ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

沖縄の真実を広める首都圏の会

2008年05月31日 | おしらせ
 来る6月20日(金)午後6時30分より「大江・沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」の結成1周年総会が開かれます。

 当日は「記念講演」として、フォトジャーナリストの森住卓さんより「沖縄・ヤンバルの森から「集団自決(強制集団死)」の現場へ」と題したお話をうかがいます。

 会場:明治大学リバティタワー地下1001教室。
 *JRお茶の水駅の「お茶の水橋口(四谷より)」を出て左、駿河台下方向に3分ほど行った右側。リバティータワーに入ってから地下の教室まで迷いやすいので、近くを歩いてる学生に聞いてください。

 参加費:資料代として500円。
 *予約は不要で、当日直接会場に行けばいいのですが、けっして広い会場ではないので、満員になることが考えられます。開場時間は6時ですので、早めに出かけることをおすすめします。

 連絡先:「大江・沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」
 電 話:03-3264-2905
 http://okinawasen.blogspot.com/

 以下にチラシを添付してありますので、詳細はそちらで。画像クリックで拡大できます。


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桐野夏生『東京島』

2008年05月30日 | 本と雑誌
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『東京島』
桐野夏生 著
新潮社発行 1400円+税

 桐野夏生の発想のユニークさには毎回驚かされますが、最新作『東京島』はこれまでの桐野作品とはひと味違った、痛烈な時代風刺が感じられます。
 クルーザーで世界一周の旅に出て遭難し、無人島に漂着した夫婦のあとから、23人の若者が漂着。さらにやがて11人の中国人までもが漂着しますが、女は一人だけ。
 文明とはまったく縁のない無人島で、野生の植物や動物を食糧にしながら助けを待ちますが、いつまで待っても一隻の船も現れません。
 流れ着いたみんなは、やがて島をトウキョウと呼び、ある地域をオダイバと名づけ、ブクロ、シブヤ、チョーフ、コーキョ前広場もできてきます。そうして人々は、原始時代に近い環境の中にありながら、「文明的」な暮しを懐かしんでいました。
 「コンビニで買ったヤマザキパンにイチゴジャムをたっぷり塗って食べたい」
 大量生産で防腐剤たっぷりの食パンや添加物だらけのイチゴジャムは文明の象徴というわけですね。

 いつ誰が置いていったのか、放射性と見られる産業廃棄物が捨てられている浜がありました。そこはトーカイムラと呼び、仲間はずれを放逐する場所にします。

 あるときは力のあるものが人々を支配し、ある時は多くを持つものがリーダーとなり、さらには権力闘争や裏切りがあり、歴史の縮図を見るようです。

 筏を作って脱出を試みて失敗し、そのために多数の犠牲者がでることもありました。食あたりや、殺人とも思える転落事故で命を落とすものがいたり、その度に力関係に変化が起こります。

 たった一人の女であるキヨコは、女であることを武器に女王のようにうまく立ち回ろうとするのですが……。

 文明とは何か、人間の幸せとは何か、食欲と性欲とエゴイズムが渦巻くサバイバル生活は、まったく今の日本の現状とオーバーラップするものがあります。

           ◆◆◆

〈5月13日付の記事に追加情報〉
 『蟹工船』(新潮文庫版)がこのところ数日置きに万単位で増刷されていて、なんと20万部超だそうです。
 しかし、どうして新潮文庫だけ? 岩波文庫もあるのに。
 漫画もあります。
 著作権切れてるので、新潮社は丸儲け。

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クラスター爆弾禁止条約

2008年05月29日 | 国際・政治
 クラスター爆弾の禁止条約づくりを目指す有志国の集まり「オスロ・プロセス」は28日、アイルランド共和国の首都ダブリンで行われた国際会議で、一部の最新型爆弾を除いて禁止する条約案に合意しました。
 これにより、現在各国が保持しているほとんどのクラスター爆弾が禁止対象になり、事実上の全面禁止ということになります。日本の自衛隊がもっているクラスター爆弾も禁止対象となり、自衛隊はこれを保持することができなくなります。しかし、アメリカに追随する日本は、保留したまま態度を明らかにしていません。

