ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

「信山社が破産」だと!

2016年11月28日 | ニュース

 
 ネットのニュースを見てショック!(写真は信山社代表の故柴田信さん)

 ▶▶▶
(有)信山社(法人番号:8010002031530、千代田区神田神保町2-3、設立平成12年8月、資本金300万円、故柴田信代表)は11月25日、東京地裁から破産開始決定を受けた。破産管財人には和田一雄弁護士(山近・矢作法律事務所、千代田区有楽町1-13-1、電話03-3215-5410)が選任された。
 負債総額は約1億2700万円。
 東京・神田神保町で(株)岩波書店(TSR企業コード:290016118、法人番号:6010001010826、千代田区)発行の書籍販売を中心とした「岩波ブックセンター」を経営していた(岩波書店との資本関係は無い)。人文・社会科学系の専門書、新書、文庫をはじめ岩波書店が刊行する書籍の大部分を取り扱っていることで広く知られ、多くの書店が集中する神保町界隈でもランドマーク的な存在として知名度を有していた。
 しかし、28年10月に代表の柴田取締役会長が急逝。事業継続が困難となり11月23日より店舗営業を休業し、動向が注目されていた。(exciteニュース)
 
 信山社(岩波ブックセンター)の梅原龍三郎の包装紙は、子どものころからの憧れで、父親が信山社で買って来た本にかかっていたカバーをもらっては、自分の本に自慢げにかけていた。何か特別な本に思えていたからだ。
 その信山社も過去に一度倒産していて、柴田さんの手で復活した。
 柴田さんは、書店経営のプロ中のプロなのだ。
 
 先日岩波ブックセンターを訪れて本を購入したついでに、そうだ柴田さんに会っていこうと思い立ち、店員に「今日柴田さん来てる?」と聞いたところ、「亡くなりました」という。何かの間違いだろうと思って、どういうことかと聞きかえすと、亡くなる前日まで出社していて、先月(10月)突然亡くなったという。ぼくが信山社を訪れる半月ほど前のことになる。
 柴田さんとは、彼が池袋の芳林堂書店で仕入部にいた頃に知り合い、それからずっと、あれやこれやお付き合いをさせてもらっていた。
 ぼくがスーパーのダイエーの販売促進部に嘱託で入って広告の仕事を始めると、「君は広告なんて似合わない。ウチ(岩波書店)に来て本を作れ」と誘われたことがある。芳林堂で親しかった友人のK君は、柴田さんが岩波に行ったときに、一緒についていった。僕はというと、当時は派手なことに憧れていたものだから、固い本を作っている岩波書店に行くことは気が進まず、断ってしまった。しかし、もし岩波に入っていたら違った人生があったかもしれない。
 
 それにしても、信山社が破産するとは想像もしていなかった。今後再建できるかどうか、この出版不況では難しいかもしれないが、なんとかがんばって欲しいものだ。このままでは、柴田さんにしてみれば死んでも死にきれない。
 
 何年か前、出版不況が始まった頃に柴田さんがこんなことを言ってぼやいていた。
「何十年も本を売って来たけれど、こんなに本が売れないのは初めてだ……」
 
 柴田さんは向こうの世界でも本を売っているのだろうか。あちらには出版不況などないかもしれないから。

劇場版アニメ『この世界の片隅に』

2016年11月28日 | 映画

 
 マイナーな公開だったので、はやく観に行かなければ終わってしまうと思いつつ、なかなか時間が取れないでいたがやっと日曜日の最終回を観ることができた。
 大手が配給を拒否した中、テアトル新宿や渋谷ユーロスペースなどの限られた映画館で、大ヒットアニメ『君の名は。』の十分の一にも満たないスクリーン数にも関わらず、公開最初の週でのランキング10位になった。満足度に至っては、8週連続一位だった『君の名は。』を凌いで第1位に輝く。
 
 日曜日のテアトル新宿は全回全席が満席で、最近の映画館には珍しい立ち見が出ていた。(消防法上大丈夫なのだろうか)
 このての映画は、通常は年配者が多い傾向にあるが、主役が久々に登場したのん(能年玲奈)と実写でなくアニメだからだろうか、客席には若いカップルが目立つ。
 のんの演技は実に見事だった。テクニックに走る傾向にあるアニメ声優にはない、感性の豊かさが見られた。
(彼女がしばらく干されていたのは、マスコミで報道されているような洗脳騒ぎではなく、金づるに逃げられたプロダクションの報復だろう)

