ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

APC主催「沖縄シンポジウム」

2014年05月26日 | 国際・政治
Shinpo
 
 24日土曜日、アジア記者クラブ主催で「沖縄シンポジウム」が開催され「琉球新報」東京報道部長の島洋子さんと「沖縄タイムス」東京編集部長の宮城栄作さんに沖縄二紙と中央メディアの温度差と、権力の圧力について伺った。
 この日取材に来た大手メディアは東京新聞だけ、日曜日にベタ記事が掲載された。
 
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Shima
 沖縄が基地からもたらされる経済効果は5パーセントと語る、島洋子さん。
 
 
Moyagi
 本土メディアの興味は沖縄の本質的問題ではない、と語る宮城栄作さん。
 
 島さんの、「本土のメディアは、社会部マターはニュースにするが、政治部マターはニュースにしない」という言葉が印象に残った。
 つまり、少女暴行事件のようなことは「かわいそう」とニュースにするが、米軍基地の経済効果は低くなっているというような事実は報道しないということである。だから、ヤマトンチュの多くには、いまだに沖縄経済は基地からの収益で成り立っていると思われている。しかし現在、米軍基地への経済依存度は5パーセント程度で、沖縄経済の主流は観光である。基地が返還され、その土地を活用することで、基地からの収益の最大6倍が得られるといわれている。
 
 このシンポジウムの記録は、『アジア記者クラブ通信』7月発行号に掲載される。


BIG COMIC スピリッツ No.25

2014年05月20日 | 本と雑誌
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『美味しんぼ』についての「ご批判とご意見」が掲載されている最新号を買った。発売当日の午後に出かけたら、近所のコンビニでは最後の1冊だった。
 漫画雑誌を買うのは学生時代以来である。当時は『サンデー』か『マガジン』で、社会人になってからはまったく読まず、青年向けの漫画雑誌などは他人が読んでいるのを横目で見るくらいで、ほとんど手に取ったことはなかった。
 久しぶりに手に取って、真っ先に気づいたのは、編集が大変だろうということだ。
 どういうことかというと、製本である。『サンデー』や『マガジン』が背中が四角い無線綴じであるのに対し、『BIG COMIC スピリッツ』は中央でホチキス留めした中綴じなのだ。しかも、400ページ以上ある大冊。中綴じだと左右の幅が中と外とで10ミリ以上違ってくるわけで、ページによって異なるフォーマットづくりが必要になる。漫画家さんたちも自分の作品がどのページに掲載されるかで原稿の寸法を変えなければならない。10ミリも違えば、掲載頁を間違えて大騒ぎになるような事故は、一度ならずあったに違いない。こんな雑誌はつくったことがないから、プロセスはよくわからないけれど、書籍づくりとはぜんぜん違うノウハウが必要なんだろうなあ、とつくづく思う。
 もともと、雑誌と書籍では同じ出版物でありながら別世界なので、一方の経験があれば他方もこなせるという論理は成り立たない。雑誌屋さんがつくった書籍は、やっぱり雑誌の延長であることが一目でわかる。
 
 
 その「ご批判とご意見」は巻末に掲載されていた。投稿者は以下のとおりである。
 立命館大学の安斎育郎氏、川内村村長遠藤雄幸氏、大阪市、作家で住職の玄侑宗久氏、京大の小出裕章氏、医学博士の崎山比早子氏、岡山大学の津田敏秀氏、日大の野口邦和氏、NPO法人代表の野呂美加氏、大熊町商工会会長の蜂須賀禮子氏、医師の肥田舜太郎氏、福島県庁、双葉町、琉球大学の谷ヶ崎克馬氏、医師の山田真氏、ジャーナリスト青木理氏(掲載順)
 
