3月10日(火)晴れ、暖。
西松建設巨額献金、民主党小沢代表秘書逮捕、ここ連日の民主党への雨霰と思いきや。こはいかに!一天にわかにかき曇り、とんだ政府高官発言で、隣の火事と高みの見物きめこんでいたのが、たちまち風向き変わって降りかかる火の粉に大慌ての崖っぷちの麻生迷言閣下の与党政権。
私は、小沢氏の秘書が逮捕された際の弁明記者会見以来、民主党側から盛んに流れてくる「国策捜査」なんて負け犬の遠吠えと思っていた。
が、この「漆間発言」問題が生じるに至って、おや、これはやっぱりそういうことか思わざる得なくなった。
もともと警察庁長官にあった方が、内閣の副官房長官に任命されることが異例の人事だとか…。この人事は、麻生迷言総理大臣閣下のたってのご指名人事だとか…。
だとすれば、漆間氏はまさに総理の暗黙の期待に見事応えて思わず手柄顔に本音がでてしまったのではと勘ぐってみたくもなるではないか。
検察官僚は、国家を思う気持ちが人一倍お強い方々の集まりとか。この点で、いよいよ世の中の風向きが大きく変わって、戦後半世紀も続いてきた、自民党与党政権から、得たいの知れない烏合の衆ともみなされる何をしでかすかわからない民主党なんぞに天下を渡してたまるかと、愚昧な日本国民衆に成り代わり、その目をさまさんと狙い定めて、その検察権力を大いに奮って、大親分田中太閤閣下以来不倶戴天の敵と嘯く民主党、小沢代表の腐った膝と見做したのを、一刀のもとになぎ倒さんとしたのではないか。
検察官僚には、民主党は許容できても小沢だけは絶対に許せないとする強い思いがあるのではないか。
土建国家大親分太閤閣下、金丸、金の延べ棒ドン閣下と続いた利権政権を漸く退治したと思ったら、またもその愛弟子が政権をとったのでは、せっかくの苦心が水泡に帰すと危惧するのは当然ではなかろうか。
そんな思いの後輩たちにとって、内閣の事務方の要中の要といわれる、内閣副官房長官が前検察庁長官の漆間氏とあっては、まさにこれぞ天佑と思わずして何と思うべきか。
ここに着眼して予め人事配置した麻生閣下は、その迷言迷走はともかくとしてなかなかの策士ではないか…、とさえ思える。
ところで”国策捜査“こんなことが、世界に誇るべき三権分立民主憲法の日本国にあるのかと思っていたら、鈴木宗雄議員と外務省の争いで一躍名を馳せた外務省のラスプーチンこと佐藤優氏がその著書「国家の罠」の中で、担当検事の言葉として明確に指摘記載されている。
そして、国家権力がこれは「国策捜査」として一度、立件したら、必ず有罪にしてしまうと…。
今、この国策捜査の露骨さを端無くも漆間長官のお馬鹿な発言からバレバレになるのを糊塗せんがため、あわてて二階大臣のところへも、ほんのちょっとご挨拶程度に捜査の手を差し伸べた振りをみせたまでということではないか。
とにかく、検察が勝手に信じる国家意思として民主党、小沢氏に限っては絶対総理大臣になんかするものかという強いメッセージを国民に発しているのではないか。
ともあれ、民主党はこれを奇貨として、党内から小沢色を一掃して、速やかに岡田克也副代表を代表に選出して、現下の退勢を一気に挽回すべきではないか。
―参 照―
国策捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国策捜査(こくさくそうさ)とは、政治的意図や世論の動向に沿って、検察が「まず訴追ありき」で捜査を進めることをいう[1]。あたかもそれが国策であるかのように捜査が進められることから、このように呼ばれる。
概要 [編集]
この用語は、検察自身が使用していたものが、逆に検察を批判する文脈で一般に使用されるようになったものである。もともとは、1996年のいわゆる住専事件において、公的資金投入に対する世論の反発を緩和するために政府主導でおこなわれた一連の捜査を指して使用されはじめた[2]。2005年には、鈴木宗男事件で逮捕・起訴された外交官の佐藤優 による手記『国家の罠』がベストセラーとなったことで一般に広く知られるようになる[3]。