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 クラスター爆弾というのは、1個の親爆弾の中に多数の小さい爆弾を詰めたもので、投下されると空中で子爆弾がばらまかれ、広範囲にわたって破壊することができる爆弾です。
 太平洋戦争中にアメリカが木造の日本家屋を焼き払うために開発した焼夷弾は、クラスター爆弾の原形ともいえるもので、親爆弾の中に油を詰めた複数の子爆弾が入っていて、空中でばらまかれ地上を火の海にしました。

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 クラスター爆弾は不発弾が多く、戦闘が終わった後も多数の子爆弾が地上に残され、一般市民が被害に遭う事件が多数起きています。

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 おもちゃのケースのような形をしていて、子どもが興味を持って拾うことを意図した悪質なものも作られています。
【謹告】以前ここに掲載されていたカラフルなクラスター爆弾の写真は、着色したものであることが判明しましたので削除し、オリジナル写真に差し替えました。閲覧された方々にご迷惑をかけましたことをお詫びします。

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 この写真は、クラスター爆弾によって両腕を失ったアフガニスタンの少年です。アフガニスタンでは処理しきれないほど多数の不発弾が残されていて、民間人が誤って踏んで足を飛ばされたり、この少年のように爆弾だと気づかずに拾って手足ばかりか命を失う子どもも少なくありません。

 あまりにも非人道的な爆弾であるために、世界的に禁止することが求められていますが、主要生産国であり、また最も多く保持しているアメリカ、中国、ロシアなどは、「オスロ・プロセス」そのものに参加していません。生産国では国の経済を支える軍需産業の一つとしてだけでなく、軍事力を誇示することで他国を威圧しようとする考えもあるためです。
 
 テレビ朝日の報道ステーションで、「アフリカに根付く日本の“憲法9条”という特集をやっていました。

 「武力で平和を維持してもそれは一時的なものだ、永久的な平和を作るためには一切の武器を持たないことだ。これをアフリカの各国に広めていきたい」

 一切の武器を持たない多数の国々が、兵器の生産国や保有国を包囲して、武力を放棄せざるを得なくすることが必要ですね。

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砂上の楼閣だった〈吉兆〉

2008年05月28日 | ニュース
 もうかれこれ二十年以上になりますが、ぼくが生まれてはじめて船で沖釣りに行ったとき、天候もよく結構な釣果が得られました。それからすっかり釣りにはまって、一時は毎週のように三浦半島や千葉の浦安辺りに出かけて行ったものです。
 釣りをするということは、当然魚を料理しなければならないわけで、おのずと調理法などを覚えていきます。覚えるだけでなく、料理の腕も上達します。魚の料理であれば、やはり刺身を中心にした和食になり、焼き物や天ぷら、煮魚なども作れるようになっていきました。
 釣りたての魚は当たり前の話ですが新鮮で、たとえば鯵や鯖のような大衆魚でも、最上級の高級魚に引けを取らないおいしさです。余計な手を加えずに素材そのものの味を生かすには、やはり和食がもっとも適した調理法です。
 ぼくは料理がうまくいくとよく冗談で、「これ、吉兆並みだよね」などと恐れ多いことを言っていました。

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 料亭の最高峰「吉兆」の創業者である湯木貞一氏による『吉兆味ばなし』(暮しの手帖)という本が手元にあります。多くの料理人が吉兆の味に追いつけ追い越せとしのぎを削り、それでも吉兆はそうした巷の料理人たちには容易に手の届かない高嶺に存在していました。
 もちろんぼくは、一度も吉兆の暖簾をくぐったことはありません。ブランドというものを、ぼくはあまり信じていませんし、値段が高くて旨いのは当たり前と思っていますから。強がりではなく、行ってみたいと思ったこともありません。それでも湯木氏の料理哲学はすばらしいと感じていました。
 この本を読むと、料理が「おもてなしの心」であることを自然と感じさせます。そうした吉兆の哲学を家庭にも取り入れてほしいと、『暮しの手帖』の創立者、花森安治氏が生前企画し、死後出版されました。

 ??一年に一度の鮎の季節ですから、〈鮎の塩焼き〉にしましょう。桂かごに入れて笹焼き、たで酢をそえます。

 先代は鮎の塩焼きひとつにも心を込めて客に供しました。しかし、その子が引き継いだ〈船場吉兆〉では、その鮎の塩焼きを、客が残すと次の客に使い回していたと言います。
 使い回された料理の種類は、鮎の塩焼きをはじめ、わかっているだけで16品目に及び、それらはおもに「下座の客」に出されていたと、従業員は語っています。客を上下で区別していた!
 しかもそれは14年間も続けられていたというから驚きです。先代が亡くなったのが1997年ですから、料理の使い回しは先代の生前から行われていたことになります。
 はたして、亡くなった先代はこの事実を知っていたのでしょうか。

