ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

「透ける豚(トン)」じゃないスケルトン

2019年03月12日 | 雑感


 日本では一般的に、中味が透けて見える器物のことを「スケルトン」と言っている。
 スケルトンとは、骨組みのことで「透明」を意味しているのではない。
 「透ける豚(トン)」
 ではない!
 ちょっと前に、買っておいたペリカンのスケルトン万年筆を使って見ることにした。インク吸入の構造が見えて、インク残量も一目でわかる。なぜこんなものを買ったのかというと、珍しそうだったのと、それにペリカンなのに安かったから。
 ちょっといけてるじゃないか、この透ける豚、じゃなかったスケルトン。
 軸色にあわせてブラウンのインクを入れている。太字のはずだったが中字くらいの感じだ。万年筆の細字だの太字だのをあらわす「F」や「B」、ほとんどあてにならない。しかしそれが、意に反してすこぶる書きやすい。いい意味で期待を裏切られた。
 
 透けているものはセクシーである。裾がレースになったスカートを見かけることがあるが、ミニスカートよりも長いのに色っぽい。一昔前に流行った女性のファッション、長い袖のシースルーはノースリーブより美しかった。広い意味でのスケルトン効果だ、と思う。
 しかし、スケルトンは骨組み、骨格のことだ。美人のレントゲン写真を見てセクシーだとは思わないだろうけれど、万年筆のスケルトンはじつにセクシーである。 


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一生に一度の記念
卒論・学位論文を本にしよう


 人生の節目の記念として、卒論や学位論文を本にする方が増えています。
 出版社の目にとまれば、企画出版として一般に流通することもあります。
 もちろん、ご自身や身近な人に蔵書していただくための少部数の出版も可能です。

出版にはさまざまな目的があります。
・ご自身の仕事や経営している店舗・企業をPRすること。
・書きためた原稿の整理と保存。
 エッセー、詩、俳句、和歌
 自分史、日記、ブログ、旅行記
 写真集、画集、その他作品集
             などなど。

 せっかく書きためた原稿も、そのままでは散逸してしまいます。しかし本にして、複数の人に蔵書してもらえれば、数十年、ときには数百年、末代までも保存されます。
 上記に該当するものがございましたら、ぜひご相談ください。

 ◆ご相談お見積り無料
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獺祭で年越し

2017年12月31日 | 雑感


友人たちとの忘年会で大変うまかったので、奮発して(それほどでもないか)獺祭(だっさい)の大吟醸を買った。
本当は正月に開けるつもりだったが、待ちきれず年越しそばと一緒にいただくことにした。
「なかなかである」

で、正岡子規に『獺祭書屋俳話』という評論集がある。獺祭とはカワウソが捕獲した魚を食べる前に並べておく習慣を言ったものだが、獺祭書屋とは執筆中に調べもののために引っぱりだした参考資料が、まるで獺祭のように足の踏み場もないほど散らばっていることを言う。正岡子規は散らかった自分の書斎を獺祭書屋と表現したのである。

中央大学のY教授の研究室などはまさにそれ。ドアを開けたとたん、目の前に書棚がそびえ立つ。訪問者はその脇をカニの横ばいのごとく堆く積まれた書物の間にできた畦道を辿って行かねば、奥のデスクに鎮座するY教授のもとにはたどり着けない。
訪問者用の折りたたみいすは1脚しか置けないので、「一人しか入れないから」とあらかじめ言われていたにもかかわらず、2名で訪問して一人は立ちっぱなしだったことがあった。
ワンルームマンションくらいの広さはあるのだが、壁面はびっしり書棚で埋まり、部屋の真ん中にも背中合わせで書棚がある。書棚に入り切らない本が床に古紙回収業者の集積所のように山をなしている。これぞ究極の獺祭書屋である。
大量の書物のなかから必要な本を見つけ出すよりも、図書館に行った方が早いと、本人も自覚しているようだ。

実は、そういう当方の書斎も、油断をしているとたちまち獺祭書屋の態を成しかねない。

「言論空間を歪めているのは誰か」

2017年04月01日 | 雑感


 東京MXが1月2日に放送した「ニュース女子」という情報番組が、あまりにも悪意と偏見に満ちたものであることが問題視され、多くの友人たちがテレビ局に抗議した。幸か不幸か、私自身はこの番組を観ていなかったので、また聞きだったからコメントのしようがなかった。
 たまたま『一冊の本』(朝日新聞出版)の4月号にジャーナリストの安田浩一氏がくわしい解説を掲載していたので、ようやく詳細を知ることができた。
 記事が事実とするならば、東京MXテレビはマスメディアとして決してやってはならないデタラメを世に流したことになる。
 まぎれもなく「番組は徹頭徹尾、悪意と偏見に満ちていた」(11頁上段)ことがわかった。
 「『軍事ジャーナリスト』を名乗るリポーターは肝心の高江に足を運んでもいない。(中略)『羽田から飛んできたのに、このトンネル手前で足止めをくらった』と悔しそうな表情を見せ、カメラはトンネル入り口を映しながら、その先に暴力渦巻く闇があるかのよいうな演出をする(同下段)。」
 実は高江は、このトンネルから45キロも先である。手前どころかぜんぜん別の場所だ。まったくの大ウソである。
 この記事でまとめている番組のポイントには、右翼が沖縄の住民運動を批判する要素の多くが含まれていることがわかる。
 ・反対運動の現場にはほとんどのメディアが入れない
 ・反対派によって救急車による救護活動が妨害された
 ・警察の取り締まりが緩いのは、県警トップが(辺野古基地に反対する)翁長雄志知事だから
 ・反対派には韓国人や中国人ばかり
 ・本当は基地建設に反対する人は沖縄では多くない
(12頁)
 はては、「2万円」と書かれた茶封筒を示し、「反対派は日当をもらっている?」「反対派の人たちは何らかの組織に雇われている?」などといったテロップやナレーションが流されたという。
 もちろん、「2万円」と書かれた茶封筒が「日当」である根拠はないし、一度でも反対運動に参加したことのある人ならば、反対派が「なんらかの組織」に雇われているはずなどないことはすぐにわかる。
 これらはネット上で氾濫するいわゆる「ネトウヨ」の論理以外の何ものでもない。言うまでもないが、辺野古や高江は誰でも現地に行くことができる。けっして足止めなどはない。
 