 先だって『君の名は。』を観て、あまりの内容のなさに辟易とした後だったから半信半疑だったが、2時間を超える大長編アニメを全く退屈せずに観ることができた。
 ほぼ原作通りに作られていて、しかも、原作ではわかりにくかったユーモラスなシーンが、アニメにすることで際立ち、戦時下であっても庶民は年がら年中ぴりぴりしていはなかったこともよくわかる。憲兵による規制や、配給制による物資の不足など、不自由な状況にあっても日常を平穏に過ごそうという庶民のいたいけな努力がうまく表現されていた。
 尺の大半がいわゆる銃後の暮らしで占められていたことも、悲惨な表現にアレルギーを起こす傾向にある若者世代にも受け入れやすかっただろう。
 もんぺのつくり方、野草料理の手順なども、ていねいに表現されていて試したくなる。滑舌のいいのんのナレーションが小気味よく耳に入ってくる。
 終盤の空襲シーンはそれなりに遠慮することなくしっかり描かれていた。この物語のヒロイン「すず」が右腕を失うシーンは、衝撃的ではあるが、ショックを和らげる工夫がされていたことに、好感が持てる。
 
 ただし、焼夷弾が屋根を突き抜けて部屋に落ち火災になったのを、布団を被せて消すというのは、とんでもないウソである。当時は「防空法」という法律があって、「逃げるな、火を消せ」と命令されていた。焼夷弾はスコップに載せて庭に放り出せとか、水をかければ消えるなどという能天気なポスターが張り出されていた。それに従ったのであろうが、布団を被せたり水をかけても焼夷弾の火は消えない。
 もっと驚くのは、そんな被害にあった部屋が、後のシーンで焦げ跡一つ残っていないのには「ウソだろ!」と。
 (見落としかもしれないが)原作にそんなシーンがあった記憶がないので映画で足したのだろう。誤解を招くからあまり重要でないシーンなので、修正するか削除が望ましい。(参考:大前治『逃げるな、火を消せ!』合同出版)

 細かな点で、「アレッ」と思う個所がいくつか見受けられるが、先の焼夷弾シーンを除いては総体的によくできている。
 
 北川景子主演のドラマも観たが、戦時下の暮らしに暗い部分が多かった記憶がある。それと、主演が北川景子では、美人すぎるし能天気なキャラクターが表現しきれない。5年前に誰がいたかうまく当てはめられないが、今なら黒木華がぴったりだと思う。昭和顔と、「リップヴァンウィンクルの花嫁」で見せた上手なピント外れがいい。
 

 
 ロビーに、当時の雑誌やキャラメル、草履、手提げ、などを復元して展示していた。アニメだから小道具に使う必要はないのだが、わざわざ作ったのだろうか。

「アジア記者クラブ」11月定例会

2016年11月27日 | 国際・政治
アジア記者クラブ設立24周年記念シンポジウム
尖閣での日中衝突は起こりうるのか
中国脅威論と翼賛報道を検証する



 
 26日土曜日、岡田充さん(共同通信客員論説委員)、村田忠禧さん(横浜国立大学名誉教授)、趙宏偉さん(法政大学教授)(写真左から)の3氏をを招いて、ますます悪化する日中関係の元凶とも言える尖閣列島問題について話し合った。
 
 そもそも問題を大きくしたのは、当時の石原都知事が東京都で買い取ると言い出したのがきっかけだ。
 日中間の領土問題は、複雑すぎるので、1972年の日中国交正常化のとき、当時の田中角栄首相と周恩来首相の間で、どちらも権利を主張せず棚上げにすることを合意している。その後、1978年、中国の指導者としては戦後初めて正式訪日した鄧小平副総理が、日中間にはさまざまな問題があるが「小異を残して大同に従う」という故事を紹介し日中友好を最優先とすることを確認し、日本の首脳もそれに同意した。
 だから、尖閣列島周辺では日中双方の漁船が自由に操業していたのだ。それを領海侵犯だと騒ぎだしたのが、石原慎太郎をはじめとした、ナショナリストグループだ。
 
