ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

映画『サムライ』のカティ・ロジェ

2016年12月31日 | 映画

 
 『サムライ(原題:Le Samouraï)』は1967年公開、アラン・ドロン主演のフランス映画である。アランドロン主演の映画としては、最も好きな作品で次が『個人生活』あたりか。『ボルサリーノ』や『シシリアン』などメジャーな作品よりも、ちょっとB級がかった映画の方がいい。(ジャン・ギャバンと共演した『暗黒街のふたり』は別格として)
 フランス製フィルム・ノワール、要するにギャング映画に分類される。
 ジェフ(アラン・ドロン)は、孤独な殺し屋である。盗んだ車で現場に乗り付け、仕事を終えると車も銃もさっさと捨てる。ときに、依頼者に裏切られることもある、バックのいない弱さだ。
 警察の追及を逃れるため、愛人(ナタリー・ドロン)にアリバイを証言させたのだが、仕事の現場でクラブのピアニスト(カティ・ロジェ)と鉢合わせしてしまった。そのときから、そつなく仕事をこなしてきたジェフの歯車が狂い出す。
 
 最初のVHSは高価で買うことができず、その後2001年にDVD化されたもののずっと入手困難な状態になっていたのが、今年高画質版に修復されたものがブルーレイで出た。CS放送で今月放映されて録画を試みたのだが、地震速報が入ってしまい失敗。結局、オリジナルと野沢那智の吹き替えの両方が入った市販品を購入した。やっぱり、何度観てもいい。
 
 アラン・ドロンは人によって好き嫌いが激しい俳優で、とくに男性の映画ファンからは、キザだニヤけてると避けられる傾向にある。極めつけは来日した時(1984年)のエピソードだ。わざわざ吉原のソープランドに行って〝なさった〟という話が広がり、女性ファンからも顰蹙を買った。それで儲かったのは吉原のソープランド「歌麿」とお相手の泡姫丸千代だろう。それからアラン・ドロンと〝兄弟〟になりたがるアホな男達が押し寄せたそうだ。
 それはともかく、『サムライ』のドロンはかっこいい。ちょっとした仕草でも、つい真似をしたくなったものだ。
 
 この映画でひときわ目を引いたのは、共演の元妻ナタリー・ドロンではなく、本来なら重要な役でありながらあまり目立たないはずの、クラブのジャズピアニスト役を演じた、カティ・ロジェ。
 

 
 ネットで調べると、
 「カティ・ロジェ Cathy Rosier
 西インド諸島のグアドルーベ出身(1945・1/2~2004・5/17)
 モデル、女優、ミュージシャン
 1963年のジャン=ピエール・メルヴィル監督作品の『サムライ』が代表作品。皆様ご存知のピアニストの役を好演してます。
 『サムライ』ではショート・カットだったので、『シシリアン』に登場の写真は雰囲気がまるで違いますが、リノ・ヴァンチュラ、ブリジット・バルドーが主演した『ラムの大通り』ではロング・ヘアーで出演しています。

 *無断引用失礼します。(http://blogs.yahoo.co.jp/astay76astay/20673795.html)
 とある。
 
 当時流行した、ブラック・ビューティの代表的な女優だが、代表作といわれる『サムライ』以外はぱっとせず、日本ではあまり知られていない。
 吹き替えなしでピアノを弾き、抜群のスタイルとやや影のある表情が、日本のファンを引きつけた。当時はフランスの女優と言えば、カトリーヌ・ドヌーヴやソフィア・ローレンのように派手なタイプが多かったから、カティ・ロジェは美人ではあるものの花の大きさで敵わなかったということか。
 この映画が公開されたころ、仕事仲間で後に岩波書店に入ったK君と頻繁に映画を観にいっていた。そのK君、カティ・ロジェに一目惚れして、すっかりご執心だったが、残念なことに、その後は彼女が目立った役を演じることがなく、やがてフェードアウトしてしまった。生きていれば71歳の彼女、59歳での早世だった。

編プロという仕事

2016年12月29日 | 雑感

 
 ウチは編集プロダクション、俗に「編プロ」といわれる零細企業であるる。
 何をしているのかと言えば、出版社から受けた原稿を本の形にするのが仕事だ。
 今年話題のドラマ、「地味にスゴイ! 校閲ガール」のように、校閲部を持っている出版社は大手の中でも限られ、極端な場合、編集業務もすべて外注という出版社も少なくない。仮に編集部があっても、自社で製作しきれなくなると、我われのような編プロに依頼することになるのだ。
 当然だが、編プロの編集者や校閲マンは、平均的に優秀である。そうでなければ仕事は来ない。
 
 仕事の進め方はどこの編プロも同じというわけではない。基本は同じだが、永年の経験から、効率よく正確な仕事をするために独自の作業方法を編み出すから、実にさまざまだ。そしてどこも、自分のところが一番正しいと思っている。
 例えば、写真の左に置かれたプリントは、マイクロソフトワードで送られてきた原稿を出力したもので、僕の場合、最初はこれで読んで原稿をチェックする。Wordのテキストを直接PCのモニターで読んで作業する人も多いが、僕の場合は紙で読む。そこに朱入れしてWordのデータに反映させる。一見非効率に思えるが、紙とモニターでは違って見え、それぞれ気付かなかった個所を見つけ出すことができるから、結局その方が正確で間違いがない。
 朱で書き込まれた記号は、他人に見せるわけではないので、テレビドラマの「校閲ガール」のように、あんなに丁寧には書かない、ほとんど殴り書きだから、自分にしかわからない。
 誤字・脱字・誤用を見つけ、矛盾点をただし、用語の統一を行い、括弧や句読点の入れ方を工夫して読みやすくする。
 くどく読みにくい文章を、読みやすく整理する。仲間内では「ケバとり作業」という。多いのは「馬から落ちて落馬する」ような二重表現だ。
 二重表現でやりがちな例を一つ。
 「二カ月間のあいだに」→これは「二カ月間に」あるいは「二カ月のあいだに」でいい。「間」と「あいだ」が重複しているからだ。
 こんな間違いも見かける。「元旦も夕方近くになると……」。「元旦」とは元日の朝のこと。「旦」の字は地平線(水平線)から日が昇っていることを表している。だからこれは「元日も夕方近くになると……」に修正する。
 クイズ番組に出るので知っている人もいるだろうが、「おざなり」と「なおざり」、「潮時」、「役不足」、「喧々囂々」と「侃々諤々」などは、実際間違って使われていることが多い。著者によっては、間違いを指摘して感謝される場合もあれば、逆切れされることもある。
 送り仮名の間違いも多い。名詞扱いと動詞扱いでは送り仮名の要不要が発生する言葉がある。動詞としての「話し」「答える」「証し」などを名詞として使う場合は「話」「答」「証」のように送り仮名は付けない。
 新聞社などが用語の基本形として作った『記者ハンドブック』を、単行本でも参考にしている出版社がある。若い新人記者にもわかりやすく、記事原稿の統一を図るためだろうけれど、上記の場合などは名詞も動詞も区別なく送り仮名を振るように指示されている。困ったことに、出版社の若い編集者などは、それが正しいと思い込んでしまっていることが多いのだ。受験勉強に「記者ハンドブック」を使ったら、きっと不合格になる。
 ウチでも「記者ハンドブック」を参考にしていたことがあったが、あまりにも間違いが多いので、最近はまったく使わない。
 
