ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

映画『ゲノムハザード』

2014年12月31日 | 映画

 
 今年1月に公開された映画『ゲノムハザード』を録画で観た。とんでもなく複雑で、とてつもなく面白い。
 
 ある日、受賞歴もあるイラストレーターの石神武人(西島秀俊)は帰宅した自宅で妻が殺されているのを発見する。呆然と妻を抱き上げようとすると、その手が血で染まった。
 突然鳴りだす電話。受話器から聞こえてきたのは、傍らで冷たくなっている妻の声だった。
 妻は生きているのか、だとしたらここにいる妻らしき女はいったい誰なのか。
 この時から、彼には別の記憶が現れては消えるようになった。
 警察を名乗る男に追跡され、正体不明の韓国人女性記者(キム・ヒョジン)とともに逃走しながら真実を追ううちに、実は彼は、石神武人ではなく、韓国人の天才科学者オ・ジヌであることを知る。
 彼に電話をかけてきた妻を偽る女(真木よう子)も、あるグループによって仕組まれていた。
 オ・ジヌが研究していたのは、遺伝子を組み換えたウィルスに、まるでICチップのように人間の記憶を記録させ、別の人間に記憶を移すことだった。
 彼はだれに追われているのか、何者によって記憶が書き変えられたのか。すべてが解明した5日後、その5日間の記憶はすべて失われる……。
 
 もし実際に記憶を移すことが可能になったなら、人から人へ「ヤドカリ」のように移り住んで、人間は死ななくなる。たとえば、アーチストが作品の完成を待たずに死ぬこともない。アントニオ・ガウディもサグラダ・ファミリアの完成を見ることができることになる。
 しかし反対に、他人に自分の体を乗っ取られるという恐ろしいことにもなる。
 
 そんなことはともかく、サスペンス映画としては実に面白い。監督が韓国人のせいか、ぐだぐだした余計な台詞はなくて、まるで『24』を観ているようにテンポがいい。女優人は、いずれも美人すぎず、それぞれ魅力的である。女性記者(なのか警察官なのか)のキム・ヒョジンは日本語も演技もなかなかだ。観ておいて損はない映画だが、一回観ただけではよくわからないところもある。きっと、二度三度と映画館に足を運んだ人も少なくないのではなかろうか。

TBSドラマ「このミステリーがすごい!」

2014年12月30日 | テレビ番組
TBSドラマ このミステリーがすごい!
~ベストセラー作家からの挑戦状~



 (TBSホームページより)
 
 ミステリー好きとしては、ついタイトルに惹かれてしまった。
 『このミステリーがすごい!』、略して「このミス」は宝島社が毎年1年間のミステリー小説の中から、面白い作品を選んで解説している雑誌である。このドラマは過去に『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した作家の中から4人の書下ろし短編小説を「オムニバスドラマ」としたもの。

 4作品は放送順に、安生正『ダイヤモンドダスト』、海中山七里『残されたセンリツ』、海堂尊『カシオペアのエンドロール』、乾緑郎『黒いパンテル』。
 
 長くなるのであらすじははぶいて、感想のみ。
 2時間余の中に4本のドラマを入れているので、監督はずいぶん苦労したことだろう。いずれも限られた尺の中で、よくまとめられていたと思う。進行係は樹木希林とピースの又吉。だが、必要だったのかどうか疑問だ。樹木希林は役者としての技量は認めるけれど、台本にあったのかアドリブなのか、小保方晴子研究員のまねを何度もくり返すのには辟易した。そんな安っぽいギャグではなく、彼女ならもっと気のきいた台詞が言えたのではないか。
 
 4本の中で、よくできていて面白かったのは、最初に放送された『ダイヤモンドダスト』
 東京を、まるで「八甲田山死の彷徨」レベルの大吹雪が襲うという設定で、それを不自然と考えるか、今の世の中何が起きるかわからないとするかは置いといて、気象を完全犯罪に利用するというアイデアは斬新だ。喫煙者が大量に飲酒して低温の中に放り出されると命を失う、というのは、われわれが災害にあったときの警告ともとれた。
 4作品の中では飛び抜けて秀逸だった。
 
『残されたセンリツ』は、設定もトリックもよくありそうな構成で、新鮮みに乏しかった。ただ、ピアニストが工場排水による水銀中毒で演奏技術の衰えが止まらないという設定は、社会的なメッセージ性を感じたので、もう少し大事にしてよかったのではないか。
 ただ、そんな状態のピアニストが、最後に人生最高の演奏をするというのは、いささか無理を感じる。
 イッセー尾形は、コロンボを意識し過ぎ。
 
『カシオペアのエンドロール』はまるでアガサ・クリスティー『オリエント急行殺人事件』の縮小版。東京出身のはずが北海道方言につい反応してしまうことから犯人が分かるという設定は嫌いでない。しかし、芸能界のドロドロがもう少し描かれてよかったのではないか。まあ、尺が短いので無理だったのかもしれないが。
 吉田栄作はコミカルな中に鋭さを秘めた警視正という役柄だが、軽さばかりが立って演じきれていない印象だった。女優役の藤原紀香は、お約束の胸を強調した衣装で視聴者の悩殺を試みる。「あるよ」の田中要次が出ているのに、役柄は死体。もったいない。
 
『黒いパンテル』は内容も設定も漫画だった。死んだ人間が娘を誘拐し、しかも、霧のように消えたりする。4本の作品中で最もバカバカしい。あまり意味のない小惑星の接近ありショッカーモドキの登場あり、これはもうアニメの世界で、テレ東あたりの深夜番組にありそうなハチャメチャである。
 こういうのが好きな人はいるだろうし、他の時間帯で心の準備ができていれば面白く観られたかもしれない。が、すくなくとも、この4本の中に入れてほしくない作品だった。
 
