蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

即刻、雇用法制を元に戻せ!―衆議院予算委員会中継を視て―

2009-01-10 01:25:56 | 時事所感
1月9日(金)雪後曇り。

 今朝、国会の衆院予算委員会中継を視た。
  民主党、枝野議員の後半の質問が好かった。内部留保金1兆円余りを溜め込みながら、年間1千億の人件費を削ろうとしてこの寒空に情け容赦なく派遣切りをするキャノン会長にして、経団連会長御手洗氏を参考人招致せよと迫った。
 1000人の従業員うちその4割が非正規雇用者によるという。景気の良いときは正規社員の何分の1かの人件費でコストを削り、それで巨額の利益を出す。一旦受注減となるや、足もとから火が付いたように、まるでそのままでは明日にも倒産する零細企業のように形振り構わず人を切る。

 何たる非情か。そこには剥き出しの視野狭窄の目先資本の論理しかない。この間、大企業の方が労働分配率を低減させて利益を積み上げているのに、中小零細企業の方が、労働分配率を高め利益を減じているという。

  一体、これら大企業の経営者が人切りに狂奔するのは何故なのか。
 その答えはこういうことだろう。利益を赤字にして株主配当を減らしたら真っ先に無能経営者として自分たちの頸が危うくなるからだろう。さらには、赤字となったのでは、功なり遂げての間じかに迫った自分たちの役員退職慰労金の減額も怖いのだ。

 こういう決定を苦渋の決断とかと嘯いて紙一枚送り付けて首切りに平気な連中は、自分達の子や孫に限っては絶対にそんな境涯とは無縁と思っているのだろうか。
 自分たちの安穏な生活を保障するために働いてくれた人間に対して、その人間一人一人に家族があり、生活があることを想像できないのだろうか。
 
  人生での、社会での勝者は、自身の成功の陰にそれに数倍する敗者のあることを忘れるのだ。見て見ようといしないのだ。
  生身の人間には、血も涙も怒りもある。そのたぎる血潮の体温を忘れ、何か無機物のように錯覚して切り捨てるならば、その返り血は決して遠くない将来、照準の外れた秋葉原ではなく、狙い定めて、己が頸を切り落とした者に的確に向かうだろう。

  そうなれば、この世はまさに乱世に突入する。今のイラクやアフガニスタンのようになりかねないのだ。そうなってからでは、企業活動もなにもかもあったものではないだろう。
 今の経営者層、政治家にには、想像力の欠如が著しいのではないか。
 御手洗会長は、今頃になって、「ワークシェアリングについても検討してみるべきだ」と寝ぼけたことを、おためごかしのように、いやいや呟き始めた。
 だが、これとて、その導入となると分業が進んだ今の時代、容易なことではないと専門家が言っている。
 
  今、我国では、不況不況とこの先それが10年もそれ以上も続くかのように大騒ぎである。だが、インターネットで海外に居る識者の方々の記事を読むと、そんなに悲観的なものでもなさそうである。
 アメリカはなんといっても国土広大、車が無くては二進も三進もいかない社会。いつまでも車を買い控えてはいられないとか。それに、失敗したとなったら前代未聞の黒人大統領を選んでそのもとで共和党も民主党もなく知恵者を集めて今後をどうするかと、ダイナミックに歩きだそうとしているではないか。
  今回の金融恐慌の震源地のアメリカに暮らす人々は、結構あっけらかんととして、我国でほどの悲観的で暗い表情は少ないとか…。

  我国だって、私には何処あるのかわからないが、国民の懐には1500兆円もの金があるという。その財布の紐をほんの少し緩める工夫を政府が行えば、今の世相はいくらかでもなんとかなるのではないか。
  とにかく人間は、いつまでもじっと座りへたりこんでなんかいられないのではないか。

  今我々が、思うべきは、同じ人間としてお互いが、安心して家族を慈しみ子を育てる社会をいかに守りより豊かにしていくことではないだろうか。
  そのために、もう少しお互いに、今日、自分達がこういうふうにしたら、明日、その相手はどうなるだろうかという想像力というか思いやる心を、今少しでも持とうとすることではないだろうか。