ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

「カリフォルニア・ガールズの入ったビーチ・ボーイズ」

2008年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム
Beach1

 以前、別のブログで村上春樹の『風の歌を聴け』が話題になったとき、僕はとんでもない勘違いをして、「主人公の青年がレコード屋に〈ホテル・カリフォルニアの入ったイーグルス〉を買いにくるシーンが印象に残ってます」なんてコメントに書いてしまいました。
 あとで原作を見直したら、〈カリフォルニア・ガールズの入ったビーチ・ボーイズ〉。

 イーグルスの〈ホテル・カリフォルニア〉は、その頃付き合っていたガールフレンドが好きな曲だったので、車の中で聞くためにカセットテープを買ったのを覚えていましたが、〈カリフォルニア・ガールズの入ったビーチ・ボーイズ〉のLPを買ったという記憶はありません。
 2枚組の、まずぼくが買うことはない“ベスト盤”です。
 妹が長野に引っ越すときおいて行ったものか、あるいは友人がLPは聞かなくなったからと譲ってくれたものだと思います。
 CDが主流になってから、ぼくのもとにはほうぼうから古いLPレコードが集まってきます。
 最近は古レコード店でも引き取ってもらえないらしく、捨てるのならいただいておきますと受け取っているうちに、ぼくの趣味からはおよそ縁遠いものまでいつの間にかたまっていきました。
 天地真理だの松田聖子だの沢田研二だの、はては長唄(なんであるんだ)なんかまで。
 ま、ビーチ・ボーイズはそう縁遠くもありませんが、LPを買うほどではありませんでした。

Beach2

 オリジナルでないせいでしょうか、お世辞にもいい録音とは言えず、〈カリフォルニア・ガールズ〉1曲だけ聞いて、すぐに針を上げました。

Haruki1

 〈カリフォルニア・ガールズ〉は1965年のヒット曲で、村上春樹の『風の歌を聴け』は70年代。学生運動が急速に下火になって、若者たちがいささかセンチメンタルなロマンチシズムに浸っていた頃、この小説はベストセラーになり、小林薫と真行寺君枝の主演で映画化もされました。
 ぼく自身も、そうした若者たちの例外ではありませんでした。

Haruki2

 ぼくが記憶にとどめていたのは、原作ではこのあたり。
 主人公の「僕」が街で拾った小指のない女の子と再会するシーン。

Eiga2
Eiga1
 
 村上春樹が描く若者は、軽くてちゃらんぽらんのようでいて、案外知的でセンスがいい。あり得ないような女の子との出会いが簡単にあったりする。
 そんなことは自分とはほど遠い世界の話なのに、もしかすると、いつかそんなことがあるかもしれないと思わせてしまう魔力を、当時の(ぼくを含めた)若者たちは感じていたのです。

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宝物「flute n' alto」

2008年05月10日 | 音楽
 チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、チャーリー・ミンガス、セロニアス・モンク、ソニー・クラークなど、1950~60年代頃のジャズが好きで、若い頃には神田神保町の「トニー・レコード」という古レコード店にずいぶん通い、そうとう投資しました。
 ジャズ喫茶の店長と張り合って、一時は二千枚を超えるコレクションを持っていたこともあります。
 置き場所に困って少しずつ処分して、今では本当のお気に入りだけ600枚ほどが残っています。
 まあ、本の蔵書に比べたらどうということないですが。

 その中でも、お気に入りでかつ宝物がこれ。

Budshank1

 Bud Shankの「flute n' alto」というLPアルバムです。
 Bud Shankは1950年代から60年代にウェスト・コーストを中心に活躍した白人ジャズメンで、アルトサックスがメインです。
 これは、フルートもやっているめずらしいアルバムです。
 それで、タイトルが「flute n' alto」。
 コルトレーンやマイルスのように強烈なインパクトはありませんが、邪魔にならないきれいな演奏を聴かせてくれています。

Budshank2

 このアルバムが宝物である理由はもう一つあります。
 発売元のワールド・パシフィックというレコード会社は、ほとんど廃盤がありません。何枚かあるバド・シャンクのアルバムも再販復刻されていて、CDになった現在もたいてい入手可能です。
 ところがなぜか、この「flute n' alto」だけは廃盤のままで一度も再販されていないのです。
 うがった言葉でいえば、「幻の名盤」ということになるでしょうか。
 
 引っ越してからLPレコードは棚に収めっぱなしで全然整理していないので、少しずつ整理しながら、珍しい盤が見つかり次第、順次メモ代わりにブログにアップしようと思います。