 以上、独断と偏見に満ちた感想である。

小熊秀雄と池袋モンパルナス

2014年12月29日 | アート・文化

 
 執筆中の原稿の参考資料を探して書棚を漁っていたら、『小熊秀雄詩集』と『小熊秀雄全詩集』が目にとまり、ついページを開いてしまった。
『小熊秀雄詩集』は数年前に神田の古書店で入手したレプリカで、『小熊秀雄全詩集』は父親の遺産である。生前の父が小熊秀雄について熱く語っていたのを覚えているが、内容は失念した。たしか、非常に苦労したプロレタリア詩人であると紹介されたと思う。
 

 
 小熊秀雄は戦前の詩人で、小説や漫画、絵画などにも多彩な才能を著した。
 生まれ(1901年)は北海道小樽市。家庭環境は複雑で北海道内や樺太など、転々と住居を移し、あまり恵まれた幼少時代とはいえない。少年時代からほとんど独立生活状態にあり、高等小学校を卒業後、生活のために養鶏場の番人、炭焼手伝い、漁場での重労働、農夫など、さまざまな職業に就いた。
 21歳のときから旭川新聞社の新聞記者になり、そのころから詩を書きはじめる。
 27歳のとき上京。親友の遠地輝武が池袋に近い長崎町に居を移したのを機に、遠地の近所に転居する。
 遠地がマルクス主義に傾き「プロレタリア詩人会」を結成し入会を勧められたが意見が合わず、28歳のときに袂を分かった。
 その後、夫人が病に倒れ、生活的にいためつくされた30歳のとき、新宿紀伊国屋画廊で開催されたプロレタリア詩人会主催の「詩画展」で遠地と再開する。あらためてプロレタリア詩人会への入会を勧められ入会を決める。
「俺も女房に永いこと病気され、惨々医者に搾取されて人生観が変わったよ」と遠地に語っている。
 入会後は雑誌『プロレタリア詩』をはじめ、複数の雑誌などに作品を発表するようになる。
 1935年、34歳のときに最初の詩集『小熊秀雄詩集』(写真)を出版、続けて『飛ぶ橇』を出版する。
 1940年11月、肺結核のため39歳の若さで死去。(以上『小熊秀雄全詩集』年譜を参考)
 
池袋モンパルナス」とは、パリのセーヌ川沿い、モンパルナス駅近くに芸術家の集落があったことになぞらえ、池袋周辺の農地あたりに貸アトリエが集中していたことから名付けられた。この名は小熊秀雄が言い出したとされる。
 池袋モンパルナスに関わった芸術家は、小熊秀雄をはじめ、『小熊秀雄詩集』の装幀(写真)に携わった寺田政明、他に、丸木位里・丸木俊夫妻、長沢節、古沢岩美など、後に高名なアーチストとして評価される人々が多数いた。
 
 小熊秀雄は次のような詩を書いている。

  池袋モンパルナスに夜が来た
  学生、無頼漢、芸術家が
  街に出てくる
  彼女のために
  神経をつかえ
  あまり、太くもなく
  細くもない
  あり合わせの神経を――

          「池袋風景」(小熊秀雄全詩集より)

『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳』

2014年12月28日 | 本と雑誌

ヒョウ柄と飴ちゃんを愛する大阪のおばちゃんがもし日本国憲法を読んだら」というキャッチフレーズに速攻で飛びついた。
 著者の谷口真由美さんは、大阪の普通の主婦と思いきや、大阪国際大学の准教授で全日本おばちゃん党代表代行の肩書きを持つ。1975年生まれだからアラフォー、僕のイメージでは「大阪のおばちゃん」というのには、いささか気が引ける。ちょっと年増のお姉さんというところか。
 しかし、本書に掲載の写真を見ると、やっぱりおばちゃんだ。
 大阪弁でしゃべるおばちゃんが憲法について井戸端会議でしゃべったらどないなるか? というコンセプトで作られたのがこの本。ちなみに、カバーもヒョウ柄、しかし「飴ちゃん」はついてこない。
 
 今までに、「学校で憲法ならったことありますか?」と聞いたら、たいがいのお人は「ならいました」って言わはるんです。
「ほな、どの条文知ってますか?」って聞いたら「前文と9条」って言わはるお人がめっちゃ多いんですわ。人によったら、日本国憲法っていうのは9条までしかないって思ってることもあって、笑い話みたいやけど笑い話ちゃいますねん、これが。

 
 実際にこんな調子で大学で講義をしているそうだ。
 もちろんこの本は「前文」と「9条」だけではなくて、自民党政権が気に入らないからといじり倒している条文について、ほとんどが「おばちゃん語」訳に加えて、「おばちゃん語」の解説がつけられている。

 たとえば9条、というかやっぱり9条。
 
 (2項)
 ほんで、さっきの戦争を永久に棄てましてんっていう目的を達成するためには、軍隊とか戦力は持ちまへんで。ほんで戦争する権利は認めまへんで。
 
 そして解説。
 
「集団的自衛権」っちゅうのは、ヤンキーのケンカみたいなモンで、仲良しのツレがやられて、「ツレに助けてーや」と言われたら、ホンマはツレのほうが間違ってたかもしれんケンカとか、ツレのほうが明らかにいじめてる側やのにとか関係なく、「俺、あいつのツレやから」という理由でケンカに行くようなモンですわ。ツレがめっちゃ悪い奴やったらどないすんねん、というのはすっ飛ばすんですな。
 
 本書の最後では、改憲派がよくいう、日本国憲法は「押しつけや!」という主張に反論する。
 成立過程をしっかり勉強すれば、生活保護や社会権など、アメリカが出してくるはずのない条文が各所にあり、それらはむしろ、すでに東西冷戦が始まっていて敵対している社会主義ソ連の考え方に近いと語る。
 つまり、「押しつけ」という論理は、戦争のできる国にするために、改憲したい人たちの「へ理屈」ということになる。
 
 さてこの本、出版社が保守的な出版物で有名な文藝春秋である。著者に話があったとき、「ドッキリカメラ」かと思ったそうだ。「絶対売れる」と太鼓判を押してくれた、編集の「もの静かな都会の洗練されたお姉さん」が社内的に立場が危うくなるので、「本屋さんで手に取って読んではるそこのアナタ! 人助けやと思ってレジまで行ってそっと買ってくれまへんやろか?」とのことである。
 四六判並製216ページで定価1100円(+税)安い!