 おわかりと思うが、ドラマのように、昨日今日入ってきた新人がスタスタ出来るような簡単な仕事ではないのだ。しかし、主役の石原さとみさんは、実際優秀だったようだ。美人で英語も堪能だし、天は二物を与えずというが、二物どころか三物も四物も持っている人のように思える。
 
 写真の左にあるのは校正紙で、整理された原稿を本のページに合わせて組版したものだ。ここで改めて校正・校閲の手を入れる。この段階では主に誤字・脱字や不統一などを中心にチェックする。本来大きな直しはなくて当たり前なのだけれど、最後の最後まで原稿に手を入れてくる著者もいる。そうした個所はチェックの回数が少ないので、間違いの原因になる。そうでなくても、何百ページもある本にまったく間違いがないことなどめったにない。読者に気付かれなくても、改めて読むと冷や汗が出ることはしょっちゅうだ。
 
 ドラマでも言っていたが、これを「ゲラ」と呼ぶ人が多い。しかし正しくは「ゲラ」ではない。「ゲラ」とは活版印刷のときに用いられた「ゲラ刷り」から来ている。ゲラは植字工が活字を組むときに使う箱のことである。ページの大きさの箱の中で組み上がった活字に直接インクをつけて校正刷りを作るので、ゲラ刷りと言う。
 だからこれは、「校正紙」であって「ゲラ」ではない。
 ウチでは印刷用の最終データまで作成するので、著者から戻ってきた校正紙を印刷データに反映させるのも仕事のうちである。校正紙の直し済みの個所を黄色のダーマトでチェックし、直し漏れがないように再確認した個所は緑のダーマトでチェックが入る。色は業界内で決まっているわけではない。アシのYが決めたことがそのまま習慣になっているだけだ。
 
 編集と校閲は僕の仕事で、データ作成と修正、そして簡易校正はおもにアシのYがやる。しかし今は、7冊の本が同時進行しているので、その住み分けは定かでなくなっている。結局それぞれ手の空いている方がすることになるのだ。
 
 今年はちょっと遅れが出てしまったので、正月中も原稿から目が離せない。それでも、明日は大掃除をしようと思う。

醸造酒は医者に止められているもので…

2016年12月27日 | 雑感

 
 焼酎と泡盛を一升瓶で買う。それと、ワイルドターキーの1リットル瓶。
 瑞泉の古酒43度、雲海には吉田羊さんのペンダントが下がっていた。
 瑞泉はストレートで、雲海はソーダ割りにして、わが家のゆずをたらす。
 ワイルドターキーはお湯割りかロック。
 
 中性脂肪が高くなっていて、医者から日本酒やビールなどの醸造酒を止められた。だから、もっぱら蒸留酒になる。
 もともとウィスキー党なので抵抗はない。
 
 泡盛はストレートに限る。以前、沖縄のホテルのバーで泡盛を頼んだら、飲み方を聞きもしないで水割りにしてきた。
 「水割りなんか頼んでないよ、ストレートにしてくれ」
 「失礼しました、東京の方だと思ったので」
 意味がわからない、東京の人間は強い酒は飲まないと思っているのか、そんなことはない。江戸っ子は強い酒が好きなのだ。
 だいいち、あんなうまい酒を水で割ったりしてはもったいない。
 ストレートと言えば、中国酒の茅台酒(マオタイチュー)もそうだ。強い酒だがあの香りとコクは水で薄めてしまったら台無しだ。だから、ストレートで飲めないならば飲むべきではない。酒に失礼である。
 
 以前、大田昌秀先生の事務所に夜に伺ったとき、酒瓶を山ほど載せたテーブルが置かれていて、「好きなのを飲みなさい」と言われる。
 「迷いますね」というと、「これがいいよ」と久米泉の12年ものを薦める。いくぶん弱めだがすこぶるうまい。かといって、1本飲みきれるわけがない。
 実は、大田先生はウィスキー、それもシーバスリーガルがお好みで泡盛は飲まない。戦後、米軍の収容所で味を占めたそうだ。
 だものだから、泡盛を一人で飲んでいたら、ボトルの三分の一ほどでいい加減目が回ってきた。
 大田先生はめっぽう強いので、シーバスリーガルをそうとう飲んでいるはずなのに、酔いが回った気配を見せない。とてもじゃないがついていけない。
 辞する際、「飲みかけをおいていくな、持って帰れ」と久米泉の12年を押し付けられた。
 ホテルに帰ると仲間がいて、大田先生にいただいたと久米泉を見せると、「飲ませろ」と言う。結局、その夜のうちに1本空けてしまった。
 
 で、今はこのブログを書きながら、雲海のソーダ割りを飲んでいる。昨日は久しぶりに泡盛に出会っていささか飲み過ぎたものだから、雲海のソーダ割りくらいがちょうどいい。
 そういえば、吉田羊さんが「そばそーだ、そばそーだ」と雲海のソーダ割りを薦めている。吉田羊さん、実際そうとうな酒豪らしい。あの美貌でさばさばした性格、一度一緒に飲んでみたいものだ……機会があれば。
 
 酒は人と人を近づける。男女であればなおさらだ。一番飲んでみたい女優は、じつは吉田羊さんではなく、わが家と住まいが近いあのいろいろ問題抱えていそうな……。

トイレ用カレンダー?