        ◆◆◆

 テレビのエンタの神様に、見覚えのある顔が登場。
 あ、六本木近くにある某出版社の社長だ。
 いつお笑い芸人に転職したのかしら。
 乃木坂ならぬ「芋洗坂係長」だって、社長から係長に格下げ?
      (岡田阪神浴君にしかわからない楽屋落ち)

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『沖縄基地問題の歴史』精読

2008年05月08日 | 本と雑誌
Kichimondai

明田川 融 著
みすず書房 発行
Amazon

 読了までほぼ一カ月弱かかってしまいました。
 ずいぶん丁寧な読み方をしたものだと思われるかもしれませんが、内情を明かせば1週間以上に渡る超多忙な時期があり、また優先して目を通しておかなければならない資料などもあって、すっかり間が空いてしまったのです。

 さて、言い訳はそのぐらいにして、内容について。

◆米側資料を多数参照
 「基地問題の歴史」というタイトルですが、内容は基地問題を中心とした「沖縄近代史」になっています。
 明治以前の沖縄は薩摩による支配はあったものの「“対話路線”によって十分に対外的安全を維持して」きていて、非武の島として十分平和が成り立っていました。明治政府による「琉球処分」のあと、沖縄の軍事拠点化が始まり、それは「「軍事的前線基地」あるいは「一種の植民地」としてのみ重要」であったわけです。
 このあたりは、他の著作でも十分に知ることができますが、現在でも沖縄が米軍の「前線基地」として扱われていることの裏付けとして重要です。

 この前史を含む第一章「沖縄戦への道」の圧巻は、沖縄戦が始まる前年、1944年の米側軍事会議の様子です。ルーズヴェルト大統領、ミニッツ太平洋地域軍総司令官、マッカーサー陸軍大将を中心に行われたこの軍事会議では、「日本本土上陸作戦」の前哨戦として、台湾とフィリピンルソン島のどちらを先に攻撃すべきか大論争が行われます。
 結果、台湾は攻撃せず、ルソン島から沖縄への進攻が決定します。これは大変重要な問題で、米軍が台湾に進攻しなかったのは、台湾が前線基地として適当でないことが、ハーモン太平洋地域陸軍航空司令官が進言し、ミニッツ太平洋地域軍総司令官が賛同したことが決定的でした。
 つまり、台湾に米軍が侵攻した場合、沖縄戦が避けられた可能性も含まれていたわけです。
 これらの成り行きはすべて、米側資料を読み解いたもので、非常に信頼度の高いものといえるでしょう。

◆強制された集団死
 第2章の「沖縄戦」で著者は、「集団自決」でなく「強制された集団死」という言葉を用いています。現在、「集団自決」が広範に用いられはしているものの、これが間違った表現であることは、意識ある人の間では常識になっています。ただそれについて、どんな言葉に置き換えるかは確定されていません。
 著者は巻末に長い注釈を加え、そのなかで「集団自決」論争についても詳細に述べているので三光にするといいでしょう。
 ぼく自身は「強制された集団死」はわかりやすい言葉ですが、いささか長すぎると思います。
 渡嘉敷島で集団死の現場に居合わせた山城盛治さんの証言はすさまじいものがあります。
 「刃物、ほとんどが日本軍のゴボウ剣ですが、どこから持って来たかわからないですがね。」「子どもは背中から刺し殺し、子どもは肉がうすいもので、むこうがわまで突き通るのです。」「女の人はですね、上半身裸にして、左のオッパイをこう(手つきを真似る)自分で上げさせて、刺したのです。」(『沖縄県史』第10巻より転載)
 米田惟好村長(当時)の証言。
 「安里喜順巡査が恩納河原に来て、今着いたばかりの人たちに、赤松の命令で、村民は全員、直ちに陣地の裏側の盆地に集合するように、ということであった。(中略)盆地へ着くと、村人はわいわい騒いでいた。
 集団自決はそのとき始まった。防衛隊員の持って来た手榴弾があちこちで爆発していた。
 この証言にある「赤松の命令」が事実なのか巡査の思い込みなのか、確認する手だてはありませんが、しかし、命令イコール自決という図式が当時の沖縄住民に刷り込まれていたことは、まったく否定できません。
 当時の沖縄住民について、米側の資料から次のような述懐が引用されています。
 「(自分=米兵が)小屋の一つに入って行くと、隅に老人と女性と子供が身を寄せ合っていた。彼らは急須から何かを回し飲んだ。彼らは服毒自殺をして果てた。すでに彼らの心は日本兵によって毒されていた」

