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ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

笑えるものは幸いなり

2019年04月16日 | 本と雑誌
 ずいぶん前のテレビ番組で、明石家さんまが話していたエピソード。
 「恋のから騒ぎ」というバラエティー番組があった。AV女優が紛れ込んでいたことで話題になった番組であるが、その話はどうでもいい。
 番組中、さんまがいくらギャグを飛ばしてもちっとも受けない。業を煮やしたさんまが、「わしのギャグおもろないんか?」と問いただした。すると、「だって、意味分かんないもん」という答えが返ってきたそうだ。
 しかたがないので、「あれとこれをひっかけてこうなっとるんや」と懇切丁寧に説明をした。するとさらにとんでもない反応が。
 「ふーん、そうなのか」と感心されたうえ、「じゃあ、笑わないといけないんですね」
 ギャグを解説したら面白くも何ともない。ひな壇のギャルたちと中年(当時)の明石家さんまとのジェネレーションギャップだと片付けてしまうこともできるが、この場合は知識とセンスの問題だろう。



 こんな本を新聞の三八広告で見つけて、これは面白いと速攻購入した。
 『一字違いの語彙力』(山口謡司 さくら舎)。
 カバーの漫画で吹き出した。
 「過去を精算したいんです」
 「経理の私に言われても」
 この場合は「精算」ではなく「清算」」だ。
 
 「大判振舞い」
 正しくは「大盤振る舞い」だけれども、パソコンでも「おおばん」と「ふるまい」を区切って入力してしまうと「大判振舞い」になって、大判小判の雨が降る。
 
 「良妻兼母」
 「良妻」は「母」も兼ねるのだ。しかし正しくは「良妻賢母」。
 
 「首実験」
 これはもう犯罪、ホラー映画の世界だ。正しくは「首実検」。
 
 アシのYに見せたら、いきなり涙流して大笑い。「これ、電車のなかで読めない!」
 ところが、カミさんに見せたら「??????」、まったく無反応だった。そもそも、間違いそのものに気付かない。何が面白いのかわからないという。
 
 つまり、この本を面白いと思うのは、文章に親しんでいる人間に限られる、ということなのだ。
 
 実は、事務所のホームページとフェイスブックで、「本作りあるある」というエッセーを連載している(末尾のURLかQRコード参照)。本の編集・組版など仕事の過程で出合った、笑い話やトンデモ話を紹介していて、周囲ではけっこう好評。本にしたらどうかという話も出た。これでバズってくれれば仕事も増えていいかな、と思ったが、出版に携わっているものだからこそ面白さが分かるので、一般の人にとっては何が面白いのか分からないかもしれない。
 
 バブル真っ盛りの頃、ホイチョイ・プロダクションの「きまぐれコンセプト」という漫画が大ヒットした。当時広告業界はまさに花形産業で、アートディレクター、クリエイティブディレクター、コピーライター、イラストレイター、グラフィックデザイナーなどのカタカナの職業がもてはやされた時代だ。漫画がヒットしたのはそんな背景があったからで、現代ならそれこそ「コンセプトって何? 専門用語?」と見向きもされないと思う。 
 
 「本作りあるある」も出版業界が花形産業として復活すれば希望が持てるかもしれない。期待したいけど、どうだろう。

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一生に一度の記念
卒論・学位論文を本にしよう


 人生の節目の記念として、卒論や学位論文を本にする方が増えています。
 出版社の目にとまれば、企画出版として一般に流通することもあります。
 もちろん、ご自身や身近な人に蔵書していただくための少部数の出版も可能です。

出版にはさまざまな目的があります。

・ご自身の仕事や経営している店舗・企業をPRすること。
・書きためた原稿の整理と保存。
 エッセー、詩、俳句、和歌
 自分史、日記、ブログ、旅行記
 写真集、画集、その他作品集
             などなど。

 せっかく書きためた原稿も、そのままでは散逸してしまいます。しかし本にして、複数の人に蔵書してもらえれば、数十年、ときには数百年、末代までも保存されます。
 上記に該当するものがございましたら、ぜひご相談ください。

 ◆ご相談お見積り無料
E-mail:galapyio@sepia.ocn.ne.jp
TEL:03-5303-1363
GALLAP




吉野源三郎『君たちはどう生きるか』

2018年01月23日 | 本と雑誌


『漫画 君たちはどう生きるか』が売れているということで、どう編集し漫画化しているのか興味があって購入した。
原作はあまりにも有名なのであえて説明は必要ないと思うが簡単に。

著者の吉野源三郎(1989-1981)は元岩波書店の編集者で児童文学者。『君たちはどう生きるか』は当初、山本有三に執筆を依頼したが健康を害していたためにできず、吉野自らが書くことになった。
初版発行は1937年で、この年は7月に盧溝橋事件が勃発、中国との本格的な戦争が始まった。12月には南京大虐殺が発生する。
内容にマルクスの剰余価値論やプロレタリアートとブルジョアジーの違いを述べている個所があり、(こうした呼び方はしていないが)「この区別を見落とすな」とむすんでいる。
治安維持法があった時代で、4年後の1941年にはさらに改悪されており、このようなリベラルな本は発行がほんの少し遅れていたら、この世に出なかった可能性がある。

本書の読者対象は、中学生が中心である。この古い本が漫画化されたことで再び脚光を浴びることになったのだが、子どもたちに内容が求められたわけではなさそうな気がする。露骨に資本主義を批判せず、共産主義をアピールすることもない、やんわりと「いい世の中作り」が表現されていることから、リベラルな大人たちが求めているのではなかろうか。
ずっと必読図書の1冊にされてはいたが、そもそも必読図書とは大人が子どもに読ませたい本であって、必ずしも子どもが読みたい本ではない。漫画にしたからといって飛びつくはずもない。漫画というだけなら『ジョジョの奇妙な冒険』や『ワンピース』などの方を積極的に読みたがる。「この本を読みなさい」と言われて「はい、わかりました、お父様、お母様」などという子どもは、今ではドラマの世界にしかいない。
親が読んで子どもに伝えることができれば、親子で共有できていちばんよいかもしれない。
もっとも読んで欲しい大人は、トランプ米大統領と安倍首相か……