 じつは、尖閣列島については、1972年に歴者学者の井上清が、中国と琉球王国の歴史を元に綿密な検証を行なった論文『尖閣諸島』が出版されている。(1996年に第三書館から一部を割愛して復刊)。その論文は、歴史学的な資料を元に検証すると領有権が中国にあることを否定できないとしている。しかしこの論文は、日本政府のみならず、ほとんどの研究者の間でも現在に至るまでほとんど無視されている。
 ただ、領有権問題は、過去のヨーロッパの歴史にも見られるように、単純に歴史学だけで判断できるものではない。井上清の研究も、一部の見方に過ぎないことは事実だ。そこに、実効支配というめんどうな問題が絡んでくる。日本は、無人島であった魚釣島に人を住まわせ、既成事実を作った。これを実効支配と見なすかどうかは議論の余地があるが、日本政府としては、これを根拠に「日本固有の領土」だと主張しているのだ。
 
 岡田さんは、「日中脅威論は翼賛化報道によって造られたものだ」と主張し、日本の報道機関のメディア・リラシー(情報を批判的に読み取る能力)の欠如が世論を誤った方向に誘導していると語る。

 村田さんは昨年、『史料徹底検証 尖閣領有』(花伝社)を出版している。この本は、無視され続けてきた井上理論を再構築するもので、新たに豊富な資料を発掘して紹介している力作である。
 領有権問題が語られるとき、頻繁に登場する「無主地先占」という言葉がある。これは持ち主のいない領地は先に旗を立てた者に所有権があるという理論だ。
 米軍が沖縄を占領した1945年の時点では、尖閣列島は沖縄に含まれていた。従って米国は、それを含めて日本に返還した。問題は、尖閣列島がどのような経緯で沖縄に含まれたかだ。
 村田さんは、日清戦争での戦勝に乗じた「火事場泥棒的編入」であったと見る。
 (話は違うが、敗戦後、役所の資料が焼けて消失し、所有者不明になった土地に綱を張り巡らせて広大な土地を奪い取った者が多数いたと聞く)
 
 中国側から参加した趙さんには、司会から刺激的な意見を遠慮なくと要求されたが、そんなに驚くほどではなかった。面白かったのは、例の中国漁船が日本の巡視船に体当たりして来たとされる出来事について、
 「朝には日が昇り、夕方には日が沈むと表現していますが、太陽がのぼったり沈んだりするわけではありません。地球が自転しているからそう感じるだけです。広い海の上で、どちらの船が相手に近づいていったのか判断できますか? 漁船と巡視船では、スピードがぜんぜん違います。(巡視船に)追いかけられたら(漁船は)逃げられるわけがないでしょう」
 つまり、巡視船の方が漁船に衝突する状況を作ったのではないかと語る。なるほど、そういう見方もアリか、と思った。警察などの権力は、ちょっと手が当たっただけで公務執行妨害だと言って逮捕する。巡視船は、拿捕する言い訳を作ったのではないかと思えなくもない。
 
 三者の興味深い話の全容は、来年2月発行の『アジア記者クラブ通信』に掲載される。入手方法は、会員(年会費 税込5000円)になるか、2月の定例会場で購入(参加費 1500円+誌代700円)できる。
 
■12月定例会案内
 



54年前は高校生だった

2016年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム



東京に54年ぶりの初雪

 11月のこれほど早い初雪は54年ぶりだそうである。54年前と言えば1962年で東京オリンピクの2年前。
 高校1年生だった。
 梓みちよの「こんにちはあかちゃん」がヒットしていた。しかし、雪の記憶はない。
 雪が積もったのは、明治時代にさかのぼる。
 
地球が怒ってる!?

 アシのYはあらかじめ昨日の勤労感謝の日に出てくるから今日は休ませて欲しいと言っており、雪の影響が出やすいミニ遠距離通勤なので正解だ。
 そのアシのYもカミさんも、こういった異常気象があると「地球が怒ってる」と言う。
 たしかに、地球が怒りそうな人間(特に安倍内閣)の愚行、乱行、暴挙には数限りない。
 
TPP法案強行採決!

