ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

アーサー・ビナードさん講演会

2015年08月30日 | 日記

 
 28日金曜日、岩波書店の食堂で行われたアーサー・ビナードさんの講演会に出かける。誰でも参加ができるということだったが、岩波社員と出版関係者中心の、まあ内輪の講演会で30人くらいが参加した。
 彼の著作は多数あるが、有名なのは『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)。岩波からは『ガラガラヘビの味』(岩波少年文庫)、『3.11を心に刻んで』(岩波書店編集部編)などがある。主催が岩波新書編集部だったので、たぶん新書の企画が進行中なのだろう。
 日本にはもう25年いるそうで、達者な日本語と詩人らしい豊富なボキャブラリーを駆使して実に饒舌だ。しかし、奔放な性格らしくて、講演の承諾をとってから、当日になっても確認の連絡がとれず、本当に来てくれるのかどうか主催者をやきもきさせた。30分前に会場入りのはずが、予定時間を過ぎても現れない。まるでマイルス・デイビスだ。もっともマイルスのようにお気に入りのワインが手に入らなくて機嫌を損ねたというのではなく、ただの大雑把。
 
 この日は原爆を中心に、戦争で用いられる言葉について、彼なりの解釈を聞いた。
 演題は「カリフラワー雲とキノコ雲の狭間で」
 「カリフラワー雲」とは聞き慣れないが、ビナードさんにいわせると、原子雲はキノコの形には見えないそうだ。英語のmushuroom cloudを直訳したのでキノコ雲になったが、日本でキノコといえば椎茸や松茸で、原子雲とは似ても似つかないという。確かにそうだ。
 彼は、いろいろ考えた末、カリフラワーの形が近いことに気づいた。スーパーでカリフラワーを買って来て葉の部分を取り去り、モノクロで撮影したらものの見事に原子雲になった。それから彼は「キノコ雲」という言葉は使わないそうだ。
 「カリフラワー雲」が一般に広まらないのは、第一に語呂が悪いし、毒キノコはあるけれど、毒カリフラワーはないだろうかという。確かにそうだ。
 どうでもいい話だが、面白かった。
 
 原爆体験者の中には、原爆のことを「ピカ」と表現する人と「ピカドン」と表現する人がいる。この違いを知っているかと会場に問いかけたが、即答できる人はいなかった。「ピカ」が光で「ドン」が音だから、時間差で「ピカドン」と表現されたことはわかるし、一定の距離がなければ「ピカドン」とならないことは理解できるが「ピカ」だけで「ドン」がなくなることについてはうまく説明できない。
 この二つの言葉の違いは原爆を体験した地域差による。「ピカ」と表現するのは、爆心地近くにいた被爆体験者で、光を見た瞬間に意識を失い、音を聞くことがなかったからだという。爆心地から一定の距離をおいて体験した人だけが「ピカ」と「ドン」の両方を確認できた。それに、爆心地近くでは、音よりも光の衝撃がいかに大きかったかを物語る。
 
 すべてを紹介できないが、ビナードさんの突っ込みは、安倍首相の70年談話について「触れる価値もない」と批判しながら、「何の関わりもない私たちの子や孫に、謝罪をし続ける宿命を負わせたくない」とは全く誤りだと語る。戦争に関わった人間に育てられ、財産を築いたのだから「関わりがない」はずはない、だから戦争の罪は未来永劫忘れてはならないと語る。言葉足らずは否めなかったが、いいたいことはわかる。
 彼の突っ込みは今年の原爆の日祈念式典での広島市長の談話にまで及び、いずれも原爆の恐ろしさの印象を薄めようとしているかのようで恐ろしいと言った。
 
 すべてを紹介することはできないが、日本語に対するいささか乱暴な突っ込みもあった。最後のほうでメモをとり忘れたが、なにかの標語に「いえるかな 素直な一言 ありがとう」というのがあり、この中の「素直」という言葉が引っかかるという。英訳すると「obedient」。これは「服従」を意味するから、批判せずに言うことをきけ、黙って政府に従うような子どもに育てということになるからだそうだ。
 しかしこの論理は違うと思う。英語には日本語の「素直」に当る言葉はない。日本語の「素直」がイコール「服従」には当らない。「素」は何ものにも染まらないこと、「直」はまっすぐで曲のないこと。つまり素直とは、既成概念にとらわれずに物事を判断し行動するという意味だ。だからこの標語は、「どう思われるだろうか」とか「はずかしい」とか考えずに、感謝の気持ちがあったら、こだわりなく「ありがとう」といおうと言う意味だ。そこからコミュニケーションが育つ。
 日本語は表音文字の平仮名と表意文字の漢字で成り立っている。漢字の持つ意味を知らずに単語として英訳してしまうと誤りを犯しかねないのだ。
 反論しようと思ったが時間がないのでやめた。
 