 もし先代が船場吉兆のように利益優先で料理を作っていたならば、吉兆はこれほどの名店になることはなかったでしょう。うまい和食を来店したお客さんに食べてほしい、ただそれだけだったと思います。しかし、二代目は違っていた。〈吉兆〉の暖簾にあぐらをかき、「おもてなしの心」は失われ、「はじめに利益ありき」、その考えが吉兆に務める料理人たちに浸透し、このような事件を誘発する原因になったことは想像に難くありません。
 大阪商人の挨拶は「もうかりまっか」であることは有名ですが、商いが儲け第一でないことは古くからの商人なら誰でも知っていることです。
 「商いとはとはお客様に奉仕すること。辛くとも飽きずに続けること。それが“あきない”」だといいます。
 儲けとは、お客様に奉仕した結果いただくものなのです。
 つまり、「もうかりまっか」とは「もうかるほどにお客様にご奉仕なさってますか」という意味なのですね。

 今日28日、〈船場吉兆〉は廃業を宣言しました。これは〈船場吉兆〉だけの問題ではなく、「人」をないがしろにしてただひたすら利益だけを追求する、今の日本の経済界全体に言えることではないかと思います。

 ??湯木さんが、大阪の新町にはじめて〈吉兆〉ののれんを掛けたのは、昭和五年、三十歳の秋でした。それから、まだ五十年はたっていないのです(出版当時)。湯木貞一という一人の人間の、その鋭い感覚と、それを生かし切る技術の深さを、ぼくはかねがね、あの〈星ケ岡茶寮〉の北大路魯山人と並べて考えています。そして、魯山人はむしろ陶器に才を発揮したが、料理は、あるいは吉兆がまさっているとおもっているのです。

 これは花森安治氏による「後書き」の一節です。苦労して時間をかけてつくりあげた至高の料亭も、跡を継いだ人間が先代以上の努力で守り続けなければ、いとも簡単に崩壊してしまう、暖簾(ブランド)とはまさに「砂上の楼閣」と言えるでしょう。
 *〈吉兆〉の「吉」は正しくは「土」に「口」。

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青い~~~~!

2008年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
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 「うわあ、雲一つないや」
 「雲一つない空って、ただの青なんだよね」とアシのY。
 「写真撮ってこよっと」
 で、撮ってみたのが、これ。
 「ホントだ」

 今日はすごい空でした。連日の夏日で、窓を開けていると熱風が入ってきます。

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 太陽がギラッ! いかにも暑そうでしょう、気持いいくらい暑かった一日でした。

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孤立無援~高橋和巳

2008年05月26日 | 本と雑誌
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(『わが解体』河出書房新社 口絵)

 1971年5月、高橋和巳は39歳の若さで結腸ガンで亡くなりました。
 当時ぼくは、おかしな仲間たちとそれぞれのアパートを集団で泊まり歩いていました。
 中に高橋和巳の大ファンがいて、そいつは死亡のニュースを聞いて「ゲッ」と妙な声を発したかと思うと、白目をむいて気絶しました。
 それを見た他の仲間はどうしたかと言うと、何もせずにほっておいたのです。
 やがて気がついてむくむくと起き上がった彼は、その日一日布団をかぶって寝ていました。

 最近の若者で高橋和巳を知っている人はほとんどいませんが、僕たちの年代では知らない方が変人。
 とくに学園闘争をやっている学生の間では神様みたいな存在でした。

 高橋和巳は1931年8月、大阪市で生まれました。京都大学文学部中国語中国文学科を卒業後、大学院に進学。
 高校の講師を経て、立命館大学講師、明治大学助教授から、京都大学文学部助教授。

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 立命館時代の1962年11月、『悲の器』で第一回文藝賞を受賞しました。

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 森田童子が唄にした『孤立無援の思想』は学生運動が最も活気にあふれていた1963年発表の作品です。(単行本化されたのは’66年)
 こんな一節があります。

 ??「内に省みて恥ずるところなければ、百万人と言えども我ゆかん」という有名な言葉が孟子にあるけれども、百万人が前に向かって歩きはじめているときにも、なおたった一人の者が顔を覆って泣くという状況もまた起こりうる。最大多数の最大幸福を意志する政治は当然そうした脱落者を見すてていく。