 アメリカではドナルド・トランプという野獣が次期大統領に決まり(面白いが)、安倍ポチ内閣が必死に進めて来たTPPは風前の灯。
 あの強行採決は一体何だったんだ! 「世界の恥さらしだ」とは某民進党議員の言葉。
 
ヴェトナムの原発政策白紙撤回

 安倍晋三が合意したと喜んでいたヴェトナムへの日本製原発輸出は白紙撤回になった。
 大事故を起こした国の原発を買う方も買う方だが、シャアシャアと売り込むセールスマン安倍の恥さらし。
 まあ、ざまがない。
 
南スーダン自衛隊派遣の真意

 「海苔弁」と言われた済みぬりの報告書で国民をだましてまで行う南スーダンへの自衛隊派遣の真意とはなにか。
 戦闘ではなく衝突だから安全? 意味がわからない。言葉の問題ではなく国民が知りたいのは事実だ。
 危険だから渡航禁止になっているのではないか。
 安保法、共謀罪法、秘密保護法。いずれもアメリカに尻尾を振り、戦争のできる国にすることが目的だ。
 安保法が成立してから、自衛隊員の多くを排出している東北地方(農家の次男坊・三男坊)では、自衛隊入隊希望者が激減したそうだ。
 増やさなければならない自衛隊員が不足すれば、①札束でほっぺたをひっぱたいて連れてくる、②それでもだめなら徴兵制。
 やりたい放題の安倍政権ならやりかねない。
 
 以上、ちょっと週刊誌っぽく。
 頑張れ公明党! 爆弾は内側から爆発させると効果が大きい。

『誤植読本』 糞上げます

2016年11月22日 | 本と雑誌


 去る土日、近所のブックオフが文庫本半額セールをやっていた。そこでたまたま目にとまって衝動買いした。
 ちくま文庫は総体的に値段が高くて、ブックオフでもあまり安くはならない。それが、
 定価950円→560円の50%→280円。買うしかない!
 
 本を作る側から言わせてもらうと、全く誤植のない本などめったにない。誤植に至らずとも、「なんか変だ」と思われる個所は必ずといっていいくらいあるものだ。
 これは、開き直りでもなんでもなく、要するに校正で見つけられなかっただけ。
 不思議なことに、複数の異なった目で見ても、なぜか同じ間違いに誰も気づかない、ということがある。
 それが本になって改めて読み返すと見つかる場合が多いのだから皮肉だ。だから、出来上がってしまった本を読み返すことはない。
 
 しかし、誤植のおかげでひょんな効果をもたらすこともある。
 以前にも書いたと思うが、つげ義春の代表作「ねじ式」にある有名な「メメクラゲ」は、元は誤植だ。
 登場するクラゲの名前を思いつかず「××クラゲ」としていたのを、写植屋が「メメクラゲ」と打ってネームに張り付けた。作者はそれが気に入って、そのまま雑誌『ガロ』に掲載し、定着したのだ。
 
 本書『誤植読本』にも面白い誤植がこれでもかというほど並んでいる。
 大使→大便、王子→玉子、尼僧→屁僧……
 「冀(こいねがい)上げます」が「糞(くそ)上げます」というのには笑った。
 「家庭の事情」が「家庭の情事」というのもあった。
 
 この本とは関係ないが、過去に目にした誤植には、とんでもないものもあった。
 大日本インキ→大日本インチキ、東海銀行→倒壊銀行。これらは洒落にならない誤植だ。
 
 岩波書店やみすず書房などの老舗出版社でも誤植はよくある。先日購入したみすず書房の『治安維持法の教訓』(9000円もする)でも、読みはじめてまもなく重大な誤植を発見した。版元にはまだ伝えてないが。
 
 例外的なものもある。聖書には誤植がまったくないそうだ。あれだけの大部なのにたいしたものだが、多くの読者の目にさらされ、何十年も版を重ねていれば誤植はなくなって当然だ。

柚子収穫

2016年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム


 
 庭の柚子を一部収穫した。
 昨年、収穫が終わった後、あまりにも枝が伸びすぎたので、かなり伐採したから、今年はあまり実が成らないのではないかと思っていた。
 ところが、まるでグレープフルーツみたいに密集して大量の実を付け、小柚子なのだが一般の柚子並の大きさになっているものもあった。
 どうやら、枝を伐採したことで樹に力が蓄えられ、それが果実を育成させる力になったのだと思う。
 この日収穫したのは3分の1ほど。写真の大ざる二つの他に、段ボール箱いっぱいあり、長野の妹の家に送った他、近所に配った。
 ジャムを作ったり、風呂に入れたり、焼酎の水割りに入れるのはもちろん、焼き魚にも添える。皮をみそ汁に散らしてもいい。
 部屋中が柚子の香りで満たされた。

