蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

小泉首相の靖国参拝に思う!

2005-10-18 00:04:01 | 時事所感
 10月17日(月)

 今日のTVニュースで、秋の例大祭を前に小泉首相が、「靖国神社」を参拝したことを一斉に報道した。

 TVでの放映は、映し出される映像が、下手なアナウンサーのナレーション以上に語りかけるものが多い。

 例年と違い、背広姿で拝殿に向かい賽銭箱の前で立ち止まった総理は、無造作に右手をズボンのポケットに突っ込み手探りで摘みあげたと思われる小銭(それが10円玉か、100円玉かはたまた500円玉かはしるよしもないが)を賽銭箱に投げ込んだ。

 お賽銭を入れるのに、別にこうでなくてはならないと決まりはないかもしれない。
 しかし、自ずから見苦しくない作法というか仕草があるのではないか。
 私は、毎年鎌倉の八幡様へ初詣にいくのを自分なりの年中行事の一つとしているが、その際、上着の内ポケットから財布を取り出し、しかるべき硬貨を取り出して賽銭箱に投げ入れる。

 それを、小泉氏はポケットのごみでも捨てるような仕草で、いかにも小銭にか何かを投げ入れたのである。
 そして拍手を打ってしばし頭(こうべ)をたれて瞑目し、何事も無かったかのように、さっと振り向き帰途についた。

 その一連の動作について、アナウンサーはなんのコメントをしなかった。

 私は見ていてはらがたった。何と無礼な、無様な参拝の仕方かと。
 首相としてのこれまでの靖国参拝については議論百出である。その可否は別にするとして、従来の参拝にはそれなりの形があり、祭られているものをそれなりに擬制とはいえ敬う心が感じられた。
 しかし今回は、いかにも申し訳にお参りした事実をつくろおうとするだけのものに見えた。
 
 私の父も戦死者である。靖国の一柱に祭られているはずである。だからと言ってはらがたったわけではない。否、私は長年東京で生活しながら、靖国へは一度もお参りしたことは無い。
 それは、靖国神社に親近感というかリアリティというか存在感が湧かないからである。
 
 しかし、正月には鎌倉の八幡宮に初詣に行く。そこは何故か清清しいいい気持ちになれ、頼朝公以来の歴史の息ぶきがかんじられるせいかもしれない。鎌倉の八幡宮もその建立者は源義家ともいわれているがごく自然に人々の祈りの心の積み重ねにより今日に至り、その歴史と伝統の重みが参拝者の心を自ずからうつのではないか。
 日本人の神社へのお参りの仕方というか心持とはそういうものではなかろうか。
 
 それに反して、靖国神社はいかにもその建立の経緯が人為的的打算的とさえ思えるからだ。生命保険ではあるまいし日本国家が行った戦争のために死んだら祭ってやるから安心して戦死しろと明言しているのに等しいからである。

 中国、韓国だって鎌倉八幡宮なら小泉首相が年に何度お参りしょうが問題としないだろう。それが証拠に伊勢神宮への参拝は問題にされたことはないではないか。

 中国や、韓国が反発するのは、靖国が日本人の自然発生的な信仰心の発露としてではなく国策遂行の国家的装置として意図的に設置されたものであるからではないか。しかもそこに彼ら同胞の無数の生命財産を奪った首魁者が祭られているのである。
 私たち日本人が逆の立場だったらどう感じるかは自明ではないか。それが近隣諸国と仲良くしていこうという人間としてのとる態度だろうか。

 貧しくとも穏やかに暮らしていた隣家に、無法に押し入りその家人を殺害し財産を奪っておき、それでも仲介者がいてなんとか、許しを請い仲直りし平穏になったかと思ったのも束の間、ちょっと商売繁盛して小金がたまったとおもったら、何とその悪党(?)の親父を死んだから今はもう神様仏様ですと公然崇め始めたとしたら、殺され奪われした隣家の息子や孫たちはどんな思いがするだろうか。

 私たち日本人の真の良さは、自然の風物四季の移ろいを愛でる繊細さ、他人や隣人を思いやる優しさにあったのではないか?それがいつからこんな傍若無人な人間集団国家となりおおせたのか。深く自問自戒したいものである。
 

 小泉氏は何故、このような不毛な靖国参拝にこだわるのか?だれへの義理立てなのか。大票田(?)の大日本遺族会へなのか?

 しかし、その当の遺族でさえも今回の参拝の仕方をTVでみれば、私が感じたように、その欺瞞性に気付き返って冒涜されたと感じるのではないか。

 今や、民意を察するに天才的との評価さえある小泉大宰相としたことが、「こはいかなることか?」とその真意を量りかねる次第である。

 まして今回は、過日、高裁の「靖国参拝違憲判決」が出たことではあり、これを機に参拝を取り止めれば、遺族会あたりからは少々の異議も出るものの大方は納得するのではなかったか。

 今回選挙の大勝で、さしもの小泉勘ピューターにもいささか狂いが生じたかと危惧するほかはないのだろうか。