とはいうものの、活字離れが著しい昨今、漫画にすることが効果的なのは否定できない。
それにしても、100万部超とは、なぜこれほど売れたのか、さっぱりわからない。マスコミの影響としかいいようがない。

この本の重要な部分は、各項目ごとに出てくる「おじさんのNOTE」にある。そのほかは物語のつなぎであって、著者が伝えたいことの大半は、この「NOTE」に集約されている。漫画化されているのはつなぎの部分、しかも抜粋であって、「NOTE」はまったく漫画化されておらず、ほぼ原文のままである。修身など教育方針や時代背景にギャップがあり、編集者としてはここをどう漫画化するかで悩むところなのであろうが、漫画家はこれを完全に放棄してしまったようだ。これでは漫画の部分だけ読まれて、肝心の「NOTO」は飛ばされてしまう可能性が大きい。

過去には大ベストセラーになったのに完読されていない本が少なからずあった。エーコの『薔薇の名前』、ゴルデルの『ソフィーの世界』などが業界では有名で、購入した人の多くが途中で挫折している。これらはいずれも大冊で、読むこと自体大変なエネルギーが必要だが、最近の中学生の多くは、本書のような「真面目な」内容の本はたった300ページ程度でも途中で放り出しかねない。
ほんとうに読んでもらうためには、読書会や感想文コンテストなどをやるとよいのではないかと思うが、しかし、学校で担任の教師が課題を出したりすれば、保守的なPTAが赤教師だの偏向教育だのと怒鳴り込んできかねない。何ともやりにくい時代である。


「ぬじゅん」2号

2017年04月10日 | 本と雑誌

 
 3月発行予定だった第2号が、先週ようやく届いた。すぐに紹介するつもりが、ついずるけていたら、「東京新聞」に先を越された。
 9日、日曜日の「こちら特報部」で大きく取り上げられていて、見出しに「基地闘争 写真誌創刊」とあったが、このブログで1月に紹介したとおり、創刊は1月だ。隔月発行で、2号は3月の予定だったのだが、4月にずれ込んだ。
 
 2号の特集は「殺人フロート」。
 抗議市民の工事現場への侵入を防ぐために、2キロメートルに及ぶ水域に敷設された特製フロート。
 フロートはロープを張るための鉄帽を2本立てることが出来るよう枠をはめ、アンカー代わりに約30センチ四方の鉄板を下部の鉄棒の先につけている。特製フロートを倒そうとするとこの鉄板が起き上がり、危険極まりない。
(表紙コピーより)
 
 紹介してくれた山内健治教授がいうとおり、「刺激的」かつ迫力満点の写真誌である。
 
 基本的には定期購読だが、書店注文でも入手可能のはずである。

 発売 琉球プロジェクト ISBN 978-4-908598-10-4
 問合せ 「時の眼-沖縄 批評誌N27」編集室 ☎090-8292-1398
 

『けーし風』93号読者の集い

2017年01月29日 | 本と雑誌

 
 28日土曜日、沖縄発信の雑誌「けーし風」の読者の集いがあった。年4回、発行月の最終土曜日に開かれる。
 本号の特集は、「琉球弧の軍事化に抗するために」で、政府与党が計画している宮古島の自衛隊基地建設についてである。発行後に宮古島市長選挙があり、接戦の末、基地推進派の現職下地敏彦氏が三選を果たした。基地反対派の候補が2名立候補するという、分裂選挙になったために、推進派の下地氏を利するかたちになったわけだが、この結果を見て、自衛隊基地推進の民意が得られたと判断するのはお門違いと言える。
 
 基地が完成して配備される自衛隊員は最大800名。家族を含めると1500〜1600人くらいの人口増となるわけで、小さな島としてはあなどれない経済効果を生み出す。
 反面、マイナス効果はその経済効果をはるかに上回る。基地の施設建設にあたって、地下3〜4回のシェルターとも思える空間を掘り下げる。宮古島の生活水源は地下水なので。水脈に少なからぬ影響が出る他、基地から排出される汚染水によって地下水が汚染される危険をはらんでいる。つまり、基地施設建設によって、宮古島に人が住めなくなる可能性があるのだ。
 ほかに、基地があることで、かえって外国からの攻撃にさらされる危険も考えられる。説明会で自衛隊側は「何のために来るのか」という住民の質問にたいし、「皆さんを守りにくるのです」と答えたという。その答えが欺瞞であることはあきらかだ。莫大な資金を注いで小さな島を守るために基地をつくるわけがない。それに、歴史的経験から、軍隊が住民を守ったことはない。宮古島の人たちはそれを知っているはずだ。
 目的はただ一つ、日米安全保障条約にもとづいて、対中国の共同作戦を展開することである。
 経済か命か、その選択であったはずの市長選挙は、基地反対派が分裂することで失敗した。一枚岩になることは難しいかもしれないが、意地を張っている場合ではない。

これが「不時着」かよ?!

2017年01月27日 | 本と雑誌
 これが「不時着」なら「墜落」ってなんだ?
 沖縄から「刺激的」な写真雑誌創刊。
 

 
 26日、「アジア記者クラブ」の定例会で、その準備をしている最中に山内健治教授(明治大学政経学部、島嶼研究会)が大きな紙袋を下げて現れ、「刺激的なものを持って来た」と取り出したのが写真の雑誌、「ぬじゅん」創刊号だった。昨年12月に墜落し、政府もマスコミも「不時着」と言い張ったオスプレイの、バラバラに全壊した様子を米軍が撤去する前に水中カメラで撮影した衝撃的な写真が多数掲載されている。
「え、もうこんなの、作っちゃったの?」
 報道ならともかく、レイアウトや編集を必要とする写真雑誌はそれなりの時間を必要とする。大手出版社は別にして、零細企業の版元発行にしては早い。
 「ぬじゅん」とは沖縄の言葉で「載る」という意味なので、衝撃的な記事や写真をどんどん「載せて」行くぞという意味か。
「これから、刺激的な写真をどんどん出すから」
「これ、1冊もらえる?」
「年間購読申し込んでくれたらあげる」
 というわけで、年会費3000円だし、「ま、いいか」と隔月発行の写真雑誌を購読することにした。
 肝心の池田恵理子さんの講演中は姿を見せていなかったので、拡販のために現れたらしい。終了後の懇親会会場には、先に来て待っていた。この教授、こんなところが憎めない。
 (「ぬじゅん」問合:090-8292-1398 比嘉豊光)
 