2016年12月25日 | 雑感

 
 「たんぽぽ舎」にでかけると、巧妙にものを買わされることが(ときどき)ある。
 「これ見てくれる?」と丸めて紐で縛った紙筒様のものを差し出し、それをほどいて広げてみせる。
 ヘンなカレンダーだ。
 「このイラストがネット上で右翼らしき者に改変されていてね……」
 まあ、よくある話を始めたのだが、「で、これ1000円なんだけど」と、なんやかやいつのまにか買ってしまっていた。

 表紙には「『トイレで知る・考える』カレンダー」とある。「No.26」とあるから、26年間も続けてきたのか……知らなかった。

 私の息子は、本を読みません。
 娘は、ニュースを見ません。
 奥さんは、新聞を開きません。
 でも、トイレには行きますから…
 「社会のことをる・える」を
 トイレに掛けるメッセージつき
 カレンダーに託しました。

 
 たとえば2月は、



 近頃は自国の総理大臣の名前をフルネームで言うことの出来ない若者が増えているそうだ。「晋ちゃん」が安倍晋三のことだとわかってくれるだろうか。 

7月は、


 
 「積極的平和主義」というのは、「こいつヤバい」と思ったとき、殴られる前に殴りつけることだとわかるかなあ?

 でもまあ、トイレに行く度に、こんなつぶやきに直面すれば、そのうち何のことだろうと考えはじめるかも。
 


 しばらくすると御大柳田真さんが「これは特別に差し上げましょう」と、別にただで配っても差し支えなさそうな『原発再稼働阻止全国ネットワークニュース』という、A4判6ページのパンフレットを持ってくる。
 表題だけ印刷して中味は自分たちで作ったそうだ。
 そこでいきなり、「NONUKES voice」という雑誌をドサッと持ってきて、「これが出るときには(ニュースは)出さないんだ。これ年4回だから。僕も書いてる』
 「うまいよなあ、こうやって売りつけるんだから」と言ったら肘鉄を食らった。
 ぱらぱらとめくってみたら、柳田さんの記事以外はけっこう面白そうなので買うことにした。680円。
 
 結局、たんぽぽ舎に行くと、なんやかや買わされるはめになる。

週末は三日遅れの『長周新聞』

2016年12月20日 | ニュース

 
 オスプレイ墜落のニュースを『長周新聞』が何と伝えるのか楽しみだった。しかし、この新聞の発行は月水金の週三日で墜落事故は木曜日。金曜日の新聞が手元に届くのは、土日をはさむので順調にいって月曜日だ。
 ようやく手にした記事は、やはり期待を裏切らない。遠慮会釈なく怒り丸出しで実に心地いい。
 「副知事が『オスプレイも訓練もいらないから、どうぞ撤退してください』とのべると『政治問題にするのか』などと声を荒げて机を叩いたという。その姿に副知事も「植民地意識丸出しだ」と批判している。」
 このあたりのやりとりは、大新聞の活字になっていない。大手マスコミは誰に遠慮しているのか、何を恐れているのか。 
 

 
 「狙撃兵」というコラムがある。朝日新聞なら「天声人語」にあたる。その小見出しがいい。
 「不時着」と「墜落」と「堕落」
 ただ単語を並べただけなのに、的を射ている。「不時着」と言うか「墜落」と言うかは単に言葉の問題ではない。事を矮小化して、なにが起きても「たいしたことはない」と国民を言いくるめる姿は、まるで戦時中の大本営だ。「堕落」の象徴である。
 
 何の解決もないままオスプレイは飛行を再開した。日本政府は米軍のいうままに「納得」してそれを受け入れる。しかしそんなことを国民の誰一人納得するものか。(原発も同じだ。安全対策が不備のまま再稼働する。この国はどうなってしまったのか)
 まぶたを整形してだて眼鏡をかけ、まるで安倍の愛人みたいな色気婆の防衛大臣が、からっぽの頭で記者の質問に満足に答えることもできず、だれかさんに「◯◯◯とでも言っておきなさい」と言い含められたとんちんかんな台詞を、もじもじしながらつぶやく。
 安倍内閣とは、そんな低レベルの、名ばかりの閣僚ばかりだ。誰一人自分の頭で考えることはできない。自分を殺せと訓練された機動隊員と何らかわらない。いや、沖縄住民を土人呼ばわりした機動隊員の方が、善し悪しは別にしてまだ人間らしい。
 
 それはともかく、明日の『長周新聞』の続報が、また楽しみである。

礒永秀雄という作家

2016年12月19日 | 文学

 礒永秀雄という詩人で童話作家のことを、まったく知らなかった。『長周新聞』に作品を連載していたとのことで、時期は60年、70年安保当時だから多分読んでいたはずなのだけれど、すっかり忘れてしまったのだろう。
 最近『長周新聞』の購読をはじめて、一般広告のない紙面に掲載した自社広告と、山口県の小学校で童話の読書会などが開かれていることの記事を通じて、興味を持った。
 先月、『長周新聞』の記者に会った際、礒永秀雄の本を一冊、お薦めのを購入したいと頼んだところ、『おんのろ物語─礒永秀雄童話集』(2005年)を送って来た。
 長周新聞社の本は一般書店(Amazonを含む)では販売しておらず、購入するには直接申し込むしかない。そのかわり、安価だ。
 『おんのろ物語』の表題作は含みの多い作品だ。「おんのろ」とは「のろまの鬼」という意味の綽名である。作品中の鬼は必ずしも悪者ではない。村人から搾取している長者の蔵から宝を盗み出し、貧しい村人達に分配しようと計画する。そのときになぜか鬼達は、これまでバカにしていた「おんのろ」を大将に持ち上げ、長者の屋敷を襲うのだが、これまで内に秘めていた「おんのろ」の優しさや聡明さが発揮される。長者屋敷襲撃は、単なる押し込み強盗に留まらず、村の仕組みを変えるほどの変化をもたらす。つまり、一種の無血革命にしてしまったのだ。
 