パトリック・モディアノ『暗いブティック通り』

2014年12月26日 | 本と雑誌

 パトリック・モディアノは今年のノーベル文学賞受賞作家である。有名な作品は映画にもなった『イヴォンヌの香り』。
 まったく読んだこがなかったので何か1冊と思い、『図書』だったか『世界』だったかに広告が掲載されていた本書(2005年 白水社)を選んだ。
 韓流ドラマの火付け役となった『冬のソナタ』の作者等が影響を受けたとあるが、メロドラマではなくサスペンスの雰囲気が濃い。
 タイトルの「暗いブティック通り」とはローマの一角にある地名で、主人公が住んでいた住所とされている。ただ作品の中に登場するのは2か所だけで、あまり重要性はない。
 主人公は、ドイツ占領下のフランスからスイスに逃亡しようと不法越境を企てるが、協力者と称する男たちにだまされ、雪の中を置き去りにされる。それがもとですべての記憶を失う。本人は自分が何者であるのかなぜ記憶を失ったのかさえわからない。8年間勤めていた探偵社での経験から、わずかな手がかりをつなぎ合わせ、まさに正真正銘自分探しの旅に出る。
 次々に現れる怪しげな人間たちと何が真実かわからない「体験」らしき出来事に惑わされながら、主人公は小さなきっかけをつなぎ合わせ、右往左往しながら自分を見つけ出そうとする。
 過去と現在が交錯し、読者自身もまるで霧の中に紛れ込んだような茫漠とした世界に取り込まれてしまう。
 最後まで解明されることのない問題もいくつか残され、読者をすっきりさせないまま終わるのだが、それがかえってよい残り香になっている。
 
 人間関係が複雑なのと、多数登場する人物の名前が覚え切れずに、何度か後戻りしてしまった。老化現象かもしれない。
 いささか読みにくい部分があるものの、モディアノという作者のもつ幻想的な雰囲気はけっこうクセになりそうだ。
 
 翻訳されている最新の単行本は『失われた時のカフェで』(2011年 作品社)。ノーベル賞受賞で急に読者が増えたのだろうか、現在品切れである。

『アジア記者クラブ通信』268号

2014年12月23日 | 国際・政治

 
 今年最後のアジア記者クラブ通信である。次号は2月発行になり合併号となる。
 
◆10月定例会レポート スラップ訴訟について
 「定例会レポート」は10月に行われた澤藤統一郎弁護士による、スラップ訴訟についてお話をうかがった記録である。
 スラップ(SLAPP=Strategic Lawsuit Against Public Participation)訴訟とは直訳すれば「公的な参加に対する戦略的な訴訟」ということになるが、ここでいうスラップ訴訟は、大企業が告発や情報伝達にないし、力ずくの恫喝的訴訟を起こし、告発元を黙らせることが目的の訴訟である。
 
 渡辺喜美衆院議員がみんなの党代表辞任に追い込まれた大手化粧品会社・DHCの吉田嘉明会長からの8億円借り入れ問題に関連して、一つの裁判が進行している。大手メディアの報道ではその実態があまり言及されない吉田氏の資金提供を自身のブログで批判した澤藤統一郎弁護士が、同社および吉田氏から6000万円の損害賠償を求められる名誉毀損訴訟を起こされ、12月24日に東京地裁で第5回口頭弁論が開かれる。澤藤氏はこれを大企業や公的機関が言論やデモ行為に対して巨額の賠償金を請求する「SLAPP(スラップ)訴訟」と受け止め、ブログ『澤藤統一郎の憲法日記』で提訴自体への糾弾も続けている。過去には旧グッドウィル・グループの傘下企業とそのグループが東洋経済新報社に賠償金10億円の訴訟を起こし、雑誌にコメントした個人ジャーナリストが音楽関連企業から5000万円の賠償請求、武富士がメディアヘの提訴を乱発するなど、スラップ訴訟は後を絶たない。スラップ訴訟を許さない環境整備をどう進めるのかについても含めて、澤藤さんにお話をうかがった。(本誌リードより)

◆「アベノミクス」でデフレ再来」は証明されていた
 2014年12月、安倍首相は「アベノミクスを国民に問う」として解散・総選挙に踏み切った。だが、この大義名分は、これまでの日米などでの量的緩和(QE)政策の実績や「QEは経済を回復させなかった」との多くのアカデミックな研究成果によってとっくに破綻していた。本稿は米欧を中心に一流の経済学者、エコノミストが理論的にこれを裏付けていることを紹介する。換言すれば、「アベノミクスの第一の矢」である異次元の量的緩和がいかに虚構であり、ウオール街をはじめとする世界の“とばく場”を活気づけ、バブル化した株、為替、不動産取引などで富裕層と投機筋をさらに太らせたにすぎないと批判する。要するに、「(QE政策が引き起こす)結果は短期的にはインフレだが、長期的にはデフレである」との結論は出ていたのだ。
「中央銀行の中央銀行」とされる国際決済銀行(BIS)さえ「世界は(QEという)経済刺激の中毒に苦しんでいる」と認めていたという。日本の有権者にこれを伝えなかった日本の既存メディアの“罪”は重かつ大である。(本文リードより)
 

