ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

哀悼、鈴木清順監督

2017年02月27日 | 映画

出典:www.zakzak.co.jp
 
 2月13日、映画監督の鈴木清順さんが亡くなっていたことを、既に葬儀が終わったあとになって友人からのメールで知った。
 それからネットでニュースが氾濫して、詳細がわかった。93歳だった。
 年齢は関係ない。何百歳生きようが、ずっと生きていて欲しい人がいる。特に清順さんには、もっともっと映画を撮って欲しかった。
 

 
 最初に観た清順作品は、たぶん1963年の『悪太郎』だったと思うが、そのときは監督が鈴木清順とは知らず、ヒロインの和泉雅子目当てで観に行った。
 その後映画好きの友人に清順ファンがいて、誘われて観たのが『けんかえれじい』そして問題作の『殺しの烙印』。
 『けんかえれじい』は清順映画のシンボルとも言える桜吹雪が印象的だ。
 

 
 ところが、『殺しの烙印』が原因で清順さんは日活をクビになる。
 当時、青春物とアクション映画路線の日活で、社長の堀久作をはじめとした頭の固い経営陣に理解できない作品は御法度だったのだ。
 『殺しの烙印』は殺し屋が主人公のアクション映画であるが、ストーリーそのものよりも心理描写や映像美学に重点が置かれていて、当時の日活映画の方針とはだいぶ違っていた。しかしここに、以降の鈴木清順映画のスタイルを垣間みることができる。
 女優のヌードが頻繁に登場するため、今では考えられないほどのスミベタがつけられ、公開当初は成人映画指定であった。後にCS放送で観たときにはスミベタは取り払われている。修正を入れるかどうかは、確かに微妙ではある。
 

 
 日活をクビになって映画を撮れなくなった清順さんは10年後、松竹映画「悲愁物語」でカムバックを果たす。しかし、それも清順さんの創作意欲を満足させるものではなかった。
 そして、いっさいの制約を排除して創作した作品『ツィゴイネルワイゼン』が1980年に公開された。公開当初、この映画はどこの配給会社も手を上げなかった。日活や松竹の圧力もあったのだろうが、あまりにも斬新な映像に尻込みしたと言うのが本音だと思う。
 そこで考えだされたのが、空き地にプラネタリウムのようなドームを建てて、そこで上映するというもの。渋谷の、桑沢デザインの脇の空き地で観た人も多いのではないだろうか。それがおおかたの意に反して連日満員の大ヒットとなり、キネマ旬報ベストワン、芸術選奨文部大臣賞、日本アカデミー賞最優秀賞作品賞及び監督賞を獲得。ベルリン国際映画祭では審査員特別賞を受賞するなど、国内外で高く評価された。
 そうなると、配給会社も黙っていられず、一般上映館でロードショー公開となる。
 映画配給会社の調子よさは、現在も変わらず、昨年公開されたアニメ映画『この世界の片隅に』がまさに同様。
 
 鈴木清順監督作品は、たしか50作品ほどだったと思うが、なかでもぜひ見逃して欲しくない三作品をむりやり挙げておくと、①日活時代の代表作『けんかえれじい』、②清順ワールドを確立するきっかけになった『殺しの烙印』、③掛け値なしの代表作『ツィゴイネルワイゼン』ということになる。とくに『ツィゴイネルワイゼン』は、鈴木清順監督の代表作であるとともに、日本映画の代表作である。