 恐ろしいのは、こうしたデタラメ報道を信じてしまう人間がいるということだ。それはつまり、沖縄と本土の温度差が原因であり、国民の多くが沖縄問題を対岸の火事として無関心であることにつきる。今の沖縄は日本全体の縮図と見ることができる。沖縄に無関心であるということは、結果的に日本という国のあり方にも無関心ということになる。
 
 それにしても東京MXテレビ、あやまりもせず訂正もしていないと聞く。こんな番組をつくって恥ずかしくはないのだろうか。たぶん、番組プロデューサー自身が事実から背を向け、安倍政権にヨイショすることだけを考えているのだろう。
 
 その安倍政権にも、どうやら秋風が吹きはじめたようだ。

トランプ流「バカの壁」

2017年01月31日 | 雑感


 「東京新聞」2017年1月31日付朝刊。
 何から何を守ろうとしているのか。
 
 クリントンではなにも変わらない。トランプが何か違いを創り出すのではないかと言う思いが、半信半疑ながら少なからぬ人々に期待をもたらしたことには間違いない。しかし、今後、アメリカ国民や世界が望むような変化が生み出されるのかといえば、就任から3週間が経って現在、どうも様子がおかしい。
 「彼はただのクレイジーだった」のか?
 それにしても、安倍総理の態度は、イギリス、ドイツ、カナダなどの首脳と比べて情けなさ過ぎはしないか。
 「アメリカ政府の決めたことに、口出しする立場にない」とは。まさにアメリカ追従を露骨に表しているではないか。
 
 それよりなによりトランプ大統領、任期満了まで持たないのではなかろうか。たぶん。
 次は、サンダースか?

難病もの

2017年01月13日 | 雑感
 「一リットルの涙」を観た後、ふと思った。
 いわゆる“難病もの”といわれる映画やドラマは実に多い。しかもそこそこ話題になり、ドラマでいえば視聴率、映画ならば一定以上の興行収入を得ている。中にはメガヒットと呼ばれるものもいくつかある。
 

 
 思い返せば、…あくまでも自分の記憶の範疇であるが…最初に観た“難病もの”の映画は、吉永小百合主演の『真白き富士の嶺』(1963年)だった。
 吉永小百合だから観に行ったのであって、内容はどうでもよかったのだが。きっと印象深かったのだろう、それから何十年も経っているのにいくつものシーンを記憶していた。
 朝、鏡の前の自分に向かって「早起きは三文の徳よ」と語りかけるシーン、枕元におかれた新潮文庫のケッセルの『昼顔』…などなど。
 それが去年、CS放送で偶然観ることができてなんとも懐かしかった。台詞も場面もかなり細かいところまで記憶していたのには驚いた。
 病名は当時不治の病と言えば定番の白血病。
 ちなみに、歌で有名な逗子開成中学校のボート転覆事件とは何の関係もない。
 この年、あの有名な『愛と死を見つめて』が出版され、400万部の大ベストセラーになる。
(ウィキペディアには160万部とあるが、河野実さんいわく400万部は出ていたそうだ。たぶん出版社が印税の操作をしたのではないか。公称と実売が異なるのはよくあることだ)
 これがそもそも、後の“難病もの”の先駆けであった。
 近年、著者の河野実さんにお会いしたときに、「ずいぶん印税が入ったでしょう」と聞いたら、当時学生であった彼の収入は不労所得扱いになり、大半が税務署に持っていかれて、手にした印税は雀の涙だったと言う。
 「経費として認められたのは、筆記用具と原稿用紙代の8000円だけ」だったそうだ。
 映画は吉永小百合、ドラマは大空真弓主演(ともに1964年)。だから吉永小百合は2年連続で“難病もの”の映画に主演したことになる。
 2006年には広末涼子と草彅剛で再ドラマ化された。草彅がジャニーズなので、これも再放送がない。
 それから、『世界の中心で、愛をさけぶ』『いま、会いにゆきます』『美丘』などなど、“難病もの”が続々と登場し、いずれもヒットした。
 日本人はウルウルしたい民族なのだ、とつくづく思う。
 
 それはそうと、“難病もの”で病気になるのはおおかたが女性。どうやら男が病気になっても感動は生まれないらしい。これはある意味性差別ではなかろうか。
 先日出版社での打ち合わせ後の雑談で、沖縄戦のひめゆり学徒は有名だけど、鉄血勤皇隊の健児の塔は知らない人が多いという話が出た。年齢は同じくらいで、犠牲者数は鉄血勤皇隊の方が多い。なのに人知れず、沖縄の慰霊碑はひめゆりの塔に比べると、ひっそりしている。まあ、行きにくい場所にあることも原因のひとつだと思うが、それ以上に、女性の方が悲劇的に見えるということだ。(元沖縄県知事の大田昌秀さんは鉄血勤皇隊の千早隊=情報宣伝隊=だった)
 すなわち、日本はまだまだ男社会であるということだ。