 
『アジア記者クラブ通信』(月刊)は1部500円。定例会会場にて販売。
会員(年会費5000円)には毎月送付。
*郵便振替にて送金で自動入会。00180-4-709267
  
■アジア記者クラブ1月定例会【予告
原子力ムラの復活にどう立ち向かうのか
映画『日本と原発』の監督に聞く
2015年1月21日(水)18時45分~21時
明治大学研究棟2随・第9会議室
ゲスト 河合弘之さん(弁護士)

 保革を問わず、国民の70%を超える人たちが原発は危険で維持コストがかさむとして脱原発の意志を持っているにもかかわらず、3・11後、2度にわたって原発推進を掲げる政権が承認されてきた。川内原発を抱える鹿児島県では再稼働受け入れが表明された。原発利権を追ってきた朝日新聞特別報道チームの連載が1冊の本となったが、「あの内容では今は書けない」と記者の1人は明かす。社内外の圧力が強くなってきたからだという。熱しやすく冷めやすい日本人の性格だけでなく、明らかに逆風が吹いている。
 1月定例会は、社会思想史研究会との共催で、さくら共同法律事務所の河合弘之弁護士をゲストにお招きします。河合さんは、ビジネス弁護士として活躍の一方で、原発訴訟に20年以上手弁当で携わり、今回は、映画『日本と原発』の製作と監督を1人で手掛け、始まったばかりの上映運動でも先頭に立っておられます。

岡山の梨

2014年12月21日 | 日記



 でかい!
 大きさは子どもの頭ぐらいある。
 岡山の、さる宗教家の先生から送られてきた。
 この梨、あたご梨というブランドものらしい。
 まずその大きさで驚くが、いささか時期を過ぎているのだろうか、いくぶん熟し過ぎてぼやけてしまっている感じがする。しかし、これはこんなものなのか。甘みが強く酸味は弱い、大きさ通りの大味だ。
 大きいものは2キロくらいのものもあるらしい。
 まあ、大きさで驚かすのが目的なのかもしれない。これで味も日本一なら申し分ないのだが。
 いただきものにケチをつけてはいけない。失礼した。

特殊ドラーバーセット

2014年12月20日 | 日記


 懸案だったiMacの裏蓋を開けるために注文した特殊ドライバーセットが届いた。36種類の特殊ドライバーがセットになっていて、1000円以下で買えた。
 精密機械などは素人が簡単に開けられないように、特殊なネジが使われている場合が多い。しかしそれを回すことのできるドライバーは、特注品で入手できないものと思っていた。
 かつて、まだVHSが高価だった頃(作品によっては2万円を超えるものもあった)、どうしても欲しくて大枚はたいて買ったビデオカセットのテープが、中で複雑にからんでしまい、それを直したくて開こうとしたが、数本あるネジのうちセンターの1本が星型三角の特殊ネジで、どこにでもあるマイナスやプラスのドライバーでは開くことができない(ちなみに、市販のVHSテープは簡単に分解できた)。そこで太いワイヤーを削ってドラーバーを作ったりしたものだったが、1度使うとゆがんでしまい使えなくなった。
 インターネットなどない時代で、特殊ネジが市販されているものとは知らなかったのだ。



 写真の星形六角レンチがiMacのネジに対応する。いちばん小さいのは直径1ミリ。
 この写真はマイクロニッコールレンズを使って撮った。アナログのカメラはみんな売ってしまったのだが、このレンズだけは売らずにとっておいた。なかなかの威力だ。
 
 しかし実は、せっかくのドラーバーセットだが、急を要するものではなくなった。
 16日のブログで、故障したパソコンに閉じ込めてしまったディスクを取り出せず難渋していると書いた。理由は、iPhoneに音楽をダウンロードしたり写真をバックアップするのにデスクトップコンピューターのバージョンをアップする必要が生じ、その閉じ込めたディスクが必要だったからだ。
 それが、いろいろネット上で探しているうちに、一度では無理だったが、数段階にわけてバージョンアップできてしまったのだ。
 同時に、iTunesやフラッシュプレイヤーなどいくつかのアプリケーションを最新のものにインストールし直したので、深夜までかかってしまったが。
 だもので、急ぐ必要がなくなり、壊れたパソコンに閉じ込めたディスクの取り出しは、いずれ時間のあるときにしようと思う。
 この特殊ドライバーセット、しょっちゅう使うものではないが思いおこせば、あのときあったらよかった、という出来事がいくつか記憶にある。今後なにかにつけ役立つだろう。
 
 直せるものは自分で直す
 
 最近は、何でも故障したり、ちょっと壊れたりすると、そっくり買い替えたり捨ててしまったりするが、我家は伝統的に直せるものは自分で直す。骨が折れた傘も、穴の開いた鍋も基本的に修理して使う。キッチン用品などは、ほとんどが数十年以上も使い続けている。家具やドア、引き戸などもできるだけ自分で直す。
 パソコンもかつてはハードディスクの交換ぐらいは自分でやったものだ。ところが最近は、それができないように作られていて、修理に出すと買い替えた方が安いくらいの修理費がかかる。つまり、どんどん買い替えろというメーカーの汚い商根だ。
 以前、車のウィンドウが動かなくなったので自動車屋に修理を頼んだら、ドアごとそっくり交換させられた。それは修理とはいわないだろう、と嫌みを言ったものだ。
 
 昔は鍋の修理、包丁研ぎ、傘の修理などがご用聞きでまわってきたものだが、それもいつのまにかなくなってしまった。それにともなって「修理する」という考えも、人々のあいだから失われた気がする。