 彼の論理は基本的に、言葉を英訳してそこから日本語を解析し、自分の論理を組み立てるところにある。眼から鱗の話も多々あったが、気をつけないと暴走しかねない。
 
 しかし、何はともあれ面白かった。

緊急出版『安倍壊憲クーデターとメディア支配』

2015年08月22日 | 本と雑誌


『Amazon 安倍壊憲クーデターとメディア支配』
 
 自民党の若手議員を集めた勉強会で、作家の百田尚樹氏は沖縄普天間基地移設問題で、「あの辺りはもともと田んぼだった。基地の近くにいれば金が儲かるというので集まって来た」などと、戦後の沖縄について全く無知蒙昧な発言をし、さらに、「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」などと暴言を吐いた。若手議員の中からは、「企業に圧力をかけて広告を出稿させないようにすればいい」などという、憲法を踏みにじるような発言まで飛び出した。
 
 しかしこれは、限られた若手議員だけの問題ではなく、安倍政権の本音と見ていい。すなわち、日本を再び軍国主義の国にするためには、マスコミを支配し、国民を洗脳し、憲法を改悪して安倍独裁の全体主義国家を目指していると推察できる。

 本書は多くの国民が反対する安保関連法案(集団的自衛権の行使を可能にする戦争法案)をなぜ強引に通そうとしているのか、安倍政権はどんな日本を作ろうとしているのかを、豊富な資料をもとに分かりやすく解説している。
 さらには、平和な日本を維持するための会話を広げるための一助となる一冊。

『Amazon 安倍壊憲クーデターとメディア支配』

「日本のいちばん長い日」

2015年08月18日 | 映画


 印刷所への入稿が予想より早くできたので、空いた日を利用して上映中の「日本のいちばん長い日」を観に行った。
 日曜日の最終回はおおかた空いている。客席は7割程度の入りだった。松坂桃李効果だろうか、若い観客が目立った。隣の席にも20代と思われるカップルがいて、女性のほうはあまり映画に興味がないらしく、しきりにスマホをいじっていた。その明かりが煩わしい。
 「『コクタイゴジ』ってなに?」そんなつぶやきが聞こえたが、男性からの反応はない。
たぶん、「国体護持」も「大本営」も知らずに連れてこられたのだろう。
 
 「日本のいちばん長い日」は半藤一利さんのドキュメンタリー小説だが、この作品が発表された当時、半藤さんは文藝春秋の編集部次長で、社内的な事情から大宅壮一の名前で出版された。文藝春秋を退職後、改めて半藤一利著として加筆訂正された決定版が出版された。この映画はその「決定版」を原作にしている。

 映画化は2度目で、1967年に岡本喜八監督によるモノクロ・シネマスコープが公開され、それも好評だった。畑中少佐を演じる松坂桃李は、監督から「前作は観るな」と言われたそうだ。黒沢年男が演じた畑中を引きずってほしくなかったのだろうが、それでも演技が何気なく似ていた。
 
 「日本のいちばん長い日」とは、言うまでもなく1945年8月15日のことで、天皇による「終戦勅書」(いわゆる「玉音放送」)が放送されるまでの物語だ。
 岡本喜八版では、ポツダム宣言受諾まではほぼ経過のみが紹介され、ドラマの中心は天皇による終戦の決定(いわゆる「聖断」)が下ってから以降、激しい軍の抵抗から録音盤を命がけで守る、政府の幹部や放送関係者に重点が置かれている。
 (安倍晋三首相はこのポツダム宣言について「つまびらかに読んでいない」と答弁した)
 
 今回の原田眞人監督版は、畑中少佐を中心としたクーデターに多くの尺が使われていて、録音が行われてからの経緯は、終盤の30分(あくまで印象である)程度だ。さらに、前作でも原作でもあまり描かれていない、重臣たちの家族や、放送局に優秀な技術を持つ女性職員(戸田恵梨香)が登場したりする。前作があまりにも男臭かったので、色をつけたいという監督の意向だろうが、家族はともかく、戦時中の放送局に女性技術者がいることには、違和感が禁じ得ない。
 また、前作では昭和天皇役に八代目松本幸四郎が配役されているが、ほとんど顔を見せないのにたいし、今回は本木雅弘が演じ、頻繁に登場する。しかも、リーダーシップにいささか何のある鈴木貫太郎に代わって終戦にこぎ着けるカッコイイ天皇像として描かれる。ルックスも振舞いも美化され過ぎていて、戦後保身に走った身勝手な天皇の姿は全く観られない。
 山崎努は、その情けない鈴木首相を上手に演じていた。余談だが、当時のアメリカはルーズベルトという優れた大統領を失って、やはり指導力に難のあるトルーマンだった。もしルーズベルトが生きていたら、広島・長崎の原爆投下はなかっただろうと言われている。
 
 ドラマの主要部分がポツダム宣言受諾前か後かはともかく、総体的にはよくできた映画で、ほぼ原作を踏襲しており、半藤さんの戦争に対する考え方もそのままで、「戦争は、始めるのは簡単だが終わらせるのは難しい」と言われることが実によくわかる。
 