 
 「アジア記者クラブ」1月定例会は、「女たちの戦争と平和資料館‐wam」館長の池田恵理子さん。
 池田さんが館長を務める資料館が、「朝日赤報隊」を名乗る人物から爆破予告を受けて3か月。「朝日赤報隊」とは1987年に朝日新聞阪神支局を攻撃し、記者を殺害した右翼テロリストである。したがって、ただの脅しとはレベルが違う。
 右派が神経を尖らす「天皇の戦争責任」「南京事件」「従軍慰安婦」問題を取り上げると、マスコミに対しても脅しや圧力があり、資料館も常に危険にさらされている。
 そのような状況のもと、マスコミの対応や政府からの圧力が、実際どのようなものであったのか、実例を挙げながらお話をうかがった。
 今、安倍政権は、「盗聴法」「共謀罪法」などを成立させ、セットで戦前の治安維持法に近い法整備を行い、憲法9条を無視して集団的自衛権を行使できるように、都合良く憲法の解釈を変更し、一歩一歩戦争のための準備を行っている。
 そうした道を歩むためにはどうしても、アジア太平洋戦争を「正しい戦争であった」ことにしなければならない。すなわち、「南京事件」「従軍慰安婦」のような戦争犯罪はなかったことにしなければならないし、天皇の名のもとに戦争を行うために「天皇の戦争責任」などを問われてはならないのだ。
 2001年には、「ETV2001」で予定されていた、「女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組が、放送寸前になってズタズタに改変されて放送された事件があった。しかもその番組改変には、当時官房副長官であった安倍晋三の圧力があったことが後に判明している。
 従軍慰安婦問題で活動する池田さんをはじめとした人々のことを、中国・北朝鮮のスパイだと中傷することは日常茶飯事である。
 なんとしても、国民に歴史の真実を知られてはならない、そのためには、マスメディアを萎縮させて報道を自主規制するように導き、資料館など多くの人々に情報を知らせる重要な機関である記念館や資料館の展示を破壊し、その上で教育と報道を抑えれば、国民をコントロール出来ると考えているのだろう。
 
 この定例会の詳細な記録は、3月発行の「アジア記者クラブ通信」に掲載される予定。

宮平真弥『琉球独立への本標』東京琉球館

2017年01月22日 | 本と雑誌

 21日、宮平真弥氏の『琉球独立への本標』出版記念講演が東京琉球館であった。
 実は、東京琉球館に足を運ぶのは始めてで、これまで何か用事があるときはメールか電話で済ませていたものだから、店主の島袋陽子さんとは初対面ということになる。
 名前だけは覚えていてくれた。ありがたい。
 

 (写真左が島袋さん、右が宮平さん)
 
 宮平さんとはアジア記者クラブでよくお会いする。この本は発行当初Amazonでの取扱がなく、東京琉球館にお願いして購入した。
 「本標」(「ほんしるべ」と読む)とは造語である。ブックガイドでは軽い感じがするというので、出版社が考えたそうである。
 沖縄関連の書籍、111冊を紹介している。この本を造るにあたって、宮平さんは111冊どころではないその何倍もの本を読破していることだろう。そのなかから111冊を選び、内容の紹介とともに、現在の沖縄のあり方を見ていく、というものだ。
 「時間があるんだなあ、羨ましい」と言ったら、「確かに時間はありましたが、9時5時で仕事をしている人には無理だと思います」という。
 興味深い本が満載で、僕自身が何らかのかたちで触れたことのあるものは、このうちの三分の一程度に過ぎない。中には入手困難な本も含まれていて、後田多敦さんの『琉球の国家祭祀制度』などは、Amazonの中古で85,000円などというとんでもない値段がついている。
 
 選ばれた本は、沖縄に関連するものではあるが実に多様で、辺野古、米軍基地すべて、慰安婦(知らない人が多いが、戦時中沖縄にも慰安所があった)、歴史などさまざまな角度から琉球独立への道をさぐる。
 
 最近は米軍機の墜落事故(不時着と言っている)や女性への暴行殺害事件などが多発している。そのたびに再発防止だの綱紀粛正だのと言葉ばかりの「お詫び」があるが、何一つ解決どころか改善すらされていない。オスプレイの墜落事故後も原因が究明されないまま訓練が再開され、日本の安倍政権は、「アメリカが安全というのだから安全」などと、住民よりも日米関係を優先する。それは、ヤマトのウチナーに対する構造的差別が根底にあるからに他ならない。
 沖縄からすべての基地をなくし、戦前のように平和な沖縄を取り戻すためには、ヤマトの政府に期待してもらちがあかない。日米安全保障条約も、それにもとづく日米地位協定も、日本とアメリカの政府が自分たちの都合だけで沖縄を無視して取り決めたことだ。だから、沖縄が琉球国にもどり、日本から切り離されれば安保も地位協定も無効になり、すべての基地はなくなる。琉球独立論はそんな発想から自然発生的に生まれた活動である。
 
 宮平氏によると、沖縄県内でも独立派は10パーセント程度に過ぎないと言う。返還から半世紀近くが経った現在でも、基地経済と決別することに不安を感じる住民もいる。したがって、「米軍特権や思いやり予算も廃止し、米軍にとって居心地の悪い状態を作る必要がある」(本書65ページ)ということが、現在の政府のあり方を見ると困難だし、沖縄の商店や飲食店が、米軍関係者の出入りを拒否するのも、一見有効に感じられるが、売り上げの維持を考えると、それも不安になる。
 琉球新報の新垣毅氏が言っていたが、「本土の人間が、沖縄の経済状況を理解することなく、軽々しく琉球独立などと言って欲しくない」という意見も一理ある。
 ただ、いつのことになるか分からないが、琉球国は独立することが理想であると、僕は思っている。
 
