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ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

真藤順丈『宝島』 なんと直木賞!

2019年02月22日 | 文学
 すっかりご無沙汰してしまった。ずっと更新していなかったのに、その間もたくさんの方々にご訪問いただいた。
 感謝、感謝!
 サボっている間に実にさまざまなことがあって、ぼつぼつと紹介させていただく。
 自分は編集者なので、話題はほんのことが中心異なる。まずは書評から。



 この直木賞は、正直びっくりした。
 直木賞(芥川賞も)は文藝春秋社という出版社が主催する文学賞であるから、会社の方針やポリシーなどがまったく影響しないとはいえない。ご存知のように、新潮社とならんで、保守的な傾向が強い大手出版社のひとつである。そんな出版社が、よくぞまあこの作品に賞を与えたものだと驚いた。
 『宝島』は戦後から返還までの、アメリカ支配下の沖縄が描かれていて、著者はかなり綿密な調査をした上で執筆していることが感じられる。主要な登場人物は創作だが、屋良朝苗や瀬長亀次郎、悪名高いキャラウエイ高等弁務官など、実在人物は実名で描かれている。
 「戦果アギヤー」「Aサイン」など、ヤマトンチュにはあまりなじみのない用語もふんだんに登場する。とくに、軍用機が墜落して大惨事を引き起こした宮森小学校のシーンは、まるで現場にいたかのようにリアルである。
 作者の真藤順丈さんは、沖縄の人ではない。自身、「沖縄人でないものが沖縄のことを書いていいのか」と自問自答したそうだ。しかし、本土の人間が書くことにこそ意味があるのではないかと決断し書き進めたという。
 最近、本土の人間が沖縄の問題を語るのを嫌うウチナンチュに出会うことがしばしばある。言葉尻を捉えて「本土の人間が勝手なことを言うな!」と怒鳴りつけられたこともあった。
 はて、そうしたウチナンチュは、真藤さんの小説にどんな反応をするのであろうか。


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一生に一度の記念
卒論・学位論文を本にしよう


 人生の節目の記念として、卒論や学位論文を本にする方が増えています。
 出版社の目にとまれば、企画出版として一般に流通することもあります。
 もちろん、ご自身や身近な人に蔵書していただくための少部数の出版も可能です。

出版にはさまざまな目的があります。
・ご自身の仕事や経営している店舗・企業をPRすること。
・書きためた原稿の整理と保存。
 エッセー、詩、俳句、和歌
 自分史、日記、ブログ、旅行記
 写真集、画集、その他作品集
             などなど。

 せっかく書きためた原稿も、そのままでは散逸してしまいます。しかし本にして、複数の人に蔵書してもらえれば、数十年、ときには数百年、末代までも保存されます。
 上記に該当するものがございましたら、ぜひご相談ください。

 ◆ご相談お見積り無料
E-mail:galapyio@sepia.ocn.ne.jp
電話:03-5303-1363

崎山多美さん

2017年12月16日 | 文学
法政大学に、崎山多美さんの講演を聞きにいく。
平日の昼間でゼミの講義の一環だから参加者のほとんどは学生。それに一般の参加者も少なくはないが、多くは年配者。



崎山多美さんは「水上往還」で芥川賞の候補にもなった沖縄の作家である。作品の多くが沖縄方言で書かれているためか、本土で知る人は少ない。
参加した学生の多くは、名前すら聞いたことがなかったのではなかろうか。
沖縄方言の中で宮古の言葉は「はひふへほ」が「ぱぴぷぺぽ」になると聞いた。
離れ小島のことを「パナリ」というのはそれだったのかと納得。
離れ→はなり→ぱなり

「小学校の校庭に米軍ヘリから落下物がありました。そんな事件の話を聞いて、早く普天間基地を辺野古に移した方がいいと思っている人、手を挙げてください」
学生の中からちらほら手が挙がる。
「それじゃあ困るのよね。普天間の基地をなくすことと辺野古に基地を作るのは別のことだから」と、辺野古の実情をひとくさり。