検察による国策捜査をいち早く批判しはじめた魚住昭は、近年の検察、なかでも主に特捜検察が、マスメディアによる一方的な情報を背景にして、政府・検察に敵対したり世論の反発を受けたりしている特定の集団・個人を、恣意的に犯罪者にしたてあげている、とする。その目的は、事案の原因と責任の所在を明らかにすることではなく、国民の前に「生け贄のヒツジ(スケープゴート)」を差し出して、失政に対する怒りや不満をそらすことである。[4]
この用語に類似する表現としては、他に「検察ファッショ(検察ファシズム)」がある。こちらは、戦前の帝人事件における検察の強権的捜査を指して用いられたものであり、通常、国策捜査よりは広い意味で使用されている。もっとも、この帝人事件の捜査は、まさに今で言う国策捜査であった。このため、いくつかの国策捜査は「平成版の帝人事件」[5]「第二の帝人事件」[6]などと呼ばれることがある。
なお、国策捜査は、政府の具体的な指示・命令に基づく捜査(いわゆる指揮権発動ないし逆指揮権発動)をも含むが、そのような捜査だけを指すものではないので注意が必要である。
批判の内容 [編集]
本来、検察の役割は、事案の真相を究明し、それに基づいて適正かつ迅速に刑罰法令を適用することである[7]。にもかかわらず、そもそも民主的基盤を欠く検察が、何らかの政治的意図や世論の風向きによって捜査を行うとすれば、それは権力の濫用ないしポピュリズムである[8][9]。また、はじめから「訴追ありき」で、それに基づいて事案を創作(いわゆる「でっちあげ」)するとすれば、それは不当な処罰を招く恐れが強いばかりか検察の捜査能力を低下させることにもなる[9]。
もっとも、政治的意図に基づく捜査は、検察が行政機関である以上、避けがたいものともいえる。事実、戦後すぐから冷戦終結までの間、検察は自由主義体制を護持する役割を自任していた面すらある[10]。東京・大阪の両特捜部を経験した田中森一に至っては、「すべての捜査は国策捜査」であって「捜査の結果、自民党政権から共産党政権になっては困るのである」とまで述べている[11]。近年でも、住専事件においては、先に述べたように検察自らが政治的意図に基づく国策捜査を認めていた。西松建設違法献金事件における小沢一郎周辺への強制捜査についても、同様の政治的意図を疑う声がある[12][13]。
このような政治的意図は、冷戦終結以降は相対的に重要性が低下し、近年では、むしろ捜査の劇場化傾向がより顕著になったと言われる[14]。そして、世論の動向に従って「悪者」を狙い定めて摘発しようとする傾向が強まった結果、それまでは合法とされていた行為を検察が無理矢理に捜査・立件する事例が近年相次いでいる、との指摘もある[9][15]。ライブドア事件の堀江貴文については、「万引きに死刑宣告」をするに等しいという批判があったほか[16][17]、鈴木宗男事件の佐藤優についても「こんな形式犯で逮捕されるのなら公務員はみな逮捕」という驚きの声があがった[9]。
日歯連闇献金事件では、第一審判決で特捜検察による「訴追ありき」の捜査姿勢が痛烈に批判されるという異例の事態も起こっている。経済学者の池田信夫は、同事件を例にして、捜査当局側が政権与党に配慮して捜査・立件を手控える「逆国策捜査」の存在を指摘している[18][19]。
主な反論 [編集]