 しかしこの本、タイトルも装画もいいのに、何とまあ安易なデザインか。まるで学校文集の表紙だ。「この装幀家、使えないなあ」といったら、版元の人が来ていて、えらく機嫌を損ねた。

梯久美子『狂う人』

2016年12月18日 | 本と雑誌

 
 本書で語られるのは、島尾敏雄の妻、ミホである。島尾敏雄の代表作であり戦後文学に特異な輝きを放つ『死の棘』の主人公で「狂った妻」その人である。
 『死の棘』はあまりにも衝撃的な小説で、島尾ミホという実在の妻と自分の関係を、まるではらわたを引きずり出すように描いている。
 しかし、真実はどうだったのか、本当は二人、いや、愛人(本書では実名で表される)を含めた三人と二人の子どもたちの有様はどうだったのか。どうもよくわからない。
 
 著者はミホの死の直前までインタビューを重ね、さらにミホの死後は夫婦が残した膨大な資料を読み込み、吉本隆明らが南島奄美と結びつけ、神話的に昇華させた『死の棘』を人間世界に引きずり下ろした。そこには、高貴な巫女の血を引く少女としてよりも、もっと人間臭い島尾ミホがいた。
 
 それにしても、この夫婦はわけがわからない。数ある島尾敏雄論を読んでも、島尾ミホの著作を読んでもよくわからない。本当に狂っていたのは敏雄の方だったのか、それとも二人とも狂っていたからこそ、『死の棘』という作品が生まれたのか。
 こんな評伝、書く側にもそうとうな覚悟がいる。
 新潮社の校閲部も、そうとう苦労したと聞く。
 
 **忙しいので、きょうはこれだけ。**

漱石没後100年=大正3年の珍本

2016年12月11日 | 本と雑誌
 去る12月9日は、夏目漱石が死んでちょうど100年。1916(大正5)年12月9日、享年49歳である。短い一生のうちに、よくぞまあこれだけ膨大な作品を残したものだと感心する。コンピュータもワープロもない時代だから万年筆の手書きである。
 没後100年ということで、漱石をさまざまな面から描いたいくつかのドラマも放送され、イベントが開催されたり細君の夏目鏡子さんや孫娘の半藤末利子さんの著書が書店に並べられるようになった。
 夏目漱石については、改めて紹介するまでもないだろうから、蔵書の中から変な本を1冊紹介する。
 

 
 「三四郎」「それから」「門」の三部作を1冊にまとめ、970ページに及ぶ大冊である……はずだが小さい。
 天金が施された布装で、なかなか立派な本に見える。ところが現在の文庫本と比べると、天地はほぼ同じ、幅は2センチほど小さい。菊判(A5判より少し大きい)の元本から写真製版でそのまま縮小したものだから、文字の大きさが10級ほどに縮小され、読みにくいこと甚だしい。版元の春陽堂が売り上げ目的にスケベ根性で考えた企画に間違いなく、前後して漱石の代表作をことごとく縮刷版を作って出版している。まあ、考え方は文庫本と同じと言っていい。
 こんな本誰が読むのかと思ったら、兵士が戦地に持っていったり、慰問袋に入れて送るときに便利なのでけっこう売れたらしい。
 上の写真はもちろん復刻版で、神保町の古本屋のワゴンに放り込んであったのを救出した。まあ、普通の読者は手を出さない。資料的な価値などほとんどないしろもので、コレクターなら三部作それぞれオリジナル初版を求めるだろう。発行は大正3年、漱石が亡くなる2年前だ。
 「三四郎」「それから」「門」が三部作であることは、今ではだれでも知っているが、じつは、出版当初はそうでもなかったらしい。ほとんどの人がまったくの別物扱いにしていたようなのだ。そこで三作を1冊にまとめたならば、通して読んでくれる読者が増えると考えたとすれば、一理ある。
 訓練の終わった兵隊は戦闘のないときは暇を持て余していて、よく本を読んだと聞く。ならばコンパクトな漱石三部作は願ったり叶ったりだ。(ただ、こんな小さな文字を、兵舎の暗い照明で読めたのだろうか。
 
 合本の冒頭に、版元からのメッセージが掲載されている。
 
  旧字旧仮名で読みにくいだろうから、平文に直すと以下だ。
 
「『三四郎』と『それから』と『門』は、もともと三部小説(トリロジイ)として書かれたものである。それをこの度縮刷版にして一巻にまとめたので、今まで個々の別な本として、まったく無関係に取り扱われがちであったものに、はじめて一貫した意味を与えることができた」
 
 本当のところは、「出征兵士の背嚢に入れるのにちょうどいい大きさだから、銃後の皆さんはぜひ買って持たせてやってくれ」と言いたいところなのだろうけれど、時代が時代である。不謹慎と受け取られかねないので、商売よりも文学的な意味を前面に出したのだろう。
 しかし、持たされても、読まなかっただろうなあ。
 ただ、同じサイズの『草枕』が手元にあって(これは多分戦場を渡り歩いて来たのだろうぼろぼろである)、こちらは逆に「坊っちゃん」「二百十日」とともに『郭籠』というタイトルで1冊にまとめて発売されたのを分冊している。組み直しもされて12級ぐらいになっているのでいくぶん読みやすい。
 
 

新刊紹介『「共謀罪」なんていらない?!』

2016年12月02日 | 本と雑誌

 
 戦前戦中「治安維持法」という法律があった。本書のテーマ「共謀罪法」とは「盗聴法」や「安全保障法」などと組み合わせることで、日本が戦争をしやすくするための、いわば、かつての「治安維持法」の一部に含まれる内容の法律である。
 戦後70年も経つと、治安維持法を「治安を維持するための良い法律」だと思っている人もいるくらいだから、政府自民党が成立を目指そうとしている「共謀罪法案」を説明するときに、「治安維持法」を引き合いに出してもピンと来ないかもしれないので、簡単に説明する。
 