◆あらかじめ予定されたマッカーサーの沖縄基地計画
 沖縄を「米国にとって必要な最後の空軍基地」にすることは、すでに1643年の時点で構想されていたことが明らかにされています。
 米国はソ連(当時)の驚異を認識し、防共の再前線基地として沖縄を日本から切り離すことがすでに検討されていたのです。
 その主導的立場にあったのが、あのコーンパイプで有名な、ダグラス・マッカーサーでした。
 「われわれは太平洋地域において直ちに出撃可能な攻撃力を持つ必要がある。(中略)沖縄は、この基地体形において最前線にあり死活的な地位を占める地点である。沖縄からであれば、上陸作戦の起点になると考えられるアジア北部のいかなる港湾も容易に制圧できる。(中略)沖縄に十分な軍事力があれば、アジア大陸からの陸海軍の発進を阻止する目的のために日本本土を必要としない。」
 天皇も日本の本土と国体を護持するために、米国が沖縄を占領することを認めたというメッセージを米側に送っています。
 「天皇の意見によるとその(沖縄の)占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。」
 「日本を守ることになる」とはいったい何から日本を防衛するのかが問題です。これについて、ここでh詳述しませんが、守るべき相手は日本に対するものではなく、日本を防衛する目的で沖縄に駐屯するアメリカに対していることがわかります。

 第三章「沖縄と日米安保体制の形成」は、こうしたやり取りから、日米安保条約が形成され、日本国憲法の草案作りにも少なからぬ影響を及ぼすことを詳細に説明しています。

◆奪われた農地、「軍用地接収」
 第四章「沖縄と日米安保体制の展開(一) 沖縄と60年安保改定」は「日米安全保障条約」下での空き縄の姿が描かれています。
 「できるだけ談合による購入によって獲得する」「適当な条件で購入できない場合、または所有者が商議することを拒んだ場合は収容手続きをとる」
 対日講和条約が発効すると、米側は「土地収用令」を設け、ほとんど強制的に土地を取り上げて行きました。
 「地主たちにとって、先祖から受け継いだ土地を立ち退かなければならないことは苦痛の極みであり、移転先での生活不安も付きまとった。しかも、いぜんとして民政府の定める補償額(土地使用料)は低廉で地主が要望するそれとの懸隔が大きかった。」
 当時、本土でも米軍をめぐる事件が相次ぎ、各所で基地反対運動が繰り広げられて行きました。そして反基地闘争は全国的な広がりを見せ、「沖縄闘争」へと発展していきました。


◆ベトナム戦争と沖縄
 第四章「「沖縄と日米安保体制の展開(二) 沖縄「復帰」とベトナム戦争の影」では、ベトナム戦争の泥沼化とともに、アメリカの戦争による影響が、沖縄住民に濃い影を落として行く状態が詳述されています。
 ソ連や中国の核兵器を脅威と感じ、沖縄を書く武装化しへ巌脅かす米軍に、沖縄の人々は強く反発します。
 沖縄の祖国復帰の波はさらに高くなって行きますが、沖縄をベトナム攻撃の前線基地とするアメリカは、返還をつよく渋ります。

 同時期、佐藤栄作首相(当時)は、日本の科学と産業レベルが、核兵器を製造できるまでに達していると言う裏付けのもと、日本国憲法を改定し、核防衛の可能性を語りはじめます。
 これにはライシャワー駐日大使は慌てます。
 「佐藤が危険な道筋に入り込まぬよう、池田(勇人)以上にわれわれの指導と教育が必要である」
 ジョンソン大統領は、このようなライシャワーの報告から、「米国の核の傘を差し掛けるという日本防衛義務の教科をオファすることによって佐藤の核開発構想を思いとどまらせようとしたのである。」
 ラスク国防長官も次のように述べます。
 「中国が核兵器を持つならば、日本もまた核を持つべきだという議論を自分は理解することができるが、これは日本のとるべき政策ではない」

 それでもやがて、沖縄の復帰は議題として取り上げられるようになりますが、しかしそれは、沖縄住民の意志を汲み取ったものではなく、日米外交と米国の極東戦略の一環としてのものでした。
 つまり、このまま沖縄を占領し続けることは、国際的に米国が批判を浴びることになり好ましくない、であるならば、基地はそのままにして施政権だけを日本に移すようにすれば良い、という考えからでした。
 沖縄の基地付き返還は、日本政府と米国との間にこのような目論見があったからに他なりません。