 これはまったく現代の格差社会に当てはまる言葉です。
 しかしその反面、やがて訪れるであろう「挫折」を予感してたとも思える言葉が最後にあります。

  ??これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空虚、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。

 今改めて読み直してみると、いささかアジテーションレベルの空回りも感じられますが、その奥に将来を見据えた鋭い視線の持ち主であることがわかります。
 しかし、森田童子の唄にあるような、万引きして逃走する自転車の後ろで読める本でないことは、この数行を読んだだけでもわかるのでは。

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 『わが解体』は生前出版された最後の本で、病床にあって十分な推敲ができないまま出版されました。
 「解体とは、自分たちが依拠していた、基本的なものと思われていた価値も、幻想かもしれないと疑い続けながらも、仮に自分の立つ瀬がなくなっても、それをあえてやるという」、高橋和巳自身の自立拠点への到達でもあったわけですが、皮肉なことに、解体は肉体の解体を伴ってしまいました。
 『わが解体』が出版されて2カ月後、高橋和巳は亡くなりました。

〈主な著書〉
 ? 悲の器(1962年11月、第1回文藝賞)
 ? 散華(1963年)
 ? 我が心は石にあらず(1964年12月 - 1966年6月連載)
 ? 邪宗門(1965年1月 - 1966年5月連載)
 ? 憂鬱なる党派(1965年11月)
 ? 日本の悪霊(1966年1月 - 1968年10月連載)
 ? 孤立無援の思想(1966年5月 「世代’63」11月掲載 )
 ? わが解体(1971年3月 1969年6月 - 10月連載)
 ? 黄昏の橋(1968年10月 - 未完)

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森田童子~孤立無援

2008年05月25日 | 音楽
 風間完画伯のジャケットがいい。
 しかし、ぼくが持っている森田童子のイメージとはだいぶかけ離れています。
 なぜならこの2枚のベスト盤は1993年発売で、映画とドラマがヒットした『高校教師』の主題歌としてのイメージですから。

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 そもそも、森田童子と『高校教師』はミスマッチな気がします。
 (だいたいあんな高校教師が実際にいたら、フザケルナ! と言いたいです。いや、ウラヤマシイかな?)

 ぼくがこれを買ったのは『高校教師』が目的ではなくて、1に入っている「孤立無援の唄」と2に入っている「球根栽培の唄」。
 ともに70年安保闘争当時話題になった言葉で、「孤立無援の唄」は京大助教授で作家だった高橋和巳のエッセー「孤立無援の思想」から来ています。
 高橋和巳が「孤立無援の思想」を発表したのは1960年代の半ば。同名のエッセー集にある短い評論ですが、これが全共闘を中心に大ヒットしました。
 森田童子のこの唄の中に、友だちが書店で立ち読みしながら『孤立無援の思想』を万引きし、“ぼく”の自転車の後ろにまたがって逃走しながら読んでいるところがあります。
 自転車の後ろで走りながら読めるような簡単な文章じゃないですけどね、あれは。
 そういえば、当時は万引きが犯罪であるという意識に乏しい学生が多かったですね。

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 森田童子が活動を開始したのはそれから約10年後の1975年、西荻窪のロフトなどでライブが行われ、連日の超満員でした。
 つまり、70年安保で挫折した学生運動の残されたろうそくの焔のようなものだったのです。浅川マキ、山崎ハコらとともに、暗めの女性歌手が人気だった時代です。
 近頃の「ヤング(死語)」にはまったく受けません。それどころか、“彼女”に「暗い部屋で~一人でこんなの聞いてると思うと~、きもちわるい~い~」なんて言われて嫌われますからご注意を。

 「球根栽培の唄」というのは地下出版本『球根栽培法』の意味で、チューリップやダリアの球根を栽培することではありません。
 全共闘世代の人なら知っていますが、火炎瓶や時限爆弾や改造拳銃を作ることを、隠語で「球根を栽培する」と言ったのです。
 唄に出てくる「赤ヘルメットのお前」は森田童子本人でしょうか。危険な臭いに似合わない癒し系の声は、青年から中年に向かおうとする、多くの元闘士たちの傷ついた心を癒してくれました。