 まず、明治維新以降、日本は日清戦争から始まって、1945年の敗戦を迎えるまで、ほぼ休むことなく戦争を続けて来た。
 戦争をするのに何が最も必要かというと、国民すべてを政府の意向に従わせることだ。デモが起きたり、戦争に反対するグループや個人が自由に活動することなどがあってはならない。
 そのために、何人かが集まって話し合いをしたり、政府の考えとは異なる主張を書いて雑誌に掲載したり、あるいは読んだりすることを厳しく禁じた。
 特に、政府の戦争政策に反対する考え方をもっている、共産主義や無政府主義などついて書かれた書物が自宅に蔵書されていたりすると、それだけで逮捕された。
 その取り締まりを行っていたのが、特別高等警察(特高)や憲兵だった。さらに、地域どうしのグループ「隣組」を組織して、おたがいに監視させ密告させるような政策もとられた。
 そうした非民主的な政策に強制力をもたらしていたのが、「治安維持法」である。
 有名な話だが、作家の小林多喜二は、書いた小説が「治安維持法」に抵触するという疑いをかけられ、築地警察署の拷問で虐殺された。
 
 現代においては、当時のように露骨な取り締まりはないかもしれないが、いっそう陰湿な方法が用いられるはずである。マスメディアを利用して失脚させたり自殺に追い込んだり(自殺に見せかけて殺害したり)といった、まるでサスペンスドラマのようなことが行なわれる可能性がある。(実際に行われている)
 
 本書『「共謀罪」なんていらない?!』で取り上げられている「共謀罪法案」とは、かつての「治安維持法」で取り締まりの対象になっていた、結社の自由や集会の自由に制限を加えるものである。
 
 表向きは「テロ対策」ということになっているが、テロを防止するためなら現行の法律を活用すれば十分である。にもかかわらず、「複数の人が集まって謀議する」つまり、実行せずとも話し合っただけで逮捕の対象になるなどとんでもないことなのだ。辺野古基地反対運動や脱原発で活動している人が、喫茶店で「明日の予定」について話し合っただけで、そこに警察が飛び込んで来て拘束するという事態にもなりかねない。
 
 自分は大丈夫、などと安心はできない。高い税金に腹を立てて、仲間と居酒屋で「安倍晋三の奴、殺したろか!」なんて言ったのを居酒屋の店員が聞いて「すわ、共謀罪だ!」などと近所の交番にたれ込んだら、警官がすっ飛んで来て逮捕されかねない。実際にそんなことがあるかどうかではなく、「そんなこと」があってもおかしくない法律ということだ。
 
 「共謀罪」とはどんな法律で、私たちの暮らしにどんな影響をもたらすのか、誰にでもわかりやすく、読みやすく作ったつもりなので、中学生以上の多くの人に読んでもらいたい。
 
 執筆者:齋藤貴男、保坂展人、足立昌勝、海渡雄一、山下幸夫。
 発行:合同出版
 定価:1400円+税
 発売予定日:12月15日

『誤植読本』 糞上げます

2016年11月22日 | 本と雑誌


 去る土日、近所のブックオフが文庫本半額セールをやっていた。そこでたまたま目にとまって衝動買いした。
 ちくま文庫は総体的に値段が高くて、ブックオフでもあまり安くはならない。それが、
 定価950円→560円の50%→280円。買うしかない!
 
 本を作る側から言わせてもらうと、全く誤植のない本などめったにない。誤植に至らずとも、「なんか変だ」と思われる個所は必ずといっていいくらいあるものだ。
 これは、開き直りでもなんでもなく、要するに校正で見つけられなかっただけ。
 不思議なことに、複数の異なった目で見ても、なぜか同じ間違いに誰も気づかない、ということがある。
 それが本になって改めて読み返すと見つかる場合が多いのだから皮肉だ。だから、出来上がってしまった本を読み返すことはない。
 
 しかし、誤植のおかげでひょんな効果をもたらすこともある。
 以前にも書いたと思うが、つげ義春の代表作「ねじ式」にある有名な「メメクラゲ」は、元は誤植だ。
 登場するクラゲの名前を思いつかず「××クラゲ」としていたのを、写植屋が「メメクラゲ」と打ってネームに張り付けた。作者はそれが気に入って、そのまま雑誌『ガロ』に掲載し、定着したのだ。
 
 本書『誤植読本』にも面白い誤植がこれでもかというほど並んでいる。
 大使→大便、王子→玉子、尼僧→屁僧……
 「冀(こいねがい)上げます」が「糞(くそ)上げます」というのには笑った。
 「家庭の事情」が「家庭の情事」というのもあった。
 
 この本とは関係ないが、過去に目にした誤植には、とんでもないものもあった。
 大日本インキ→大日本インチキ、東海銀行→倒壊銀行。これらは洒落にならない誤植だ。
 
 岩波書店やみすず書房などの老舗出版社でも誤植はよくある。先日購入したみすず書房の『治安維持法の教訓』(9000円もする)でも、読みはじめてまもなく重大な誤植を発見した。版元にはまだ伝えてないが。
 
 例外的なものもある。聖書には誤植がまったくないそうだ。あれだけの大部なのにたいしたものだが、多くの読者の目にさらされ、何十年も版を重ねていれば誤植はなくなって当然だ。

新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』

2016年03月17日 | 本と雑誌

 
 原稿整理や編集作業の合間にぽつぽつと読んだ。
 早急に読んでおかなければと思いつつ、このところまとまった読書時間が取れず、本を読むのは就寝前の30分とか、外出時の電車の中などに限られてしまう。たかが新書判200ページがなかなか読み進めない。昨日もあと十数ページというところで呼び出しを喰らい、ストップしてしまった。このところずっとそんな状態だ。