終了後、研究室で話ができた。
「『南島小景』以外ほとんど拝読しました」
「すばらしい! 私は一人のファンは百人分と思っています」
「先生の本は、すぐに絶版になって残念です」
「そうなんです。それにバカバカしい値段がつけられて……。
沖縄の方言はおわかりになるの?」
「いえ、会話なら何とかなりますが、文章に書かれるとほとんど分かりません」
「分からなくていいんです、心が伝われば」



「鉄犬ヘテロトピア文学賞」なる意味不明の賞が、主催者から授与された。
どういう意味なのか説明されたがそれでもよくわからない。



へんてこなトロフィーに、それ以上に凝った造りの箱。
なんじゃこりゃ!
沖縄まで容易に持ち帰れないし、迷惑だろう。

崎山さん、羽田に降り立ったのは30年ぶりだそうである。
「沖縄にいらしたら声をかけてくださいね。連絡先は◯◯で」

島尾ミホ『海辺の生と死』

2017年04月25日 | 文学

 
 映画化されるということなので、ずいぶん昔に読んだ本を再読した。
 『死の棘』の妻、すなわち島尾敏雄の細君が子どもの頃の体験を書いたエッセー集である。思い出すままにぽつりぽつりと書き溜めていったものを集めたような本だが、鹿児島県によって分断された琉球弧の一角奄美大島の特徴的かつ個性豊かな風土が美しく描かれている。
 本土とは明らかに異なる文化のもと、人々はゆったりとした時間の中で豊かに暮らしているように感じられる、一見ほのぼのとした本である。
 しかしこの本、ただものではない。
 
 沖縄本島から「沖縄芝居」の巡業がやってくる。島中で出迎え、島中で楽しみ、島中で見送り別れを惜しむ。
 この島では生と死が一体化しているのだろうか。「洗骨」では、埋葬されて一定の期間が経った後、遺骨は掘り起こされ、川の水でていねいに洗われ、真綿にくるまれて骨壺に納められる。骨壺は上半分が土の上に出るようにうめられ、人々はいつでも骨壺の中にいる「遺骨」に会うことが出来る。死者は長く忘れられることがない。
 
 かつて差別され忌み嫌われた癩患者は、本土では火葬することすら難しかったのであろう。奄美大島には「コーダン墓」という、癩患者専用の墓所があり、死んだ癩患者をそこで火葬に付す。
 
 表題の作品「海辺の生と死」では、海では烏賊が誕生、島では羊の子が誕生、そして牛が人の食糧になるためにと殺される。それらの生と死を風景眺めるようにきわめて日常の出来事として描く島尾ミホの感性は何とも不思議だ。奄美の人はみんなそうなのか、それとも島尾ミホが特別なのか。
 
 本書と島尾敏雄の『島の果て』などをもとに映画化され、今年7月公開の予定だそうだ。
 島尾ミホ役が満島ひかり、島尾敏雄役が永山絢斗。
 

 
 『海辺の生と死』創樹社 刊(1974年) 中公文庫(2013年)

放哉携帯

2017年02月21日 | 文学

 
『尾崎放哉句集』をバッグに入れておくことにした。
荻窪から新宿までの10分足らずの小説ほどではない時間に、ぱらぱらと眺めるのにちょうどいい。
アシのYにすすめたら、電車の中で笑ってしまうのは困るから、やめておくという。

かへす傘又かりてかへる夕べのおなじ道である

咳をしても一人

2017年02月17日 | 文学

 
 五・七・五の定型にしばられない、自由律俳句の代表的な俳人である尾崎放哉(おざき・ほうさい)。よく種田山頭火(たねだ・さんとうか)と並び称され、学校で習う文学史上には必ず登場するそうだが、忘れてしまっている人の方が多い。ぼく自身も、どこでこの名前を知ったのか定かでない。学校で教わったわけではない気がする。いずれにしろ、出会いは大昔だ。
 表題の「咳をしても一人」という句を読めば「ああ、あの人か」と察する人もいるにちがいない。