燐光群『天使も嘘をつく』を観る

2016年11月20日 | 演劇

 
 クソ忙しいのでこのところ、せっかくの招待を息子に譲ってきたので、たまには観に行こうと思い立った。
 ゲストに竹下景子が出ているのも理由の一つだ。
 初日が18日なので、できればもっと後の方で観たかったのだけれど、先の予定が見えないので、なんとか時間を捻出できる19日のマチネにした。
 案の定台詞がこなれていなくて、聞き取りにくいこと甚だしい。そもそも坂手さんの芝居は台詞が重要なのだけれど、役者達が自分の台詞を理解していないせいなのか、ほとんど段取りになっていてメリハリがないのだ。決してへたくそな劇団ではないので、稽古不足なのだろう。
 
 ステージに数段の段差を設け、背景に褐色の太い柱が4本立っただけのシンプルな装置だ。転換は椅子やフェンスやテントなどを象徴する道具の出し入れで行う。
 舞台は沖縄の離島の一つ。メガソーラー発電所が建設されるはずであった場所が、自衛隊と米軍の共同使用を目的とした軍事基地に取って代わろうとしている。
 ヒロコ(竹下景子)はドキュメンタリー映画を撮影するために、クルーを伴って訪れ、そこに住むさまざまな人間の姿を目の当たりにする。
 沖縄戦の体験を話す老女、中国や北朝鮮の脅威を語るビジネスマン風の男。尖閣諸島の問題、米軍基地の問題、領有権の問題など、作演出の坂手洋二は登場人物を通して言いたいことをこれでもかとばかり語る。
 実はこれがあまりうまくいっていないと感じた。台詞を割り振っただけで、登場人物のキャラがまるで立っていない。役者の技量の問題か、脚本、あるいは演出に問題があるのか、稽古に立ち会っているわけではないのでなんとも言えないが、そのために台詞の内容が観客に伝わりにくくなってしまった。
 おまけに、芝居の内容そのものが難解で、社会情勢に疎い人にとってはチンプンカンプンだったろう。辺野古はまだしも高江は聞いたこともない、泰麺鉄道に至っては何のことやらさっぱりわからないという人が、世の中の大半である。これが本であれば、脚注をたくさん付けなければならないような台詞内容なのだ。しかも、出演者の何人かは滑舌が悪くて聞き取りにくいのだから、竹下景子目当てでやって来た客にとって、この2時間半は拷問だったろう。実際あちらこちらでいびきが聞こえた。
 
 しかし、何の収穫もなかったわけではない。ウクライナ領であったクリミヤ半島が、住民投票でロシアに併合されてしまった例があるが、住民がそれを望んだとしたら、果たして悪いことなのか。
 沖縄の離島の住民が「自分たちは中国に帰属したい」と望んだ場合、戦争を起こして犠牲者を出すくらいなら、併合を認める方がいいのではないか。坂手洋二は、この芝居を通して、「戦争をして人が死ぬのは見たくない。一人の犠牲者も出さないためには、その地域に住む人々の意思を尊重し、もし日本ではなく他国への帰属を望むなら、それを認めるべきだ」という大胆な提案をなした。国よりも住民の意思を尊重すべきという考えだ。
 これこそ究極のグローバリズムだ。
 日中国交正常化のとき、周恩来は尖閣諸島問題にはどちらの国も触れないこと、つまり、何十年何百年という時間をかけて自然に結論がでることを待つ、「棚上げ論」を提案して田中角栄もそれを了承した。さらに、その後来日した鄧小平は「中国と日本の関係は〝小異を残して大同に従う〟道をとるべきだという言葉を残した。友好関係を最優先事項とすること、それをすべてぶちこわしたのが、石原慎太郎だ。尖閣諸島を東京都が買いとり所有するなどとバカなことを言い出した。自民党政府はもっと大バカで、だったら国で買うとなった。
 こうなると、「日中国交正常化」での約束は反古にしたのに等しい。
 
 坂手洋二の言う、「戦争をするくらいなら領有権は渡してしまおう」は一瞬乱暴に聞こえるかもしれないが、何百年何世紀というスパンで考えたとき、国境が自然と動き、いつのまにか消えていくこともあるのではないか。それは過去の歴史から見ても十分あり得ることだ。
 この日、偶然客席内で杉並区議会議員のI女史に出会った。終演後聞いた話だが、近くにいた女性客が、この「上げちゃえば」発言を聞いて「えええ!」と驚きの声を上げたそうだ。まあ、大半の人は理解不能だったのではなかろうか。もう少しわかりやすい説明が必要だったと思う。
 これ一つとっても、予備知識のない客には難解な芝居であったろうと感じた。