編プロという仕事

2016年12月29日 | 雑感

 
 ウチは編集プロダクション、俗に「編プロ」といわれる零細企業であるる。
 何をしているのかと言えば、出版社から受けた原稿を本の形にするのが仕事だ。
 今年話題のドラマ、「地味にスゴイ! 校閲ガール」のように、校閲部を持っている出版社は大手の中でも限られ、極端な場合、編集業務もすべて外注という出版社も少なくない。仮に編集部があっても、自社で製作しきれなくなると、我われのような編プロに依頼することになるのだ。
 当然だが、編プロの編集者や校閲マンは、平均的に優秀である。そうでなければ仕事は来ない。
 
 仕事の進め方はどこの編プロも同じというわけではない。基本は同じだが、永年の経験から、効率よく正確な仕事をするために独自の作業方法を編み出すから、実にさまざまだ。そしてどこも、自分のところが一番正しいと思っている。
 例えば、写真の左に置かれたプリントは、マイクロソフトワードで送られてきた原稿を出力したもので、僕の場合、最初はこれで読んで原稿をチェックする。Wordのテキストを直接PCのモニターで読んで作業する人も多いが、僕の場合は紙で読む。そこに朱入れしてWordのデータに反映させる。一見非効率に思えるが、紙とモニターでは違って見え、それぞれ気付かなかった個所を見つけ出すことができるから、結局その方が正確で間違いがない。
 朱で書き込まれた記号は、他人に見せるわけではないので、テレビドラマの「校閲ガール」のように、あんなに丁寧には書かない、ほとんど殴り書きだから、自分にしかわからない。
 誤字・脱字・誤用を見つけ、矛盾点をただし、用語の統一を行い、括弧や句読点の入れ方を工夫して読みやすくする。
 くどく読みにくい文章を、読みやすく整理する。仲間内では「ケバとり作業」という。多いのは「馬から落ちて落馬する」ような二重表現だ。
 二重表現でやりがちな例を一つ。
 「二カ月間のあいだに」→これは「二カ月間に」あるいは「二カ月のあいだに」でいい。「間」と「あいだ」が重複しているからだ。
 こんな間違いも見かける。「元旦も夕方近くになると……」。「元旦」とは元日の朝のこと。「旦」の字は地平線(水平線)から日が昇っていることを表している。だからこれは「元日も夕方近くになると……」に修正する。
 クイズ番組に出るので知っている人もいるだろうが、「おざなり」と「なおざり」、「潮時」、「役不足」、「喧々囂々」と「侃々諤々」などは、実際間違って使われていることが多い。著者によっては、間違いを指摘して感謝される場合もあれば、逆切れされることもある。
 送り仮名の間違いも多い。名詞扱いと動詞扱いでは送り仮名の要不要が発生する言葉がある。動詞としての「話し」「答える」「証し」などを名詞として使う場合は「話」「答」「証」のように送り仮名は付けない。
 新聞社などが用語の基本形として作った『記者ハンドブック』を、単行本でも参考にしている出版社がある。若い新人記者にもわかりやすく、記事原稿の統一を図るためだろうけれど、上記の場合などは名詞も動詞も区別なく送り仮名を振るように指示されている。困ったことに、出版社の若い編集者などは、それが正しいと思い込んでしまっていることが多いのだ。受験勉強に「記者ハンドブック」を使ったら、きっと不合格になる。
 ウチでも「記者ハンドブック」を参考にしていたことがあったが、あまりにも間違いが多いので、最近はまったく使わない。
 
 おわかりと思うが、ドラマのように、昨日今日入ってきた新人がスタスタ出来るような簡単な仕事ではないのだ。しかし、主役の石原さとみさんは、実際優秀だったようだ。美人で英語も堪能だし、天は二物を与えずというが、二物どころか三物も四物も持っている人のように思える。
 
 写真の左にあるのは校正紙で、整理された原稿を本のページに合わせて組版したものだ。ここで改めて校正・校閲の手を入れる。この段階では主に誤字・脱字や不統一などを中心にチェックする。本来大きな直しはなくて当たり前なのだけれど、最後の最後まで原稿に手を入れてくる著者もいる。そうした個所はチェックの回数が少ないので、間違いの原因になる。そうでなくても、何百ページもある本にまったく間違いがないことなどめったにない。読者に気付かれなくても、改めて読むと冷や汗が出ることはしょっちゅうだ。
 
 ドラマでも言っていたが、これを「ゲラ」と呼ぶ人が多い。しかし正しくは「ゲラ」ではない。「ゲラ」とは活版印刷のときに用いられた「ゲラ刷り」から来ている。ゲラは植字工が活字を組むときに使う箱のことである。ページの大きさの箱の中で組み上がった活字に直接インクをつけて校正刷りを作るので、ゲラ刷りと言う。
 だからこれは、「校正紙」であって「ゲラ」ではない。
 ウチでは印刷用の最終データまで作成するので、著者から戻ってきた校正紙を印刷データに反映させるのも仕事のうちである。校正紙の直し済みの個所を黄色のダーマトでチェックし、直し漏れがないように再確認した個所は緑のダーマトでチェックが入る。色は業界内で決まっているわけではない。アシのYが決めたことがそのまま習慣になっているだけだ。
 
 編集と校閲は僕の仕事で、データ作成と修正、そして簡易校正はおもにアシのYがやる。しかし今は、7冊の本が同時進行しているので、その住み分けは定かでなくなっている。結局それぞれ手の空いている方がすることになるのだ。
 
 今年はちょっと遅れが出てしまったので、正月中も原稿から目が離せない。それでも、明日は大掃除をしようと思う。

醸造酒は医者に止められているもので…

2016年12月27日 | 雑感

 
 焼酎と泡盛を一升瓶で買う。それと、ワイルドターキーの1リットル瓶。
 瑞泉の古酒43度、雲海には吉田羊さんのペンダントが下がっていた。
 瑞泉はストレートで、雲海はソーダ割りにして、わが家のゆずをたらす。
 ワイルドターキーはお湯割りかロック。
 
