ひまわり博士のウンチク

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ドラマ『砂の器』を観た

2019年03月29日 | テレビ番組



 28日、フジテレビ開局60周年記念番組の一環として放送された、松本清張の名作『砂の器』を観た。
 『砂の器』は何度もテレビドラマ化されているが、満足にできたものはひとつもない。だから今回もまったく期待せずに、それでも何か目新しい脚本や演出にお目にかかれるのではないかという好奇心で観てしまった。
 そう感じてしまう原因は、すべての日本映画のなかでも最高傑作と言える、野村芳太郎監督の映画『砂の器』の存在だ。

 これまで小説を映画化した作品で原作を超えるものはないと思っていたのだが、この映画に出会ったときに初めてその概念が覆された。
 「日本列島の四季をつらぬいて、追う者と追われる者」
 「切っても切れない親子の絆」
 などの印象的なキャッチフレーズのもと、それを裏切らない圧倒的な作品だった。印象的なシーンが多数あり、なかでも終盤、菅野光亮による映画音楽の名曲と言って疑いのないピアノ演奏をバックに、日本の四季を縦断して終わりの見えない旅を続ける父と子の姿は、公開から半世紀たった今でも目に焼き付いて離れない。
 そして、その後制作されたドラマのほとんどは、基本的にこの映画作品を踏襲することになった。

 さて、今回のドラマは3時間の枠をとっているのだからそうとう気を入れて作ったのであろう。だが結果は過去最悪、ずるずると崩れてまさに「砂の器」になってしまった。印象的なシーンは何一つなく、原作の重要なテーマである「差別と偏見」についてもしっかりと描かれていない。どこもかしこも中途半端で、何一つ見るべきところはない。エンドロールに構成橋本忍・山田洋次(ともに映画版の脚本に携わった)とあるが、橋本忍は故人だし、山田洋次が本格的に脚色に加わっていたらこんなドラマになるはずがない。組み立てが映画と似ているので著作権をクリアするための名前貸しだろう。
 
 見るべきところのない脚本もひどいものだったが、致命的なのはキャスティングだ。重要な役回りである和賀英良の中島健人と成瀬梨絵子の土屋太鳳。彼ら俳優が悪いというのではない。明らかなミスキャストである。共に育った環境が及ぼす深い闇を持ちながら、それでもけんめいに生きているという難しい役柄だ。
 役者ならどんな役でもこなせるというわけではない。よい作品にしようと思うのなら、それぞれに適した役柄というものがある。まだ若く、函入り息子、箱入り娘のように芸能界で育てられてきた二人の俳優にとって、まったく想像もできない生き方であり、演技の引き出しに存在しない役だ。たとえれば、金魚に鰤の役をさせるようなものだ。
 
 だが、視聴率とプロダクションの呪縛から逃げられないテレビ局は、現場がいくらこうしたいと言っても上からの指示には従うしかない。あくまで想像だが、もしそんなふうにして役を振られたならば、中島健人と土屋太鳳の二人には気の毒としか言いようがない。
 
 そこで、誰がいいか勝手に考えてみた。以前のドラマで今西刑事の役をやったことのある玉木宏が和賀英良(映画では昨年亡くなった加藤剛)、影のある大人の女成瀬梨絵子には相武紗季(映画では高木理恵子で島田陽子が演じた)あたりはどうだろうか。芸能界はいろいろしがらみだらけで、なかなか思うようにはいかないのだろうけど、テレビドラマで一度くらいは感動的な『砂の器』が観たいものだ。

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一生に一度の記念
卒論・学位論文を本にしよう


 人生の節目の記念として、卒論や学位論文を本にする方が増えています。
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出版にはさまざまな目的があります。
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・書きためた原稿の整理と保存。
 エッセー、詩、俳句、和歌
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             などなど。

 せっかく書きためた原稿も、そのままでは散逸してしまいます。しかし本にして、複数の人に蔵書してもらえれば、数十年、ときには数百年、末代までも保存されます。
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温度差

