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Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

「オタク」で何が悪いのか。

2018年01月27日 | 日記

本日は午前中、図面を描いて、午後からは
スキルアップセミナーの講師で図面の描き方を
教えて、帰ってきて、またもや図面を描く。
 
今やっているのは、手伝いの図面を描いているので
あるが、この建物が面白いので描きごたえがある。
というか、難しいので楽しい。
変な表現なのであるが、難しいのに楽しい。
 
楽な図面の方が簡単ですぐに進むし、やった感がある。
でも、難しいのが好きなのである。簡単に終わる図面は
面倒な作業になってしまうときもあるぐらいなのだ。
難しいのは考えないと描けないし、なかなか進まない。
でも、考えないと描けないのが楽しいのである。
 
なんでこういうことが起きるのか?
 
建築が好きな人というのは多かれ少なかれ、そういう面が
あって所謂「オタク」という種族に属するのではないか。
と、ひそかに確信をもって思うのであって、「大衆文化」の
一種である「ケンチク」をこよなく愛し、大切にしている。
そうなのだ、ボクらは「オタク」であったのだ。(笑)
 
だから世間からは、あまり理解してもらえなく、「ちょっと
変な人」的にみられるのではないか。
 
ならば開き直って言おう。「オタク」で何が悪いのか。
 
「オタク」が大衆文化を支えているのではないか。
「オタク」がいるからこそ、深く掘り下げるのではないか。
「オタク」以外に拘りの塊のようなことは出来ないのではないか。
「オタク」が新しい文化を切り開くのではかいか。
「オタク」を極めると充実した時間を過ごせるのではないか。
「オタク」は愛すべき人種ではないか。
  
と「オタク」のことを力を込めて考えた。
 
「オタク」は確かに楽しいが、ほどほどの人生の方が
もっと楽しいような気がする。(笑)
「オタク」に憧れながら、徹しきれない自分がいる。。。


気になる「タマネギ」の苗

2018年01月26日 | 日記

今年に入ってから六甲菜園にいっていない。
平地の豊中でも寒いのに、山間の六甲は
とても寒いはずなのである。
 
特に何も植えていないのであるが、気になる
のが、「タマネギ」である。
「タマネギ」の苗を200植えている。
種から育てた75苗と買った苗100と買った、
赤タマネギの苗75である。
タマネギマルチで植えているが、トンネルで寒さ対策を
した方が良かったかなと少し後悔。
 
種から育てた苗はあまりにも細くて六甲菜園の
過酷な寒さに耐えられないと思うので期待していない。
買った苗も年末に行ったときには、どうも土地に
定着していないようで何となく浮いていた。
ただし、「タマネギ」はスパルタに育てるのである。 
 
今年の春には「タマネギ」の豊作でウハウハ気分を
味わえると思っていたのであるが、現実は厳しい。
 
菜園をやっていてつくづく思うのはプロの農家の
方は大変だということである。
天候などにすごく左右されて、日照時間で育つか
どうか決まるという天候任せのところは非常に
辛いのではないか、と思う。
 
やはり太陽は偉大だ。今日も寒く雪が降っていたが、
日が当たるところは暖かかった。

うちのベランダは西側にあって午後からしか日照が
無いのであるが、どうもいまいち植物が育たない。
4階なので風が強いのもあるかも知れないが、
今年は、プランターで上手に育てられる方法を
調べないといけないと思っている。
 
あ、そうそう珍しいイチゴも植えているので
そちらの方は、できるのが楽しみである。
 


バスは利用しますか?

2018年01月25日 | 日記

本日はgooブログのお題というものに
アップしてみようと思う。
gooの方で題を決めてそれに沿って記事を
書くということである。
要するにネタが無いということである。(笑)
 
バスという題を選んだのでバスについて書く。
京都に住めばわかるのであるが、バスは日常の
交通手段である。市バスはあらゆるところを
走っていて、市内のほとんどのところにいける
ようになっている。
 
そして終バスになると行先のライトの色が変わり、
もうないからね~と教えてくれる。最近のバス停は
とても親切になっていてあと何分で来るというのが
わかるようになっている。
 
そんな市バスであるが、夜にのると車内は薄暗くって
何となくみんな無口で哀愁が漂う。
それが、また京都の寒い夜にあうのである。
もともと東寺の近くに住んでいたので、五重塔の横を
通ると、薄暗くライトアップしている五重塔も
バスの車内の薄暗さとマッチして哀愁を漂わす。
 
しかし、明るいウキウキバスというものもある。
勝手に名前を付けただけだが、冬の雪が積もる日本海の
方へのカニ食いツアーのバスである。こちらは猿のように
アルコールを飲み、カニ食い目的のウキウキバスなのである。
まあ、2回ぐらいしか行ったことないのですが、
運転の心配もないし、気楽なバスツアーとなる。
 
そういえばサラリーマン時代の慰安旅行と言えば、バスを
借り切っての旅行であった。そうだ、バスと言えば旅行である。
 
バスというのは日常で使うときと、旅行で使うときと
全く別の顔になるという、不思議な乗り物なのである。


 


