「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

BPDの人の身体接触欲求 (2)

2008年08月16日 21時27分16秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55533836.html からの続き)

 BPD患者が 治療の場面で 身体接触欲求を訴えたとき、

 治療者はそれに 直接応える代わりに、

 その欲求の背後にある 辛い気持ちを癒す 手伝いをすることが求められるでしょう。

 患者が 内面の空虚感を埋め合わせるために この欲求が出てくるとすれば、

 他の有意義な方法で 埋め合わせを探していくのです。

 例えば 治療のなかで、身体接触欲求の代わりに

 「自分は何者か、何ができるか」 などの 同一性の葛藤が出てくれば、

 自分のイメージや位置づけ,他者の意味などを 検討していきます。

 自分のペースを 取り戻せるようになれば、徐々に安定していき、

 身体接触欲求も訴えなくなって、社会的に自立していくこともできます。

 治療者が 患者の身体接触欲求に応えて、

 手を握ったり 母親のように抱いたりすることは、

 治療的な意味がある一方、多くの異論もあります。

 身体接触によって 患者は一時的に満足し、その快感におぼれるため、

 病因を探って改善することが 妨げられるといいます。

 このようなジレンマは、重症の患者の場合 特に問題になります。

 欲求を制止すると、人間的な暖かさなど 必要な要素が失われてしまうので、

 治療の制限設定はかえって 治療を妨害することもあります。

 従って、制限を設定することと 欲求を満たすことの バランスが必要です。

 そのジレンマを乗り越えるために、共感などの 感情的な対応も重視されます。

 子供のレベルになっている 患者に対して、

 理性的な解釈をする前に 感情的な受容をします。

 患者の現実感の乏しさや 孤独感を認め、共感することによって、

 内的世界の欠損に対応する きっかけがつかめます。

 そうして その先の、理性的な交流に 引き継いでいきます。

 患者と治療者との 現実味ある関わりを育んで、

 患者が 「対象を発見して、自己を見いだす」 ことを 実現していくのです。

〔 「パーソナリティ障害とむきあう」 林直樹 (日本評論社) より 〕
 


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