アジア記者クラブ12月定例会

2014年12月19日 | 日記


被爆70年 日米同盟を見つめ直す
「核の傘」への執着とフクシマ

  太田昌克(共同通信編集委員)

 大田昌克氏の講演を聴く。
 政府は、東電福島原発の事故が収束していないにもかかわらず、川内原発をはじめ停止中の原発を次々に再稼働しようとしている。民主党前政権が30年以内の原発全廃を公約に掲げたもののそれを撤回し、「原子力発電は重要なベースロード電源」と位置づけ、すべての原発を再稼働させる腹づもりだ。
 
 太田氏は、世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、いまだに米軍による「核の傘」に依存しつつ、核兵器の製造が可能な原子炉を50以上も持つ日本の不思議を、1950年代の日本の原子力黎明期から、順を追って説いて行く。
 
 沖縄の基地には返還以前、多くの核兵器が装備されていたことは知られている。佐藤栄作は、沖縄返還に先立つ小笠原諸島返還に伴い非核三原則(核兵器をもたず、つくらず、もちこませず)を発表した。それは後にノーベル平和賞の受賞理由となった。しかし、沖縄返還にあたっては、密約によって核兵器の持ち込みが黙認されている。
 この密約については、作家の澤地久枝氏の詳細な調査に基づく『密約』(岩波現代文庫)が詳しい。

 アメリカ政府は占領中の沖縄だけでなく、再三にわたり、日本本土の米軍基地にも核兵器を配備で来るように日本の政府に働きかけていた。
 それにストップがかかったのは、1954年の第五福竜丸事件をきっかけに、東京杉並の主婦が始めた原水爆反対署名運動が全国規模に広まり、原水爆禁止の流れが拡大したことによる。そうした状況のなかで日本本土の米軍基地に核兵器を配備したならば、日本国民のあいだで反米感情が強くなり、場合によっては大規模なデモなど、収拾がつかない状態になると考えたからだ。
 
 しかし現在、核兵器の「抑止力」に幻想を持つ政治家は少なくない。なぜ、狭い国土に多くの原子炉が経ち並び、再稼働を急いでいるのかと言えば、膨大なプルトニウムの製造を可能にして、いつでも核武装できる状況を維持するためだ。
 
 驚いたが、沖縄に核兵器が装備されていた当時、誤って核ミサイルが発射されそうになったことがあると言う。さらに、世界をみわたせば、そうした危機一髪の事態は複数回あったと言う。もし実際に発射されていたならば、世界核戦争が勃発し、人類の滅亡を招いた可能性もある。すなわち、原発どころか核兵器は使われることがなくても、存在するだけで大変危険なのだ。
 
 集団的自衛権の行使、秘密保護法の施行などを強行し、強引な衆議院解散に伴う選挙で大勝ちした安倍政権は、武器の輸出はむろんのこと、アメリカの戦争に加担することでますます「戦争ビジネス」に力を入れて行く。
 日本の自衛隊を軍隊にすることで、同時に核武装も視野に入れていることは間違いない。秘密保護法の施行で、情報はいっそう得にくくなった。何が行われようとしているのか、われわれ国民は十二分に注視し続ける必要がある。

 *大田昌克さんの講演記録は、『アジア記者クラブ通信』の2月発行号に掲載される予定である。

iPhone失敗談

2014年12月16日 | 日記

 
 これまで使っていたスマホに不具合が生じ、修理すると1万8千円もかかるというので、iPhone6に換えた。
 我家は家族全員、また仕事でもすべてMacなので、バックアップや連携に便利だと考えたのが決断の理由だ。
 ショップではまず、例の大きなのを勧められた。
「ゲッ、でかすぎるよこれ」
 まるで文庫本を耳に当てて会話するような感じになるし、持ち歩きにも邪魔だ。だから小さい方にした。
 新しい携帯を手にしてウキウキと帰宅する。
 ところが、これがちっとも便利ではなかった。その原因はすべてこちらにあるのだが。
 
 せっかく付属品にイヤホンがついてきているので、音楽を聞かない手はない。iPhoneにCDの曲を移すには、まずパソコン上のiTunesにCDアルバムをコピーし、それをiPhoneに移す。簡単ですよとショップの店員にいわれた。
 これまで使っていたスマホでは、音楽データをパソコンのディスプレイ上に出てきたアイコンにドラックして移せばよかったので、もっと簡単だったのだが。
 ところが、ケーブルを接続してみると、iTunes上に現れるはずのiPhoneが出てこない。そこで、iPhoneでは先輩の娘を呼んでパソコンのiTunes画面を見せると、「あ、これバージョンが古すぎるよ! すっごい古い」といわれる。
 このままでは、iPhoneのカメラで写した写真もバックアップできない。移動させるには1点ずつメールに添付して送るしかない。
 それならバージョンアップすればよいと、ネット上の無料ダウンロードを行った。すると娘が今度は「使ってるOSのバージョンもあげないと動かないかもしれない」という。
 確認すると10.75以降とある。仕事で使っているのは購入時の10.6のままなので使えない。仕事で使うにはこれでもまったく不自由しなかったのだ。
 OSのバージョンも上げなければならないのだが、ネット上のアップグレードサービスを利用するには、使用中のOSをまず一段階上げ、それからさらにネットから最新のOSをダウンロードしバージョンアップしなければならない。
 ところがそこでまた問題が生じた。ネット上のOSを使えるようにするために一段階上げるための「スノーレパード」のインストーラーディスクが、故障したままほっておいた息子のiMacに閉じ込められたままになっている。
 これはどうやっても取り出せない状態なのだ。
「だから早く修理しろといったのに!」と文句をいっても仕方がない。とりあえず、閉じ込められたディスクだけでも取り出せないものかと、アップルストアに相談した。
 するとなんと、「5年以上経過した製品のサポートは行っていないので、修理はできません」という。そりゃないだろうと思ったが、そういえばAppleは新製品を買わせるために、古い製品のサービスをすぐに打ち切る。
「ビンテージMacとして修理してくれる業者がいますから、ご相談してみてはいかがでしょうか」
 さっそく、ネット上で修理屋を探し相談すると、修理には最低5万円かかるといい、部品の交換が必要な場合それ以上かかると説明された。それならば、とりあえずディスクだけでも取り出せないか聞いたところ、それだけでも1万5千円かかるという。しかも、無事に取り出せるという保障はないそうだ。
 修理費次第では新品が買える。
  