 中性脂肪が高くなっていて、医者から日本酒やビールなどの醸造酒を止められた。だから、もっぱら蒸留酒になる。
 もともとウィスキー党なので抵抗はない。
 
 泡盛はストレートに限る。以前、沖縄のホテルのバーで泡盛を頼んだら、飲み方を聞きもしないで水割りにしてきた。
 「水割りなんか頼んでないよ、ストレートにしてくれ」
 「失礼しました、東京の方だと思ったので」
 意味がわからない、東京の人間は強い酒は飲まないと思っているのか、そんなことはない。江戸っ子は強い酒が好きなのだ。
 だいいち、あんなうまい酒を水で割ったりしてはもったいない。
 ストレートと言えば、中国酒の茅台酒(マオタイチュー)もそうだ。強い酒だがあの香りとコクは水で薄めてしまったら台無しだ。だから、ストレートで飲めないならば飲むべきではない。酒に失礼である。
 
 以前、大田昌秀先生の事務所に夜に伺ったとき、酒瓶を山ほど載せたテーブルが置かれていて、「好きなのを飲みなさい」と言われる。
 「迷いますね」というと、「これがいいよ」と久米泉の12年ものを薦める。いくぶん弱めだがすこぶるうまい。かといって、1本飲みきれるわけがない。
 実は、大田先生はウィスキー、それもシーバスリーガルがお好みで泡盛は飲まない。戦後、米軍の収容所で味を占めたそうだ。
 だものだから、泡盛を一人で飲んでいたら、ボトルの三分の一ほどでいい加減目が回ってきた。
 大田先生はめっぽう強いので、シーバスリーガルをそうとう飲んでいるはずなのに、酔いが回った気配を見せない。とてもじゃないがついていけない。
 辞する際、「飲みかけをおいていくな、持って帰れ」と久米泉の12年を押し付けられた。
 ホテルに帰ると仲間がいて、大田先生にいただいたと久米泉を見せると、「飲ませろ」と言う。結局、その夜のうちに1本空けてしまった。
 
 で、今はこのブログを書きながら、雲海のソーダ割りを飲んでいる。昨日は久しぶりに泡盛に出会っていささか飲み過ぎたものだから、雲海のソーダ割りくらいがちょうどいい。
 そういえば、吉田羊さんが「そばそーだ、そばそーだ」と雲海のソーダ割りを薦めている。吉田羊さん、実際そうとうな酒豪らしい。あの美貌でさばさばした性格、一度一緒に飲んでみたいものだ……機会があれば。
 
 酒は人と人を近づける。男女であればなおさらだ。一番飲んでみたい女優は、じつは吉田羊さんではなく、わが家と住まいが近いあのいろいろ問題抱えていそうな……。

トイレ用カレンダー?

2016年12月25日 | 雑感

 
 「たんぽぽ舎」にでかけると、巧妙にものを買わされることが(ときどき)ある。
 「これ見てくれる?」と丸めて紐で縛った紙筒様のものを差し出し、それをほどいて広げてみせる。
 ヘンなカレンダーだ。
 「このイラストがネット上で右翼らしき者に改変されていてね……」
 まあ、よくある話を始めたのだが、「で、これ1000円なんだけど」と、なんやかやいつのまにか買ってしまっていた。

 表紙には「『トイレで知る・考える』カレンダー」とある。「No.26」とあるから、26年間も続けてきたのか……知らなかった。

 私の息子は、本を読みません。
 娘は、ニュースを見ません。
 奥さんは、新聞を開きません。
 でも、トイレには行きますから…
 「社会のことをる・える」を
 トイレに掛けるメッセージつき
 カレンダーに託しました。

 
 たとえば2月は、



 近頃は自国の総理大臣の名前をフルネームで言うことの出来ない若者が増えているそうだ。「晋ちゃん」が安倍晋三のことだとわかってくれるだろうか。 

7月は、


 
 「積極的平和主義」というのは、「こいつヤバい」と思ったとき、殴られる前に殴りつけることだとわかるかなあ?

 でもまあ、トイレに行く度に、こんなつぶやきに直面すれば、そのうち何のことだろうと考えはじめるかも。
 


 しばらくすると御大柳田真さんが「これは特別に差し上げましょう」と、別にただで配っても差し支えなさそうな『原発再稼働阻止全国ネットワークニュース』という、A4判6ページのパンフレットを持ってくる。
 表題だけ印刷して中味は自分たちで作ったそうだ。
 そこでいきなり、「NONUKES voice」という雑誌をドサッと持ってきて、「これが出るときには(ニュースは)出さないんだ。これ年4回だから。僕も書いてる』
 「うまいよなあ、こうやって売りつけるんだから」と言ったら肘鉄を食らった。
 ぱらぱらとめくってみたら、柳田さんの記事以外はけっこう面白そうなので買うことにした。680円。
 
 結局、たんぽぽ舎に行くと、なんやかや買わされるはめになる。

「宝島社」乱心!?