『シン・ゴジラ』と『君の名は。』

2016年11月19日 | 映画

 
 今年は2本の日本映画が大ヒットした。めったにない現象だそうだ。
 興収は現在のところ、『シン・ゴジラ』が約79億円、『君の名は。』が約184億円。
 『君の名は。』に至っては、邦画の歴代興行収入第4位にランク。ジブリの『風立ちぬ』の、2013年の興行収入約120億円の1.5倍だというから、まさに〝びっくりぽん〟である。
 2本とも公開早々に観に行った。ある程度はと思っていたが、まさかこれほどのヒットをするとは想像していなかった。
 もうネタバレしてもいいだろうから、書いてしまおう。
 
 僕の評価は、圧倒的に『シン・ゴジラ』に軍配を上げる。まったく傾向の違う映画だから比較にならないと言ってしまえばそれまでだが、そういうことはさておいて、内容の問題だ。
 まず『シン・ゴジラ』。出演者の演技が素晴らしい。特に、二人の女優、石原さとみと市川実日子の演技が見事だった。石原は得意の英語を駆使して、日本語にクセのある米国大統領特使の役をものの見事に演じた。日本語が得意だと自負する日系米人のしゃべりは「たしかにああだよなあ」と思わせる。僕がアメリカで世話になった通訳の女性と、話し方がそっくりだった。
 市川実日子は難しい台詞を早口に、しかもはっきりと聞き取ることができる。滑舌の良さは、最近の若手女優の中では出色である。
 
 ゴジラ映画は第一作に始まって第一作に終わると思っている。ゴジラシリーズは日米でずいぶんたくさん作られているが、第一作以外はすべて駄作だ。
 『ゴジラ』第一作には、反戦・反核のメッセージが込められていることは以前にも書いた。『シン・ゴジラ』はその第一作のポリシーを踏襲しながら現在の状況にリンクさせている。そのメッセージ性が押し付けがましくないから、社会問題を扱うとアレルギーを起こす最近の若者にもそれなりに評価された。しかし彼らの多くは、『シン・ゴジラ』に込められた、反核・脱原発のメッセージには、どうやら気づかなかったようだ。
 パニックシーンよりも、司令室の描写が多く、大混乱する政府閣僚の姿は3.11のときにもこうだったんだろうなと想像できる。ゴジラ退治に核兵器を使用するのを許さない日本のあり方には好感が持てる。ただ最後に、凍結させたゴジラが東京のど真ん中に聳え立っているのは何とも不気味で、あれが解凍したときにどうなるのかと思うと恐ろしい。原発とオーバーラップする。
 
 『君の名は。』は、深く考えずに観ればストーリーはそこそこ面白いし、構成も演出もよくできている。ただ、そこかしこに設定の上での突っ込みどころが満載で、内容的には『シン・ゴジラ』と比べるとスカスカで中味がない。わずか3年差のパラレルワールドにどんな意味があるのかわからない。これが戦時中と現代であればもっと深い内容になったのだろう。しかしたった3年では、時代背景がほとんど変わらないから、菊田一夫の『君の名は』と同じで、数寄屋橋をはさんで並行する世界が最後はメビウスの輪のように出会っていくメロドラマを現代に置き換えたに過ぎない。
 彗星の落下を3.11のような災害に見立てたらしいが、それがそもそも無理がある。天体が落下するなら、当然世界的な大問題になるはずなのに、小さな村だけの事件におさめてしまっている。
 つまらなくはない、しかし184億円もの興行成績を上げるような作品とは到底思えない。ジブリの『千と千尋の神隠し』に比べたら雲泥の差だ。
 どうやら、日本の全国民が、マスコミの喧伝に乗せられたということではなかろうか。