 ま、愚痴はともかく、新崎さんのこの本、たくさんの人に読んでもらいたいと思ったので、久しぶりにブログにアップする。
 
 はじめに言っておけば、沖縄問題に深く関心を持っている人にとっては、ことさら新しい情報が得られるわけではない。しかし、「日本にとって沖縄とは何か」が系統的に実にわかりやすくまとめてある点で、確認と整理ができる類書の中では秀逸な一冊である。
 また、いまの沖縄に起きていること、とくに、ヤマト(本土)のマスメディアが伝えていない情報が多分に含まれているので、誤った情報にとらわれている不特定多数の人々にはおおいに役に立つ。
 たとえば、作家の百田尚樹が自民党若手議員の勉強会で語った、普天間基地についての嘘などは論外だが、安倍政権が辺野古基地建設の理由としてあげている、普天間基地の危険除去という欺瞞についてなどは、ぜひとも知って欲しいところだ。普天間基地だけが危険なのではない、沖縄県民にとっては基地が存在すること自体が危険と隣り合わせなのだ。
 既に沖縄の現代史について一定の知識を持っている人にとっては、断片的な知識を整理するのに役立つし、欠落している部分を埋めることができ、いっそう深く知りたければ、ガイドブックの役割を果たしてくれる。
 これからいろいろと研究したい人にとっては、思考の背骨が構築される。
 
 冷静かつ体系的に実に見事にまとめられている本である。ただし、誤りとはいわないが、ニュアンスの点で疑問が生じなかったわけではない。 
 そのひとつ、尖閣諸島についての記述は、あくまでも琉球・沖縄からの視点で経済交流の部分に主眼が置かれている(沖縄在住の著者が書いたのだからやむを得ないと言えばそれまでだが)。これは歴史的・地理的な観点から研究した井上清の『尖閣列島』における見方とはいくぶん表現が異なる。つまり、尖閣諸島問題については一面的な見方ではなく、多方面から研究していくことが重要で、現時点では、日本のマスコミ(共産党機関紙『赤旗』までもが)こぞって主張する「日本固有の領土」という表現は控えるべきだと思う。新崎さん自身もその点については十分承知しているとみえて、あえて棚上げ論でまとめている。
 もうひとつ。強権的な安倍政権に反対する運動が、全国的な盛り上がりを見せていて、これまでと雰囲気が違ってきていることを期待を込めて語っているが、まったく油断はできない。沖縄では見え方が違うのかもしれないが、本土では辺野古基地反対運動に無関心か冷ややかな目で見ている人間のほうが多い。そうした人々は、この本の主題のひとつでもある「構造的沖縄差別」に無意識のうちに加担していることになる。
 歴代政権で最も強権的かつ保守的な安倍政権の支持率が下がらないという現象にも、日本国民、特にヤマトンチュの油断ならないところを現していると感じるのだが。
 

ジョージ・オーウェル『1984年』

2016年02月16日 | 本と雑誌


 最近の強権的な安倍政権に危機感を感じている人々の間で、ジョージ・オーウェルの『1984年』がクローズアップされている。
 『1984年』は1949年に発表された作品だが、「未来の予言書」として高く評価されていて、21世紀の現在でも、ここに書かれた状況を見過ごすことはできない。
 テレスクリーンと呼ばれる双方向メディアによって、人々はプライバシーも含めて24時間監視され、政府の方針に反するような言動が見つかれば、存在そのものが消去される。最初からいなかった人間にされてしまうのである。
 都合の悪い過去はすべて書き変えられ、修正前の痕跡は完全に消去される。
 人々は不自由な暮らし、貧しい食生活を強いられ、セックスも「同志」をつくる目的以外は許されない。もちろん自由恋愛は禁止で、見つかれば拷問と処刑が待っている。
 
 「秘密保護法」「安全保障関連法」「マイナンバー制度」の施行、右派勢力による歴史の修正など、今の日本は『1984年』があらわす世界に近づいている気がする。
 安倍晋三は「ビッグ・ブラザー」(作品中の独裁者)になりたいのではなかろうかとさえ思ってしまう。
 
 手元にある早川文庫版の1つは、若い頃最初に読んだ新庄哲夫訳で1972年の発行(写真左 ハヤカワ文庫NV)、もう一冊は高橋和久訳で2009年に発行された新訳(写真右 ハヤカワepi文庫)である。改めて新約で読むと、こちらのほうが明らかに読みやすく理解しやすい。
 実はこの作品で重要なのは、第2部の最後、架空の書物『あの本』からの引用文である。富の再配分や戦争の始まりなどについてが、70年近くも前に書かれたものとは思えないリアリティーに驚かされる。
 

 
 映像化は1956年と1984年の2度映像化されていて、日本で簡単に入手できるDVDは1956年版(写真)のみ。1984年版は輸入版のDVDが入手可能だが、再生器によっては見ることができない場合がある。
 ただ、いずれも表面的なストーリーを追っただけで、オーウェルが伝えたい本質についてはほとんど表現されていない。とくに1984年版は女優のヌードシーンばかりが評判になった駄作である。
 今年公開予定の作品が、アメリカで撮影が進行中だそうで、果たしてどんな作品になるのか、期待せずに注目したい。
 

 
 『まんがで読破 1984年』(イースト・プレス)というのもある。一通り作品の内容のエッセンスを抽出しているものの、小説を読んでいなければ、内容を理解することは困難である。まあ、本編を読むきっかけにはなるのかもしれないが、わずか190ページほどの漫画にするのはいささか無理である。

沖縄発信雑誌

2016年01月26日 | 本と雑誌
 沖縄は日本の国土のうちわずか6%に過ぎない。その狭い沖縄に全国の米軍基地の74%が集中している。沖縄にとって基地問題(犯罪、事故、騒音、自然環境破壊など)は、1945年以降ずっと継続している最大の重要案件だ。
 しかし、本土の人間の多くにとっては対岸の火事でしかない。沖縄住民の多大な負担の現実は、数日間観光で出かけただけではわかり難く、まして全く訪問したことがなければ沖縄でのさまざまな出来事が報道されない他の都道府県の住民にはわかろうはずがない。
 ここに紹介する沖縄発信雑誌のいくつかは、本土にいて沖縄を知るための重要な情報源である。ところが、いずれも沖縄以外では入手しにくい状況にある。
 それはなぜか。
 最大の理由は、沖縄の現実を知らされていないほとんどの日本国民が、沖縄問題に興味がなく、全国に流通しようにも売れないからだ。
 一昨年、友人がブースを出すというので訪れた日比谷公園でのアースデーフェスティバルに、辺野古と高江のブースが出ていたが、訪れた人のほとんどが辺野古も高江も知らなかったと聞いた。
 テレビのクイズ番組で難読地名のひとつに「辺野古」がはいっていて、ひな壇に並んだ芸能人の誰一人「へのこ」と読めるものがいなかった。そういう無関心な参加者を選んだテレビ局もさることながら、「それが現実」でもある。
 