◆何も変わらない、米軍、日本政府、沖縄の関係
 第六章「未完の復帰と沖縄基地問題」では基地付き返還から現在の沖縄がおかれている立場について述べられています。1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してまもなく36年が経とうとしています。しかし、根本的な部分で沖縄は復帰前と何ら変わらず基地に囲まれ、米軍による傍若無人な事件が度重なり起きています。
 「復帰」とはなんだったのか、誰の何のための復帰だったのか、この章のテーマは「五・一五」メモと「地位協定」を検証することで、この復帰が少なくとも沖縄住民のことを思って実施されたものでないことを明らかにしています。
 「吉田首相の側近で、行政協定締結交渉の日本側代表であった岡崎勝男は、のちに、「“基地”という文言は、行政協定では、どこにも使われていない。私たちは、基地というと、いかにも駐留軍が専管する治外法権的な区域を連想させられて、面白くないと考えた。そこで協定では、すべて“施設および区域”という文字を使うことを、交渉のさいに主張した」と回想している」
 この記述のは期日などの部分(引用外)で誤りがあるようですが、しかし、世論を押さえ込むために日本政府が「地位協定」締結に当たって姑息な手段を使っていたことが、十分に疑われます。
 こうした「地位協定」の元で、沖縄住民は復帰前と同様の、あるいは所によりさらに悪化した環境の元に苦痛を強いられています。
 詳細は割愛しますが、その例として、伊江島、鳥島、辺野古、嘉手納、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、普天間の例が挙げられています。
 さらに、2004年8月13日に発生した、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故を始め、いくつかの例を挙げて警察権の行使が沖縄と本土では米軍によって差別されている例が挙げられています。
 「他人の家の中へヘリコプターを落としておいて、米軍の財産であるヘリを保全しなければならないからといって広範な封鎖地域を設け、大学の財産である立ち木を許可なく伐採したというのでは、本末転倒も甚だしいと言わざるを得ない。」

 最後に、目取間俊の小説『虹の鳥』について触れ、「主人公のカツヤは、比嘉という男の乾分で、比嘉から17歳のマユという女の子の“世話”を命じられている」、この関係が米軍→日本政府→沖縄という関係の隠喩であることを指摘する書評の多いことを紹介しています。
 「ほぼ全編にあふれる剥き出しの暴力描写」の描かれた作品のようなので、いささか読むのに抵抗を禁じえませんが、暗黒小説などがお好きな方はぜひ。

◆住民のための行政は何一つない
 敗戦から講和条約の締結、米軍による沖縄占領、復帰後の日米地位協定にいたるまで、沖縄住民の生活環境を考慮して行われた行政は何一つないことがわかります。
 本土と天皇制を護持することを目的に沖縄を捨て石に使ったり、一件住民にとって有効と思われる取り決めも、探って行けば米軍が国際社会による非難を避けるためであったり、政府与党と大企業の利益を優先した上での取り決めです。
 これは、いかにも環境保護のためのようでいて、実は自社のイメージアップによる利益向上を目論んでハイブリット・カーを作る自動車会社と、考えが非常に良く似ています。自動車会社はそれにより経営に負担がかかるようなら、すぐに中止しますから。
 政治が国民のためのものでないことは、この本とは直接関係ありませんが、老人医療の問題、社会保険庁の問題などなど、現実に露骨に現れています。一部の大企業経営者と政治家によって国が私物化されているこの状態に、さらにまったく気づかない国民とはいったい何なのか、情けなくなります。


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靖国YASUKUNI

2008年05月07日 | 映画
 話題の映画『靖国YASUKUNI』を見てきました。
 平日だからとややタカをくくって、3時50分の回を見るのに2時に行けばまあ大丈夫だろうと思っていたら、なんと満員札止め。
 「6時半と7時の回になりますが、6時半の回はあと残り3名様です。一番最後のご案内になりますから良いお席にはならないと思いますが」
 「はい、それでいいです」
 すると、すでに先に来ていて受付で決断できずに迷っていたカップルが、受付嬢に言われてしまいました。
 「ただいまお隣の方が2枚お求めになりましたので、6時半の回は売り切れになってしまいました」
 「じゃ、またにします」
 このカップルの決断にはからずも貢献することになりました。
 銃を向けたらごちゃごちゃ言わずにドンと撃つ。スナイパーの鉄則です。

Yasukuni

 8月15日に、靖国神社に参拝する人々は、実にユニークです。
 まあ、そういう場面を拾っているのでしょうが。

 分かりやすく言えば、「浮いてます」。

 軍服姿で隊列をなし、奇妙なかけ声に合わせて行進してくる姿に、同伴のかみさんは吹き出しそうになるのをこらえてました。
 「どんな人が観に来てるか分からないから、笑ったら怒られると思って」
 正露丸みたいなラッパを吹き鳴らしながら、白い軍服で行進してきたら、戦争を知らない人は仮装行列かと思います。