 まず結論から言うと、いずれもそれぞれの立場から見れば「正しい」、のだろう。福島という自治体を守る立場、東電という企業を守る立場、国益を守りたいという立場、そして、人々の健康を守りたい立場、子どもの未来を守る立場など、それぞれの立場において、その論理はまぎれもなく「正しい」のだろう。
 ただ、読んでいくうちに「正しいのだろうけれど、違和感を覚える」意見がいくつかあった。何度も出てくる「県民」とか「町民」などという言葉で住民の意見を一括りにする欺瞞をまず感じる。県民の中にも町民の中にも異なる考えの人はいるだろうし、国や自治体の言うことに異を唱える人も少なくないだろう。そこで言われている「県民」や「町民」とはいったい誰で、その意見はどんな人々を代表するものなのか。
 
 安斎育郎氏は信頼できる放射線防護額の学者である。しかし、学者でもない作者が、学者の専門分野に踏み込んで放射線の影響などについて書いたのが、ひっかかったようだ。
「鼻血や倦怠感については、福島のほうでそうした症状を心配している方がいるという話は伝わってきています。そして、それが放射能によるものかの議論がある。ただ、原発事故前の鼻血や倦怠感に関するデータと今を比べなければ、増えているのかどうかはなんとも言えません。具体的な、そういう比較データは承知していない。
 こうした症状は「後付けバイアス」によって出ることが知られています。これは心理学用語で、鼻血が出た、疲れたという症状が出た場合、福島で放射能を浴びたからではないかと考える。今こんなに疲れているのは、きっと福島に行ったせいだろう、などと考えることはよくあることです」
 安斎育郎氏は、通常の異変であっても原発事故を体験したことで、体調不良があると放射能を浴びたからだと考えがちだというのである。たしかにそれは否定できない。
 しかし、ほとんどがそうであったとしても、すべて「後付けバイアス」だと決めつけることで、ほんとうに被曝被害を負った人を見過ごしてしまわないか。さらには、「後付けバイアス」が生じるにはそれなりの理由があるわけで、放射線医学だけでは解決できない、心の問題を孕んでいるのではないかということである。
 たしかに、雁谷氏は取材結果を自分だけで判断した節があり、軽率だと批判されても仕方がないところもある。統計的、あるいは調査結果などについては専門家の観衆を仰いだほうがよかったのかもしれない。しかしそうすると、専門家の意図が働いて、伝えたいことが伝えられなくなる危険性もあるからむずかしいところだ。
 小出裕章氏は、「現在までの科学的な知見では立証できないことであっても、可能性がないとはいえません」と語る。
 自然界の出来事で、科学で立証できるのはほんの一部でしかない。わからないことのほうが圧倒的に多いのである。
 放射線被害による症状には個人差があり、公式に当てはまらない例がかなりあるといわれている。
 元東電福島原発事故調査委員で大熊町商工会会長の蜂須賀禮子氏がいう、「鼻血が出るほど被曝したとなれば、山岡さんは死んでいる」という意見は、いささか乱暴で、また、22・23合併号でのやりとりから「医師が放射線と鼻血とを故意に関連づけないようにしている、という印象を与えます」という意見からは、放射線被害を小さく見せようとする立場が見え見えである。実際、東電寄りの医師の中には被曝線量を低く見積ったり、様々な症状を原発事故との因果関係は見られないなどと診断する人がいる。
 
 それにしても、おかれた立場によって180度、いや、ドラマではないが540度違う論理があるので興味深い。すでに言ったが、いずれの意見も鵜呑みにせず、だれの立場で、だれの利益のために述べているのか見極めることが重要である。
 なにより、編集部の見解にあるように、事故から3年経って「放射線物質の影響に関する報道が激減している現在」、議論を継続させるためのきっかけになったことは大きな価値があると思う。


『アジア記者クラブ通信』261号

2014年05月20日 | 本と雑誌
◆報道されない世界の真実を救い上げる、唯一の月刊通信。

Apc261
 
●今月の内容
 
Nishikawa
 
【定例会リポート】戦後19回の都知事選から分析した都民の投票行動の特徴(西川伸一)