2011年09月03日 | 雑感
Mackarcer
 
 2日付『朝日新聞』朝刊に、宝島社の意味不明な巨大広告が見開き三十段で掲載された。
 1945年、ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立った写真を全面に配し、コピーは「いい国つくろう、何度でも」とあり、右下に宝島社のスペックが置かれただけのシンプルなものだ。
 見た瞬間絶句した。
 
 数十年前、広告業界が華やかだった頃、意味不明なイメージ広告を出す企業の代表が、池袋にできた西武系のショッピングモール「パルコ」だった。そのために、イメージばかりが先行してユーザーには意図が伝わり難い、自己満足的な広告のことを「パルコってる」などといったものだ。
 しかしパルコの、理屈でなく感性にうったえるその手法は、やがて企業のイメージ広告として定着するようになる。そして、広告の歴史の中で「パルコ以前、パルコ以後」と言われるようになった。
 実はパルコ以前に革命を起こした広告があった。レナウンの「イエイエ」である。これまでのテレビコマーシャルは、商品名の連呼があたりまえだった。
 記憶にある人はご存知のように、当時まだモノクロだった画像に、「イエイエ!」というリズミカルなバックミュージックに合わせて、今思えば決してスタイルがいいとは言えない女性たちが街を闊歩する、ただそれだけのコマーシャルだったが大評判になり、その斬新な手法は広告業界に強烈なショックを与えた。このコマーシャルで、レナウンは大幅に売り上げを伸ばし、一流企業の仲間入りをする。
 このときも「イエイエ以前、イエイエ以後」といわれ、イエイエが第一次広告革命ならパルコは第二次広告革命である。
 共通するのは、ユーザーの理性ではなく感性に訴えている点だ。当然、頭の固い人々からは意味不明だ公害だと猛批判を浴びたりもした。
 
 さて、宝島の「マッカーサー広告」だが、理性を働かせても感性を働かせても意味不明、どころか気分が悪い。
 マッカーサーの写真に「いい国つくろう、何度でも」では、感性を働かせろといわれても無理な話だ。マッカーサーは日本を占領して、沖縄の基地と、日本を占領支配しやすくするために天皇制をを固定化した張本人だ。そこに「いい国つくろう、何度でも」では宝島社の言わんとする「いい国」とはどんな国なのか、まったく理解に苦しむ。
 歴史上の人物を、しかも政治的な意味を持つコピーとあわせれば、受け取る側はその両方を併せて一つのメッセージと解釈する。だから、単純に考えれば、「マッカーサーのつくった日本が『いい国』と表現されている」ということになる。
 真っ当な日本人なら、怒りを覚えずにはいられないはずだ。
 
 宝島社という出版社は、どうも立ち位置のよく分からない出版社である。沖縄の基地反対運動に理解を示したり、原発廃止する特集を組んだりする一方、同じ出版社と思えないほど真逆の意見を主張する出版物が発行されていたりする。電子出版を全面拒否する姿勢には、応援しようかとさえ思ったのだが。
 
 パルコやレナウンは、固定化されたイメージを持つビジュアルの使用には慎重だった。人々の評価が定まった素材というのは、感性に訴え難いからだ。もし使うならば、一旦既成概念を破壊して、ただの素材に戻さなければならない。アンディ・ウォーホルのマリリン・モンローやキャンベル・スープ缶などがそうだ。
 
 宝島社のこの広告は、ウラを読もうにもきわめて難しい。ビジュアルもコピーもナマすぎて、真意を読み取ることが困難だから、ストレートに解釈するしかない。
 この広告を額面通り解釈すれば、「日本には力のある政治家がいないから、マッカーサーのようなカリスマ(事実はつくられたカリスマだが)を外国から呼んできて、占領政策のような強硬手段をもって日本をつくりなおしてもらう」という、あまりにも危険な考えだ。「何度でも」とは、「失敗したらまたやり直せばいい」ということだろうが、大学受験とは違う。政治で失敗したら国民の中に犠牲者が何人も出る。
 
 見開き三十段といえば、掲載費は半端ではない。実際に見たのは『朝日新聞』だが、どうやら主要な全国紙すべてに掲載したらしい。恐らく億単位の予算が動いているはずだ。無駄遣いも甚だしい、そんな予算があったら被災地に寄付してほしいものだ。
 それにしても、宝島社はそんなに儲かっているのか、それも驚きだ。
 
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下ネタですが

2010年11月26日 | 雑感
Daikon1
 
 「へんな大根買ってきちゃったよ」
 このところ野菜が高い。そんな情勢の中、近所に新しく開店した八百屋が、夕方5時過ぎると100円均一になるので好評だ。
 ただし、安売りする野菜はいわゆる規格外で、曲がったキュウリや傷のついたタマネギなどが売られている。しかし見てくれが悪いだけで、鮮度も味も規格品と遜色ない。
 
 で、カミさんはそうしたの中から一番大きな大根を選んで買ってきたが、こんな形になっているということは、家に持ち帰るまで気づかなかった、と言っている。
 店員にたとえニヤリとされても、まあ、気づかない人ではある。
 
 地方に出かけると「秘宝館」と称して、あまり子どもには見せられないようなコレクションが展示されているところがある。
 昔旅先で宿の主人に案内されて、その宿が経営する秘宝館を見たことがある。たしか、富士の裾野だったと思う。
 そこには春画や「道具」などにまじって、アルコール漬けにされた「農作物」も展示されていた。中にはかなりリアルな逸品もあって、それとこの大根は比較にもならないが、想像力を発揮すれば話題性は十分だ。
 
Daikon2
 
 大根というのは、成長過程で石ころなどの障害物に当たると二股に分かれたり枝状に横に伸びたりする。それが色の白さと相まって、味わい深い形状を表現することになるのだ。
 
 この日の夕飯は、大根の乱切りを骨付きの豚肉と一緒に圧力鍋で煮たもの。豚肉は骨ごと食べられ、大根は味がしみていて箸でスッと切れるほど柔らかい。これはカミさんの得意料理で、店に出して売れそうな一品である。(アシのYがこの日に限って早く帰り、食べ損ねて異常に悔しがっていた)
 
 で、その部分はというと、「ムリョー(長男)の子どものときのに似てるから、食べさせる」と言っていたが、本人は嫌がった。
 いつの間にかなくなっていたので、カミさんが自分で食べたのだろう。
 