過去は変えられるのか、という視点

2018年01月24日 | 日記

どうも風邪がすっきり治らない。
なんか微熱が続く。一万歩もちょっと休憩。
だけど来週の月曜日は友人と伏見稲荷大社に
いく予定なので、それまでには体調を整えて
おかねばいけない。伏見稲荷はずーと山奥の方まで
いって帰ってきて喫茶店でモーニングを食べる
という健康的な企画なのである。
 
さて、今日は平野啓一郎さんがテレビで
気になることを話されていたのでメモ代わりに
アップします。
 
「過去は変えられるのか」という題で30分
ぐらいの番組であったのだが、とても興味がわいた。
簡単にいうと「過去→現在→未来と時間は流れて
いますが、矢印を逆にして考えることもできます。」
という話である。
 
過去があって現在があり、そして未来へとつながると
いう考えが普通であるが、未来を知ることによって
過去への考え方が変わるというのである。
 
「花の姿を知らないまま眺めたつぼみは、知ってからは
振り返った記憶の中で、もう同じつぼみではない」
ということは、未来を知ってしまってからの過去は
変わるというのである。以前の過去と違い、未来を
知っているからこそ、過去の印象が変わるという。
 
「どんな出来事もすべてを知った上で進んで行くわけ
ではなく、自分も世の中も変わって過去も変わる。
凝り固まった自己イメージにとらわれず、因果関係の
中に閉じ込められることが無いようにしたい。」
 
どうだろうか。今まで考えたこともないけど、過去は
未来を知ることによって印象が変わる。現在と同じように
揺らいでいる。過去は変わる。過去は固定されたこと
ではなく、未来や現在に置かれた状況により、変わって
しまうのである。
 
過去に嫌なことがあって、そのためにトラウマになって
現在、出来ない事であっても、それをはねのけて、
やってみたら、案外うまいこといって、それは過去に
失敗したから慎重に物事を運んでうまくいった。
ってなことに変わるかもしれない、ということかな。
など、勝手に思ってしまう。
 
まあ、過去が変わるとは思いもよらなかったけど、
真剣に考えている賢い人がいて、本当に変わりそうな
気がするから不思議だ。
作家って、面白い視点から物事を考えるなあ~と
つくづく思うのであった。 

 

 


昼の顔と夜の顔

2018年01月23日 | 日記

昨日が最後の授業であったが、その前の週に
ファカルティというものを実施した。
学生の授業に対するアンケートのようなもので
その中には講師に対する評価も含まれている。
 
これが、昼間の学生にはそこそこの評価を
もらえるのであるが、二部の夜の学生からの
評価は低い。夜は昨年が初めてであるから、
今期で2回目になるのであるが、どうも評判が
よろしくない。今期の分は後日メールで学校から
送られてくるのであるが、期待していない。
 
同じ人間が教えているのに何が違うのか、少し考えた。

昼は「環境工学」という日常から離れた分野の
講義で、日頃は使わない言葉などもあるので言葉の
意味から詳しく教える。
 
夜は「建築施工法Ⅰ」という身近にある現場の話で
ある。身近にあるので見ようと思えば、見られるので
詳しく教えるというより、興味が出るように話を
している。わからない言葉があれば、調べろよ、
という感じで教えている。
授業のなかで一言でも覚えていてくれたらいいかな、
という思いで話をしている。
 
内容的にはこっちの方が面白いと思うのであるが、
評判はよくない。テキストに書いてあることなど、
読めばわかることをいちいち説明しても仕方ないので
テキストに書いてないことを話する。
そうするとファカルティ的には評価が悪い。
 
授業内容なんて卒業したら覚えてなくて、それよりも
印象に残った言葉の方が覚えているもので、
出来るだけそういう話をしようと思うのであるが、
中々、伝わらない。
 
話を聞いてわからない言葉があったら、メモしておいて
調べたら、と思ってしまう。興味ある言葉が出たら、
調べたら、となる。わからんかったら、もっと聞きに
来たらいいのではないか、と思うのであるが、
そういう不親切な授業は駄目なのであって評判は悪い。
 
専門学校は義務教育ではないし、基本的には学びたくて
来ている人たちだと思っている。中にはそうではない
人もいるのであるが、そこら辺のレベル設定が難しい。
積極的な人もいれば、資格のため等で消極的な人もいる。
 
昼の学生は専門学校を卒業して即戦力など言われながら
活躍していくことになる。夜の学生はすでに昼間に
働いている人がほとんどで、資格のためにくる人が多い。
他には建築を学び直そうと思っている人たちである。
 
ボクは、義務教育を卒業してからの学校とは、如何に
興味を持たせてくれるか、どれだけ追求できるかという
ことが大切であって、それが将来的に続けられる分野に
なるのだと思う。
 
就職しても、そういう理解のある企業であれば、若しくは
興味を持てる分野であれば続けられると思う。
これは理系に限られているのかも知れない。
でも、人間なんて そうそう変わらないであろうから
理系も文系も何でも関係なく、興味あることは深く知ろう
とするし、時間を割いてでも調べる。
そういうもんだと思う。
 
それを極めると「マツコの知らない世界」に出演すると
いうことになる。そういう人たちが好きである。(笑)