【経済】オバマ政権はアベノミクスを斬り捨てた 安倍2次政権の「終わりの始まり」(ホイットニー)
【経済】大銀行は戦争の背後でほくそ笑んでいる 現代の戦争と金融資本(ワシントンズ・プログ)
【歴史】現代ファシズムヘの反逆精神を喚起 ポルトガル4月革命から40年(ロドリゲス)
【オバマ・アジア歴訪】中国を最終棟的にユーラシア支配目論む(ぺぺ・エスコバール)
【オバマ・アジア歴訪】オバマの中国封じ込めと配慮の真相は?(バードラクマル)
【ウクライナ】血塗られたオデッサ虐殺の真相が明らかに(ライプジャーナル)
【沖縄】軍事植民地・沖縄へ関心高める海外の市民 稲嶺名護市長訪米に注目(スワンソン)
【メディア】情報提供者を脅迫・迫害するオバマ政権(ミコル・サビアヘのインタビュー)
山崎久隆の原発切抜帖
【ウクライナ】クリミアの輸送回廊建設に中国企業が参入 ロシア支援に動く北京(プラウダ)
258・259号の都知事選記事への批判について(編集部)
 

■アジア記者クラブ5月定例会■

「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」

2014年5月24日(土)18時30分~21時
明治大学研究棟4階・第一会議室(リバティタワー裏)
ゲスト:島 洋子さん(琉球新報東京報道部長)
    宮城栄作さん(沖縄タイムス東京編集部長)

 仲井真弘多知事による辺野古埋め立て承認から5ヵ月。沖縄の命運を決める県知事選挙まで半年に迫った。2月の宜野湾市長選、4月の沖縄市長選に目をやれば、安倍政権が辺野古への新基地建設を沖縄に呑ませるために政府を上げて遮二無二後押しし
てきた。県知事選に向けてこの動きに拍車をかけることは必定だ。本土メディアは、辺野古への新基地建設を既定路線と受け取ったのか、東京新聞を除けば、目立った沖縄報道が姿を消しているのが実情だ。その一方で、沖縄県紙叩きがエスカレートしている。仲井真知事から偏向呼ばわりされ、石垣島に自衛隊施設が建設されることをすっぱ抜いた県紙には悪態が浴びせられた。与党政治家、防衛省の官僚だけでなく、政府と一体化した全国紙からも県紙排除を正当化する論調が出てくるようになった。
 5月は、沖縄タイムスから宮城栄作さん、琉球新報から島洋子さんをゲストに迎え、ミニシンポジウム形式で開催します。今回の沖縄県紙叩きが過去とどこが違うのかを皮切りに本土メディアの立ち位置を検証し、尖閣諸島(釣魚)と与那国島への自衛隊配備、辺野古埋め立てと普天間飛行場問題、竹富島の教科書問題、実態は軍事植民地状態の沖縄の現状を打破するためにゲストに掘り下げた問題提起をお願いし、議論を深めたいと考えています。是非ご参集を願いいたします。

■交 通 JR・地下鉄「御茶ノ水」・都営線・地下鉄「神保町」下車
     (東京都千代田区神田駿河台1-1)
■費 用 会員・後援団体・学生1000円、ビジター1500円、
     年金生活者・生活が大変な方(自己申告)1000円
■主 催 アジア記者クラブ(APC)・社会思想史研究会
■連絡先 アジア記者クラブ(APC)
〒101-0061 東京都千代田区三崎町2-2-13-502
Tel&Fax: 03-6423-2452 http://apc.cup.com E-mai1: apc@cup.com
※最新の情報は、必ずHPでご確認ください。