 これらの雑誌は、ほとんどが本土の一般の書店では取り扱っていないけれど、入手できないわけではない。入手方法もあわせて紹介する。
 

『けーし風(かじ)』


 
 先日、読者の集いが神保町であった。集いは雑誌が発行される月の概ね第3か第4土曜日に開催され、参加費は無料。
 参加者はだいたい10人前後だが常連の参加者何人かの都合が合わず、去る23日に行われた今回は8人だった。
 大幅に発行が遅れたこともあって、しっかり読み込むことができず、情報交換が中心になる。
 おもに、辺野古の反対運動についてや、宜野湾市長選の前日ということもあり、その話題だった。
 残念ながら、翁長知事も推薦した辺野古基地反対派の候補、志村恵一郎氏は破れた。集いでの予想はもう少し僅差になるはずだったが6000票の差をつけられた。
 『けーし風』の執筆者は、沖縄現代史の重鎮新崎盛暉氏や琉球大学教授の新城郁夫氏などが名を連ねる。
 
〈購読方法〉
 年間購読料2000円(季刊 税・送料込)
 新沖縄フォーラム刊行会議
 E-mail:keshikaji@gmail.com
 電話&FAX:098-911-2837
 1冊購入 定価500円(税・送料別)
 ブックス マングローブ
 http://mangroove.shop-pro.jp
模索舍:店頭販売あり 03-3352-3557
 
 
『越境広場』


 
 発刊間もない雑誌。創刊0号が昨年3月、1号が12月に発行され、発行間隔は不定期。2号がいつ発行されるかは未定。
 作家の崎山多美さんらが中心になって刊行。沖縄の現状と文学芸術にも言及した総合雑誌である。
 1号はA5判で238ページと、紹介する雑誌の中では最もボリュームがある。
 ニュースキャスターの金平茂紀さんが「雑誌が生まれること自体が奇跡みたいな時代」と書いている。最近の出版不況は、特に雑誌に対する逆風が強い。多くの有名雑誌が廃刊に追い込まれている。
 
〈購読方法〉
 0号1,000円、1号1,300円(税別)
 ブックス マングローブ
 http://mangroove.shop-pro.jp
 
 
『「時の眼─沖縄」批評誌 N27』


 
 この雑誌は批評やエッセーに加え、沖縄県内のさまざまなシーンをとらえたフォトアートがかなりのスペースを占めているのが特徴。サイズは主流のA5判でなく、大きめのB5判。
 誌名の「N27」は北緯27度のことで、本土と沖縄を分ける緯度である。
 ほぼ年2回刊行。次号は1月31日発行予定。

〈購読方法〉
 952円(税別)
 全国のジュンク堂書店で取り扱っている。
 新星出版株式会社
 電話:098-866-0741
 
 
『うるまネシア』


 
 執筆者に龍谷大学の松島泰勝氏等をはじめとした沖縄独立運動派が多い。沖縄にある米軍基地を一掃するには琉球国として独立することで日米安保条約の枠外に出ることが最良の道と考える。まず沖縄が本土政府からの支援に頼ることなく自立するにはどうするべきかを考える。
 日本政府の沖縄に対する構造的差別の実態を赤裸々に伝えている。
 刊行は不定期だが概ね年2回。

〈購読方法〉
 700円(税別)
 琉球館(株式会社Ryukyu企画)
 電話:098-943-6945
 東京琉球館
 E-mail:dotouch2009@ybb.ne.jp
 電話:03-5974-1333
 
 
『月刊琉球』


 
 『うるまネシア』と同じ発行所から出ている月刊誌で、よりタイムリーな記事が掲載されている。
 執筆者は『うるまネシア』に準じる。
 読み切れないので最近は購入していない。
 
〈購読方法〉
 500円(税別)
 琉球館(株式会社Ryukyu企画)
 電話:098-943-6945
 年間購読は税・送料込で5,000円
 東京琉球館
 E-mail:dotouch2009@ybb.ne.jp
 電話:03-5974-1333

浜田矩子『さらばアホノミクス』

2016年01月18日 | 本と雑誌

 

 「アホノミクス」という流行語を生んだ浜田矩子さんのベストセラー。新書判190ページの小さな本で、いつでも読めると高をくくっていたら、なんやかや雑用が多くてまったく本を読む時間がなかった。読みさしの本が何冊も脇に詰まれていて、さてどれから手をつけようかと悩んだ末、とりあえずササッと読んでおこうと打ち合わせに出かける車内2往復ほどで読み終えた。
 
 なるほど売れるわけだ。
 まず第一に、経済学の知識がまったくなくても理解できる。表現が直截で曖昧さがない。ようするに歯に衣を着せず、ズバリと語っているのだ。
 そのぶん、いささかアジ演説みたいなところもあるけれど、小気味いい。

 トリクルダウンが無意味なことは、多少の知識があれば誰にでもわかることだが、浜さんはいっそう手厳しい。
 実は先日の予算委員会で安倍総理は、アベノミクスが効果をあげていることの証拠として、株価と賃金の上昇をパネルで示し、それが景気向上の兆しであると語っていたが、実は株価の上昇も、平均賃金の上昇も庶民生活には無関係である。
 儲かるのは経団連に名を連ねるような大企業ばかりで、そのおこぼれが滴り落ちるどころか途中でキープされ止まっているのが現状だ。
 当然そのことを安倍総理が知らないはずはない。だから確信犯である。
 浜矩子さんは「トリクルアップ経済学」と言う理論を思いつく。
 「貧乏人をないがしろにしていると、やがてそのツケが金持ちにも回っていくぞ」
 庶民生活がうまくいかなければ消費が冷え込み、結局は大企業がうまくいかなくなる、ということだ。
 