『長周新聞』のスタンス

2016年11月17日 | ニュース


 若い人にはなじみの薄い新聞だが、われわれ全共闘世代にとっては重要な新聞で、とくにML派は必読だった。
 発信地は山口県下関市。長周とはその名の通り、今の山口県、長門と周防を併わせた名称である。
 もともとは共産党系であったが、日本共産党がソ連と中国が仲違いしたときに分裂し、中国派だった日本共産党左派の立場を支持した新聞である。
 「マルクスレーニン主義毛沢東思想」を日本革命の指針としたところから、反中国の立場を取る日本共産党とは一線を画すことになった。
 学生運動が挫折してからは、『長周新聞』に目を通すこともなくなり、何十年もご無沙汰していたところ、ひょんなことからまた読みはじめるはめになった。

 写真の右は10月24日付で、22日に開かれたアジア記者クラブの定例会の記事が、1面トップに掲載されている。
 すなわち、記者が山口からわざわざ取材に来ていたのだ。
 
 定例会が終わって帰ろうとしていたところに、その記者に声をかけられた。かつての『長周新聞』のイメージとはだいぶ違う、いかにも洗練された女性記者だった。
 「まだ健在だったんですね『長周新聞』」と言ったら、「当然です」と叱られた。
 「基本的に、毛沢東思想ですよね」というと、「今は必ずしもそうではありません」ときっぱり否定された。そりゃそうだろう。
 しかしこの新聞、言いにくいことをズバズバ言う反骨精神は健在だ。基本的に広告を掲載せず、購読料だけで経営を賄っている。
 熱心に薦められたので、というよりも、記者が美人だったので、試しに購読することにした。
 週3回の発行で、月極1500円で郵送してくれる。1日遅れで届くが、金曜発行のみが月曜着になる。
 
 アメリカ大統領選に関する記事がユニークだった。「ヒラリー・クリントンとは誰か」という特集記事を2回連続で1面に掲載してヒラリーが負けることを予想していた。
 ヒラリー・クリントンは1%の富裕層のために存在し、残り99%の貧困層の支持を得ているのはトランプの方だというのだ。
 (だったらクリントンではなく、サンダースならトランプに勝ったかもしれない)
 だからこの選挙は、民主党対共和党の選挙ではなく、1%対99%の選挙だとの選挙だと説く。
 
 どこまで的を射ているかはともかく、ともかく刺激的な記事が多い。
 最新16日付のコラム記事には駆け付警護(武器持参で駆け付る)を批判し、アフガニスタンで平和貢献事業を展開する中村哲の言葉を紹介する。
「この事業は16年続いているが、1回も襲われていない。何とタリバンが守ってくれる。政府も守ってくれる。非武装、丸腰だから嫌われない」
 自衛隊はスーダンで、武器を持たなければ攻撃されないものを、武器を持っていればかえって危険であることを言っているのだ。
 日本も、軍事基地が無ければ、どこからも攻撃されることはない。その通りだと思う。
 尖閣問題についての記事も興味深いのだが、ここで紹介する余地はないので、興味のある人は購読してみるといい。
 『長周新聞』で検索してネットで申込みできる。

潔し「通販生活」

2016年11月17日 | 日記
 「通販生活」という雑誌がある。知っている人は、この雑誌がただの買い物雑誌でないことをよくわかっている。がしかし、知らない人は存在そのものすら知らない。そういう雑誌だ。
 だいぶ前になるが、歴史学者の林博文教授を囲んだ集いがあって、その席上で、「通販生活」が憲法九条についてアンケートをとった話が出た(記憶に間違いなければ、林教授が記事を書いたとかなんとか……)。「通販生活」の影響力について語り合ったのだが、知ってる人のあいだでは評価が高かった反面、参加者の半数以上が存在を知らないか知っていてもほとんど読まれていないマイナーな雑誌だと思っていた。
 これほど評価が分かれる雑誌も珍しい。
 で、その「通販生活」が今年の夏号で、「自民党支持の読者の皆さん、今回ばかりは野党に一票、考えていただけませんか」という呼びかけで参院選特集を掲載した。
 もちろん、詳細なその理由も含めての記事なのだが、それに対して一部の読者から、政治色が強すぎる、買い物雑誌にふさわしくないなどの批判がよせられた。「左翼雑誌か」という意見もあったらしい。
 それに対して、冬号で批判への回答を掲載した。
 「買い物雑誌に政治を持ちこむな」という意見に対しては、暮らしのすべてが政治の影響を受けているとし、したがって、平和だからこそ買い物ができることを説く。
「お金もうけだけ考えて、政治の話には口をつぐむ企業にはなりたくないと考えます」と結んだ。
 「左翼雑誌か」という意見に対しては、「通販生活」のスタンスは、戦争と原発、沖縄差別は「まっぴら御免」だとした上で、「こんな『まっぴら』を左翼だとおっしゃるのなら、左翼でけっこうです」と答える。
「良質の商品を買いたいだけなのに、政治信条の違いで買えなくなるのが残念、と今後の購読を中止された方には、心からおわびいたします。永年のお買い物、本当にありがとうございました」と締め括った。
 じつに潔いではないか。
 この件は、東京新聞の11月10日付けで紹介された他、テレビのニュースにもなった。
 