 いくつか読み進めているうちに、礒永秀雄の人間像に触れてみたくなった。しかし、ネット上には満足な記述が存在しない。そこで既に絶版になっている『礒永秀雄作品集』の古書を取り寄せ、詩作品と巻末の解説を読む。
 礒永秀雄は1921年に朝鮮の仁川で生まれ、東大在学中に学徒動員。22歳から3年間ニューギニアの手前、ハルマヘラ島に送られた。切り込み部隊要員にされながら九死に一生を得て1946年に福音、詩人を志す。1971年、わずか55歳で生涯を終えている。
 礒永秀雄は「人民にとって帝国主義戦争が何であるかを血みどろの体験によって自己の魂に刻みつけて帰ってきた」のである。
 
 それにしても、これほどまでに強烈な怒りを感じた作品群に、近年の作家からは味わったことがない。苛酷な戦争体験──ニューギニアで菊の紋章を削り落とした銃を海に投げ込む異邦人の姿、広島駅頭で泣くようにさよならを言って立ちつくしていた生き残った戦友(「十年目の秋に」)──からは、天皇が出来たはずのことをなぜしなかったのか、これからの平和のために出来るであろうことをなぜしないのか激しく問いつめる。
 現代感覚からすれば、時代遅れかもしれない。現代の日本人には受け入れ難い感性かもしれない。しかしこれを拒絶するのではなく、まさに戦争の足音が近づいている現代だからこそ、読み返して、行間に存在する奥深いメッセージに共感することが必要ではないだろうか。

【参考】
『おんのろ物語』(長周新聞社 1500円)
『礒永秀雄詩集』(長周新聞社 1000円)
『礒永秀雄作品集』(長周新聞社 絶版 古書で入手可)

梯久美子『狂う人』

2016年12月18日 | 本と雑誌

 
 本書で語られるのは、島尾敏雄の妻、ミホである。島尾敏雄の代表作であり戦後文学に特異な輝きを放つ『死の棘』の主人公で「狂った妻」その人である。
 『死の棘』はあまりにも衝撃的な小説で、島尾ミホという実在の妻と自分の関係を、まるではらわたを引きずり出すように描いている。
 しかし、真実はどうだったのか、本当は二人、いや、愛人(本書では実名で表される)を含めた三人と二人の子どもたちの有様はどうだったのか。どうもよくわからない。
 
 著者はミホの死の直前までインタビューを重ね、さらにミホの死後は夫婦が残した膨大な資料を読み込み、吉本隆明らが南島奄美と結びつけ、神話的に昇華させた『死の棘』を人間世界に引きずり下ろした。そこには、高貴な巫女の血を引く少女としてよりも、もっと人間臭い島尾ミホがいた。
 
 それにしても、この夫婦はわけがわからない。数ある島尾敏雄論を読んでも、島尾ミホの著作を読んでもよくわからない。本当に狂っていたのは敏雄の方だったのか、それとも二人とも狂っていたからこそ、『死の棘』という作品が生まれたのか。
 こんな評伝、書く側にもそうとうな覚悟がいる。
 新潮社の校閲部も、そうとう苦労したと聞く。
 
 **忙しいので、きょうはこれだけ。**

NHKスペシャルドラマ『東京裁判』を観る

2016年12月17日 | テレビ番組

 
 70年前の東京で、11人の判事たちが「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに真剣な議論 で取り組んだ東京裁判。NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、 私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威 信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達し たという、裁判の舞台裏の姿だった。11か国から集まった多彩な背景を持つ判事たちの多角的 な視点で「東京裁判」を描く。人は戦争を裁くことができるか、という厳しい問いに向き合った 男たちが繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ。

 出演:ジョナサン・ハイド(豪・ウエッブ裁判長役)、ポール・フリーマン(英・パトリック 判事)、マルセル・ヘンセマ(蘭・レーリンク判事)、イルファン・カーン(印・パル判事)、マイケル・アイアンサイド(加・マッカーサー)、塚本晋也(日・竹山道雄) ほか 。
 *NHKの企画原案による、カナダ、オランダとの国際共同制作。
 *判事役を演じる俳優たちは、それぞれの判事の母国出身。
               (NHKプレスリリース より)




 12日から15日まで、4夜連続で放送された「NHKスペシャルドラマ『東京裁判』」を観る。
 「東京裁判」(極東国際軍事裁判)は、海外では「ニュルンベルク裁判」の陰に隠れてその存在さえあまり知られていないらしい。しかしこの裁判は日本の戦後を左右する重大なイベントであっただけでなく、現在でも評価についてさまざまな議論が存在する。
 
 東京裁判では、戦争犯罪を三つに分類した。
 A級戦犯=平和に対する罪(侵略戦争の罪)
 B級戦犯=通例の戦争犯罪(捕虜や非戦闘員に対する虐殺、略奪、虐待など)
 C級戦犯=人道に対する罪(特定の民族に対し、虐殺や殲滅の罪)
 
 よく、会社などでミスが起きた場合に第一責任者のことをA級戦犯と言ったりするが、それは間違いで、ABCは罪をランク付けしたものではない。あくまでも戦争犯罪の分類である。A級戦犯の「平和に対する罪」とは、戦争(侵略戦争)を引き起こした人間を処罰の対象とするので、おのずとそれなりの地位にいた人間になる。したがって戦後、上記のような誤解が生じたのだろう。
  
 ニュルンベルク裁判(ナチスドイツの戦争犯罪を裁いた裁判)では、おもに「人道に対する罪」(C級戦犯)が対象であった。つまり、A級とB級は東京裁判で初めて適用された戦争法である。
 これが、東京裁判を語るときに、後々まで問題にされている。つまり、事件が起きて後、裁くことのみを目的に作られた「事後法」だからである。
 すなわち、パル判事(インド)に代表される、「事件が起きた当時、侵略戦争は違法ではなかったのだから、事後に作られた法律で被告は裁かれるべきでない」とされる論理も成り立つことになる。(あくまでも「ハーグ陸戦条約」や「ジュネーブ条約」が存在しなければの話だ)
 パル判事の理論をさらにわかりやすく言えば、「これまでは、国際法上合法であった侵略戦争が、後で法律が作られて犯罪行為になってしまった」ということだ。
 しかし、11人の判事の大半は、「仮に事後法であっても、残虐な戦争犯罪を引き起こした人間を無罪にはできない。もし彼らを無罪放免すれば、また同じ過ちを引き起こし、第3次世界大戦を起こされかねない」と主張した。
 このように、いささか強引な手段に及ばなければならないほど、日本の侵略行為は衝撃的であったということだ。ナチスのホロコースト以上の戦争犯罪だと捉えた判事もいたのである。だからどうしても裁かなければならないと。
 

