熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

飯田線で-1

2012-03-12 13:32:27 | 風景

長野県の最南端、天龍村の伊那小沢駅の桜が咲いたという記事が新聞に載りました。

長野県、特に南信地方は車社会で電車には通学の学生さん等が乗るくらい、

私もほとんど乗った事がありません。

特にこの飯田線、天竜峡から豊橋間には、鉄道愛好家の人達には人気の秘境の駅が幾つかあったり、

トンネルの多い事でもよく知られています。

 

同じ南信州に住んでいながらなかなか乗れない飯田線に乗って、

長野県に一番早く春を告げた桜を見て来ようかな?・・と計画を立てました。

 

飯田駅8:47分発の天竜峡行きに乗り・・(真っ赤なりんごをイメージした飯田駅です)

 

天竜峡に9:11分着 

ワンマン電車の乗り方が分からずどきどき。

時々流れる親切なアナウンスでは、

「ドアは自動で開きません。ドア横のランプが点灯したら開くのボタンを押して下さい」

大丈夫かなぁ・・・。

9:22分発の中部天竜行きに乗り換えました。

 

私の乗った車両には誰も乗ってなくて・・

これから無人駅が続くのに・・ちょっと心細い。

何人かの鉄道愛好家の人が乗ってくれたのでほっとしながら・・外を見ると、

外の景色は、トンネルとトンネルの間に天竜川がフラッシュの様に目に飛び込んで来ます。

この天竜峡~佐久間は、

「地盤が脆い急嵯な山岳地帯が天竜川峡谷に迫る中央構造線に沿った山間部で、当時は「魔の渓谷」と呼ばれていた」と飯田線に関する資料に書かれていました。

地元住民の私などは、この辺りの地形を知っているがゆえに、この地域に線路を通す事の困難さは想像を絶します。

   

資料の中には「川村カネト」というアイヌ人天才測量技師の名前が出て来ます。

1926年(大正15年)に天竜峡入りしてから 

地形が厳しい上に軟弱な地質でその上水害なども重なり、困難を極めた工事が完成する1937年(昭和12年)まで、

川村カネト氏は命がけで測量、監督に当たり完成させたのだそうです。

一人のアイヌ人無くしては、この地に鉄道はなかったわけです。

  

トンネルの数を65まで数えた頃、目的の一つの駅(中井侍)に着きました。

10:08分、一人の鉄道ファンの人が下りた他は私一人で、

次の飯田行きが来るまで1時間15分ほどあります。

 

電車が豊橋に向かって行ってしまうとぽつんと、駅と言うか・・ホームというか、

うん、やっぱりホーム・・に残されました。

この1時間どうしようか?

 

   

この近くに中井侍の集落があるみたいです。

私は細ーいホームを出て、とりあえず下には天竜川しかなく下りても行けそうにないので、上の方に向かう事になります。

さすが、長野県で一番南の端、

フキノトウも顔を出していたし、まだほんの0.5分咲きではありますが、桜も咲き始めていました。

 

 

駅を出てすぐ近くに住んでいる方が、

「上の方に行くと景色がみえるに。」と教えてくれました。

 

下に線路が見えるのが分かるでしょうか?

 天竜川と山に挟まれた狭い所に駅が見えます。

つづら折りの坂をもう少し上って行くと眼下に天竜川が見え、40度近い斜面に作られたお茶畑の間に

何軒か家がありました。

    

急な斜面で畑仕事をしていたおばあちゃんに出会いました。

「こんにちは」と声をかけると

「こんな90歳になるようなおばあを撮ってもしょうがないに」って、仕事の手を休めて話してくれました。

「90歳には見えんに。

こーゆー所は若い娘は似合わんで、おばあちゃんだもんでいいんだに」って・・私も答えました。

やっと人と話せたのでとても嬉しく感じました。

 

 

 

 

 

コメント
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