 「小泉総理を支持します」というプラカードを掲げた頓珍漢な外人が星条旗を立てたりして、警官に退場させられたり、中国人らしき青年が、「中国に帰れ」と参拝客ともめて血だらけになり、結局パトカーで連れ出されたり……。
 実にさまざまなシーンが展開されます。
 カメラはただひたすら、それらの出来事を追い続け、コメントは一切ありません。

 8月15日の靖国神社は、軍歌、軍服、旭日旗。戦争を連想させるものが次々とあらわれる、異様な空間です。
 そこは、アジア太平洋戦争の美化と戦争への憧れに満ち、時代を60年以上引き戻そうとするエネルギーが爆発していました。


 靖国神社のご神体は一振りの刀だそうです。
 刀とは江戸時代以前は武士の象徴で、明治以降も軍人のトレードマークのようなものでした。
 アジア太平洋戦争中、銃や爆弾があっても、あらゆる武器が帰結するところは刀であったとか。

 映画は全編を通して、刀が象徴的に扱われています。
 靖国神社におさめられる靖国刀を鍛える刈谷直治さん(90歳)を各場面に配置し、仕事をする姿やインタビューを紹介して行きます。
 「戦争はいやだね。二度度行きたくない、あんなとこ」
 そう言いながら、靖国神社に対する考え方は小泉純一郎と同じだと、中国人監督の質問に答えています。
 ただ、片言の日本語がこの老刀鍛冶に聞き取れないのか、どうも質問の意図が伝わっていないような気がしました。

 終盤で、「百人斬り」の新聞記事をはじめ、南京事件に代表される日本軍の残虐事件の写真が連続写真で紹介されます。右翼が文句をつけるとしたらこのあたりでしょうが、しかし、映されるだけでコメントもキャプションもありません。

 編集に明らかな意図は見て取れますが、靖国を批判するようなコメントはなく、それぞれの映像に対する解説もないので、これでは文句のつけようがありません。(普通の感覚であれば)
 ただ、台湾の高砂族の女性が、分祀を願い出るために靖国神社を訪れ、宮司に会見を求めますが拒否され、その対応に怒り「あなたの肉親の魂が台湾に残されたとしたら、あなたは日本に戻してあげたいとは思わないのですか」ということを通訳を挟んで訴える姿をしっかり捉えているあたりに、監督のこの映画に対する思いが感じられます。
 同様の意味で、日本人の真言宗の住職は、自分たちが仏教徒であるにもかかわらず、戦死した父親が神道の神社に祀られたことに対する無念さを表すために、仏間に僧侶の姿でない、軍服の写真を飾って無言の抗議をしています。

 この映画には、詳細な解説がありません。したがって、実在する出来事をザッと並べたような映画です。
 「あなたはこれを、どのように観て何を感じるか」、そう問いかけられている感じがします。

 少なくとも、右翼が騒ぐような「反日」映画ではありません。
 まあ、「靖国」について語るだけで「反日」だという輩はいますが。

 ぼくが感じたのは、靖国神社という空間に閉じ込められた、特異で時代錯誤の狭隘な空間です。
 戦争に反対し平和を求めるという、人間として当然の感覚が外に追いやられ、倒錯した軍国主義だけがそこにありました。
 敗戦後60年以上が経過し、人々の価値観や平和認識も変わり、したがって今の世の中にあってはならず、たまに街で見かければ極端な違和感を感じる存在が、大手を振って境内を歩き回っていました。

 ですがこの映画、実に面白い映画です。なんとかもっと多くの劇場で上映されないものかと思います。

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ホオジロの親子

2008年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム
あとで調べたら、これはホオジロではなくシジュウカラらしいです。
 ほっぺたが白いし鳴き声で判断したのですが、鳴き声は別の枝で鳴いていたホオジロのものらしかったです。

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 わが家の前の杏の木に、ホオジロの親子がやってきました。

Oyako1
 大きさが同じくらいですが、右が子どもです。


Oyako2
 身体は親と変わらないくらい大きいのですが、まだクチバシが黄色いのです。
 人間の世界にもいますよね、そんな子が。
 おかあさんがエサをとってきてくれるのを、おとなしく待ってます。


 Oyako3
 まだかなあ……。
 鳥も人間も、子どもというのは待てないのです。


Oyako4
 おかあさんが帰ってきました。
 早く早く!
 待ちなさい、ちょっと落ち着かせて。


Oyako5
 ごはん! ごはん!
 おかあさんごと食べちゃいそうな勢いです。


Oyako6
 もっともっと!
 やれやれ、まだ食べるのかい。

 何往復したでしょうか。おかあさんもさすがに疲れたようです。
 どうやら近くにホオジロの巣がいくつもあるらしく、この親子だけでなく、一日中何羽も入れ替わり立ち替わりやってきました。