 
 パル判事の論理は、これが個人を対象とするものであるなら法律家としては真っ当な意見であろう。合法だと思って行なったことが、逮捕された後で作られた法律によって裁かれたらたまったものではない。
 しかし、問題は日本という軍事国家(当時)の引き起こした戦争によって、アジアの膨大な人々の命が失われたということだ。南京事件に代表される大量虐殺行為は、それがたとえ戦争という特殊な状況下であっても許されるべきことではない。
 だとするならば、アメリカの原子爆弾による虐殺も裁かれなければならないはずなのだが、戦勝国アメリカの戦争犯罪が裁かれたことはない。それは後のイラク戦争も、ベトナム戦争も同様である。明らかな片手落ちだ。
 
 ただ、ここで確認すべきことがある。パル判事の発言は考慮すべき点が多いのだが、ドラマでも言っているように、日本の残虐行為を許すことではない。彼は法律家として「事後法で裁くことはできない」と言っているのだ。もしそんなことが可能なら、不都合な出来事がある度に、いくらでも後から法律を作って罰することができるようになり、法体系が崩れてしまう、と言っているのだ。
 例えば今日本では、共謀罪法が作られようとしているが、その法律ができたとき、何年も前に行なわれた集会が法に触れ、逮捕されたとしたらどうだろう。そんなむちゃくちゃなことはない。
 したがって、東京裁判で判決の根拠となった罪状は、特例中の特例と言える。
 
 だが、それらの法律が、何の根拠もなく適用されたわけではない。すでに「ハーグ陸戦条約」など、交戦者の定義や、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱いについての決まりがあった。日本もその条約にもとづいて、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」として公布した。したがって、日本軍の戦争犯罪は、国内法でも違法であって、東京裁判での判決が、まったく寝耳に水というわけではなかったのだ。
 
 結果は、多くの被告の量刑は「B級」の通例の戦争犯罪をもとに決められた。そして「C級」で裁かれた被告は一人もいなかった。
 
 最後に、パル判事の理論は法律家として理に叶った一面を持っているが、靖国神社に「パル判事の日本無罪論」として碑を建てたり、右派の論客が東京裁判そのものを否定するようなことは間違いであると言っておきたい。パル判事は、決して日本の戦争行為を正当化してはいない。それどころか「あってはならない残虐行為として非難されるべきものである」ことを承知している。問題は、法律の運用方法と裁判のあり方について納得できないということなのだ。
 
 靖国神社のパル判事の碑については以前から違和感を持っていた。もしパル判事がその事実を知ったらなんと言うだろうか。
「私は、当時の日本政府がまったく無罪であるなどとは考えていない。法律的には無罪であっても、道義的には重罪であることを自覚して欲しい」
 こうい言ったのではないだろうか。
 
【参考】
 戸谷由麻『東京裁判』みすず書房(2008年)
 著者はハワイ大マノア校准教授。カリフォルニア大学での博士論文に加筆訂正し、当初英文で出版。本書は著者自身による翻訳で一部改定を加えたもの。
 大変ていねいに研究してまとめたもので、東京裁判についての重要な文献である。
 ただし、初版には重大な誤字・脱字・誤用が散見している。そのことについては版元に連絡済みで、ていねいな回答も受け取っているから再版以降では修正されていることと思う。

 東京裁判研究会『共同研究 パル判決書』(上・下)講談社学術文庫(1984年)
 佐山高雄氏の呼びかけで発足した5人の法学博士・弁護士による東京裁判研究会が、膨大なパル判決書を精査したもの。判決書の全文に解説を加えた本書は、上下巻あわせて1600ページを超える。
 パル判決をリスペクトしながらも、すべてを肯定するものではない。とくに、パル判決には「ハーグ陸戦条約」や「ジュネーブ条約」などの国際法を考慮すべき部分が欠落しているとのべ、過去の研究書が「日本無罪論」という間違った風評を生んでしまったことへの批判にも言及している。

川端俊一氏(朝日新聞)講演

2016年12月16日 | ニュース
 15日(木)、多忙で余裕はなかったのだけれど、義務として出席せざるを得ない。
 それはそれとして、あまりにもタイムリーだ。オスプレイ墜落の重大事故が起きたばかりで、しかも、その報道を巡ってはさまざまな議論が各所で沸騰している真っ最中である。


 
川端俊一 1960年北海道赤平市生まれ。早稲田大学を卒業し、1985年に朝日新聞社入社。長崎支局、西部本社社会部を経て、1994年、交流人事で沖縄タイムス社へ。1995年、朝日新聞那覇支局員としてアメリカ兵による「少女暴行事件」を取材し、1997年からは東京本社社会部で基地問題、防衛問題などを担当。2011年、東日本大震災直後から、被災地・宮城県で石巻支局長。2013年から社会部。共著書に、『沖縄報告―サミット前後』『新聞と戦争』『新聞と昭和』『闘う東北』など。2015年10月から2016年2月まで、朝日新聞紙上で連載「新聞と9条-沖縄から」を執筆。
 
 おおかたの話は著書『沖縄・憲法の及ばぬ島で』に沿った内容だったが、特にここで紹介しておきたいのは、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件報道である。
 当時(2004年8月14日付)の新聞コピーをいただいた。
 

 