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雑筆三題

2008年09月13日 | 雑感
喉に骨が刺さったとき、ご飯を飲み込んではいけない
 世の中には常識とか定説とされていながら、実はまったくの誤りであることが、少なくありません。
 テレビ朝日の「ウソバスター!」は世の中の間違った定説を暴き出すもので、大変興味深い番組です。
 「チョコレートが原因でニキビが出ることはない」
 「摩周湖は湖ではなく、法律上はただの水たまりである」
 「パンダとは本来レッサーパンダのこと」などなど。

 昨日、小学生の無量が給食に出たイワシの開きの骨が喉に刺さり、夜まで痛がっていました。
 「先生がご飯を飲み込んでごらんといったので、やったけどとれなかった」
 ぼくはそれを聴いて、これはまずいとすぐに医者に行って診てもらうようにカミさんに指示しました。
 魚の骨が喉につかえたとき、ご飯の塊を飲み込めとは、昔はよくいわれたものです。しかしこれは、骨がかえって深く刺さってしまうことがあり、大変に危険。
 口を大きく開いてピンセットでつまみ出すのが最善ですが、それでダメなら内視鏡のある病院に直行すること。
 学校の先生の無知は大事故につながります。先生を監視するPTAの目は重要です。
 ただし、モンスターペアレントにはならないように。

ジュリー「九条」の「窮状」を歌う
 朝日新聞朝刊より。あのジュリー(沢田研二)が最新アルバムに憲法九条の歌を入れるそうです。
 題して「我が窮状」。

 麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
 忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない
 英霊の涙に変えて 授かった宝だ
 この窮状 救うために 声なき声よ集え
   ……
 我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう

 耳で聞けば「窮状」は「九条」に聞こえます。
 「60歳になったら、言いたいことをコソッと言うのもいいかな。言葉には出さないけれど、九条を守りたいと願っている人たちに、“私も同じ願いですよ”というサインを送りたい」

 憲法を教えると、“偏向教育”だと先生が糾弾される学校があるそうです。先生たちが自分の国の憲法を教えることができない学校って、なんかおかしくありませんか。
 政府自らが、違憲判決を無視してインド洋に海上自衛隊を派遣している国ですから、ジュリーが歌うように、まさに「九条」は「窮状」です。
 コソッとはいうものの、「ホントはけっこう、必死のパッチです!」でしょうね。

「客観的に」自分だけ見えてます 福田康夫
 事故米を売ったのは農水省。本来工業用に糊の原料としてしか使えない米を、食品会社に売りつけるとはどういう感覚なのか。
 流通した事故米は、病院や老人ホームなどの施設に出回ってしまったことがわかっています。さらに、日本酒や焼酎にも。
 「処分するにもカネがかかるから」と言い訳する農水省ですが、お役所とは国民よりもカネを守る方が優先らしい。めぐりめぐって、自分や家族の口に入ることは考えなかったのでしょうか。
 
 自民党の総裁選も、国民のためでなく党と自分たちの選挙のため。「元総理」の肩書き欲しさに雨後の筍のように乱立する候補者。そんな茶番の結果決まった首相に万歳をする国民はもっと馬鹿。
 マスコミは政府の思いのままですから、受け身でいるだけでは、この国がどこに向かっているのかがわかりません。ちょっとだけでも努力して真実に目を向けることが大切です。
 もっとも、政府は体のいいごまかし情報を流して国民の目をくらましますが。

 「私は自分を客観的に見ることができるんです、あなたと違ってね」
 福田首相が辞任記者会見で言ったこの言葉はTシャツにもなったそうですが(著作権はどこにあるんだろうか)、この人、「客観的に」自分しか見ていなかったんですね。国民のことはまったく眼中になかった。気になるのは自分がどう見られているかだけ。
 「ばっかじゃなかろかルンバ♪」

 次期首相の本命と言われている麻生太郎、できれば秋葉原限定でいてほしいですね。国内はもとより諸外国に、これが日本の首相ですなんて言えたしろもんじゃないですから。
 曲がった口から出るのは失言暴言無駄口ばかり。
 せめて、祖父である吉田茂を多少なりとも学んでほしい。ま、もっとも吉田茂もけっこうバカなことやりましたけどね。
 あの有名な「馬鹿野郎解散」はまねしてほしくない。

 素朴な疑問。国会が解散するとき、なんで万歳三唱するんだろうか?

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 『原爆詩集 八月』朗読You TUbe

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日々雑感

2008年02月22日 | 雑感
●駅前の鳩
 荻窪駅前のロータリーに鳩が群れをなしています。「鳩にえさをやらないでください」という立て看板を無視して、餌を撒く人がいるのか、何羽もの鳩がコンクリートの割れ目に嘴を突っ込んでは餌をついばんでいます。
 ぼくが自転車で通りかかると、直前についばむのをやめてパッと飛び去ります。
 いたずらで、わざとぶつかっていこうとしたことがありますが、彼らはけっして自転車にひかれることはありませんでした。
 しかし、たまにですが青梅街道には、車にひかれた鳩の死骸を見かけることがあります。車のスピードや大きさによって逃げ切れないことがあるのでしょう。

 漁船とイージス艦の衝突事故は、不謹慎な言い方かもしれませんがこの「鳩と車の関係」に似ているような気がします。何隻もの漁船が大きな軍艦を避けるために右往左往している様子が、それぞれの船の記録に残されていました。
 漁船は避けるのが当たり前、もしぶつかったとしても、避けない方が悪い。
 そんな考えが自衛隊側になかったでしょうか。
 防衛大臣や総理大臣への報告が極端に遅かったのも、できれば「衝突事故はなかったこと」にしたかったのかもしれません。「なんだか、漁船が事故を起こしているらしいけど、我が艦とは関係ない」、ということにしよう、と。
 だとしたら「南京事件」などなかった、という右翼と同じ発想です。