Meijimap


海原雄山が泣いた『美味しんぼ』110

2014年05月17日 | 本と雑誌
Oishimbo
 『ビッグコミック・スピリッツ』に連載中の「美味しんぼ」に抗議が殺到しているという。
 原発を訪れた主人公の山岡が疲労感を訴えた後に鼻血を出すシーンが、「風評」を引き起こし、福島のイメージを損ない、復興に全力を注いでいる福島県民を傷つけるというのだ。
 しかし、その話がおおやけになってから、複数の住民から「自分も鼻血が出た」という訴えがあったそうだ。それまでは鼻血が出ても安易に口にできる雰囲気ではなかったという。
 カメラマンの広河隆一さんは「チェルノブイリでは5人に1人が鼻血を訴えた」と語っているし、井戸川元双葉町町長も同様の体験があり、「これは風評ではなく事実だ」という。
 「風評」とは、事実でないことがあたかも事実であるがごとく広まり、被害を及ぼすことだ。実際、福島県内にも汚染されていない、あるいは汚染度が低い地域があり、福島でとれる作物のすべてが汚染されているわけではない。それをただ福島県産だからという理由だけで排除するというのは、風評といって過言でないだろう。
 だが、その責任は風評を流す人間にあるのではなく、正しい情報を公表しない政府や自治体にある。ウソやごまかしが多いから、人々はなにを信じたらよいのかわからないのだ。安全が確認できない食べ物を、子どもにあたえる親はいない。
 
 「福島の真実」前半がまとめられている『美味しんぼ』単行本の110を買った。雑誌のほうは残念ながら読むことができていない。品切れでしかも、中古にはバカバカしい高値がつけられている。だから、報道されている以上のことはわからない。持っている人がいたらぜひ見せてほしいところだが。
 
 『美味しんぼ』110にある「福島の真実」は決して偏った内容のものではなく、実によく調査し、地域によって安全な場所と危険な場所があること、農作物にも栽培方法や種類、土地などによって汚染度はまったく違うということなどが、詳細なデータとともに述べられている。そして、国や自治体などが公表するデータの不正確な点や、利害によって操作されていることも、その根拠を含めて述べている。
 海原雄山が放射能汚染による住民の現状を知って涙をこらえるという、らしくないシーンがある。あの海原雄山でさえ涙するほど、福島の現状は悲惨なのだが、それを知らせると「風評」被害をおよぼすといわれ、マスコミは報道を自粛してしまうのだ。
 
 原発事故によって住むことのできなくなった地域は実際に存在するし、汚染地域に入ったことで被曝し、鼻血が出たり倦怠感を訴える人は複数いる。それらはまぎれもない事実であって風評ではない。ところが、事実を「風評」にしたい人間がいるのだ。住民を危険にさらしても自らの利益を守りたい人間がいるのだ。
 事実をすべておおやけにすることが、結局は風評被害を最小限にとどめ、かつ復興を早めることになることはだれにでもわかるはずなのだが、日本という国は人の命よりも金が大事な人間が力を持っている。それが問題だ。
 
 『美味しんぼ』の111は2月に発行されるはずだったのが延びている。早くて5月末ということなのだが、抗議や批判に負けることなく、ぜひオリジナルのまま発行してほしいと願う。


『琉球弧の住民運動「復刻版』ついに刊行

2014年05月15日 | 本と雑誌
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 大型出版物、『琉球弧の住民運動「復刻版』がようやく刊行された。本書は、刊行されたすべてのページを余すことなくそのまま1冊にまとめて復刻した。
 当初の予定は昨年9月刊行の予定だった。それがさまざまな問題が生じ、11月になり、翌年2月に延び、4月までには確実と言われながらとうとう5月になってしまった。
 しかし、とにかく出版できた。ほっと一安心である。
 B5判840ページ。あとはこれを、1冊でも多く広めていくことだ。
 わけあって、定価が当初の11,000円から13,000円(税別)になってしまったことは、残念である。

 1975年からはじまったCTS(石油備蓄基地)反対運動は、沖縄の平和と環境を守る住民運動の原点であり、またそれは、現在の反基地闘争に直結する。それはとりもなおさず、脱原発、TPP反対運動、集団的自由権反対運動など、右傾化に歯止めをかけるすべての住民運動の原点でもある。全国の活動家、政治家、研究者待望の一冊。
 各大学、研究室に蔵書されたい。またそれぞれの地方図書館にリクエストをお願いしたい。そして、どのページからでも開いてみていただきたい。奄美から八重山に至る琉球弧住民の、熱い思いが感じられることと思う。
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ひまわり博士のウンチク: 「琉球弧の住民運動」復刻
Amazon
*Amazonでの取扱はもう少し時間がかかるので、合同出版に直接申し込めば、送料サービスで送ってもらえる。
 合同出版?03-3294-3506(編集部:しもかど)