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9条世界会議

2008年05月04日 | 国際・政治
 今日、5月4日から6日までの3日間、幕張メッセで「9条世界会議」が開催されています。
 12時半の開場(開演は1時半)をめざして、京葉線の海浜幕張へ。
 電車が途中の舞浜駅に近づくと、ディズニーランドが満員で入場制限が行われているとアナウンスがありました。
 電車はけっこう混んでいましたが、「舞浜で半分ぐらい降りるだろう」と思っていたら、舞浜駅に着いてもあまりすきません。
 なんと、ほとんどが海浜幕張で下車しました。
 幕張メッセでは他にも大恐竜展などが行われているので、おおかたそっちだろうと思っていたら、ほとんどみんなが『9条世界会議』の会場に向かっています。

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 会場に着いたら,すでに長蛇の列。
 入り口はずーっと向こうの建物、最後尾は写真左側のこっちを向いて並んでいる列のずっと後ろ。

9jo1

 ようやく入り口にたどり着きました。

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 すでに超満員で、指示された席は3階のずっと後ろ。到着順だそうで、アリーナに座っている人はいつから来てるんだ!

 聞くところによると、キャパ7000人の会場に10000人が押し寄せ、3000人ほどが入場できずに払い戻しを受けたとか。
 座れただけでもよかった。
 当初、前売りがさばけなくて困っていると聞きましたが、とんでもない、その倍が当日参加したもので,主催者側は大慌て。
 しかし、入れなかった人には申し訳ありませんが、これだけ動員できるのですから、まだまだこの国も捨てたもんじゃないですね。
 沖縄の「11万人」には遠く及びませんが。

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 広島から徒歩で71日かけてやってきた「ピースウォーク」のみなさん、今日ここがゴールです。
 「Yes we can!」「Yes we can!」「Yes we can!」
 どっかで聞いたような。


 反戦,平和運動で活躍する人々が次々と壇上へ。みなさんスゴイ人たちばかりです。

 コーラ・ワイスさん(アメリカ ハーグ平和アピール、国際平和ビューロー)による、日本と同じような非戦の憲法を持ち、軍隊を持たない国コスタリカについての話の中で、こんな諺を紹介してくれました。
 「空軍は鳥で十分,陸軍はアリで十分,海軍は魚で十分」

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 ご存知池田香代子さん、弁護士連合会の土屋公献さんのお話のあと,第一部の最後に行われたクラシックコンサートはびっくり。
 ステージの後ろに座っていた人たちはお客さんかと思ったら,合唱団。
 2002年に広島の中学生から送られた平和の一言メッセージを元に,広島合唱団の山ノ木竹志さんが編詩、高田龍治さんが作曲した世界をつなぐ平和の歌は、30カ国36言語に翻訳されて歌われました。「あなたの言葉で5番の詞を」の呼びかけに寄せられた詩は1300を超えました。
 そのうた「ねがい」は、ステージの後ろの席の数百人による大合唱。

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 今日のイベントは「360度お客さんがいて、新日本プロレス」状態だと司会の人が言っていたもので、ぼくは普通のお客さんかと思っていたんです。

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 続いて、市民と弁護士で作る合唱団が,ベートーベンの交響曲No.9「合唱」(「だいく」ではなく、憲法9条にかけて「だいきゅー」)を披露。
 演奏と指揮はプロですが、歌はソロも含めて市民合唱団のメンバー。
 いや,どうしてどうして,立派なものでした。

 第二部もベアテ・シロタ・ゴードンさん(日本国憲法草案作成時、第24条、男女の平等についての条項を担当)をはじめ、ぞくぞくと活動家が登場しますが、撮影・録音は禁止なので、詳細はブログアップを控えます。
 (ここに掲載の写真もホントはNG)
 第三部はUAや加藤登紀子さんらのコンサートになりますが、お腹もすいてきたことだし、後ろ髪を引かれながらここで退席。

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 ロビーでは,合同出版発行の『イマジン9』がなかなかの売れ行きです。
 同じ場所で売っていた「めちゃええやん」というネーミングの、「9条世界会議in関西」のペットボトル入り緑茶を購入。無農薬、有機栽培のお茶です。

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 帰りがけに立ち寄ったブース会場で、子連れの きくち ゆみ さんにばったり。
 彼女の出番は明日ですが、鴨川から毎日通ってきてるのかしら。