 漁船の記録があり、イージス艦には回避義務を裏付ける船首右側に清徳丸の塗料が残されています。それでも、防衛庁側は、証言を2点3点させて事実を語ろうとはしません。
 防衛庁は保身に走らず、人道的な見地から真相究明にあたってほしいものです。
 
●中田宏横浜市長の暴言
 中田宏横浜市長が日本テレビ「ウェークアップ! ぷらす」の番組中に、沖縄の少女暴行事件について無神経な発言をして問題になっています。
 「しっかり教育もしなければいけない。街角でかわいいねって声かけられてバイクに乗ってっちゃったわけですね」「教育もちゃんと徹底しないと、ある意味これから先まだ不安だなと。それが本当の再発防止になる」
 米軍基地という根本的な問題にはまったく目を向けない非常識さに、同席したジャーナリストの江川紹子さんに「言うべきことじゃない」とたしなめられたそうです。
 
 教育や躾の問題と暴行事件は別の問題として考えていかなければなりません。躾がどうであろうと、このような事件は起きてはならないことなのです。
 招かれざる米軍基地の海兵隊員の存在は社会的問題であって、躾や教育は個々の家庭の問題です。どのような教育がなされていようと、起きてはならない事件なのです。

●中国製まな板からも有害物質
 中国製まな板から鉛。5800枚、ベネトンが回収。
 ベネトン ジャパン(東京)が販売した中国製まな板の塗料に欧州の安全基準を超える鉛とクロムが含まれていたとして、出荷した5817枚を回収する、と同社が22日発表した。商品名は「ガラスカッティングボード」。ベネトンが提携するレアック・ジャパンが中国で製造し、輸入販売した。ガラス裏面の塗料がはがれることがあり、その中に欧州の玩具の安全基準を4~14倍上回る鉛やクロムが含まれていたという。
 〈exciteニュース〉

 とどまることを知らない中国製品の有害物質。しかし、このまな板に関しては事件より事故の要素が強いですね。
 戦後すぐの日本では、DDTやパラチオンなどの殺虫剤がバカスカ使われていましたし、コカコーラに入っていた甘味料のチクロは発がん性物質でした。
 有害物質はそれぞれの国によって規定が同じではありませんし、時代によっても変化します。現在日本の厚生省が認可している着色料の中にも、欧米では禁止されているものが存在します。
 また、ホルマリンなどは、日本では幼児の玩具や食器に一切使うことは許されていませんが、国によっては「溶け出さなければよい」ことになっている場合もあります。
 製造した中国のメーカーが、輸出する商品について、相手国の基準に無頓着だったのかもしれません。

 これとちがって、冷凍食品に含まれる農薬は、あきらかに悪意を感じます。
 この悪意がだれによってだれに向けられたものなのか、早急に解決されるように、日中両国の捜査担当者にお願いしたいものです。
 反日感情から、日本製品の不買運動に結びつけたいならあまりにも幼稚な気がします。中国内部に自国、あるいは企業の信用をおとしめようとする人間が犯した犯罪の可能性もあるし、北京オリンピックを中止に追い込みたい人間の仕業かも知れません。
 あるいは、日本人の反中国感情を拡大するために、日本の右翼が中国の工場に入り込んで工作するという可能性もゼロではないでしょう。まさかとは思いますが。
 これらはすべて想像で、何の証拠も根拠もありません。今の時点では、何ら真相の「し」の字も見えていないのが現実です。

 気をつけなければいけないことは、ののしり合いや非難の応酬では何の解決にもなりませんから、それは避けたいものです。
 日本の捏造だとか中国の反日工作だとか言い合うことは事実の究明を遅らせるだけだと思うのです。

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お彼岸

2007年09月23日 | 雑感
Bochi_1
 今日、9月23日はお彼岸のお中日です。正しくは「彼岸会」といい、彼岸、すなわち向こう岸=あの世にいるご先祖様を供養する日です。ちなみにこの世は此岸(しがん)といいます。
 お彼岸は春と秋、1年に2度あります。それぞれ春分の日と秋分の日を挟んだ1週間で、真ん中の日を「お中日」といって、お墓参りに行きます。

 我が家も今日は家族で青山墓地にお参りに行ってきました。夏の間に伸びきった笹や木の枝を刈り、すっきりさせてから花と線香をあげ、一人ずつあいさつをしておしまい。

 前日、ニュースで頭蓋骨が発見されたと報道されて、今日はもしかしてパトカーが調べにきているのではと思いましたが、それらしい雰囲気はなし。だいいち、広い青山墓地のどの辺りなのかさっぱりわかりません。
 いつもは、お彼岸といえばお墓参りの人出でにぎわうはずなのですが、今年はさほどでもなく、またまだお参りに来ていないと見えるお墓の方が多かったのは、3連休のせいで遊びが優先されたのかも。

 ところで、春分の日、秋分の日のことを、ぼくは子供の頃に「新聞の日」だと思っていました。どうしてかというと、今みたいに頻繁に新聞休刊日がなかったころ、年に2回、春分の日と秋分の日だけは休刊になったからです。

 「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、今日は涼しかったですね。

            ◆

Ukuda_1 今日はまた、自民党の総裁選挙の日でもあります。予想通り、福田康夫が麻生太郎を133票上回る330票を獲得して次期総裁に決定。人気は2年残して「敵前逃亡」した安倍首相の任期が満了する’09年9月30日までだそうです。
 でもまあ、そこまでもつかどうか。

 福田康夫は故福田赳夫元首相の長男、対抗馬だった麻生太郎は故吉田茂元首相の孫に当たります。いずれにしろおぼっちゃまですから、どうせ庶民の心などわかろうはずがありません。
 今の自民党では、いや昔からだけれど、だれがやってもろくな政府になるはずはないから、同じといえば同じだけれど、口のまがった麻生太郎だけは総理になってほしくなかった。安倍晋三に輪をかけたようなアホバカだし。だからまあ、不幸中の幸いですね。

 あさって25日に、国会の首相指名選挙を経て新総理の誕生と相成るわけです。参議院では小沢一郎が指名される予定で、その後衆議院に戻されて決定し、天皇によって任命されます。
 今度の組閣で、またおかしなやつがボロボロ現れたら、もう自民党は自爆消滅ですね。

 農民、漁民、工場労働者、フリーター、ニート、ホームレスなどが団結して、新しい革命組織ができるかもしれません。しかしそれには、若くて力のあるリーダーが必要ですが、それらしき人物が来年あたり現れるような噂も一部でちらほら。

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ゴールデンウィーク、終了!

