『広辞苑』第七版を購入。
10年ぶりの改版。「やばい」「自撮り」など、現代用語約1万語が追加、六版より百数十ページ増。しかし、用紙を工夫して全体の厚さは変わらず。
過去に例がないほどメディアをにぎわしている『広辞苑』。
さてはて。
手元にある最新版は四版で、電子辞書に五版が入っているけれど、六版は購入しなかった。
古い辞書は役に立たないばかりか間違いのもとになる。常に訂正し改版を続けているのが辞書だ。
書物には「刷」と「版」がある。増刷が「刷」、編集に手が加えられたのが「版」である。一般にはあまり知られていないが、実は増刷の度ごとに誤字脱字や間違いが修正されている。これは辞書に限らずほとんどの出版物に当てはまる。
したがって、古い辞書を長年使っていることを自慢する輩がいるが、愚の骨頂なのである。
今回の購入理由はメディアで話題になったからではない。外部の執筆者が引用している『広辞苑』と手持ちの『広辞苑』に掲載された同じ項目の説明文が異なっていた、という事態に何度かでくわしたので、次はもう買い替えなくてはと思っていたのだ。
さてこの第七版、本体の総ページ数は約3200ページあり、ツカ(厚さ)は約75ミリ。手元にある1991年発行の第四版は2900ページ弱で、ツカは85ミリだから300ページも増えたのに厚さは10ミリ減っていることになる。つまり、紙が薄くなったということなのだ。
ところが、開いてすぐに「扱いにくい!」と感じた。ページの感触はコンサイス版の辞書や聖書に使われている紙と類似している。コンサイス版や聖書程度の大きさならともかく、A5判の『広辞苑』に使用するとあまりにも頼りない。ページどうしが張り付くし、閉じたときにきちんと収まらず、思わぬ個所が折れたりよれたりしそうなのだ。何よりページが繰りにくい。
これはある意味、辞書としては欠陥ではないのか。多少厚くなっても、もう少し腰のある用紙にして欲しかった。
なぜこれほどまでしてツカにこだわったのか。ユーザー側からすれば、75ミリが85ミリになったところでさほど影響はない。前掲のように過去の『広辞苑』は厚かった。
これは想像だが、あくまで出版社側の都合なのではないだろうか。
考えられる一番の問題は配送費である。製本所から取次や書店に納品する際、大部数の書籍はその風袋によって費用が大きく異なる。発行部数は少なくとも数十万部あるだろうから、何台ものトラッックで分けて納入することになり、10ミリの違いは輸送コストに少なからぬ差が出るはずだ。
もうひとつは、製本機械である。製本機にもよるが、いくら厚くても製本可能というわけではない。極端に厚い本は条件的に厳しくなる。そうなると、製本の費用がバカにならない。
つまり、いずれにしても、コストの問題なのだ。(重ねて言う。あくまでも想像である。違っていたらごめんなさい)
A5版3200ページに400ページ超の付録を付けて税抜き8500円はすこぶる安い。制作費を考慮すると、相当な部数を作らなければこの定価は出ない。ほとんどの大学。公立学校。図書館などは複数冊注文しているだろうし、出版社の編集部の多くも買うだろう。文筆、編集に携わるものにとっても必須だから、相当な販売部数が期待できる。
しかし、最近は辞書を持たずことごとくネット検索で済ませる輩が増えた。特に間違いだらけのウィキペディアを平気で参照するとんでもないライターもいるし、なぜだか『広辞苑』に反発しているひねくれ者も少なくない。それらを差し引いても、村上春樹の新刊より売れるだろうし。なんと言っても単価が高い。
これで少しは、岩波書店の赤字が補填できるのではなかろうか。
『広辞苑』は岩波書店の救世主でもあるのだ。
10年ぶりの改版。「やばい」「自撮り」など、現代用語約1万語が追加、六版より百数十ページ増。しかし、用紙を工夫して全体の厚さは変わらず。
過去に例がないほどメディアをにぎわしている『広辞苑』。
さてはて。
手元にある最新版は四版で、電子辞書に五版が入っているけれど、六版は購入しなかった。
古い辞書は役に立たないばかりか間違いのもとになる。常に訂正し改版を続けているのが辞書だ。
書物には「刷」と「版」がある。増刷が「刷」、編集に手が加えられたのが「版」である。一般にはあまり知られていないが、実は増刷の度ごとに誤字脱字や間違いが修正されている。これは辞書に限らずほとんどの出版物に当てはまる。
したがって、古い辞書を長年使っていることを自慢する輩がいるが、愚の骨頂なのである。
今回の購入理由はメディアで話題になったからではない。外部の執筆者が引用している『広辞苑』と手持ちの『広辞苑』に掲載された同じ項目の説明文が異なっていた、という事態に何度かでくわしたので、次はもう買い替えなくてはと思っていたのだ。
さてこの第七版、本体の総ページ数は約3200ページあり、ツカ(厚さ)は約75ミリ。手元にある1991年発行の第四版は2900ページ弱で、ツカは85ミリだから300ページも増えたのに厚さは10ミリ減っていることになる。つまり、紙が薄くなったということなのだ。
ところが、開いてすぐに「扱いにくい!」と感じた。ページの感触はコンサイス版の辞書や聖書に使われている紙と類似している。コンサイス版や聖書程度の大きさならともかく、A5判の『広辞苑』に使用するとあまりにも頼りない。ページどうしが張り付くし、閉じたときにきちんと収まらず、思わぬ個所が折れたりよれたりしそうなのだ。何よりページが繰りにくい。
これはある意味、辞書としては欠陥ではないのか。多少厚くなっても、もう少し腰のある用紙にして欲しかった。
なぜこれほどまでしてツカにこだわったのか。ユーザー側からすれば、75ミリが85ミリになったところでさほど影響はない。前掲のように過去の『広辞苑』は厚かった。
これは想像だが、あくまで出版社側の都合なのではないだろうか。
考えられる一番の問題は配送費である。製本所から取次や書店に納品する際、大部数の書籍はその風袋によって費用が大きく異なる。発行部数は少なくとも数十万部あるだろうから、何台ものトラッックで分けて納入することになり、10ミリの違いは輸送コストに少なからぬ差が出るはずだ。
もうひとつは、製本機械である。製本機にもよるが、いくら厚くても製本可能というわけではない。極端に厚い本は条件的に厳しくなる。そうなると、製本の費用がバカにならない。
つまり、いずれにしても、コストの問題なのだ。(重ねて言う。あくまでも想像である。違っていたらごめんなさい)
A5版3200ページに400ページ超の付録を付けて税抜き8500円はすこぶる安い。制作費を考慮すると、相当な部数を作らなければこの定価は出ない。ほとんどの大学。公立学校。図書館などは複数冊注文しているだろうし、出版社の編集部の多くも買うだろう。文筆、編集に携わるものにとっても必須だから、相当な販売部数が期待できる。
しかし、最近は辞書を持たずことごとくネット検索で済ませる輩が増えた。特に間違いだらけのウィキペディアを平気で参照するとんでもないライターもいるし、なぜだか『広辞苑』に反発しているひねくれ者も少なくない。それらを差し引いても、村上春樹の新刊より売れるだろうし。なんと言っても単価が高い。
これで少しは、岩波書店の赤字が補填できるのではなかろうか。
『広辞苑』は岩波書店の救世主でもあるのだ。