蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

映画"おくりびと”アカデミー賞、おめでとう!

2009-02-24 01:29:05 | 日常雑感
 2月23日(月)雨のち晴れ。暖。

『MSN産経ニュース(2009.2.23 14:16)
【アカデミー賞】「映画は言葉を越え、国を越える」 「おくりびと」の滝田監督
 アカデミー賞の外国語映画部門を受賞した「おくりびと」は“納棺師”という仕事を通し、人間の生死という普遍的なテーマを問いかける作品。モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得するなど、国内外で高く評価されている。
 「この賞は半分は主演の本木雅弘さんのもの。すばらしいスタッフが、みんなこの映画をさぐりながら、理解してくれた。海外の言葉の通じない人たちにこの映画が通じたということは、うれしいことです。映画は言葉を越える。国を越えることがわかった」
 受賞後の会見で滝田監督はこう喜びを表現した。
 アカデミー外国語映画部門の受賞は1956(昭和31)年の稲垣浩監督「宮本武蔵」以来4度目で、日本人監督作品では76(同51)年の黒沢明監督の旧ソ連作品「デルス・ウザーラ」以来となる。
 物語の主人公は上京してオーケストラのチェロ奏者となった大悟(本木雅弘さん)。
 ところがリストラで転職を余儀なくされ、故郷の山形に帰ることに。そこで、彼は亡くなった人の体を清め、棺に納める納棺師になり、師匠(山崎努さん)のもと、悪戦苦闘の日々を送る…。
 主役の本木さんは撮影前、本職の納棺師に付いて訓練を受けたが、それだけでは満足できず実際の納棺の場にも立ち会うなど、徹底的にリアルな役作りにこだわった。
 最後には、指導役の「本物」の納棺師は「もうあなたは立派に納棺師ができますよ」と太鼓判を押されたという。』


 私は、日頃、映画に特別深い関心があるほうではないが、大分前から“おくりびと”という聞きなれない題名の映画が、アカデミー賞候補にノミネートされているという事は耳にしていた。
 へーと思いながら、またいいところまで名前が挙がって、結果は残念でした、という事になるのだろうぐらいに思っていた。
 しかし、そのストーリーの断片を何気なく聞いているうちに、もしかして本当に賞が獲れたらいいなーと心密かに応援していた。
 そして今日の10時半には発表されると聞き、何となく落ち着かない気持ちになった。TV、ラジオのニュースに注意を払うもなかなかはっきりしない。漸くインターネットの上記の記事で、アカデミー賞に決まったことを知った。
  何故か、自分のことのように嬉しくなった。滝田監督や本木さんの喜びの言葉を読んで目頭が熱くなった。

  映画を見ていないので正確なことはいえないが、この映画のストーリーは、伝え聞く内容では極めて特殊な地味な内容に思える。
  しかし、そこに丁寧に描かれている人間の死に接しての厳粛さというか命の大切さ、生をいとおしむ心は、人類共通のものとして深い共感を得たという。
  今、私たちは、イスラエルとパレスチナの間で、イラクで、アフガニスタンで、アフリカのソマリア等々で意味も無く無惨な殺戮が繰り広げられている事を、毎日のように聞かされている。
  世界中の心ある人々はこの現実に耐え難いいらだたしさとやるせなさを感じているのではないだろうか。
 
  だからこそ、一人一人の死に対して、生きているものが心を込めてその死を悼む行為に心打たれるのではないだろうか。
  今回の“おくりびと”への賞は、世界の心ある人々の、平気で無惨な殺戮をやめない人々への満腔の抗議の声でもあるのではないだろうか。
  私は、そのことにまだ人間はお互いを信じあえるのだと感じた。そして、いつかはこうした思いがもっと多くの人々の共有するところとなって、殺戮が止む日がくるのではないかと遥かな彼方に思いを馳せてみるのだが…。

  それにしても、このところの日本は、政治の世界では、先進国中、最低レベルに近いようだが、その他の世界では、昨年の4個のノーベル賞と良い、今回の2つのアカデミー賞といいなかなかたいしたものではと嬉しくなる。

  近いうちに何としてもこの映画みてみたいものだ。