 娘と相談し、どうせ修理できないのなら、このMac本体はどうなってもいいので、自分で開いて取り出そう、ということで話がまとまった。
 娘が工具を持ち出して作業をはじめた。ところが、
「ダメだよこれ」
 外側のケースの蓋を固定しているねじが特殊で、我家にあるドライバーでは開くことができない。強引にねじを回して山を崩したら、それこそ元も子もなくなる。
 そこで今度はドライバーについて調べると、なんとどこにでも売っているもので、Amazonで格安で手に入ることがわかった。さっそく注文する。
 作業の続きはドライバーが送られてきてからだが、うまくいくかどうか。
 昔のMacなら部品交換など簡単にできた。クアドラなど、しょっちゅう「パンツを脱がせて」いた。パンツは業界用語で裏蓋のことである。
 
 話はこれだけではない。
 故障したはずのスマホだが、一旦修理に預けて戻ってきたら、何もしないのに直っていた。
「そんなばかな」
 充電してもすぐに放電し、しかも熱を持つ。携帯は一日でも使えないと困るので、急遽修理を依頼したのだ。そこで出てきた見積りが、基盤交換で1万8千円。これはたぶん、修理の人間が修理個所が分からなかったので、基盤を交換すれば解決すると勝手に結論付けたのだろう。つまり、故障していなかったのだ。
 何かのタイミングで上手く充電できていなかっただけだったのだろう。
「クソッ」実にムダなことをした。
 そこでこのスマホ、いまだガラ携を使っているアシのYに譲ることにした。まだ購入して1年半なので廃棄するにはもったいない。その上で次に不具合が起きたら修理すればいい。
 
 なんだかドタバタだったけれど、iPhone自体は気に入っている。勧められた警察手帖みたいな開き方をするケースもなかなか便利だ。
 ただし、これまでのアンドロイドとは環境がぜんぜん違うので、マスターするのにしばらく時間がかかりそうだ。

してやられた! 自公の隠密選挙

2014年12月15日 | 日記
 結局なんにも変わらず、自公の安定多数が引き延ばされた選挙だった。
 唯一、沖縄の結果が今後の選挙で学ぶべきところがあったわけだが、それについてはあとで述べる。
 
 今回の選挙は、すでに10月くらいから与党は準備していたと言われ、それを知っていたのは与党内でも限られた数人だった。そのために、野党側は準備ができず、自公大勝を許す結果になってしまった。
よく隠しおおせたものだ」と自民党幹部が言っていたことが暴露された。
 
 もう一つは、選挙期間中の争点がアベノミクスだったことにある。一部有識者のあいだではアベノミクス批判があったものの、大手メディアを中心に肯定的な報道ばかりが幅を利かせ、国民のあいだに希望的な期待感を持たせてしまった。その陰で、集団的自衛権や秘密保護法、原発再稼働をはじめとする安倍政権の暴走が影を潜めてしまったことにある。
 
 そうした中においても、共産党が大幅に議席を伸ばした。一時は衆議院議員がわずか3人だったときもあったことを考えると、たいへんな大躍進と言える。第三極と言われる次世代、維新など、安倍政権批判票が共産党に集まったこともあるだろうが、これまでのような共産アレルギーが若年層を中心に弱まりつつあるともいえる。今の時代、かつてのように共産党が政権を取ったら日本が共産主義の国になるなどという右翼の妄想を信じるものは、めったにいない。
 巷の噂で、経済的に困窮する若者たちが「俺たち貧乏人は共産党だよね」という言葉がささやかれていたと、共産党支持者ではない人々から耳に入った。
 すべての若者が白けているわけではないことがわかり、今後の流れに期待が持てる。
 
 問題はその共産党である。共産党は、基本的にすべての政策が一致しないかぎり、頑強なまでに他党との共闘はしない。とくに、消費税問題や安全保障問題については、民主党と一線を画す。決して譲れないと志位委員長は語る。
 にもかかわらず、なぜ沖縄ではそれが可能だったのか。それは選挙の争点がアベノミクスではなく、反基地で一貫していたからに他ならない。自民に対しオール沖縄の反自民で共闘し、これまですべての選挙区に候補者を立てていた共産党が、1区のみ候補者を擁立し、当選した。そして沖縄で安倍政権は全敗し、すべての議席を失った。
 これは今後の選挙に大きく影響する結果だ。
 
 共産党の志位委員長は、これを踏まえて政策次第では今後他の選挙区においても、沖縄のような戦略が考えられることをテレビのインタビューで含みを持たせた。
 共産党の得票数は半端でない。しかも伸びている(なのに議席が伸びない不思議がある)。今後オール沖縄ならぬオール日本で選挙を行えば、今回のような結果はあり得ないわけで、それは今後の共産党のあり方しだいと言えるだろう。
 
 われわれは引き続き安倍政権の暴走を阻止しつづけなければならないし、「壊れた赤信号」のように何でもかんでもストップではなく、暮らしよい日本とはどんな国なのか、ビジョンを明確に描き、広範にアピールすることが必要なのではないだろうか。

「ブックセンター荻窪」閉店!