 いれものがない両手でうける

 足のうら洗えば白くなる

 漬物石がころがって居た家を借りることにする

 障子の穴から覗いてみても留守である

 すばらしい乳房だ蚊がいる

 口をあけぬ蜆死んでゐる


 現代ならツイッターのつぶやきみたいな俳句だが、1885(明治18)年生まれ1926(大正15)年没の放哉がツイッターを知るはずもない。
 放哉はわずかだが、短編小説や随想なども書いていて、さぞかし面白いだろうから読んでみたいものだとずっと思っていた。
 たまたま筑摩書房2002年発行の『放哉全集』(全3巻)の状態のよい古書を見つけた。ちょっと場所取りになるなあと思ったが、最近荻原井泉水(はぎわら・せいせんすい)の家から出てきた大量の未発表の句が収録されているということも食指を動かした。
 さて、期待していた短編・随想だが、はっきりいって俳句ほどの面白さはない。余分なものをそぎ落として、1行に凝縮された文章の方が、内容も濃密になるということか。

 〈紹介〉
 『尾崎放哉句集』(岩波文庫)
 『放哉文庫』全3巻(春陽堂)

礒永秀雄という作家

2016年12月19日 | 文学

 礒永秀雄という詩人で童話作家のことを、まったく知らなかった。『長周新聞』に作品を連載していたとのことで、時期は60年、70年安保当時だから多分読んでいたはずなのだけれど、すっかり忘れてしまったのだろう。
 最近『長周新聞』の購読をはじめて、一般広告のない紙面に掲載した自社広告と、山口県の小学校で童話の読書会などが開かれていることの記事を通じて、興味を持った。
 先月、『長周新聞』の記者に会った際、礒永秀雄の本を一冊、お薦めのを購入したいと頼んだところ、『おんのろ物語─礒永秀雄童話集』(2005年)を送って来た。
 長周新聞社の本は一般書店(Amazonを含む)では販売しておらず、購入するには直接申し込むしかない。そのかわり、安価だ。
 『おんのろ物語』の表題作は含みの多い作品だ。「おんのろ」とは「のろまの鬼」という意味の綽名である。作品中の鬼は必ずしも悪者ではない。村人から搾取している長者の蔵から宝を盗み出し、貧しい村人達に分配しようと計画する。そのときになぜか鬼達は、これまでバカにしていた「おんのろ」を大将に持ち上げ、長者の屋敷を襲うのだが、これまで内に秘めていた「おんのろ」の優しさや聡明さが発揮される。長者屋敷襲撃は、単なる押し込み強盗に留まらず、村の仕組みを変えるほどの変化をもたらす。つまり、一種の無血革命にしてしまったのだ。
 
 いくつか読み進めているうちに、礒永秀雄の人間像に触れてみたくなった。しかし、ネット上には満足な記述が存在しない。そこで既に絶版になっている『礒永秀雄作品集』の古書を取り寄せ、詩作品と巻末の解説を読む。
 礒永秀雄は1921年に朝鮮の仁川で生まれ、東大在学中に学徒動員。22歳から3年間ニューギニアの手前、ハルマヘラ島に送られた。切り込み部隊要員にされながら九死に一生を得て1946年に福音、詩人を志す。1971年、わずか55歳で生涯を終えている。
 礒永秀雄は「人民にとって帝国主義戦争が何であるかを血みどろの体験によって自己の魂に刻みつけて帰ってきた」のである。
 
 それにしても、これほどまでに強烈な怒りを感じた作品群に、近年の作家からは味わったことがない。苛酷な戦争体験──ニューギニアで菊の紋章を削り落とした銃を海に投げ込む異邦人の姿、広島駅頭で泣くようにさよならを言って立ちつくしていた生き残った戦友(「十年目の秋に」)──からは、天皇が出来たはずのことをなぜしなかったのか、これからの平和のために出来るであろうことをなぜしないのか激しく問いつめる。
 現代感覚からすれば、時代遅れかもしれない。現代の日本人には受け入れ難い感性かもしれない。しかしこれを拒絶するのではなく、まさに戦争の足音が近づいている現代だからこそ、読み返して、行間に存在する奥深いメッセージに共感することが必要ではないだろうか。

【参考】
『おんのろ物語』(長周新聞社 1500円)
『礒永秀雄詩集』(長周新聞社 1000円)
『礒永秀雄作品集』(長周新聞社 絶版 古書で入手可)