 マイナンバーは統制経済への布石に思えてしまうと語る。
 「制度の問題ではなくて、制度の運営管理者たちの体質と信頼の問題です。どんなに立派な制度でも、その運営主体によこしまな魂胆があれば、とんでもない結果になる」
 たしかにマスメディアはマイナンバーの利点ばかりを喧伝して、制度のマイナス面については触れない。それにまつわる犯罪に注意しろとは言うが、政権の真の目的についての解説はまったくない。これも、経済を統制しやすくするための策略と考えられる。
 
 おもしろいのは、安保法案や原発反対でもに関して述べている部分。
 かつて、60年安保のころ、時の内閣総理大臣岸信介が「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には声なき声が聞こえる」といった。
 当時この発言は大問題になった。つまり、「発言しなければ安保に賛成と理解する」と言う意味だ。とんでもない誤解だ。
 浜さんは語る。
 「そもそも彼に声なき声が聞こえていれば、国会周辺が騒がしくなることはなかった。声なき声に対して彼の耳が閉ざされていたからこそ人々は国会周辺で声をあげた。そのために銀座や後楽園球場から国会前へと行き先を変えた人もいたに違いない」
 それが若者たちの活動「シールズだ。
 
 そして、「◯◯ノミクスは悪徳商法」であると切って捨てた。
 「アベノミクスなる言葉が、無闇に飛び交うようになった。これはいけない。
 この称号がついてしまうと、その対象について人々はものを考えなくなる。名前がついた時点で、中味に関する説明が不要であるかの幻想に陥る。さらに危険なことには、ある特定のイメージを信じ込まされる恐れが出て来る。アベノミクスって、株が上がることでしょ。物価が上がることでしょ。円安になることでしょ。こんな具合だ」
 
 つまり、日本の景気はちっとも良くならないどころか、さらなる悪化する可能性を含んでいる。くれぐれもだまされないように。参院選では絶対に自民党に投票してはいけないのだ。

『日本語 語感の辞典』

2015年12月22日 | 本と雑誌


  これは面白い辞典が出たと、ずっと気になっていたが、あえて緊急性のあるものではないので買い控えていた。
 辞書としては安価な3000円ほどの定価をケチったわけではなく、やたらと本が増えることに最近恐怖を覚えているのだ。
 出版社に出かければ何冊か手渡され、著者と会えば好意で贈呈してくれる本を断れない。加えて当然のことながら自分の作った本が見本として送られて来る。その本を作るための参考資料としての本も仕入れる。
 ぎっしり隙間なく詰め込まれた書棚の前に、さらに二重三重に積み上げられた本は、まるで地から湧き出るように居場所を浸食しはじめている。やがては座る場処もなくなるのではないかというじわじわとした圧迫感は実に不気味だ。
 某出版社の社長から資料にと送りつけられた全10巻のシリーズは置き場所がないからとぼやいたが、ベッドの下にでも置いておけと言われた。そのベッドの下もテーブルの下も。とっくの昔に埋まっている。
 カミさんの母親が先日亡くなって、「遺品整理で『大東亜戦史』が出て来たがいるか」と問われ、よせばいいのに貰うと言ってしまった。さっそく段ボールが送られて来たが無論のこと置き場所がない。そこで彼の社長に面白い本が出て来たのでと言いくるめて段ボールごと送りつけた。これでおあいこだ。
 そんなわけで、1冊買うにも勇気がいるのだ。
 だけれども、先日東京新聞のコラムにこの辞書から引いた話が載っていて興味が高まり、結局買ってしまった。ばかである。
 
 邪魔なものを買ってしまったと後悔しながら、それがけっこう面白いので腹が立つ。項目は普通の国語辞典と変わらないのだけれど、国語辞典には載らない余計なことが色々書かれている。言葉の意味ではなく、ある言葉についてどんな「感じ」がするかを引く辞書なのだ。
 たとえば【下女】という項目を見ると、次のようにある。
 
 〈雑用をする下働きの女をさす古めかしい漢語。差別意識が感じられるとして使用を控えている。夏目漱石の『坊っちゃん』に「清という──が、泣きながらおやじに詫まって」とある。→お手伝いさん・家政婦・女中・派出婦・召使い〉
 
 なんとまあ独断的な解説だろうか。「差別意識が感じられるとして使用を控えている」? そうかもしれないが大きなお世話だ。とはいうものの意味をわからずに使えば誤解を生みかねない。世の中には間違った言葉を平気で使うご仁がいるものだから。
 
 【たたかう】については【戦う】ならば武力を用い、あるいはルールに則って勝敗・優劣を競う意であり【闘う】ならば立ち向かう意とあり、例として〈勇敢に闘う〉〈正々堂々と闘うことを誓う〉〈病魔と闘う〉などがあげられている。それが【戦(闘)い】のように名詞になると〈現代では「戦いの日々」「戦い済んで日が暮れて」のようにいくらか美化した詩的な雰囲気で使われる〉「何言ってやがる」と毒づきたくなるような、まったく余計なことが書かれているのだが、面白くてつい読んでしまうのがこの辞書だ。
 以前『新明解国語辞典』が斬新な解説で有名になったが、辞書というものはただ引くだけでなく、読んでみると案外突っ込みどころがあって面白い。芥川龍之介が大槻文彦博士の編んだ国語辞典『言海』の【猫】の項目に「窃盗の性あり」という一文を見つけ出し、「猫に窃盗の性あるとするならば犬には風紀紊乱の性ありと書かねばならないだろう」と突っ込みを入れている。次に出た『大言海』では、芥川に突っ込まれたせいかどうかはわからないが、この一文は削除されていた。芥川龍之介という人は、辞書を読むのが好きだったようだ。そして大槻博士は猫が嫌いだった…のだろう。
 
 この『語感の辞典』、余計な長物だが面白いので当分側に置いておく。