 
 上は『朝日新聞』西部本社版(北九州市)、下は東京本社版である。
 米軍ヘリ墜落事件は現在でも米軍基地被害の象徴の一つとして語り継がれる重大事件なのだが、何と、この日の1面トップは読売巨人軍のスカウト問題であった。
 「ヘリ墜落は人命に関わる大問題、それに比べて巨人軍のスカウトが引き起こした事件など、野球ファンでなければほとんど興味がない。なのになぜ1面トップなのだ」と川端さんはかなり噛み付いたらしい。しかし編集長は、「なぜ」の問いに具体的な理由もなく、巨人1面を曲げなかったと言う。
 沖縄と距離的に近い西部本社版は、それでも1面肩に写真入りで掲載しているのだが、東京本社版にいたってはアテネオリンピックに次いで3番目の扱いである。
 朝日新聞でさえこれなのだから、保守『読売』、右翼『産経』に至っては小さなべた記事でしかなかったと言う。
 これは、報道に対して米軍や政府から圧力がかかったからではない。報道機関の意識の問題で、「沖縄での出来事など、本土の人間に興味はない」という差別意識から来るものだ。「インドで飛行機が落ちた、でも日本人は乗っていなかった、良かったね」という感覚と同じである。
 
 今回のオスプレイ「墜落」事件に関しては、さすがに各社1面トップに断抜きで掲載した。しかし、わが家に勝手に入ってくる『日経新聞』は、何と中面にベタ記事を載せただけである。まあ、金儲けにしか興味のない人が読む新聞なのだから仕方がないといえばそれまでだが、それにしてももう少し何とかならなかったのか。
 で、「墜落」と書いたが、報道では「不時着」である。『東京新聞』は「事実上の墜落」と表現しているが、この表現の問題を深く検証した新聞はない。
 コントロールされて人のいない浅瀬に着水したのだから、「不時着」であるという論理だが、コントロールされていてなぜあれほどばらばらに分解するのか、まったく不思議だ。そこには「墜落」したと言えない理由があるに違いない。
 沖縄米軍の最高司令官ニコルソンが、「集落を避けて着水したパイロットに、(沖縄住民は)感謝するべきだ、表彰ものだ」などと、声を荒げて逆切れした真意はどこにあるのか、冷静な分析をした新聞はない。
 アメリカという国にとって、ひっきりなしに事故を起こすオスプレイとは一体なんなのか、なぜそれほどまでして存在を正当化しなければならないのか、ぜひとも深く検証して欲しいものだ。
 
 そのオスプレイは、本土の米軍基地にも配備が予定されている。横田基地近辺の住民へのインタビューが、テレビのニュースで流れた。多くは「危険だから反対する」というものだったが、なかに「守ってもらっているのだから賛成だ」と答えた住民がいた。
 川端さんは言う、
「アメリカが日本を守っているという幻想に縛られている人々を、そこから解き放つ必要がある。それは報道の役割だと思っている」
 だが、今の安倍政権下では、自由な報道ができにくい状況にある。その事実を国民にどうやって気付かせるかが課題だと思う。
 
【参考】
  『沖縄・憲法の及ばぬ島で』
 川端俊一著 高文研発行

何が「不時着」だ!

2016年12月15日 | ニュース

 
 「機体はコントロールできた。パイロットは意図したところに着水した」
 だから、不時着なんだそうだ。たとえ機体がバラバラに大破しようとけが人が出ようと。
 
 これが墜落でないなら、御巣鷹山の日航機だって「不時着」だ。パイロットは必死にコントロールして市街地に墜落するのを防いだのだから。
 
 オスプレイは未亡人製造機と言われるほど事故が多い。つまり欠陥機なのだ。しかし米国は、事故はすべてパイロットの未熟さのせいで、機の性能の問題ではないと言い張る。今回とうとう起こった「墜落」も、空中給油でバランスを崩したのが原因で機体に問題があったわけではないという。
 なぜ、そうまでして欠陥を隠蔽し、偽りの安全を標榜するのか。
 それは、1機180億円もする高額な飛行機を外国の軍隊に売りたいからに他ならない。
 それは欠陥だらけの原発を発展途上国に売ろうとする、どこかの国の姿に似てはいまいか。
 自衛隊は莫大な税金を使って、高額な欠陥機を17機も購入する。大型ヘリで十分賄えるにも関わらずだ。
 
 「危険なので、購入は見合わせます」と常識的なユーザーなら買い控えるのが当たり前だろう。
 自動車だって、何度も事故を起こせばだれも買わなくなる。
 「買うのやめます」といえないのが安倍政権だ。絶対に契約は破棄するとはいわない。だからマスコミをコントロールして、「墜落」とはいわせないようにするのだ。
 日本国民には強面で、アメリカには尻尾を振る、そんなみっともない政府であることを、なぜ国民は気づかないのか。与党政治家達は、そんな安倍内閣のいいなりになっていて恥ずかしくないのか。。
 
 米軍の最高司令官は、「パイロットは住民居住地への墜落を避け、海に着水した。被害を出さなかったことを感謝されるべきだ。表彰ものだ」としゃあしゃあと語った。
 どれだけ沖縄の人々を、いや日本人をバカにすれば気が済むのか。ふざけるのもいい加減にして欲しいものだ。
 それよりなにより、日本の国民はもっと真剣に怒るべきだ。
 
 米軍は今すぐに日本から出て行け!

漱石没後100年=大正3年の珍本

2016年12月11日 | 本と雑誌
 去る12月9日は、夏目漱石が死んでちょうど100年。1916(大正5)年12月9日、享年49歳である。短い一生のうちに、よくぞまあこれだけ膨大な作品を残したものだと感心する。コンピュータもワープロもない時代だから万年筆の手書きである。
 没後100年ということで、漱石をさまざまな面から描いたいくつかのドラマも放送され、イベントが開催されたり細君の夏目鏡子さんや孫娘の半藤末利子さんの著書が書店に並べられるようになった。
 夏目漱石については、改めて紹介するまでもないだろうから、蔵書の中から変な本を1冊紹介する。
 