2014年12月15日 | 日記

 
 ブックセンター荻窪が、来年1月12日に閉店する。
 長く親しまれてきた中規模店が閉店するのは寂しい。現在荻窪にはここのほか、北口のルミネの中に「八重洲ブックセンター荻窪店」が、タウンセブンに「啓文堂書店」が入っている。啓文堂は以前レコードの新星堂がやっていた書店が撤退したあとにできた。
 加えて最近、あゆみBooks荻窪店というのが南口商店街の一角に開店した。南口の商店街には零細書店が2軒ほどあったが、ともに撤退して、古書店は充実しているものの、新刊書店がなくなっていた。
 あゆみBooksは昔は文禄堂といって日本橋にあった歴史ある書店である。それが全国展開を始め、荻窪に出店した。ただ、書店としての規模はそんなに大きくはない。新刊と雑誌と文庫が中心の、まあ小型書店の部類に入る。ブックセンター荻窪の半分くらいのスペースだ。
 荻窪周辺は文化人が多いので書店が充実しているように思えるが、実は専門書まで扱うような大型書店がない。
 かつて、青梅街道を少し四面道方向に歩いたところに公正堂という中規模書店があった。数十年も前の話だ。そこが唯一、比較的品ぞろいのいい書店だった。現在書店としては撤退し、プリントショップになっている。ブックセンター荻窪は、公正堂書店のあとを受けて出来た、というかたちだった。
 
 ブックセンター荻窪の隣には、山一証券が倒産したあとにできた大規模新古書店の「Book off」がある。新古書店と新刊書店が共存する希な例と言われたが、結局共存はできなかった、ということか。
 
 閉店に追い込まれたことはさもありなん、と思う。荻窪にはほぼ同じ規模の書店が駅ビルに2軒あり隣がBook offという環境で、ただ総花的に品ぞろいをしても、売り上げが伸びるはずはない。まして現在は出版不況。さらにはAmazonなどのネット書店が売り上げを伸ばして市場を独占しつつある。
 
 生き残りたければ、独創的なまったく違う店舗展開をしなければならないはずだ。ちなみに、八重洲ブックセンターは、基本は総花だが、ビジネス書や学術書の一部もおいて、研究者や専門家にもそこそこ応えられるようになっているし、啓文堂は大型スーパーの客を誘致できるよう、児童書や主婦向けの本が充実していて、両店は隣接していながら客の住み分けができている。
 ブックセンター荻窪は、北口ロータリーの真ん前で、立地は申し分ないが、かえってそのために総花で十分商売が成り立つという油断があったのではないだろうか。
 
 ネット書店と異なり店舗を構えた書店のいいところは、手に取って中味を確認でき、類書を選べることだ。翻訳者が異なればまったく別物になる外国文学も自分で見て選択できる。ノウハウものなどは、現物を見て自分にあった本を選びたい。書店はそういう特性をもっと生かさすべきだ。
 
 もし僕なら、思い切って「文庫専門店」にする。夏目漱石も芥川龍之介も、岩波文庫と新潮文庫では組み方や用語の扱いが異なる。シェークスピアなどは、異なる翻訳をすべて揃えたいくらいだ。
 昔と違って文庫本は決して安くない。千円以上するものもざらで、単行本に匹敵する高価な本も少なくないのだから、かつてのように安い文庫本は売れば売るほど赤字になる、というようなことはないはずだ。中規模店ではできない、よそでは在庫していないあらゆる文庫本を揃えれば、評判にもなり、荻窪だけでなく近隣の駅からも集客が見込める。雑誌や売れ筋の新刊はこれまで通り扱えばいい。しかし中心はあくまで文庫本にする。
 しかしそのためには、商品管理にはかなり出版物に精通した店員が必要だ。客の相談に応えられるくらい、ある程度は内容もわかっていなければならない。僕が学生時代にアルバイトをしていたころの池袋の芳林書店には、そういったレベルの書店員が何人もいた。
 みんな、本当に本が好きだったのだ。そんな店を作ることは、今の書店では無理なのかもしれないが。
 
 もう一つは、少部数出版の本を専門的に扱う書店だ。かつて神保町のすずらん通りに「地方小出版社」専門の書店があってずいぶん重宝していたが、その機能が三省堂書店の中で残されただけで、単独店舗としては消滅してしまった。ミニコミ出版を専門に扱う「模索舍」が、かなり経営に四苦八苦しているようなので、商売として成り立たせるのは難しいのかもしれない。
 ただ、模索舍に比べれば圧倒的に立地条件がいいのだから、試しにやってみればよかったのにと思う。
 
 ブックセンター荻窪、僕に金があれば買い取って引き継ぎたい気持ちだ。

今日、「衆議院議員選挙」

2014年12月14日 | 日記
 歴史上まれに見る重要な選挙であるにもかかわらず、有権者の関心が低いと言われる。「どうせ自民党が勝つ」という諦めにも似た雰囲気が漂い、期日前投票の出足は鈍かった。
 とくに、若い人の投票率が低いという。「集団的自衛権」や「秘密保護法」などは意味がよくわからないし、自分には縁のないことだと思っているようだ。居住地域から離れた場所での「原発再稼働」は対岸の火事なのだろう。われわれの暮らしに直接関わる問題は、経済だけではないのだ。
 戦争が始まったり原発事故が起きれば経済もクソもあったものではない。
 投票率が上がらない理由は野党側にもある。民主党の低迷で自民党に代わる勢力がない。社民党は、かつて社会党であった当時から比べると見る影もない。何をやっているのかすらわからない。共産党は毎回ほとんどの選挙区に候補者を立てるものの、組織票頼みでかろうじて比例代表で議員を送り込むのが精一杯だ。
 