元東京地検特捜部副部長の堀田力は、国策捜査批判の多くは誤解に基づくものだとする。まず堀田は、社会的地位の高い人物の摘発は、その人物と利益が相反する立場にある人物を結果的に利することがほとんどだとして、検察に特段の意図はないと主張する。また、捜査に無理があるとの批判についても、行政犯については取り締まりの必要性が時代の進展とともに変化するので、それに応じて検察が積極的に取り締まりを行うようになるのは当然だという。[20]もっとも、時代に応じた取り締まりの必要性についての判断は、本来は検察の役割でなく立法機関たる国会の役割である。佐藤優は、政治家という「フォワード」がだらしないので、検察官という「ゴールキーパー」がどこででも手を使おうとする状況があるとして、罪刑法定主義や三権分立への違背を指摘している。[21]
また、国策捜査といえども、最終的には裁判所で公正な裁判が行われる建前なのだから、そのような批判はむしろ裁判所ないし裁判の現状全体に向けられるべきものであるとの指摘もある。つまり、本来は一方当事者に過ぎない検察官が、99.9%という極めて高い有罪率の下で事実上の裁判官となっている現状にこそ問題がある、というのである。[22]加えて、最大の情報源である検察を批判できないマスメディアが、被告の有罪を前提にして、一方的・情緒的な一極集中報道で世論をミスリードすることの責任を指摘する声も大きい[23]。もっとも、そのような裁判をめぐる諸々の現状すら、検察が自ら招いた側面がある、という主張も一部にみられるところである[24][25]。
関係当事者などにより国策捜査だと主張された例 [編集]
• 造船疑獄事件
• 外務省機密漏洩事件
• ロッキード事件
• リクルート事件
• 住専事件
• 三井環事件
• ライブドア事件における堀江貴文
• 日歯連闇献金事件における村岡兼造
• 構造計算書偽造事件
• 鈴木宗男事件における鈴木宗男および佐藤優
• 石橋産業手形詐欺事件における田中森一
• 植草一秀痴漢事件
• 西松建設違法献金事件における小沢一郎公設第一秘書
西松建設巨額献金、民主党小沢代表秘書逮捕、ここ連日の民主党への雨霰と思いきや。こはいかに!一天にわかにかき曇り、とんだ政府高官発言で、隣の火事と高みの見物きめこんでいたのが、たちまち風向き変わって降りかかる火の粉に大慌ての崖っぷちの麻生迷言閣下の与党政権。
私は、小沢氏の秘書が逮捕された際の弁明記者会見以来、民主党側から盛んに流れてくる「国策捜査」なんて負け犬の遠吠えと思っていた。
が、この「漆間発言」問題が生じるに至って、おや、これはやっぱりそういうことか思わざる得なくなった。
もともと警察庁長官にあった方が、内閣の副官房長官に任命されることが異例の人事だとか…。この人事は、麻生迷言総理大臣閣下のたってのご指名人事だとか…。
だとすれば、漆間氏はまさに総理の暗黙の期待に見事応えて思わず手柄顔に本音がでてしまったのではと勘ぐってみたくもなるではないか。
検察官僚は、国家を思う気持ちが人一倍お強い方々の集まりとか。この点で、いよいよ世の中の風向きが大きく変わって、戦後半世紀も続いてきた、自民党与党政権から、得たいの知れない烏合の衆ともみなされる何をしでかすかわからない民主党なんぞに天下を渡してたまるかと、愚昧な日本国民衆に成り代わり、その目をさまさんと狙い定めて、その検察権力を大いに奮って、大親分田中太閤閣下以来不倶戴天の敵と嘯く民主党、小沢代表の腐った膝と見做したのを、一刀のもとになぎ倒さんとしたのではないか。
検察官僚には、民主党は許容できても小沢だけは絶対に許せないとする強い思いがあるのではないか。
土建国家大親分太閤閣下、金丸、金の延べ棒ドン閣下と続いた利権政権を漸く退治したと思ったら、またもその愛弟子が政権をとったのでは、せっかくの苦心が水泡に帰すと危惧するのは当然ではなかろうか。