 
 「三四郎」「それから」「門」の三部作を1冊にまとめ、970ページに及ぶ大冊である……はずだが小さい。
 天金が施された布装で、なかなか立派な本に見える。ところが現在の文庫本と比べると、天地はほぼ同じ、幅は2センチほど小さい。菊判(A5判より少し大きい)の元本から写真製版でそのまま縮小したものだから、文字の大きさが10級ほどに縮小され、読みにくいこと甚だしい。版元の春陽堂が売り上げ目的にスケベ根性で考えた企画に間違いなく、前後して漱石の代表作をことごとく縮刷版を作って出版している。まあ、考え方は文庫本と同じと言っていい。
 こんな本誰が読むのかと思ったら、兵士が戦地に持っていったり、慰問袋に入れて送るときに便利なのでけっこう売れたらしい。
 上の写真はもちろん復刻版で、神保町の古本屋のワゴンに放り込んであったのを救出した。まあ、普通の読者は手を出さない。資料的な価値などほとんどないしろもので、コレクターなら三部作それぞれオリジナル初版を求めるだろう。発行は大正3年、漱石が亡くなる2年前だ。
 「三四郎」「それから」「門」が三部作であることは、今ではだれでも知っているが、じつは、出版当初はそうでもなかったらしい。ほとんどの人がまったくの別物扱いにしていたようなのだ。そこで三作を1冊にまとめたならば、通して読んでくれる読者が増えると考えたとすれば、一理ある。
 訓練の終わった兵隊は戦闘のないときは暇を持て余していて、よく本を読んだと聞く。ならばコンパクトな漱石三部作は願ったり叶ったりだ。(ただ、こんな小さな文字を、兵舎の暗い照明で読めたのだろうか。
 
 合本の冒頭に、版元からのメッセージが掲載されている。
 
  旧字旧仮名で読みにくいだろうから、平文に直すと以下だ。
 
「『三四郎』と『それから』と『門』は、もともと三部小説(トリロジイ)として書かれたものである。それをこの度縮刷版にして一巻にまとめたので、今まで個々の別な本として、まったく無関係に取り扱われがちであったものに、はじめて一貫した意味を与えることができた」
 
 本当のところは、「出征兵士の背嚢に入れるのにちょうどいい大きさだから、銃後の皆さんはぜひ買って持たせてやってくれ」と言いたいところなのだろうけれど、時代が時代である。不謹慎と受け取られかねないので、商売よりも文学的な意味を前面に出したのだろう。
 しかし、持たされても、読まなかっただろうなあ。
 ただ、同じサイズの『草枕』が手元にあって(これは多分戦場を渡り歩いて来たのだろうぼろぼろである)、こちらは逆に「坊っちゃん」「二百十日」とともに『郭籠』というタイトルで1冊にまとめて発売されたのを分冊している。組み直しもされて12級ぐらいになっているのでいくぶん読みやすい。
 
 

『悪の紋章』(1964年)を観る

2016年12月09日 | 映画

 
 このところ、なかなか時間が取れなくて、読もうと思って買い込んだ本がデスクの脇に積まれっぱなしになっている。
 そんな状態なので、どうしても観たかった2時間超のこの映画も通して見ることができず、就寝前の数十分を使って何度かに分けて観た。
 ただ、公開時に一度観ているので、筋はおおかたわかっているから、そんな観方をしても差し支えない。
 
 ヤクザ映画のようなタイトルだが、れっきとした名画である。原作・脚本の橋本忍は、黒澤明、山本薩夫、野村芳太郎らの巨匠と組んで、数々の名作を世に出した、超一流のシナリオライターである。
 主演は山崎努、ヒロインにまだ20代の新珠三千代、他に岸田今日子、佐田啓二、大坂志郎、戸浦六宏、佐藤慶、志村喬ら、現在では超大物俳優とされる面々がぞろぞろ出演している。
 ミステリーなので詳細は避けるが、あらすじは以下の通りである。
 
 周囲の裏切りから、麻薬に手を染めた悪徳警察官の汚名を着せられた警部補・菊池(山﨑努)は、無実の罪で投獄される。出所後、菊池は名前を変え、自分を陥れたヤクザ、新聞記者、自分を裏切った妻らに復讐を誓う。そして、自分が転落するきっかけとなった事件の裏に潜む悪と対決する。
 電車の中で女性(新珠三千代)のバックから定期入れをスリとった犯人を捕らえ取り返すのが事件の始まりだった。それを縁に、二人はそれぞれの目的に向かって、また、男と女として歩み始めるのだが…。
 
 こう書くと、ごく普通の2時間サスペンスみたいだが、そこは巨匠達に鍛えられた橋本忍の脚本である。登場人物がことごとく十重二十重の裏を抱え、複雑な人間模様を描いていく。最後のどんでん返しまで、実に見事だ。最近のサスペンスドラマのように、リアリティのないトリックや無理な設定がない。それでいて最初から最後まで緊張感が保たれている。
 途中まで観て続きはまた明日にしようとストップをかけるのには、大変な覚悟が必要だった(まさか徹夜するわけにもいかず)。
 
 公開時、この映画は18歳未満お断りの「成人指定」がされていた(僕はぎりぎり18歳だった)。どこが引っかかったのかと言えば、導入部の数十秒間と途中の数秒、女の全裸死体が川を流れている描写があるからだろう。見えるのはほとんどが背中で、水中撮影もあるのだが画面が暗く、乳房などは目を凝らさなければ見えない。そんな映像を観て「ま、いやらしい」という女性も「あそこがどうにかなってしまった」という男性もいないだろうに。今ならPG12にすらならなかったと思うのだが。
 この映画ではないが、ベッドシーンで男がズボンをはいていた時代である。なのに、過激な残酷シーンはお咎めなしで、逆に「成人指定」にさえすれば、三流館で上映されるピンク映画など、かなりきわどい描写までOKだった(ただし、ヘアはノー)。そんな時代だったのだ。
 
 映画が公開された1964年といえば、前回の東京オリンピックの年である。国電(今のJR)は小豆色、自動車のヒルマンや全日空のYS-11などが見られる。小型録音機はおろか携帯電話もない時代だから、人探しも聞き込みも、現在とは比べ物にならない苦労があったろう。冒頭の全裸殺人事件はわずか数ヶ月で迷宮入りにしてしまうし、菊池(山﨑努)の冤罪に至っては、今なら明らかに証拠不十分。そのあたりは脚本が甘いのではなく、時代背景として観た方がいい。
 モノクロで2時間超は、鮮明な映像に慣れた人には辛いかもしれないが、観ておいて損のない名作である。

太平洋戦争開戦75年

2016年12月08日 | 昭和史

 1941年12月8日付『朝日新聞』夕刊。
 
 今日、12月8日は、太平洋戦争開戦から75年に当たる。
 敗戦の8月15日(天皇放送の日)以上に、日本の歴史を大きく変える事件なのだが、報道も薄く、ことさらイベントもないせいだろうか、知らない人が多い。