広中一成『通州事件』

2017年02月23日 | 昭和史

 
 通州事件とは、1937年7月7日に起きた盧溝橋事件から22日後の7月29日未明、北京市の東20キロにある通州で起きた事件である。日本居留民225人(日本人114人、朝鮮人111人)が、叛乱を起こした日本の傀儡政権である冀東(きとう)防共自治政府の保安隊によって殺害された。
 この事件は現代においては、中国人保安隊の残虐性が強調され、日本居住民の被害を際立たせることで、一部右派の論客によって、あたかも南京大虐殺と対抗させるような論評がなされている。規模も事件の背景も違うので、比較対象にはなり得ないのだが、「中国人の方が日本人よりも残虐なことをやっている」ととんちんかんな喧伝をしている。
 忘れてならないのは、この事件の背景には、日露戦争の勝利で勢いをつけた日本が、朝鮮半島から中国東北地方を侵略したという事実があることだ。
 本書は、日本、中国、台湾の資料を収集し、感情的な先入観を排除しつつ、冷静に歴史事実を解き明かしていく。
 全体は、第一章「通州事件前史」、第二章「通州事件の経過」、第三章「通州事件に残る疑問」の3章と二つのコラムからなり、日本、中国それぞれの兵力、日本軍による報道規制、さらには阿片密貿易に関する知見など、限られた紙数を友好的に使って細密である。
 本文はたいへん読みやすくわかりやすい。特に二章などは、テンポよく簡潔に日中戦争の経過を追っているので、アジアの現代史をこれから学ぼうとする人にはきっかけになるだろう。
 しかし、資料の不十分な点は否めない。本書は一般向けである、などと気取らず、さらなる研究の継続と詳細な研究書の発表が望まれる。
 
 それと編集者の端くれとして一言いわせてもらえば、(これは著者の責任ではなく、出版社のあり方だが、つくりがいささか荒っぽい。ハシラやノンブルの欠落したページがあったり表組みや写真の置き方などに気配りが足りない。決定的なのは、テキストが大幅に脱落しているページがあった。組版でテキストデータが写真の下に入り込んで隠れてしまったのだろうが、ごく初歩的なミスである。校正で気付かないのはおかしい。
 見えない部分がどうにも気になったので問合せをしたところ、迅速適切に対応してくれたので、大過はなしとしたい。程度の問題はあるが、誤植のまったくない本は奇跡に近いのだから。
     星海社新書(発売:講談社)定価880円(+税)

放哉携帯

2017年02月21日 | 文学

 
『尾崎放哉句集』をバッグに入れておくことにした。
荻窪から新宿までの10分足らずの小説ほどではない時間に、ぱらぱらと眺めるのにちょうどいい。
アシのYにすすめたら、電車の中で笑ってしまうのは困るから、やめておくという。

かへす傘又かりてかへる夕べのおなじ道である

国は守ってくれなかった。『相棒Ⅳ』

2017年02月19日 | 映画

 
 隣が工事をしていて、はげしい騒音で仕事どころか読書もテレビも見ていられない。平日は大きな音の出る工事は遠慮してもらっているのだが、どうしてもということなので、やむなく土曜日のみ音を出すことを許可したからだ。
 
 そこで、静かになるまで映画でも観に行こうとカミさんと出かけた。どうしても観たい映画はなかったのだが、さしあたりカミさんが観たがっていた『相棒Ⅳ』(僕としては『サバイバルファミリー』のほうが、スノーデンの暴露に連動しているようで、興味深かったのだが)を観る。
 けっこう面白かった。

 冒頭、トラック島(現在のチューク諸島)をアメリカの戦闘機が空襲するシーンで始まる。アジア太平洋戦争中、南太平洋のこのあたりは、サイパン、グアムとともに日本が占領していたが、敗戦間近になって日本軍は、一般住民を置き去りにして逃げ去ってしまった。残された住民の多くが、米軍の空襲で犠牲になった。
 トラック島から戦後、命からがら日本に帰還した天谷克則は、戦時特措法によって死亡宣告されていた。彼は国によって見捨てられ、殺され、存在しない人間になっていたのだ。

 そして現代、誘拐事件が起き、「テロリスト」は人質をとり、24時間以内に9億円の身代金を要求してきた。支払われなければ「大勢の人々の見守る中で、日本人の誇りがくだけ散るだろう」と、不特定多数の日本人を狙った、無差別大量テロを予告した。
 しかし政府は、「断固テロに屈しない」との立前のもと、「テロとの戦いで犠牲はつきものだ。我々は人間でいえば頭脳だ、多少手足に擦り傷がついても頭は守られなければならない」などと、一般人を見殺しにすることを公言し、しかも、人質の女性については一言もなかった。
 これは、中東で起きたかつての人質事件のとき、そして、ISに捉えられた日本人の身代金要求にも無視を決め込み、「自己責任」といって見殺しにした日本政府の態度に酷似している。
 日本という国は過去にも現在も将来においても、国民を守らないのだ。
 沖縄のオジイやオバアの、「兵隊は住民を守ってはくれなかった、それどころかじゃまにして殺した」というつぶやきが、過去のものではないことを物語る。
 「テロリスト」はそんな日本政府に対して、自らの身を挺して戦いを挑んだのだ。(彼らに対してテロリストという呼称はふさわしくない。だから括弧つきにした)
 