必需品「コーヒーメーカー」を買う

2014年05月11日 | 通販・買い物
Coffe
 
 事務所用の「コーヒーメーカー」を買った。

 仕事を始める前、アシのYがコーヒーを淹れてくれるのが日課だ。これまで使っていたコーヒーメーカーは7年くらい前、近所のヤマダ電機に家電製品を買いにいったとき、バーゲンで980円という安値で出ていたのでついでに買ったものだ。
 
 980円! それを7年間!
 
 安物でも、コーヒーの味は決して悪くない。安いのだから仕方がないことだけれど、不便なところはいくつかあった。保温はホットプレート式なのだが、さほど長時間保温していなくてもすぐにコーヒーが焦げ臭くなる。だから、コーヒー抽出後すぐに電源を切るので、ポットに残ったコーヒーはすぐに冷める。
 しかし飲みたいときに新しく淹れればいいことで、それが習慣になっていたからことさら不便には感じなかった。
 もうひとつは、一度に4杯分しか淹れられない。年に何度かやるホームパーティーで、最後にコーヒーで締めようとなったとき、何回かにわけて淹れなければならない。「今淹れてるからちょっと待ってて」と淹れ直している時間に場がしらける。
「お先にどうぞ」「じゃあ失礼して」なんて譲り合うのも美しい光景ではあるけれど、先にもらって飲むのも、ほかの人が飲み終わってから飲むのもなんとなく気まずい。やっぱり大きいのがほしいなあとその度に思うのだが、ふつうに使う分には何ら不自由はないので、ずるずると980円を7年間も使っていたのだ。
 
 しかしさすがに、そろそろ買い替えようと思った。水槽部分は外して洗うことができないので、いつのまにか湯垢が結晶のように固まって、それが除去できなくなっている。コーヒーを淹れるたびに毎回熱湯消毒はされるのだから、雑菌が繁殖することはないだろうけれどあまり気持ちのいいものではない。
 コーヒーメーカーは仕事に直接関係のある機材ではない。だものでプライオリティが低く緊急性はない。そうはいってもさすがに限界に近づいた。
「もういい加減買い直そうか」と価格ドットコムで商品を探し、Amazonの評価を調べた。
 条件は、電気を使わずに保温できること、10カップ以上一度に淹れられること。置き場所が狭いので、できるだけ小型。
 で、それらの条件を満たし、価格も手頃でAmazonの評価がよかったメリタのコーヒーメーカーを購入することにした。
 
 デザインよし、保温性能よし、抽出容量も十分。これなら満点と思っていたら、Amazonの評価にない欠点が二つばかり見つかった。見落としたのかも知れないが。
 ひとつは、保温ポットに残量を示すものがないので、どのくらい残っているのかわからない。もうひとつは、これが何より問題だが、目一杯入ったポットは想像以上に重い。アシのYは自称非力で、単行本は電車のなかで読むと腕が折れるなどといって、文庫しか読まない。そのくせ、大きな紙にプリントされた校正紙は持って帰るのだが。
 たぶんアシのYは、ブーブー文句を言うだろう。コーヒーを入れる役目はこちらにお鉢がまわってきそうだ。
 