 杉並区議のけしばさんにもばったり。けっこういい席の入場券を持っていて、ずいぶん早く来た様子。

 合同出版のブースもけっこう人だかりが。
 「売れてる?」
 「ぜんぜん」
 あぶれた3000人の一部が流れてきているのか、本会場から離れているのに混雑している展示会場ですが、どうも、冷やかしが多いようです。
 そういうぼくも、冷やかし。

 昨日の朝日新聞によると、9条は変えない方が良いとする人が66パーセントだとか。一時に比べ改憲潮流は治まりつつあるような気配は見せていますが、油断は禁物です。

 今この時代に憲法を変えると、特定の誰かにとって都合の良い憲法に巧みに変えられてしまう危険があります。
 9条がその代表です。

9条世界会議@2008.5 幕張メッセ

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*この記事の掲載画像を他に転載・転用することは堅くお断りします。



「憲法記念日」憲法の本

2008年05月03日 | 本と雑誌
 今日、5月3日は「憲法記念日」です。
 研究者の岩田行雄さんが、国会図書館や公文書館に何度も足を運んでつくりあげた、「憲法について知りたいことが分かる」本を2冊ご紹介します。
 ともに、一般書店では高田馬場芳林堂書店、代々木の美和書店のみの扱いで,ネット書店を含め,取り扱っていません。すでに残部数は希少で、今回を最後に増刷はしないとのことですので、お早めにお求めください。


〈2008年4月新刊〉
 平和憲法誕生の真実
 戦後の息吹を伝える物語のような資料集

 岩田行雄編・著
 頒価500円(税込 発送手数料別)

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〈この本の内容〉
◆明かにした主な疑問点・問題点とその事実◆

○押し付け憲法論の元祖は誰か?
○「美しい国」「神の国」のルーツは道徳の教科書に!
○新聞は「ポツダム宣言」をどのように報道したか?
○終戦後、政府は民主化に着手せず!
○二人の大臣の問題発言
○民主化への転換点はいつ?
○戦後の息吹き、そして改革
○婦人参政権はベアテの贈り物?
○「憲法の口語化」秘話
○憲法研究会に集った人々の著作
○憲法研究会の活動日誌
○憲法研究会『憲法草案要綱』の全文
○様々な憲法草案と意見書
○毎日新聞のスクープ記事と社説より
○マッカーサー草案はどのように作られた?
○憲法第二章はなぜ第九条だけなのか?
○第九条を起草したのは誰か?
○日本共産党が憲法採決で反対した理由は?
○衆議院本会議の採決結果
○政府の新憲法普及活動
○戦争放棄の真の提唱者は?
○金森徳次郎の講演『真理が吾等を自由にする』


     ◇◇◇◇◇

 個人の手売りで2万1千部のベストセラー!
〈2007年3月増補・改訂 第4版〉
 検証・憲法第9条の誕生
 「押し付け」ではなく、自ら平和条項を豊富化した論議の全経過

 岩田行雄編・著
 頒価200円(税込 発送手数料別)

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 昭和21年6月20日、「帝国憲法改正案」として、第90回帝国議会に提出された政府案をめぐり、吉田茂総理大臣と与野党議員の攻防は圧巻。
 原夫次郎議員(日本進歩党)が(憲法9条について)「自衛権まで放棄しなければならないのか」という質問に,吉田総理は以下のように答えています。
 「従来、近年の戦争は,多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争また然りであります」
 日本が好戦的であるというイメージを払拭するためには,一切の軍備を持たないことだと言っています。このあたりの吉田総理の考えを,今の自民党議員にはっきりと聞かせたいですね。
 まあ、聞く耳持たないでしょうけれど。
 ちなみに,麻生太郎は吉田茂の孫です。親の心子知らずならぬ、祖父の心孫知らず。爪のあかでも煎じて飲ませたい、というか、吉田茂の悪い部分の爪のあかを飲んじまったのかも。
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 全国お郷ことば・憲法9条
 北は北海道から南は沖縄まで、全都道府県の方言で憲法9条を訳した最も内容豊富な本。
 渡辺えり子氏、佐藤B作氏、市原悦子氏をはじめ、多数の俳優さんたちによるCD付き。
 樫山文枝氏が憲法前文を朗読。

 坂井泉編・著
 合同出版 発行
 頒価1400円(税別)
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Okunikotoba_9jo