2019年03月21日 | ニュース
 16日に沖縄で行われた県民大会のニュース。新聞社のポリーシーもあるが、その報道には温度差が如実に現れている。
 以前、ジャーナリズムについての講演会で、沖縄のニュースは距離に反比例するという。
 山口県で発行されている長周新聞はある意味特異な新聞なので割り引いて考えなければならないが、リベラルとされる東京新聞の扱いの小ささはなんだ。
 中面で詳細を伝えてはいるが、1面のトップが「飛び込み」とはどういうことか。





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「透ける豚(トン)」じゃないスケルトン

2019年03月12日 | 雑感


 日本では一般的に、中味が透けて見える器物のことを「スケルトン」と言っている。
 スケルトンとは、骨組みのことで「透明」を意味しているのではない。
 「透ける豚(トン)」
 ではない!
 ちょっと前に、買っておいたペリカンのスケルトン万年筆を使って見ることにした。インク吸入の構造が見えて、インク残量も一目でわかる。なぜこんなものを買ったのかというと、珍しそうだったのと、それにペリカンなのに安かったから。
 ちょっといけてるじゃないか、この透ける豚、じゃなかったスケルトン。
 軸色にあわせてブラウンのインクを入れている。太字のはずだったが中字くらいの感じだ。万年筆の細字だの太字だのをあらわす「F」や「B」、ほとんどあてにならない。しかしそれが、意に反してすこぶる書きやすい。いい意味で期待を裏切られた。
 
 透けているものはセクシーである。裾がレースになったスカートを見かけることがあるが、ミニスカートよりも長いのに色っぽい。一昔前に流行った女性のファッション、長い袖のシースルーはノースリーブより美しかった。広い意味でのスケルトン効果だ、と思う。
 しかし、スケルトンは骨組み、骨格のことだ。美人のレントゲン写真を見てセクシーだとは思わないだろうけれど、万年筆のスケルトンはじつにセクシーである。 


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「発禁本」という文化

2019年03月03日 | アート・文化


 思い立って、発禁本のことを書いてみたくなった。

 発禁本とは、発売禁止の処分を受けた出版物のことである。
 時の為政者にとって都合の悪い書物は、出版差し止めや発売禁止、焼かれてしまうことさえあった(焚書)。

 禁止される書物は為政者のさじ加減ひとつであったから、時代によって基準や対象が異なる。日本に限って言えば、戦前戦中は政治的にシビアな時代で、戦争に反対する内容であったり、民主主義、自由主義を唱えた書物はまず出版できなかった。それどころか、逮捕され厳罰に処される場合もあった。
 先頃、『蟹工船』というプロレタリア小説がブームになった。作者の小林多喜二はこれを含む一連の作品が特高に目をつけられ、逮捕され、苛酷な拷問を受た末虐殺された。現在ならあり得ない出来事だ。

 大日本帝国憲法下での弾圧は書籍だけでなく、新聞や雑誌、はては映画・演劇にまでおよんだ。
 これは俳優座の古参俳優から実際に聞いた話だ。

 「築地小劇場のころだ、必ず特高が見に来ていて、芝居の途中でもちょっとしたことでいちゃもんをつけられ『中止! 中止!』と大声で止められた。
 ちょうど焚き火が燃えている場面だった。本物の火は使えないから赤い布で火をあらわしていたんだな。それが赤旗をイメージしているってんだ。これは焚き火の炎だといくら言っても聞いてくれない。結局中止にされた」
 「脚本には事前の検閲がある。『こことここは役者にしゃべらせてはいかん』と言ってくるんだ。『人間みんな生まれたときは平等だ』なんてたわいのない台詞でも、『平等』ってところが引っ掛って、その台詞全部がカットされる。だけどそれじゃあ芝居にならないから、わかりましたしゃべらせませんと答えておいて、本番ではその場面になると台詞を書いたプラカードを観客に見せた。役者は口パクだ。しゃべらなければいいんでしょ、というわけだ。これには特高も苦笑いだったね」
  
 戦時下の検閲と言うと、映画『母べえ』のように理不尽かつ悲劇的な出来事が多かったが、それぞれの駆け引きから生まれる笑い話も、まあ、今だから語れるのだが、少なくない。
 