 さて、湯垢はこびりついているけれど、かの980円はまったく使えないわけではない。そこで、自宅で使うかどうかカミさんに聞いてみた。カミさんはコーヒーを淹れるのに、手でドリップしている。だからセットしておくだけでコーヒーを自動的に淹れられるほうが、慌ただしい朝には手間がかからなくて便利ではないか思ったのだが…。
「いらない、面倒くさいから」
 え、ええ? 手でドリップするほうがよほど面倒くさいはずだ。
「なんで?」
「洗うのが面倒そう」
 毎日使っていれば、抽出済みのろ紙を棄てるのと、飲み終わったサーバーをすすぐだけでいい。手でサーバーにドリップするのと手入れは変わらない。むしろ、淹れているあいだに他のことができる。なのになぜ。ようするに、機械が恐いのである。
 カミさんはそもそも機械が苦手である。洗濯機や電子レンジや炊飯器は使いこなしているのだから、機械がまったく使えないということではない。ただ、マスターするのにそうとう時間がかかる。携帯電話などは、今でも通話とメールしかできない。実際、着信履歴の見方もわからないのだからあきれる。スマホなど論外だ。
 欲しいというので買ったミキサーもフードプロセッサも、数回使ったきりで台所の場所取りになっている。

 明治生まれの母親に生前、寝室が寒いというので電気毛布を買ってあげたことがある。「気持ち悪い、感電しそう」などといって一度も使わずじまいだった。食器洗い器も「ちゃんと洗えていない気がする」といって、洗いなおしていた。
 なんか似ている。
 カミさんの感覚はどうも明治生まれのようだ。


崎山多美の小説

2014年05月06日 | 本と雑誌
Sakiyamatami
 
 沖縄の歴史、とくに現代史についてはずいぶんいろいろと調べてきたが、文学については、池上永一や目取真俊くらいで特別沖縄に限定して読み込んだということはなかった。あとは大城立裕、山之口貘くらいか。

 崎山多美は1954年、西表島に生まれた。「水上往還」で九州芸術祭文学賞を受賞。同作品と「シマに籠る」で芥川賞候補になる。

 恥ずかしながら崎山多美という芥川賞候補にまでなった作家を知らなかった。知ったのは、友人のブログで紹介されていた『現代沖縄文学作品選』(講談社文藝文庫)という、ばかに高価な文庫本に収録されていたものを読んだのがきっかけである。興味はあったけれど、あまりよく知らない作家の288ページ立てで1600円もする文庫本を購入するのはいささか抵抗があって(毎月書籍代に万単位の支出がある)図書館を利用した。
 ありがたいことに、杉並中央図書館(アンネの日記事件で一躍有名になった)に蔵書されていた。
 
 収録作品の「見えないマチからションカネーが」を読んでおどろいた。全文が沖縄方言である。読みながら、簡単に引ける沖縄方言辞典がほしくなった。
 おどろいたのはそれだけではない。ウチナンチュの精神構造を見事に表現しているのだ。風習や暮らしなど文化なら、先の池上永一や目取真俊の作品からも感じ取ることができる。しかし、微妙に本土の人間とは異なる心の動きまで表現されている作品は、なかなかないのではなかろうか。
 そして最後は、見事などんでん返し。読み進んでいる途中で、なんか変だと感じていたことが、最後の最後でなるほどそういうことだったのか、と読者を完結させている。実にうまい。ハマッた。
 
 読んでいる途中、ネットの古書店で『沖縄文学選』という、岡本恵徳氏が編集している本を見つけて注文した。こちらはA5判430ページで定価は税抜きの2600円だが1000円ほどで入手できた。時代別に小説、詩、琉歌、戯曲などの代表作が網羅されていて、崎山多美の作品は「風水譚」が収録されていた。他には最近岩波現代文庫で復刊された大城立裕の「カクテル・パーティー」や目取間俊の「水滴」も収録されている。
 ちなみに岡本恵徳氏は雑誌『けーし風』の編集長である岡本由希子さんの父上である。
 
 「風水譚」は親に棄てられた「色が白く青い目のシマンチュ」の女が、生きるために自分をからっぽにしていく話だ。彼女たちは、まるでこの世とあの世を往き帰しているかのように描かれている。敗戦後、ヤマトから見捨てられ米軍の占領下に長くおかれた沖縄の、そこに暮らした人間でなければ語ることのできない、あたかもよその家を訪れたときに感じるような、経験のないにおいがするのだ。
 杉並中央図書館には、ほかに『くりかえしがえし』と『ゆらていくゆるていく』も蔵書されていることがわかったので、借りてきた。『くりかえしがえし』には、芥川賞候補作品の「水上往還」が収録されていたので、真っ先にそれを読む。精神構造の表現力は「見えないマチからションカネーが」でわかっていたのでおどろかなかったが、この作品は情景描写が巧みだ。シーンごとに沖縄の樹木を配置して、登場人物のおかれた位置をさりげなく表現している。
 