 ちなみにこの2枚を含め、森田童子のCDはすべて廃盤.今後再発されることはないでしょうから、貴重品になってしまいました。

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夏淑琴さん

2008年05月23日 | ニュース
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 元北京放送アナウンサーの坂東弘美さんから、昨日判決のあった「南京事件」裁判の原告、夏淑琴さんの写真が送られてきました。
 「2001年3月、南京市青春劇場ロビーです。紫金草合唱団の第1回中国コンサートが終了して出てきて、日本人スタッフから紫金草の造花を貰って嬉しそうな夏さん」
 という説明がついていました。
 7年前の写真ですが、とても元気そうで素敵な笑顔です。

 撮影したのは、先日来日した胡 錦濤国家主席が早稲田大学で講演した際、中国国際放送局から送られる実況放送のキャスターをしていた王 小燕さん。ほとんど日本人と変わらない日本語を話します。
 王 小燕さんには『全国お郷ことば・憲法9条』のとき、憲法9条中国語訳文の簡体字の文字打ちを協力していただきました。

 坂東弘美さんは、同じく『全国お郷ことば・憲法9条』のとき、名古屋弁で憲法9条を書いてくれた人で、名古屋市在住。
 さる4月17日、名古屋高裁で「イラク派兵は憲法9条違反」の判決を勝ち取った原告団の一員です。

 みなさん、実に頼もしい女性たちです。

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「南京事件」夏淑琴さん勝訴

2008年05月23日 | ニュース
 『「南京虐殺」の徹底検証』という本の中で、南京事件で生存した夏淑琴さんを偽物呼ばわりした亜細亜大学教授の東中野修道と、発行元の展転社にたいし、東京高裁は21日、400万円の賠償金支払いを命じました。

 東中野修道はアメリカ人宣教師ジョン・マギーが撮影したフィルムの解説書における夏淑琴さんの証言について、撮影フィルムは捏造されたものであり、証言は空想の産物だなどとし、まるで夏淑琴さんを偽の証言者であるかのような主張をしていました。

 東中野修道は、南京事件否定論の中心的人物で、本多勝一氏の『中国の旅』や『中国の日本軍』、さらに笠原十九司教授の一連の著作に対しても否定的な立場をとっています。
 しかし、東中野の南京事件否定論は、その多くが「~であろう」「~のはずである」など、想像と推測で成り立っていて、学問的にはまったく意味をなさない理論です。
 したがって、笠原教授によれば、「南京事件論争は学問的には決着済みの論争」だといいます。

 南京事件は発生と同時に軍の幹部や外務省に報告が入ったことが、当時の外務大臣である広田弘毅、および石射猪太郎東亜局長の証言など、多くの旧日本軍・政府関係者の資料からわかっています。

 南京事件のあとの漢口(現在の武漢)攻略作戦では「南京事件の轍を履(ふ)まないよう」(岡村寧次中将)に、風紀の乱れた部隊は市街地に入れず、風紀の正しい都城連隊のみ進入させた結果、「事故がなかったことを喜びあった」ことが記録に残されているなど、南京事件が事実であることの証拠・証言は無数にあり、本来否定のしようがありません。
 それにもかかわらず、過去の侵略戦争を美化するために必死になって無理な論理を展開する東中野修道に対し、法の鉄槌が下されたことになります。
 
 学問的には決着がついているものの、書店では否定論の本が平積みされ、マスコミでは著名人が無責任な否定論を展開していて、それらを鵜呑みにして「南京事件はなかった」と信じてしまう人も少なくありません。
 社会全体が右傾化する昨今、歴史歪曲主義が力をつけています。そうした中で、「南京事件否定論」にノーを突きつけたこの判決は、当然と言えば当然ですが大きな力づけになります。

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8B………「こっ」

2008年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日はほぼ一日外出でした。
 11時に、浅草橋にある某研究所付属の出版社に、製作中の写真集の色校正を持って出かけました。
 少し早めに着いたところ、広告代理店を交えて社長室で役員会議の最中。
 会議室で待っていると、専務が呼びにきました。
 「社長がなんで坂井さんは入ってこないんだって言ってますけど」
 役員会議に入るなんてぼくは聞いてません。役員じゃないし…。
 しぶしぶ社長室に行き、あーでもない、こーでもないと話し合っているうち、どさくさまぎれに、写真集の全5段の広告をぼくが作ることになってしまいました。

