蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

冬山賛歌

2013-01-08 13:32:09 | 田舎暮らし賛歌
1月7日(月)晴れなれど寒気強し。

 八ヶ岳を北に望む茅ケ岳山麓のこの地に移り住んで10年がたつ。ところがここのところの寒気、今まで感じたことが無いほど厳しい。寒暖計は毎朝、-5度から10度を指している。
 日中の暖かい頃を見計らって、愛犬の散歩にでかける。稲穂の切り株を打ち返した黒々とした田んぼが、段々状に西の南アルプスに向かって下っていく。
 そのあぜ道を人影のないのを見て、引き綱を放してやった愛犬が飛ぶように駆けていく。
 右手の八ヶ岳から氷の針のような北風が、ブルゾンの上から身に突き刺さるようにつめたい。
 その北風に敢えて顔を向ければ、白鎧々とした八ヶ岳連峰輝いている。
 このような美しい峰々を朝な夕な眺めて暮らせる幸せをつくづく思う。
 
だが、このお正月、雪山遭難のニュースをいくつも視聴した。
 そして思った。

 雪山が好きで行く人はそれでいい。だが、一度遭難となると、正月早々、救助を求められた地元の関係者の迷惑はいかばかりだろうか。
 他人の好き勝手な楽しみのために、下手すれば雪崩などによる二次遭難の危険と隣りあわせではないか。

 犬の散歩に付き合っての裏山の凍てついた残雪の小道でさえ、古希を過ぎた老爺の足はとられる。雪の無いときのなんでもない道が急にこの先を行くのが怖く覚える。

 これが、2千、3千メートル級の風雪厳しい高山となればどうだろうか。
 まさに冬山登山こそ自己責任を全うすべきではないか。
 一度遭難したら、雪が融けるまでそのままにしておけというのは、酷だろうか…。
 
 鎧々たる八ヶ岳連峰輝、正面の甲斐駒、地蔵、観音、薬師と連なる南アルプス連峰を眺め渡しながらこんなことを思う天邪鬼は私だけだろうか…。