 自分はどうやらシュールな作家に引かれるようだ。安部公房にはじまって、内田百閒(時代が逆だが)、川上弘美、そして崎山多美である。(京極夏彦も結構好きである)
 しかし、崎山多美のシュールさは、安部公房や内田百閒のように超常的ではない。だれもが体験しそうな、それでもかなりあやふやな世界なのである。
 残念なことに、彼女の作品は、ほとんどが絶版か品切れになっている。再版しないのはどの出版社も売れないと見たのだろう。彼女の作品が芥川賞の候補ではなくて、受賞していたならば今頃はベストセラーになっていたかもしれない。実にもったいない。


映画「とらわれて夏」

2014年05月03日 | 映画
Torawarete

 銀座のTOHOシネマシャンテで「とらわれて夏」を観た。「相棒」だの「テルマエロマエ」だの「アナと雪の女王」など話題の映画がひしめく中で、ちょっと地味といえば地味。新聞で紹介されなければ見落とすところだった。
 いくつかの新聞に批評が出ていていずれも評価が高い。これは観ておくべきだと思ってカミさんと出かけた。「相棒」だの「テルマエロマエ」だのは、混んでいて落ち着いてみられないだろうと予測してのことでもあった。
 3月までならふたりで2000円だったのが、2200円に値上がりしている。ファシスト安倍晋三のせいだ。

 時は1987年夏。離婚し傷心の母アデルと13歳の息子ヘンリーは、ふたりだけでひっそりと暮らしていた。ある日、買い物に出かけたスーパーで、負傷した男に出会い、家で休ませてくれと強要される。男は刑務所に収監中、病院で虫垂炎の手術直後、看守の隙を見て脱走してきた殺人犯だった。アデルは男を拒否したが強引に車に乗り込み、一夜だけの約束で家に入り込んだ。
 男の名前はフランクといった。フランクは親子に心やさしい態度で接し、家の修理をしたりヘンリーに野球を教えたりして、1日2日と滞在を延ばしていった。
 突然、ドアがノックされ、フランクはアデルを押さえ込み、ヘンリーにドアを開けるように言う。そこにはバケツ一杯の桃をもった近所の男が立っていた。
 フランクはその桃を使ってピーチパイを作ることを提案する。ひとつのボールで触れ合う三人の手が、心をつなげていく。
 ピーチパイは、この映画の重要なツールのひとつになる。
 傷ついた心を慰められ、やがてアデルはフランクに心を開いていく。
 そして、信頼しあい、強い絆で結ばれた三人は、警察の手がおよばない別の場所で暮らす決断をするのだった……。
 
 脱走犯が家に入り込むというシチュエーションからは、サスペンスではないかと思えるのだが、この映画は最後までそうはならない。フランクは決してふたりを傷つけるようなことはしないばかりか、やさしさと親切心で家族に溶け込んでいく。
 しかし、フランクは脱走犯である。悪人を決して許さないアメリカ映画だから、フランクが逮捕され、ひとつの結末で終りだろうと思っていたら、それは始まりだった。わずか5日間の夏の出来事が、のちの家族の運命を大きく変える。
 大人になったヘンリーは、たしかに「夏の5日間」を生きていた。そして母アデルもずっとその5日間を生きていた。しかしそれは、過去にしばられるのではなく、過去の体験から多くのことを学び、新たな自分をつくり出したのである。
 
 ものの見事に、さわやかに裏切られ、気持ちよく「やられた」映画だった。「テルマエロマエ」や「相棒」を蹴って観に行って、大正解だった。