昨年、9月にこのブログで紹介した、こうの史代原作による漫画の映画化である。(2007年公開)
6月にかけて日本映画専門チャンネルで放映している。
この映画は、原爆を俯瞰的視線で見渡すのでなく、被爆した人々とその家族の、固有名詞を重視した等高線的視線で描く。
原作もそうだが、これは原爆の話ではなく、被爆した人とその家族の物語である。
映画は、漫画以上にソフトな雰囲気になっていて、麻生久美子が主演する前半「夕凪の街」は、悲恋のラブストーリーだ。
しかし、それはそれでいいと思う。
上映の最後に麻生久美子のインタビューがあって、軽部アナのこの仕事を受けたときどう思ったかという質問にこう答えている。
「原爆とか戦争とか、そういうことがとっても恐くて、見なかったというか避けていたんです。でも、もうそろそろちゃんと考える時期が来たのかなと」
戦争体験者の話とか、原爆の記録映画などを見ること、沖縄の戦跡を見学することなどについて、抵抗のある人は想像以上に多い。それはやはり、好意的に考えれば、麻生久美子がいうように直視することが恐ろしいのだろう。
しかし戦争とは、蒲団をかぶって寝ていれば、勝手に通りすぎて行くほど甘いものではないのだが。
そうした人々でも、さりげなく目にしてしまう、通りすがりの風景のような映画である。
それでいて、いくつか忘れることの出来ない台詞があった。
「ひどいなあ てっきりわたしは 死なずにすんだ人かと思ったのに」
「十年経ったけど 原爆落とした人は私を見て「やった! またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」
「原爆は落ちたんじゃない 落とされたんだ」
主演の麻生久美子はなかなかの好演である。彼女の演技が暗いテーマを明るく抵抗の少ないものにしてくれている。
悲惨な映画に免疫のない人も、さほど恐ろしさを感じることなく見られるだろう。
田中麗奈主演の後半は、それから50年後、現代である。
堺正章演ずる祖父が、何も言わずに出かけていくあとをこっそりつけて行く。
祖父は、夜行バスで広島まで行き、思い出の人々を訪ね歩き、原爆の犠牲になった家族の墓に手を合わせていた。
実は孫が後をつけているのに気付いていた祖父は、思い出の写真を孫に見せる。
そこには、若く美しい皆実の姿があった。
祖父の足跡を追いながら、映画はカットバックで回想シーンのように50年前の出来事を振り返る。
一度落とされた原爆は、その時だけにとどまらず、その後何世代にも渡って、様々に姿を変えながら被害を及ぼし続けることを、実にうまく表現している。
6月の上映は、「日本映画専門チャンネル」で、
5日12:00/12日20:00/17日20:00/23日20:00
関連記事→「この世界の片隅に・夕凪の街 桜の国」
原作:こうの史代
発行:双葉社
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