 もしこの選挙で自民党が単独で3分の2以上の議席を確保するならば、与党内で歯止めを自認する公明党の存在などまったく無意味になる。ますます安倍ファシスト政権のやりたい放題だ。
 
 東京8区(杉並)などいくつかの選挙区で、共産党を除く野党勢力が結集して、自民党の独走を阻止しようという動くが出ている。しかしそれも、投票率が上がらないことには効果がない。
 
 投票は夜8時まで。棄権や・白紙投票はぜったいにしないでほしい。
 
 今午後12時半をまわったところ、これから近くの中学校に、投票に出かける。もちろん、投票先は決まっている。

世代交代する映画館

2014年12月12日 | うんちく・小ネタ

 
 ここにきて、歴史ある映画館が次々に閉館する。
 11日付東京新聞に、閉館する映画館の写真を撮り続けている人の記事が載っていた。これまで「150館のラストシーン」を撮り続けていたそうだ。
 映画そのものは決して衰退したわけではなく、映画館の形態が変わったのだ。大型スクリーンで大観衆を集めて上映される大規模な映画館や、古い映画を再上映していた名画座のたぐい、場末でひっそりとポルノ映画などを上映していた三流映画館はことごとく閉館してしまった。それに代わって、複数のスクリーンを持つシネコンが次々に開館している。新宿歌舞伎町の、コマ劇場あとにも新たにシネコンがオープンする予定だ。
 上映方式もフィルムからデジタルになり、映画のフィルムを自転車に乗せて次の上映映画館に運んでいる光景も見られなくなった。映写技師の腕に頼っていた大型のフィルム映写機は次々に博物館送りになっている。
 
 国内最大級の映画館、新宿歌舞伎町のミラノ座も今年一杯で閉館する。
 ミラノ座には映画以外にも思い出がある。スクリーンの手前がステージになっていて、映画が終了したあと、そこで演劇やコンサートなど、さまざまなイベントが行われた。
 大晦日にオールナイトジャムセッションが行われていたこともある。ジャズの外タレをプロデュースする「呼び屋」鯉沼ミュージックの鯉沼社長が自分で司会をしていた。
 夜の9時過ぎに始まって、朝明るくなるまで演奏が続き、渡辺貞雄が登場すると館内は最高潮に達した。みんなが眠くなった明け方になると山下洋輔が大音響で目覚ましをしてくれた。
 
 今年8月に閉館になった池袋東口の文芸座は、学生時代ずいぶんお世話になった。2本立てだが最終回の1本になると夜間割引が適用され。当時アルバイトをしていた芳林堂書店が閉まると、同僚の映画仲間と走って最後の上映に間に合わせたものだ。
 そこではジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーなど、ヌーベルバーグ系の映画をよく観た。
 
 同じく今年8月閉館の新橋ロマン劇場はポルノ映画専門の映画館で、仕事で新橋に行くと立ち寄った。今思えばひどいレベルの映画が上映されていたものだ。最近のAVのような美形の女優などまずいない。どう見ても30~40歳と見える女優がセーラー服を着て登場したりする。ようするに「きたならしい」映画である。
 一時的に頭をからっぽにするにはちょうどいいし、上映時間がせいぜい1時間ほどで短いから、サボっていることが発覚しにくい。そしてなによりも入場料が安かった。150円か200円だったと思う。いつも観客はチラホラだった。
 
 かつては表の看板を見てふらりと映画館に入ることが多かった。現在のシネコンではそれができない。小プロダクションの作品は、今ではVシネマになって映画館では上映されない。映画館で上映されるのは、大手配給会社によるメジャーな作品ばかりだ。
 ポレポレ東中野のように、大手の映画館では上映されないドキュメンタリーや新人作家の作品を上映する映画館もあるが、僕に言わせればお行儀が良すぎる。学生が作ったバカバカしい作品や小プロダクション製作のやりたい放題の映画などを上映する映画館が、都内に一つぐらいは残っていてほしいと思うのだが。
 
 そういえば、かつて新宿文化と同じ建物で、裏から入る「蠍座」という小さな映画館(立ち上がると頭がスクリーンの影になって客席から怒鳴られた)では、ときどき映倫を通さない映画が上映された。寺山修司や若松孝二がメジャーになる前の小さな作品も上映されていた。新宿文化とともに、ATG映画のきっかけになった映画館だ。
 そこで上映された映画の一つに、当時としてはびっくりするような映像が映し出されたことがある。スウェーデンのなんという映画だったか忘れたが、いきなりスクリーンいっぱいに女性の下半身のクローズアップが映し出されて、スエーデン語のナレーションとともに「アジアの日本という国では、このような映像を上映することができない」というような字幕が出たのを覚えている。ヘア解禁前の話だ。

なが~い! 地下鉄東西線三鷹行

2014年12月11日 | 日記





 
 最後尾は天沼陸橋をくぐっているのに、先頭はもう荻窪駅のホームに入っている。
 どんだけ長いんだこの地下鉄東西線。
 
 ブログに掲載するため5枚に分割したが、Googleストリートビューではワンショットである。
 荻窪の書店を検索中、いたずらに古書店の笹間書店をストリートビューで見ていて発見した。この場所は、笹間書店の真ん前、荻窪駅南口から阿佐ヶ谷方面に250メートルほど行ったところ。だからこの電車の連結は、300メートル以上あることになる。
 地下鉄東西線の1編成は20メートルの車両が10両だから200メートルが標準なので、目算で100メートルくらい伸びている。
 


 Googleストリートビューは連続写真をつなげてパノラマにしたものなので、おかしな写真が数多くある。2本足で歩くネコや足が5本の犬が話題になったこともあった。同一人物が同じ風景の中に2人いたという話も聞いた。なので、カメラが振られる方向に電車が走って行けばこういう写真が撮れることになる。