 戦後の日本国憲法下になると、事前の検閲はなくなったが、出版された後に本の内容が違法とされて、回収されることがあった。
 以前、池袋の書店でアルバイトをしていたときだった。突然警察官がやってきて早川書房発行の『キャンディ』という本があったら全部出してくれと言う。読者は発禁になることを事前に察知していたのか、残念なことに店頭在庫はすべて売り切れていた。出版社の営業に悔しがったら、彼が個人的に確保しておいたのを1冊わけてくれた。読んで見て、たしかに刺激的だったと記憶しているが、それほど目くじら立てるようなものではないと感じたものだ。

 戦後の発禁本は、戦中戦後のような政治的問題ではなく、ほとんどが猥褻文書販売罪だ。有名なのは、D・Hロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』と永井荷風(金風山人名義)の作とされている『四畳半襖の下張り』。
 共に猥褻の定義について争われ裁判にまでなった事件で、『チャタレイ夫人の恋人』は文豪伊藤整氏の訳ということもあって多くの議論が戦わされたが、結局敗訴になり発禁が決まった。『四畳半襖の下張り』は、ちょうどその頃に野坂昭如さんが編集長を務めていた雑誌『面白半分』に掲載され、編集長の野坂さんと出版社社長の佐藤嘉尚さんが起訴された。
 野坂さんは後にコンサートでのトークで、当時の警察や司法の理不尽さについて語っている。
 
 「皆さん、あの本読みましたか? 読みましたかって、発禁になったんだから読んでる人は幸運だ。あれね、旧字旧仮名の文語体なんだよ。だれもがスラスラ読めるもんじゃない。あの本読んで、興奮した男が女を漁って『ワーッ!』と町中走り回るなんてことがあるわけない。でも、警察の中に読めるやつがいたんだね。だけどね、たいていの警官は、しょっちゅうそんなのばっかり読んでるから、麻痺して何が猥褻なんだかわからなくなってる。そんなときには婦人警官に読ませるそうだよ。読んだ婦人警官が『まあイヤらしい』っていったら、これはやばいってわけだ」(記憶記述しているので不正確かもしれない。悪しからず。筆者)

 前述のように戦後の発禁は大半が猥褻容疑だった。時代の流れとともに猥褻の概念が変わってきて、『チャタレイ夫人の恋人』は1996年に完訳版が新潮文庫で復活している。
 しかし、『四畳半襖の下張り』はいまだに公には再発売されていない。まあ、復刊しても読めないだろうから売れないか。
 最近は、猥褻が理由で発禁になったという話は聞こえてこない。気付かないだけかもしれないが。
 もっとも、現在の官能小説やネットで拡散されているAVなどと比べたら、『チャタレイ夫人の恋人』など可愛いもんだ。

 最近発禁になるような本の多くは、個人に対する誹謗中傷、秘密の暴露など人権にかかわる問題だ。小説のモデルとされた人からの訴えで発禁になった例、未解放の場所と住人が特定出来る出版物などが発禁になった。
 戦前戦中は政治、戦後は猥褻、そして近頃は人権と、国家権力が目を付けるところは時代とともに変遷している。だが、過去にNOであった表現が、現在はすべてOKなのかと言えば、そうではない。発禁になると出版社は大損害だから、過去の事例に合わせて自主規制するようになる。過去に発禁処分の憂き目にあった出版物を参考に、自主的に表現を変えたり削除しているのだ。それは出版物だけでなく、映画や演劇など人目に触れるものすべてに言える。
 映画などは、R18にならないように、性描写や暴力シーンなどを自主的に削除したりモザイクなどの画像処理をしている。R18の映画は広報活動が極端に制限される。当然、テレビで紹介されることなどないからだ。
 だから、あくまで自主的に。

 しかしこれは、為政者にとって都合がいい。取り締まりの手間が省ける。権力を持った側が禁止すれば反発が起きるだろうが、自主規制ならそうはならない。考えてみれば、非常に恐ろしいことだ。伝えるべきこと、表現すべきことに制限を加えるのは為政者ではなく国民そのものということなのだから。
 作家が表現したいことを出版社側が事前にストップをかけたり、映画の配給会社が試写を見て削除や加工を指摘することは過去にもあったが、最近は制作側がみずからに制限をかけているのではないかと思えるふしが多分にある。

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             などなど。

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