 松坂桃李演じる畑中少佐に見るように、戦争は人間を狂気に導く。松坂は最後まで自らが演じる畑中少佐を理解することはできなかったと、パンフレットにある。それを読んで安心した。
 
 そんなわけで、原田眞人版と岡本喜八版の両方を観ることをお薦めする。ついでだが、このドラマで主要な立場にある陸軍大臣の阿南惟幾は、新作では役所広司、前作では三船敏郎だ。比較すると面白い。役所広司は三船敏郎よりも優しい人間に見える。
 クーデターを企てる畑中少佐は、前作では黒沢年男。純粋さでは松坂、狂気度では黒沢の勝ち。

TBSドラマ「レッドクロス~女たちの赤紙~」

2015年08月03日 | テレビ番組
 1日2日の二夜連続で放送されたドラマ「レッドクロス~女たちの赤紙~」を観た。
レッドクロスとは赤十字のこと、赤紙はもちろん臨時召集令状だ。
 
 赤紙といえば庶民が兵隊に召集される命令書のことで、一般には男に対するものと思われている。日赤の従軍看護婦が戦時中、令状で召集されたということは知っていたが、それが赤紙だとは知らなかった。
 戦中戦後の現代史をけっこう調べていながら、従軍看護婦のことは欠落していた。おはずかしい。
 しかも、兵士に対する令状よりも、紙の赤色が濃い。当然それも知らなかった。
「赤紙っていうけど、本当に赤いんだなあ」とは『私は貝になりたい』(1958年)で清水豊松がつぶやく言葉だ。彼が受け取った赤紙は、ピンク色のはずだ。
 
 天野希代(松嶋菜々子)は敵も味方も平等に治療したナイチンゲールの精神に共鳴し、看護婦養成所を卒業、赤十字に入る。やがて赤紙を受け取った希代は、従軍看護婦になり「満州国」に渡る。
 ある日、開拓団の男性と中国人の負傷者が運び込まれるが、ご存知の通り「満州国」は日本の傀儡国家で完全支配下(ドラマでは「影響下」と表現していた。保守に対する配慮か?)にあり、中国人は差別されていた。しかも日本の侵略に抵抗する民兵を「匪賊」と呼び、排除の対象だった。
 「満州国」を事実上統治する関東軍将校に、ナイチンゲールの精神など理解できるはずもなく、中国人の負傷者を治療することはまかりならんと、軍医や希代たち看護婦を暴力と拳銃で脅して従わせようとする。
 だが、それでも希代は関東軍将校に見つからないよう、こっそりと治療し退院させるが、その直後、中国人はスパイの汚名を着せられて公開処刑されてしまう。
 
 看護婦を引退した希代は結婚し子どもをもうけ、平和なひとときを過ごしていたが、戦争の激化に伴いふたたび野戦病院に戻る。しかし、希代の知らないあいだに夫に召集令状が来て、夫は戦死、家族は離れ離れになる。
 やがて敗戦。敗戦間近に参戦したソ連軍によって、希代たちの病院は占領されてしまう。ソ連軍の兵士は、若い看護婦を当たり前のように陵辱した。
 中国では共産党軍が勝利して「中華人民共和国」(1949年)が建国された。それとともに病院もソ連の手から中国へと渡る。
 希代たち看護婦は、非道の限りを尽くされたソ連軍から、今度は中国軍にひどい目にあわされるのかと、あらかじめ配られていた青酸カリで死のうとするが、中国人民解放軍のリーダーによって止められ、中国に奉仕することを条件に、人民解放軍と同等の手厚い扱いを受ける。
 このことについては反論もあるようだが、革命当時の中国が捕虜などを国民以上に手厚く扱ったことは事実である。(「撫順戦犯管理所」をはじめとした捕虜体験者による証言が多数ある)
 
 時が来て、希代たちは日本に強制送還される。
 そして、今度は朝鮮戦争。
 ふたたび看護婦になった希代は、ある日、負傷して運び込まれた兵士が、生き別れになった息子であることに気づく。息子は中国人になり、人民解放軍の兵士として、北朝鮮側について闘い、負傷しアメリカ軍の捕虜になったのだ。
 息子は中国に帰されたが、国交のない日本と中国では希代が会いに行くことはできない。親子が再会できたのは、1972年に「日中国交正常化」が実現してからであった。
 
 前述の「『満州国』の影響下」という表現もそうだが、関東軍の非道を表す台詞を不明瞭にするなど自粛の影が見られ、突っ込みどころは点在する。しかし、現在の自民党政権下での放送ということを考えると、精一杯の抵抗ともとれる。
 右派や保守派からは、革命中国を美化しすぎるとか、関東軍を悪く扱っているなどと文句が来そうだが、ドラマの内容はおおかた事実に近い。こうした優れたドラマに、政府などの圧力がかからないことを祈る。