 「ま、いいか」

 中途半端にかかわるより、全部自分でやった方が楽だ。
 会議も色校も昼過ぎにはすべて終了。
 外出ついでにお茶の水へ出てG出版へ。
 アポイントを取っていなかったので、邪魔にされたらさっさと帰ろうと思っていると、ちょうど良かった、と捕まってしまいました。
 「時間ありますか」
 「はい」と言ってしまったのが運のつき。
 あれこれ話しているうちに、気がつけば3時過ぎ。

 ふと思いついて、お茶の水駅前の「レモン」という画材店で、フツーの文具店では売られていない鉛筆を買って帰ることに。

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 カステル9000番の「8B」。
 国産鉛筆は「6B」までで、「7B」「8B」はありません。
 同じくドイツ製のステッドラーも「8B」まで出していますが、愛用のカステルを選びました。
 仕事に必要なものではなく、ただの趣味です。
 絵を描くことの好きな那由も欲しがるだろうと2本購入。
 そう使うものでもないので、1ダースなんて買いません。
 314円なり。

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 こうして比べてみると、たいした差はないように見えますが、書き味はまったく違います。
 Bはザラザラした紙の感触が手に伝わってきますが、6Bだとかなり滑らかです。
 これが8Bになると、滑らかさを通りすぎてぬめぬめした妙に艶っぽい感触。
 これはもう、鉛筆ではなくて、何か別な筆記具ですね。

 夕方、帰宅した那由に「これいるか?」。
 「なに?」
 「8B」
 8Bの存在を知ってる那由は、ニターっと笑って受け取りました。
 さっそく、その辺にあった紙に試し書き。
 「……こっ」
 濃いってことです。
 「う~っわっ! ぬるぬるだ~」
 下の無量が「なになに、気になる~」と寄ってきましたが、那由はさっさと自分の部屋に持っていってしまいました。
 使わせたくないようです。

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久々の「満月」

2008年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 満月は毎月あるので、満月が久々なのではなく、ぼくが見ることができたのが久々という意味です。
 天気のせいばかりでなく、空を見上げている余裕がなかった……
 今日は朝から大荒れのお天気でしたが、午後からは晴れ間も見られました。
 雲の多い夜空は、かえって神秘的な月の姿が見られるようです。

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荻窪散策(13)とんこつらぁ麺CHABUTON

2008年05月18日 | まち歩き
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 中学生の那由はラーメン好きで、家には常にラーメンのストックが欠かせません。
 しかし、味がわかるのかと言えばそうでもなく、要するにラーメンであればいい。
 せっかく荻窪住んでいながら、いわゆる荻窪ラーメンには、地元だと案外行かないものです。旨い店は遠くに住んでいる人の方がよく知っていたりします。
 それでも、「どこの店がおいしいの?」と聞かれたりしますから、それらしい店は一通り出かけてみることにしています。
 で、ラーメン好きの那由を連れて昨年3月にできてから、まだ一度も行ってなかった「とんこつらぁ麺CHABUTON」へ。
 この店があった場所は何度もオーナーが代わって、一時は「香月」が入っていたこともありましたが、味が落ちて来たなと思ったら閉店してしまいました。
 今回も壁面の装飾を変えただけで、ほとんど居抜きのままで開店したようす。

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 こちらがメイン商品の「とんこつらぁ麺」。那由は味玉子付きを注文。

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 こちらは、「醤油らぁ麺」。荻窪で長く営業するには、醤油が一定レベル以上でなければ成り立ちません。
 はたしてこれはどうでしょう。

 まず、豚骨ですが、那由のを失敬して味見したところ、思いのほかさっぱりしていてしつこさがありません。然し、豚骨に期待されるコクがあまりなく、味は薄め。薄味好きの那由にはちょうど良かったようす。
 麺は定番通りの細めんですがやや頼りない感じです。
 全体的に「帯に短し襷に長し」で、これが本物の豚骨ラーメンなんだ、と言われればそれまでですが、ぼくにはいまいちです。

 醤油は東京ラーメン独特の縮れ麺で、食感も悪くありません。
 ところが、スープはまるで素人。醤油の味が生でコクがないどころかトゲがあり、まったく熟成されていません。
 せっかくの麺がだいなしです。
 これでは、醤油はメニューに入れない方がいいですね。

 カウンター前に置かれたパウチされた宣伝には、ガゼットやミシュランに名前を連ねたことがこれ見よがしに印刷されています。
 もし本当なら、ガゼットもミシュランもたいしたもんじゃありません。

