彼女は、子供のころから、自分のことを、
       ワタクシとしか言わなかった。
      風子の母のことは、オバサマと呼び、
       別れるときは、ゴキゲンヨウである。

      これがサマになっていて不自然でないのは、
        風子のまわりで、あとにも先にも彼女くらいなものである。
 
      ベランメエ調の風子とはちぐはぐコンビで、
        これが意外と相性がよかった。

        楽しかったよね、セキチャン。

   どうするかなサイン帳、捨てるかなあ、と一向に整理は進まない。
      終活も思った以上の難事業である。

不器用

2011-12-20 15:11:18 | 友情
       半年ばかり夢中になったミシンは、
      その後長いこと押し入れの中にしまいっ放しになった。

       何年かして、出したら、動かなくなっていた。
 
       ミシンにはよくよく縁がないのである。

       でも、風子には、ありがた~い友だちがいて、
      スカートの裾あげや、
      ちょっとしたミシン仕事ならすぐに引き受けてくれる。

       しかし、いつもいつも彼女をあてにしているのでは申し訳ない。

       自分で出来ることは自分でしようと、
      風子が不器用な手仕事をすると、すぐに彼女は気がつく。

       風子さん、はじめから何もしないで、うちに持っておいで。
      なまじ、中途半端なことをされるより、
      はじめから私がする方がいいから、と言われる。

       私が生きてるうちは私がしてやるけん、
      もう、ミシンなんか買いなさんなと、言ってくれる。

     ありがた~い、ありがた~い、風子ばあさんの女房みたいな人である。


同窓会

2011-12-15 20:12:32 | 友情
      仲良しのカナちゃんの出身校はミッション系なので、
     毎年この時季、クリスマス会を兼ねた同窓会がある。

      風子ばあさんは長年生まれ故郷を離れているから、
     同窓会を知らない。
 
      同窓会に憧れる風子ばあさんを、
     カナちゃんは自分の同窓会に誘ってくれた。
    
      いつもトリオを組んでいるクミちゃんもお相伴となる。

      他人の同窓会に行くのもどうかと思うが、
     パーティに先立ち、キャンドルサービスのクリスマス礼拝、
     プレゼント交換も一緒に楽しませてもらった。

      あつかましくも三人で、ギターまで弾いてくる。
     来年も来ていいよと、幹事さんが言ってくださる。

       風子ばあさんには、ほかに誇れる何もないが、
      友情にだけは恵まれた人生だったと、
      心からカナちゃんとクミちゃんに感謝する。

       ああ、今日は楽しかったなあと、
      にわかクリスチャンは、
      讃美歌を口ずさみながら帰途についたのである。