 この日から日本国民は、歴史上類いない悲惨な道を歩むことになる。
 既にこの年から、小学校は「国民学校」となり小学生は「少国民」と呼ばれるようになっていた。つまり相当前から戦争への態勢が進められ、年齢を問わず国家に奉仕することを強要する準備が整えられていたのである。
 
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。 大本営陸海軍部。12月8日午前6時発表、帝国陸官軍は、本8日未明、西太平洋において、アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。」
 
 75年前のこの日の朝突然、臨時ニュースが流れて日米開戦が伝えられた。後に嘘つきの代名詞とされる「大本営発表」第1回目(以降、戦闘行動が続いていた1945年8月14日まで、840回)である。
 そして、午前11時には戦果の発表がなされる。
 
 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
 帝国海軍は、ハワイ方面のアメリカ艦隊並びに航空兵力に対し決死の大空襲を敢行し、シンガポールその他をも大爆撃しました。
 大本営海軍部、今日午後一時発表
 1、帝国海軍は本8日未明、ハワイ方面の米國艦隊並に航空兵力に対し決死的大空襲を敢行せり。
 2、帝国海軍は本8日未明、上海においてイギリス砲艦ぺトレル号を撃沈せり、アメリカ砲艦ウェーク号は同時刻我に降伏せり。
 3、帝国海軍は本8日未明、シンガポールを爆撃して大なる戦果をおさめたり。
 4、帝国海軍は本8日早朝、ダヴァオ、ウエーク、グアムの敵軍事施設を爆撃せり 。」
   〈大本営海軍部12月8日午前11時10分発表〉

 
 真珠湾攻撃が「奇襲」であったかどうかという議論はおいといて、この日の大本営発表はまだ真実であった。しかしこの後の日本は、山本五十六の予言通り、半年後の1942年6月にミッドウェイで大敗を帰するまでは快進撃を続け、日本中が提灯行列でうかれていた。
 その、ミッドウェイ海戦を伝える大本営発表はこうだ。
 
 「(前略) 一方同五日洋心の敵根拠地ミツドウェーにたいし猛烈なる強襲を敢行するとともに同方面に増援中の米国艦隊を捕捉、猛攻を加へ敵海上および航空兵力ならびに重要軍事施設に甚大なる損害を与へたり、(中略)
 現在までに判明せる戦果左の如し
 1、ミツドウエー方面
  (イ)米航空母艦エンタープライズ型一隻およびホーネツト型一隻撃沈
  (ロ)彼我上空に於て撃墜せる飛行機約百二十機
  (ハ)重要軍事施設爆砕
    (中略)
 2、本作戦におけるわが方損害
  (イ)航空母艦一隻喪失、同一隻大破、巡洋艦一隻大破
  (ロ)未帰還飛行機三十五機」(以上抜粋)

 
 しかし実際には、わずか数分で空母3隻が被弾炎上し、艦上戦闘機は飛び立つまもなく大半を失い、ろくな抵抗ができないまま連合艦隊は壊滅した。
 これ以降、南方での日本軍は敗退を続け、敗戦への道を辿ることになるのだが、大本営発表は相変わらず「勝った勝った」と国民を煽り続けた。
 日本軍の損害は軽微に、英米軍の損害は過剰なまでに誇大な表現で伝えた。
 有名なエピソードで、大本営発表を聞いた天皇が「サラトガが沈んだのは、今度で確か4度目だったと思うが」と皮肉ったことが伝えられている。
 やがて本土空襲が続くようになると国民の間から大本営発表に対し「勝っているのにどうして何度も空襲があるんだ」と疑うようになってくる。
 
 そして現在、政府はNHKのみならず、民放までも圧力で報道をコントロールするようになった。政府による情報操作が始まれば、それは国民の悲劇の始まりを意味する。
 「大本営発表」が過去の出来事と一概に勝たず蹴られない風潮にあることを知っておこう。
 
 
 
 

今度は成宮?!

2016年12月05日 | ニュース
 またもや、「はめられた」感半端ないニュースが世間を騒がせている。
 タレントの成宮寛貴が、コカインを使用しているところを友人に写真を撮られた写真が、フライデーに掲載され、大騒ぎになっている。
 ASUKAに続いてまたも芸能界薬物か!? 
 ところが、テレビでフライデーに掲載されたという写真を見ていた娘が、「これ、『ねるねるねる』じゃない?」という。
 「ねるねるねる」というのは、いろいろな材料を混ぜ合わせて遊びながら食べるお菓子で、娘も息子も小さい頃にそれでよく遊んでいた。
 聞けば、最近はおとなの間でも流行っているそうだ。
 

 
 確かに、良く見ると、目の前におかれた容器が「ねるねるねる」のパレットに酷似している(上の写真)。
 コカインの吸引のために再利用したという考えもあるかもしれないが、自分の知る限りこのような形状をした容器がコカイン吸入に使用されることはない、と思う。
 コカインは、クレジットカードの角で細かく砕いてライン状に長く引き、それを端からストローで直接鼻で吸引する、あるいは、アルミ箔など燃えにくいものの上に載せて火にあぶり、煙を吸引する。これらが、村上龍の小説に出てくるコカインの使用方法だ。粉末状にしたコカインを入れて好きなときに吸引できる携帯用の容器もあるという。
 「ねるねるねる」のパレットを火にあぶることはできないだろうし、細かく砕くのにも使いにくい。
 しかも、コカインとされる粉末やそれに使ったスプーンの類いは別カット。本人のものかどうかわからない。
 
 これはASUAの場合とは違って、警察権力の仕業ではなく、いかにもそれらしい写真を撮って、金もうけのために売り込んだのだろう。
 芸能人は全くの無実であっても、悪い噂が流れれば、疑われただけで仕事を失いかねない。干されるときは一瞬だが、回復するには長い時間と多大なエネルギーが必要だ。確実に人生を狂わされる。また、著名人の凋落を喜ぶ低レベルの人間が、ろくでもないスキャンダルを喜び、それを掲載した低次元の情報誌が売れることになる。
 著名人は日ごろから言動に注意しなければならないとはいうものの、365日間断なく緊張し続けるのも難しいことは事実だ。
 十分な裏付けがないのにスキャンダルに飛びつくマスコミの方こそ、責任ある報道を心がけるべきと思う。