 そいう自分は、過去に「通販生活」は購読していたのだが、購読料を払い忘れていたら送られて来なくなってしまった。定期購読の読み物が山ほどあって、とても手が回らないのでそのままになってしまっている。さて、継続を申し込むべきかどうか、少しだけ迷っている。
 
 先日、「アジア記者クラブ」のボランティアをしている女性が、「集団的自衛権反対」などのステッカーを貼ったバッグを持って、お孫さんを保育園に迎えにいったところ、母親の一人からステッカーを見とがめられ、「あなた、アカですか?」と言われたそうな。
 今時そんなこという人いるんだってビックリしたと言う。どうも日本人はレッテルを張って批判したり評価したりする傾向にある。人間にはさまざまな側面があることを認めようとしない。
 どんなによいことでも、それが自分と信条的に合わない人間が関わっていれば賛成できない、ということだ。どんなに良い品物でも、買わないということだ。実にくだらない。

崎山多美『うんじゅが、ナサキ』

2016年11月15日 | 日記


ご無沙汰しておりました。
ようやく、戻って参りました。
ずっと更新していなくて、先日所用で訪れた議員会館の廊下で、知り合いの国会議員から「ブログ、楽しく拝見させていただいてます」なんて声をかけられ、ヒジョーにこそばゆかった。(見え見えの社交辞令だ)

今日、入院中の友人とメールをやりとりしていて、「今すぐ更新しろ、責任をとれ」と脅され……いや、激励されて、たまたまネタもあったことだし、再開することにした。続くかどうか心配ではあるが。
まあ、発信するべきことが山ほどあったのに、多忙にかまけてずっとサボっていたことを気にはしていたのだ。

で、再開第1号は新刊紹介。出版人だから話の中心はやっぱり本の話になる。

崎山多美は沖縄在住の作家で、芥川賞候補にもなった実力派である。
この方、沖縄方言で小説を書く。
最初に出会った小説が、講談社文芸文庫の『現代沖縄文学選』に収録されていた「見えないマチからションカネーが」であった。全編沖縄方言で、なにがなにやら煙にまかれたみたいで最初さっぱりわからなかったのに、読んでいるうちにストーリーが見えてくる。
衝撃的なエンディングのその作品は、沖縄方言が何倍もの効果を発揮していた。

『うんじゅが、ナサキ』は、雑誌「すばる」掲載の、連作短編6作品を1冊にまとめたものである。
小さい薄っぺらな本だ。
この一連の作品は、沖縄国際大学教授の黒澤亜里子さんが、ゼミの教材として使っていると、沖縄発信の雑誌『けーし風』の特集記事で企画された座談会で紹介していた。
ぜひとも読みたかったのだが、2012年からぽつりぽつりと発表した作品を、「すばる」のバックナンバーで集めるのが一苦労だった。
特に、2013年の10月号は、Amazonの中古でとんでもない値段がついていて入手困難だった。
で、その一連の作品を中心に、「崎山多美作品集」を作ろうかと、水面下で出版社と話を進めていて、企画書を出すところまで行っていたのだけれど、他社から先に出されてしまった。本書のように150ページばかりの薄っぺらな本ではなく、ほうぼうにバラバラと掲載されているものを一堂に集めたかった。
「なんでこんな本にしちゃったんだろう」とちょっとがっかりした。

作品の内容まで語りきれなかったけれど、地べたに近い目線から、じわりじわりと沖縄の現実がしみてくる作品群である、とだけ言っておこう。
あ、ちなみに「うんじゅが、ナサキ」とは、標準語で言うと「あなたの情け」という意味らしい。
標準語にしてしまうと身もふたもない。

発行:花書院 B6判並製152ページ 1200円(+税)