 おらって日本のこぐみんはのー、
 戦争はしねって
 三つばかやくそぐしたんさねー。
 一つめはのー、
 今世界では宣戦布告すてからだと、
 戦争はずめでもいいこどになってるだども、
 そんだこど認めねんさね。
 二つめはのー、
 軍隊や武器は一切もだね。
 三つめは
 日本の政府が戦争はずめる権利も、
 こんだのぜーったいみどめねんだよ。
 おめさんがた、
 この約束が世界に誇る憲法九条だて。
          (新潟市)

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首位北海道、最下位宮崎県

2008年05月02日 | 受験・学校
 最近、小学生5年生の無量がかみさんからしきりに日本地図を指差されて「ここはどこ?」と聞かれていると思ったら、これだった。
 学校の白地図テストで、北海道と青森と沖縄しかわからなかったらしい。
 今朝の朝日新聞の記事によると、この三つは知名度ランクベスト3。
 やれやれ。

Asahi0502
 
 宮崎県が知名度最下位だそうで、なんたること。
 「そのまんま」宮崎県知事が自分ばっかり売り込んで、肝心の宮崎県は認知されなかった、ということ。
 これは一昔前の、ミノルタカメラのコマーシャルと同じですね。
 ♪キラキラに光って~♪で宮崎美子はスターになったけれど、それが何のコマーシャルか分からなくなってしまったと言う、有名な話。
 あ、これ、「宮崎」つながりだ! ワオッ!

 朝日新聞のこの調査は小学生を対象としたものですが、高校生、大学生でも同じような結果だそうです。
 しかし、首都東京がどこか分からない小学生が、2割以上いるというのも驚きです。
 首都がこんなに小さいわけない、と思っている子がいるという話をかつて聞いたことがありますから、それか。

 しかし、高校生、大学生で分からないのがいたとしたら、これはもう事件です。

 このテスト,国会議員もやってほしいですね。ものすごく興味があります。
 東京都が分からない議員がいたらどうしよう……いそうだからこわい。
 国会議員はこれに加えて,世界地図もやってもらいましょう、どうせなら。アフリカはおろか,中東だって分からない議員がぞろぞろいそう。

 しかし、正直、ソ連崩壊後のヨーロッパや中央アジアは僕もよくわかりません。とくに○○スタンという国々が、どうも区別つかないんです。
 まあ、国会議員にはなりませんから。

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ガー! ゆうて…

2008年05月01日 | まち歩き
 おととい、駆け込み給油から帰ったあと、どういうわけかスモールランプがつきっぱなしで、そのせいでバッテリーが上がってしまいました。
 実はその日のうちに気づいたのですが、ま、乗る時になんとかすればいいや、てなわけで、ほってありました。
 
 で、今日、原稿データを受け取りに横浜まで出かけるので、JAFを呼んでエンジンをかけてもらうことに。
 「45分ほどお待ちいただきます」
 ゴールデンウィーク中は、JAFも大忙しなので、まあ、このくらいの待ちはしかたがない、と思っていたら、15分で来た。

 「かはははは、きれいになくなってますね」
 年配の係員に笑われましたが、まあ、気がつかなかったんだから、しゃあない。

 5分もかからずにエンジン始動。
 会員は無料です。

 原油高騰のおり、もったいないはなしですが、30分ほどアイドリング。
 これは、環境保護の点でも好ましくありません。でも、しゃあない。

 環八は込んでいました。

 毎度のことですが、この時期都内から東京の車はいなくなり、三河だの相模だの福島だの、地方からの車がたくさんやってきます。
 都内での道路に慣れない人の運転する車が、混雑していてしかも狭い都内の道路で右往左往。
 広い道路でも、右折車線だの立体交差だのが突然現れますから、慣れないとけっこうむずかしいそうです。
 右折したいのに曲がれない、まっすぐ行きたいのに直進禁止。
 すぐそこに見えている目的地に、なかなかたどり着けなかったりします。
 だもので、この時期の一般道はヒジョーに走りにくい。

 家を出てから30分もかかって、ようやく第三京浜へ。
 第三京浜はがらがらで、10分程度で横浜に着きます。

 一般道へ降りて信号で止まったところにクリーニング店があって、どうもその店のおかみさんらしき人は、言葉遣いから関西人のようでした。

 そして大きな声で、
 「今の季節な、洗濯もんが“ガー”ゆうてくるやろ、忙しいねん」

 「ガー!」

 関西の人って、擬音を使う人が多いです。
 「そこガッと曲がって、ビューッと行ったとこや」

 なんだか、へんなことで受けてしまって、家に帰るまで思い出しては笑ってました。

 しかし、久しぶりにちょっと長めの運転をしたもので、緊張してたんでしょうか、家に帰ったらぼーっとしてました。

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