 まあ、結末は『相棒』らしく、それなりの「正義」をもって解決に導くのだが、たぶんドラマではできなかったテーマだろう。日本軍が住民を見殺しにしたなど、戦争のできる国にしようとしている現政権にとっては看過できない表現だからだ。地上波ドラマならたぶん、テレビ朝日は自粛しただろう。
 
 時間つぶしのつもりが、ちょっと徳をした気分だった。

咳をしても一人

2017年02月17日 | 文学

 
 五・七・五の定型にしばられない、自由律俳句の代表的な俳人である尾崎放哉(おざき・ほうさい)。よく種田山頭火(たねだ・さんとうか)と並び称され、学校で習う文学史上には必ず登場するそうだが、忘れてしまっている人の方が多い。ぼく自身も、どこでこの名前を知ったのか定かでない。学校で教わったわけではない気がする。いずれにしろ、出会いは大昔だ。
 表題の「咳をしても一人」という句を読めば「ああ、あの人か」と察する人もいるにちがいない。


 いれものがない両手でうける

 足のうら洗えば白くなる

 漬物石がころがって居た家を借りることにする

 障子の穴から覗いてみても留守である

 すばらしい乳房だ蚊がいる

 口をあけぬ蜆死んでゐる


 現代ならツイッターのつぶやきみたいな俳句だが、1885(明治18)年生まれ1926(大正15)年没の放哉がツイッターを知るはずもない。
 放哉はわずかだが、短編小説や随想なども書いていて、さぞかし面白いだろうから読んでみたいものだとずっと思っていた。
 たまたま筑摩書房2002年発行の『放哉全集』(全3巻)の状態のよい古書を見つけた。ちょっと場所取りになるなあと思ったが、最近荻原井泉水(はぎわら・せいせんすい)の家から出てきた大量の未発表の句が収録されているということも食指を動かした。
 さて、期待していた短編・随想だが、はっきりいって俳句ほどの面白さはない。余分なものをそぎ落として、1行に凝縮された文章の方が、内容も濃密になるということか。

 〈紹介〉
 『尾崎放哉句集』(岩波文庫)
 『放哉文庫』全3巻(春陽堂)

元国立市長上原公子氏講演(APC2月定例会)

2017年02月13日 | 社会・経済
 アジア記者クラブ2月定例会として、元国立市長上原公子氏の講演を行う。
 日時 2月23日(木)18時45分より(21時終了予定)
 場所 明治大学研究棟2階第9会議室
 【要予約】apc@cup.com 「アジア記者クラブ」
 詳細は添付のチラシ参照。


 
 ↓アイコンクリックで原寸大表示。

荻窪BUNGA「みんなでワイワイコンサート」

2017年02月13日 | 音楽
 「アジア記者クラブ通信」の印刷・発送作業が終わった後、メンバーのひとり宮平真弥さん(『琉球独立への本標』の著者)が三線をケースに入れて持ってきているのを見つけ。「どうしたのこれ?」と尋ねた。
 「これから荻窪でライブ」
 「荻窪ならわが家の近くだ。行くよ」とつい気軽に応え、カミさんまで誘ってしまった。
 会場の「BUNGA」は荻窪駅北口から2〜3分の商店街の中にある。毎日のように通っているのに、ここにライブハウスがあるなど知らなかった。こじんまりして、しかも地下、隣の台湾料理店の方が目立つ。
 数年前からあるらしく、オーナーはプーさんと称する年配の男性で在日韓国人と聞く。みずから見事な発声で歌をうたう。店長はミナさんという美形の若い女性だった。
 宮平さんは満員になることはないと言ったが、豈図らんや、開演前に入ったにもかかわらず、ほぼ満席状態で、なんとステージ前の特等席だけが空いていた。エントリーした個人・グループが12組あり、全員が客席を楽屋代わりにしているのだから、満席になるはずだ。
 