そんな思いの後輩たちにとって、内閣の事務方の要中の要といわれる、内閣副官房長官が前検察庁長官の漆間氏とあっては、まさにこれぞ天佑と思わずして何と思うべきか。
ここに着眼して予め人事配置した麻生閣下は、その迷言迷走はともかくとしてなかなかの策士ではないか…、とさえ思える。
ところで”国策捜査“こんなことが、世界に誇るべき三権分立民主憲法の日本国にあるのかと思っていたら、鈴木宗雄議員と外務省の争いで一躍名を馳せた外務省のラスプーチンこと佐藤優氏がその著書「国家の罠」の中で、担当検事の言葉として明確に指摘記載されている。
そして、国家権力がこれは「国策捜査」として一度、立件したら、必ず有罪にしてしまうと…。
今、この国策捜査の露骨さを端無くも漆間長官のお馬鹿な発言からバレバレになるのを糊塗せんがため、あわてて二階大臣のところへも、ほんのちょっとご挨拶程度に捜査の手を差し伸べた振りをみせたまでということではないか。
とにかく、検察が勝手に信じる国家意思として民主党、小沢氏に限っては絶対総理大臣になんかするものかという強いメッセージを国民に発しているのではないか。
ともあれ、民主党はこれを奇貨として、党内から小沢色を一掃して、速やかに岡田克也副代表を代表に選出して、現下の退勢を一気に挽回すべきではないか。
―参 照―
国策捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国策捜査(こくさくそうさ)とは、政治的意図や世論の動向に沿って、検察が「まず訴追ありき」で捜査を進めることをいう[1]。あたかもそれが国策であるかのように捜査が進められることから、このように呼ばれる。
概要 [編集]
この用語は、検察自身が使用していたものが、逆に検察を批判する文脈で一般に使用されるようになったものである。もともとは、1996年のいわゆる住専事件において、公的資金投入に対する世論の反発を緩和するために政府主導でおこなわれた一連の捜査を指して使用されはじめた[2]。2005年には、鈴木宗男事件で逮捕・起訴された外交官の佐藤優 による手記『国家の罠』がベストセラーとなったことで一般に広く知られるようになる[3]。
検察による国策捜査をいち早く批判しはじめた魚住昭は、近年の検察、なかでも主に特捜検察が、マスメディアによる一方的な情報を背景にして、政府・検察に敵対したり世論の反発を受けたりしている特定の集団・個人を、恣意的に犯罪者にしたてあげている、とする。その目的は、事案の原因と責任の所在を明らかにすることではなく、国民の前に「生け贄のヒツジ(スケープゴート)」を差し出して、失政に対する怒りや不満をそらすことである。[4]
この用語に類似する表現としては、他に「検察ファッショ(検察ファシズム)」がある。こちらは、戦前の帝人事件における検察の強権的捜査を指して用いられたものであり、通常、国策捜査よりは広い意味で使用されている。もっとも、この帝人事件の捜査は、まさに今で言う国策捜査であった。このため、いくつかの国策捜査は「平成版の帝人事件」[5]「第二の帝人事件」[6]などと呼ばれることがある。
なお、国策捜査は、政府の具体的な指示・命令に基づく捜査(いわゆる指揮権発動ないし逆指揮権発動)をも含むが、そのような捜査だけを指すものではないので注意が必要である。
批判の内容 [編集]
本来、検察の役割は、事案の真相を究明し、それに基づいて適正かつ迅速に刑罰法令を適用することである[7]。にもかかわらず、そもそも民主的基盤を欠く検察が、何らかの政治的意図や世論の風向きによって捜査を行うとすれば、それは権力の濫用ないしポピュリズムである[8][9]。また、はじめから「訴追ありき」で、それに基づいて事案を創作(いわゆる「でっちあげ」)するとすれば、それは不当な処罰を招く恐れが強いばかりか検察の捜査能力を低下させることにもなる[9]。