2007年05月07日 | 雑感
 「なんだかあっという間だったなあ」と感じる人がほとんどかも知れませんが、「ああ、やっと終った」と思う人も少なくないのでは。
 僕の場合、後者です。サラリーマンではないので、あまり土日とか祭日とかは厳密ではありません。みんなが休んでいる時に休んでおかないと、まず曜日の感覚がなくなります。だから土日は休んでおこう、という感じ。

 したがって、忙しくなると、休日も夜も昼も関係なく仕事をしますから、まあ、夜と昼は明るかったり暗かったりするので間違えませんが、今日が何曜日かわからなくなることはしばしばです。
 毎週日曜日に金魚の水換えをしているのですが、ハッと気づくと月曜だったりして、あわてて水換えをします。
 うちの金魚、いつの間にか20センチ程の大きさになって、もうほとんどフナに戻っていると言っても不思議ではありません。大きさに比例して知能も成長するのか、水を換えてなかったり餌を忘れると、バシャンバシャンと水面を打って要求します。

 ゴールデンウィーク中はほとんど仕事でしたが、出版社も印刷会社も休みですから、電話がかかってくることもなく、落ち着いて仕事ができる、はずなのですが、なぜかそうならない。
 仕事をし、電話が入り、仕事をし、お茶をのみ、仕事をし、客がくる、仕事をし、電話がなる、休憩する、などというリズムがある方が、なんとなくうまくいくようですね。
 これがず~っと仕事だと、調子が狂います。
 仕事をやろうとし、新聞を読み、仕事を少しし、読みかけの本を読み、仕事をやろうとし、食事をし、仕事をやろうとし、片づけをし、仕事をやろうとし、CDをかけ、仕事を少しし、テレビの映画を見て一日が終る。
 ハッと気づくと大したことは何もしていません。

 だから、休日は苦手です。するべきことがたくさんあるのにはかどらないのが休日ですね。

 子を持つ親にとっても、ゴールデンウィークは大変なようです。子どもはどこかに連れていけという。どこかに遊びに行きたくても、どこも込んでいて料金が高い。その上サービスも悪くなる。
 どうして日本人はみんな一緒に休むんだ! と愚痴の一つもこぼしたくなります。
 子どもたちに毎日家にいられたらもっと大変。親はまったく気が抜けません。
 「○○ちゃんちは温泉行ったよ」
 「○○君なんかハワイだって」
 たいていの親は喜んで出かけるわけではありません。とくにお父さんは。
 うちにいたら大変だからどこかに行くのであって、ほんとうは家でゴロゴロしていたいのです。

 ゴールデンウィーク(黄金週間)という名はいつごろからでしょうか。けっこう古いような気がします。
 もともとは4月29日の天皇誕生日と憲法記念日と子どもの日が接近していて、それに労働組合が強い企業は出社免除だった5月1日のメーデーが挟まり、29、1、3、5の飛び石でした。そこにたいてい日曜日が挟まるので、どこかに3連休ができる。でも、今みたいな大型連休にはなりません。それでも黄金週間と呼んでいました。
 それが週休二日が定番になり、憲法記念日と子どもの日の間の4日を「国民の休日(今年から緑の日)」などという意味不明の祝日を作ったものだから、4連休5連休はあたりまえ。中には9連休10連休で、正月なみの休みになったりします。

 会社はその間生産停止。それでもフツーにやっている。どこでどうやって稼いでいるのか不思議です。

 我々、フリーの人間はよくこんなことがあります。連休や正月休みの直前に仕事を持ってこられて、それがたいてい急ぎです。
 「急ぎで悪いね、休み明けまででいいから、たのむよ」
 いつ休めって言うんじゃい!

 もっとすごいのがあります。
 夕方に突然現れた某社の編集長。
 「すみませんねえ、こちらにお願いするしかなくて。いえ、今すぐと言うわけじゃありません、朝までにやっていただければ間に合いますから」
 寝かさない気か!

 全部実際にあった話です。

 しかし、やっとゴールデンウィークも終り、もとに戻れて一安心です。

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早くも新緑!

2007年04月14日 | 雑感
Shinryoku

 となりの杏の木がすっかりきれいな緑に包まれました。
 新緑は5月が相場ですが、今年は早いのでしょうか。
 さて、桜の木は花が散って若い桜の葉で包まれています。
 桜餅にするのはこの頃の若葉で、今を逃すと手に入りません。
 葉ごと食べられる市販の桜餅には大島桜の葉が使われています。
 しかし、大島桜の葉はなかなか手に入りませんね。このあたりで見かけるのはソメイヨシノのほかは八重桜と枝垂れ桜です。
 大島桜以外の葉は固くて食べられませんから、香り付けとして使います。
 詳しい漬け方はここにありました。

 Shinryoku2 子供達がせっかく若芽が出かかった木の枝を払っていました。窓際に枝が繁っていると虫が入って困るからでしょうが、無惨に切られてちょっとかわいそうな気がしました。
 ちなみに子供達はアルバイトだそうです。職人に頼むより安いからと言うのですが。


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