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 「自由にお持ち帰りください」とある、A4三つ折りのパンフレットの内側には、いかに苦労を重ねてこのラーメンを誕生させたかというサクセスストーリー。
 これでもかという自己宣伝がいささか鼻につきます。
 ラーメンに自信があればだまってそのまま客の前に差し出すでしょうが、まあ、自信がないんでしょうね。
 いかにすごいかということを、味以外の部分で一生懸命語ってみても、それで客が入るのは一度だけ。おいしくなければ裏切られたと思い、二度と来ません。

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 お粗末なのは中面トップにあるキャッチコピーの「誤植」。グループ代表者の名前「森住康二」の「二」が片仮名の「ニ」になっています(赤○で囲んだところ)。
 修正シールも貼っていないところを見ると、これは誰も気づいていませんね。
 本文の細かいところならまだしも、いきなりトップに誤植は信頼をなくします。

 さて、いささか酷評になってしまいましたが、豚骨だけならけっして、悪い味ではありません。よけいな自己宣伝せずに、そのまま出せばそれなりにファンがつくのではないでしょうか。
 しかしまあ、荻窪以外なら客が入るかもしれませんが、ラーメン屋がひしめく荻窪では、2、3年もてばいい方でしょう。
 
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ミニ・ジャングル

2008年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム
 ネコの額のような庭ですが、今の時期、油断しているとたちまちジャングルのようになります。
 木瓜やツツジや酢橘にまじって、雑草が花を咲かせています。
 雑草と言えども、一つ一つをよく見ると、なかなかいいもんですね。

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 ポツポツと整理していますが、とても追いつきません。
 以下の花たちは名前がわかりません。

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 これはツツジ。

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 こんな、頭の長い変なのがいました。アリかと思ったら足が8本あります。ネットで調べると、「ヤサアリグモ」というクモの一種だとか。

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 これは、山芋の葉。蔓が複雑に絡み合っていて、どこに根元があるのか、今のところ発見できていません。

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 タンポポも綿毛の季節になったようです。

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 柑橘類は1年結果のはずですが、酢橘に白い花がちらほら咲き始めました。もし実がなったらラッキー!

 NIKON D-80 AF MICRO NIKKOR 55mm f:2.8

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〈今日のおまけ〉プロ野球びっくりニュース

顔が侮辱行為だから退場! 
ローズ納得いかん


 オリックスのローズが17日のロッテ戦の9回、空振り三振に倒れた直後に突然の退場処分を受けた。秋村球審は「何か言っていたけど、それは英語で分からない。その時の顔が侮辱行為と感じた」と説明した――。
(Sponichi Annex)
 
 ローズの顔が侮辱行為で退場なら、クルーンなんか1試合もゲームに出られない!
 おかしいけど、失礼な話だね。

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新宿「良庵」

2008年05月15日 | まち歩き
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 新宿駅東口、中央通(三越裏通り)をずっと入った右側地下2階にある豆腐料理の店「良庵」。
 出版社の営業の女性と著者の3人で、食事に出かけました。
 以前、Y子さんと芝居を観に行った帰りに、どこかで軽く一杯とぶらぶら歩いている途中、偶然みつけた店です。
 料理が旨く、雰囲気もいいので気軽な接待にはちょうどいいと、この店を選びました。

 ここの売りは豆腐と魚。
 「大吟醸蒸し豆腐」というのがあって、この店一番のおすすめですが、ひとつが3人前ぐらいあるので、前回は注文しませんでした。でも、いずれと思っていた「気になる」豆腐だったので、真っ先に注文。

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 何やら大げさな四角い木の箱が現れました。
 この箱を、テーブルに仕込んだIHヒーターの上に乗せます。

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 白い液体が入っています。これをヒーターに掛けて蒸すわけなのです。

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 時間は計っていませんでしたが、おおよそ10分ほどでしょうか。
 このように固まります。

 これを、2種類のたれで食べます。ですが、そのまま何も付けずに一口食べると、ふわりと軟らかく、ほんのり甘みのある味が舌の上でとろけます。
 絶品!

 ごま豆腐も注文して、こちらも絶品!