もっとも、政治的意図に基づく捜査は、検察が行政機関である以上、避けがたいものともいえる。事実、戦後すぐから冷戦終結までの間、検察は自由主義体制を護持する役割を自任していた面すらある[10]。東京・大阪の両特捜部を経験した田中森一に至っては、「すべての捜査は国策捜査」であって「捜査の結果、自民党政権から共産党政権になっては困るのである」とまで述べている[11]。近年でも、住専事件においては、先に述べたように検察自らが政治的意図に基づく国策捜査を認めていた。西松建設違法献金事件における小沢一郎周辺への強制捜査についても、同様の政治的意図を疑う声がある[12][13]。
このような政治的意図は、冷戦終結以降は相対的に重要性が低下し、近年では、むしろ捜査の劇場化傾向がより顕著になったと言われる[14]。そして、世論の動向に従って「悪者」を狙い定めて摘発しようとする傾向が強まった結果、それまでは合法とされていた行為を検察が無理矢理に捜査・立件する事例が近年相次いでいる、との指摘もある[9][15]。ライブドア事件の堀江貴文については、「万引きに死刑宣告」をするに等しいという批判があったほか[16][17]、鈴木宗男事件の佐藤優についても「こんな形式犯で逮捕されるのなら公務員はみな逮捕」という驚きの声があがった[9]。
日歯連闇献金事件では、第一審判決で特捜検察による「訴追ありき」の捜査姿勢が痛烈に批判されるという異例の事態も起こっている。経済学者の池田信夫は、同事件を例にして、捜査当局側が政権与党に配慮して捜査・立件を手控える「逆国策捜査」の存在を指摘している[18][19]。
主な反論 [編集]
元東京地検特捜部副部長の堀田力は、国策捜査批判の多くは誤解に基づくものだとする。まず堀田は、社会的地位の高い人物の摘発は、その人物と利益が相反する立場にある人物を結果的に利することがほとんどだとして、検察に特段の意図はないと主張する。また、捜査に無理があるとの批判についても、行政犯については取り締まりの必要性が時代の進展とともに変化するので、それに応じて検察が積極的に取り締まりを行うようになるのは当然だという。[20]もっとも、時代に応じた取り締まりの必要性についての判断は、本来は検察の役割でなく立法機関たる国会の役割である。佐藤優は、政治家という「フォワード」がだらしないので、検察官という「ゴールキーパー」がどこででも手を使おうとする状況があるとして、罪刑法定主義や三権分立への違背を指摘している。[21]
また、国策捜査といえども、最終的には裁判所で公正な裁判が行われる建前なのだから、そのような批判はむしろ裁判所ないし裁判の現状全体に向けられるべきものであるとの指摘もある。つまり、本来は一方当事者に過ぎない検察官が、99.9%という極めて高い有罪率の下で事実上の裁判官となっている現状にこそ問題がある、というのである。[22]加えて、最大の情報源である検察を批判できないマスメディアが、被告の有罪を前提にして、一方的・情緒的な一極集中報道で世論をミスリードすることの責任を指摘する声も大きい[23]。もっとも、そのような裁判をめぐる諸々の現状すら、検察が自ら招いた側面がある、という主張も一部にみられるところである[24][25]。
関係当事者などにより国策捜査だと主張された例 [編集]
• 造船疑獄事件
• 外務省機密漏洩事件
• ロッキード事件
• リクルート事件
• 住専事件
• 三井環事件
• ライブドア事件における堀江貴文
• 日歯連闇献金事件における村岡兼造
• 構造計算書偽造事件
• 鈴木宗男事件における鈴木宗男および佐藤優
• 石橋産業手形詐欺事件における田中森一
• 植草一秀痴漢事件
• 西松建設違法献金事件における小沢一郎公設第一秘書