 
 プログラムを見ると、肝心の宮平さんの出番は最後から二番目でしかも持ち時間は10分。しゃべりがほとんどで演奏は1曲だけ。
 出演者のほとんどは、素人のなかの「うまい奴」レベルで、プロレベルは2〜3組。こういったライブはそんなものである。しかし、そのへたくそがけっこう楽しめるから不思議だ。伴奏とは別の曲で歌ってしまったり、ギターのキーが合わなかったり…。間違うたびにカミさんは大喜び!
 
 ところが終盤になって、30年来の友人がいきなりステージに上がり、驚いた。
 

 
 客席から「真藤君」と呼んだら、声で特定できたのか「あれ、◯◯さん? なんで?」とそうとう驚いたようだ。こっちも偶然の出会いに驚いた。
 彼は真藤一彦君(左)と言って、出会った当時はまだかろうじて見えていた目が、徐々に視力を失い、現在は全く見えない。以前は彼の自宅近くの梅ヶ丘でライブをやっていたのだけれど、店が撤退してからはあまり音楽活動はしていないという。たまに全盲のギタリスト服部こうじ氏(右)とデュオを行っているそうだ。
 服部氏は濱ノ屋与太郎氏(中央)とともに「元祖ダラーズ」というコンビを組んでいて、彼らの演奏技術はそうとうなものだ。
 
 宮平さんの出番が少なくてがっかりしたが、けっこう楽しめたのと真藤君との久しぶりの出会いに、まあ満足できた。

チェレギーノ子どもの家、作品展

2017年02月05日 | 出産・育児

 
 案内をもらっていたチェレギーノ子どもの家の作品展に出かける。隣が工事をしていて落ち着いて仕事ができないので、時間つぶしが本音だ。 
 チェレギーノ子どもの家は、モンテッソーリ教育の未認可幼稚園である。
 モンテッソーリ教育とは、日本ではシュタイナーほど知られていないが、子ども一人ひとりの個性を生かし、それぞれのペースで能力を引き出す教育方法である。
 だから、時間割がない、全員が揃って何かをするのは、最初の挨拶と、最後の読み聞かせのあと、母親と行うゲームだけ。ほとんどの時間を子どもがやりたいことを好きなだけする。
 イタリアのマリア・モンテッソーリによって考案された、独特の教具を使う教育方法である。
 
 国が決めたカリキュラムに従わず、子どもたちに同じ結果を求めないから、それだけでも認可されにくい。加えて、認可幼稚園としての条件である園庭もない。
 したがって、どうしても保育料が高くなる。
 国や自治体の教育方針に寄り添わないから、モンテッソーリを謳いながら認可されている幼稚園よりも、本来の形に近い。
 わが家の子どもたちは二人とも3歳の時から小学校に入るまで通った。今思えば、よく通わせたと思う。
 この幼稚園に通うわが家の子どもたちをレポートした『モンテッソーリ教育で、子どもの才能が見つかった』(中央アート出版社)という本も書いた。
 
 作品展は、この幼稚園の子どもたちの、能力の成果である。時間をかけ、やりたいときにやりたいことをやらせる。必ず完成するまで待つ。だから、未就学児童の作品とは思えない、ものすごいものが出来上がる。
 このことは、成長してから、想像力と、必ず最後までやり遂げるという忍耐力が身に付く。
 限られた時間で、全員が揃って同じことをやる一般の幼稚園では出来ないことだ。
 写真は作品の一部の陶芸。他に、木工や手芸、絵画、彫刻などもある。
 わが家には、こうした作品が山ほどある。中には十分使用に耐えるぐい飲みや鉢などがあって、どれも処分するには惜しい。
 はじめて観た時は驚いたが、今ではすっかり慣れてしまって、たまに小学校の展示会などを観ると、小学生にもなってこの程度かと思ってしまう。
 この国の幼児教育は、がんじがらめなのだ。