 魚も新鮮でこれまた美味。今回は注文からもれてしまいましたが、前回食べた金目の刺身が実に良かったことを覚えています。
 焼き物は鯛のかぶと焼きと他に一品くらい。これで、焼き物のメニューがもう少し多いといいのですが。

 雰囲気もよくて食べ物もおいしいおすすめの店です。
 値段はこういった店にしては、格安です。

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『蟹工船』と小林多喜二のこと

2008年05月13日 | 本と雑誌
 小林多喜二の『蟹工船』が人気だそうです。新潮社では今年四月に文庫版を7千部用意しましたがたちまち足りなくなり、急遽5万部の増刷を決定したとか。

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『朝日新聞』5月13日付朝刊

 『蟹工船』は1929年発表のプロレタリア文学で、小林多喜二が25歳の時の作品で代表作です。

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 「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
 二人はデツキの手すりに寄りかゝつて、蝸牛(かたつむり)が背伸びをしたやうに延びて、海を抱え込んでゐる函館の街を見てゐた。??漁夫は指元まで吸ひつくした煙草を唾と一緒に捨てた。巻き煙草はおどけたやうに色々にひつくりかへつて、高い船腹(サイド)をすれずれに落ちていつた。彼は身體一杯酒臭かつた。


             ○

 『蟹工船』は極寒の北の海で、カニ漁と加工作業の過酷な労働を強いられる男たちの物語です。
 暴力的で横暴な監督に、海の男たちは団結して立ち向かいます。

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 「団結」、この言葉を聞くと今の若者たちは、「ダサイ」「クサイ」といって拒否し、大きな相手に対して小さなものは結束して立ち向かわなければ勝負にならないという原則を認めようとしません。
 しかし、この格差社会で、学校を卒業しても定職にありつけず、ようやく仕事にありついても、残業代なしで一日十数時間も働かされ、拒否すれば解雇されるという状況の中、若者たちの間にこのままではいけないという危機感が芽生えて来たようです。
 「小説の労働者は、一緒に共通の敵に立ち向かえてうらやましい」
 「となりの席で働くのは別の派遣会社から来たライバル。私たちの世代にとっては、だれが敵かもよくわからない」(『朝日新聞』)
 『蟹工船』を読んだ若者たちが、これからどのように変わってどう若い力を発揮していくのか、楽しみです。

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(『定本 小林多喜二全集』新日本出版社)

 小林多喜二は1903年10月13日、秋田県の貧しい小作農の家に生まれました。4歳のとき伯父をたよって北海道の小樽に渡り、父はパンや駄菓子の小さな店を開きます。
 小樽の高等商業を卒業して、北海道拓殖銀行の為替係で働きながら、学校時代の仲間とともに同人雑誌『クラルテ』を発行。クロポトキンやゴーリキーやバルビュスなどを通じて、社会的な関心を持つようになっていきました。
 軍国主義の色濃いこの時代に、プロレタリア文学は厳重な取り締まりの対象で、 身の危険を感じた多喜二は一旦地下に潜りますが、1933年2月20日に、東京赤坂の街頭で同志と連絡中、密告により治安維持法違反で逮捕されました。特高警察による残虐な拷問の結果、29歳4カ月の障害を閉じました。

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(『定本 小林多喜二全集』新日本出版社)

 公式発表は“心臓マヒ”とされていましたが、その遺体は一目で残忍な拷問による虐殺であることを物語っていました。
 写真は特高警察によって虐殺された多喜二の枕頭に集まった同志たち。

 多喜二が特高に目をつけられる決定的な文章が、『蟹工船』の最後の部分にあります。

             ○

 毎年の例で、漁期が終りさうになると、蟹缶詰の「献上品」を作ることになつてゐた。然し「乱暴にも」何時でも、別に斎戒沐浴して作るわけでもなかつた。その度に、漁夫達は監督をひどい事をするものだ、と思つて来た。??だが、今度は異(ちが)つてしまつてゐた。
 「俺たちの本当の血と肉を搾り上げてつくるものだ。フン、さぞうめえこつたろ。食つてしまつてから、腹痛でも起さねばいゝいさ。」
 皆そんな気持で作つた。
 「石ころでも入れておけ!??かまふもんか!」
 「俺達には俺達しか味方が無えんだ。」


             ○

 「天皇陛下に献上するものに石ころとはなにごとか!」というわけです。
 天皇の写真が載った新聞紙で弁当を包んだだけでも処罰される時代です。あきらかに天皇に敵対する内容の小説を公表することは命がけの事だったのです。

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