熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

風越山ー友と父と

2011-11-24 21:42:25 | 

勤労感謝の日、友人と風越山に登る約束をしました。

朝、父に「風越山行く?」と聞くと、

「行ってもいいが・・・」の返事。

  

午後から雨の予報、しかも友は山頂まで行ってみたいと言う。

(父と私は山頂まで行けなくてもいいや・・・ゆっくり行ける所まで行こう・・)

と思いながら歩き始めました。

 

山はもう紅葉も過ぎ、枯れ葉が登山道を埋め尽くしていました。

虚空蔵山を過ぎ、矢立木を過ぎ、奥宮までもう少しの展望台まで来ても父は他の人と同じペースで黙々と歩きます。

   

南妙法蓮華経の文字が彫ってある大きな石を越えるともうすぐ奥宮に到着です。

  

奥宮近くには10本ほどシャクナゲの木があります。

2mくらいに育ったシャクナゲ・・・

私達が風越高校の山岳部にいた頃植えた木です。

・・・なので樹齢は35~40歳くらいですか?

植えた時30cmくらいだったので、数年前シャクナゲ探しに行った時には、

大きくなり過ぎていて見つける事ができませんでした。

低い所ばかり探していたので・・・・。

自分の背丈よりずっと高くなっていました。

大きくなるはずでした。

私もすでに半世紀を生きたから・・。

  

白山神社奥宮の仁王門、

今まで中を覗いた事がなかったのですが、中には小さな神様がいました。

 

奥宮から奥の院までは、結構険しい所があり、ロープにしがみついて登って行きます。

父は顔色も変えず、むしろ得意気。

  

それにしても、父は日々体力がついているような気がする・・

今日の山行きは私よりも余裕がありそうな感じがして、

特にこの鎖場などは「じいちゃん、気を付けてね」と声を掛ける私に

「気を付けるのはお前だろう・・」と言われそうでした。

 

風越山山頂に着くと父が言いました。

「人生は重い荷を背負って、長い路を行くが如し。急ぐべからず」

自分に言っているようにも、私に言っているようにも聞こえました。

「誰の言葉?」私が聞くと

「家康だ」・・・って。

(私は重い荷を背負って長い路を歩く事が嫌いじゃない。家康の言葉が本当なら楽しい人生を送れるかも・・な。

体力だけはつけておかなくちゃ。)

 

山頂を少し下ると、大きな岩に

「秋風や 狗賓の山に骨を埋む」という日夏耿之介の句碑があります。

 

この、歴史と信仰が生き続ける風越山が飯田人の誇りです。

山頂で今年初めての雪が降って来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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コメントありがとうございました (上田屋のし店)
2015-06-02 17:31:43
浩之介さん、コメントをありがとうございました。

風越山はたくさんの飯田の人たちの思い出を見つめて来たのですね。浩之介さんのコメントを読ませて頂いて感動し、改めて又いろいろな事を思い出しました。一人で行ったり、友人と行ったり、家族で行ったり・・私も虚空蔵山から南アルプスを眺めるのが好きでした。

今年90歳になった父は、もう山頂まで行くのは無理かもしれません。もう一度ブログを見て、その時の事も思い出しました。
たくさんの思い出を作ってくれた風越山に感謝です。
飯田の大切な山ですね。
「南無妙法蓮華経」・・・ありがとうございました。
直しました。
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風越山の思い出 (浩之介)
2015-06-01 22:21:36
 風越山の奥の院の岩倉の写真がないかと検索して、このページに来てその写真を見せてもらい、感慨にふけっています。
 小学生のころに友達や愛犬と何度も登って、あの岩の上でお弁当を食べたりしましたが、ある時親から「日夏耿之介の碑を見て来たか」と問われ、エッ?そう言われれば途中の山道で地面に埋めた二、三十センチの道標に明朝体で、「日夏耿之介の碑」とか彫り込んであっかなと思い出し、「見たよ」と答えたのですが、大人はどうしてあんなつまらないもののことを聞くのだろうと思ったものです。そのうちに奥の院の岩の崖側に大きな読めない字が彫ってあるのを見つけたのでしたが、疎い子どもの私はその字と「日夏耿之介の碑」とを結び付けることはありませんでした。それよりも、岩の割れ目に数メートルもあるツララが下がっているのを見たことがあります。それも季節は春先のころで、太さは一抱えほどもあり、あり得ないことに苔さえ生えていたようにその時から記憶しているのです。
 風越山登山はたいていは夜に出発して、中間の見晴らしの良い虚空蔵でご来光を待つ間、飯田の(今となっては旧市街の)夜景を俯瞰しました。碁盤目に並んだ街灯がミニチュアのような街筋を示し、その色で町名までわかったものです。次第に明るんで、曙光がさす頃にはいつのまにか立ち昇った朝霧が足元から雲海になって、目の下を埋め尽くし、大海原の果てに半島のように浮かぶのは赤石山脈の峰々です。(この雲海の景色の感動はチョット比類ないもので、これが手軽に味わえるのは飯田の隠れた観光資源だと思うんですが。)
 ある時はご来光を待つ間、友達が毛布に包んで持ち込んだ空気銃で空き缶の射的をしたり、先に陣取っていた大人たちのジンギスカン鍋の仲間に入れてもらったりしました。藪の中を先に駆け上っては駆け下りてくる雑種の愛犬が、下山する頃に変な歩き方をしているので調べると、四肢の肉球が全部破れてしまい、突く足がない状態だったこともあり、小学校の遠足では虚空蔵での休憩時間に親友と延命水まで遠出して集合時刻に遅れ、コツンコツンをやられたり、後から後から思い出がよみがえって来るのです。

(ところで、これは本文ではありませんが、あの髯文字は「南無妙法蓮華経」のようですよ。)
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