ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

ショーモナイ!

2009年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 使いもしないものを捨てられなくていつまでも持っているってことは、だれにでもあると思う。
 ふと気がつくと、いつの間にかそれらが珍品になっていたりする。
 
 子どもがペン形のカッターが欲しいというので、それなら何本もあったはずだと、机の引き出しをかき回しているうちに、まもなく珍品の世界に入りそうな「ショーモナイ」ものがぞくぞくと出て来た。
 
 
 
Tombo

 これは「トンボ・シール」というもの。
 今はもう、印刷工程に版下などというものは無くなってしまったけれど、版下には必ずトンボといわれるマークがつけられていた。
 右がコーナー・トンボといって、四隅に使うもの。左はセンター・トンボといって四辺の中央につかうもの。
 トンボがついていないと、正確な断裁の位置がわからないし、多色刷りの場合に見当(ケント)合わせができない。
 本当は烏口やロットリングで描くのだけれど、手間を省くためにこんなものが売られていた。
 
 
 
Pen_knife

 これは「ペンナイフ」。それとペンナイフやコンパスの針先を研いだりするのに使う、油砥石。
 ペンナイフは版下の細かな文字を修正する時に使う。
 直す必要のある文字を別個に写植で打ってもらい、このペン先で切り取って張り替えるのだ。
 繊細な神経がないとできない。
 切れなくなったら、油砥石でシコシコと研いで使うので、頻繁に使っても1本が数ヵ月もったりする。
 
 
 
 Rubber
 
 これは「ラバー・クリーナー」といって、はみ出した糊(ペーパー・セメント)をとり去るもの。
 ペーパー・セメントはふつうの糊と違って紙がシワシワにならない。
 それがゴムを原料にできているので、ゴムどうし呼び合ってくっつく性質を利用したもの。
 左は新品だが、使っているうちに右のように汚らしくなる。
 これは板状のものだが、テープ式に巻き上げたものもある。
 ちなみに、これとペーパー・セメントは、今でも見本で本の模型を作る時に活躍している。
 
 
 
G_pen
 
 「Gペン」というペン先で、かつては漫画家の必需品だった。簡単なイラストを版下に描くときなどに使われる。
 役に立つと思って買っておいたのだが、結局一度も使わなかった。
 今では漫画家もコンピューターだそうだ。
 
 
 お気づきと思うが、これらはすべて版下作業で使われる道具である。
 デザイナーも出版屋も、版下が専門ではないけれど、わざわざ版下屋の手を煩わせるほどでもない直しや、時間がない時には自分でやったものだ。
 しかし、今では、手で版下を作るということはまったくといっていいくらい無くなってしまった。
 それにともない「写植屋」「版下屋」という商売もすっかり見かけない。
 両方ともすばらしい技術で、まさにプロの仕事だったのだが、ぜんぶコンピューターに取って代わられてしまったのだ。
 
 
 世の中の移り変わりで、保存の枠組みから外れた、文化とか芸術とか伝統芸とか言えない種類の手先の技術が次々と無くなっていくことは、いささか淋しくもある。
 煙管の掃除をする「羅宇屋(らおや)」、傘の張り替え、鍋の修理をする「鋳掛屋(いかけや)」などなど。
 「仕立て屋」は着物を作るだけでなく、寸法直しや修理もやってくれた。ズボンの穴を目立たなく修理してくれる「掛矧ぎ(かけはぎ)」もやってくれるところがずいぶん少なくなった。
 「治して使う」というのはエコロジーの基本だと思うが、今は壊れたら(破れたら)捨てる時代になってしまったのは、決してこれが進歩とは思いたくない。
 
 机の引き出しから、ずいぶん話がずれてしまった。
 
 次に続く?……かな。
 
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「田母神問題」学習会

2009年06月27日 | 昭和史
 けしば・新城の「でいごの会」主催で開かれた、学習会に行って来た。
 講師は、中学校の元社会科教諭での増田都子さん。
 増田さんは扶桑社版教科書を批判するなどしたために免職なった。
 正しい歴史や平和に関する授業を行うと今の日本では教師でいられなくなるらしい。
 2008年12月20日には、多田謡子反権力人権賞を受賞。
 今年6月13日、在日本大韓民国青年会などが主催した日の丸を人糞に模した旗を掲げて京都市内を練り歩く外国人排斥を許さない6・13緊急行動に賛同している。(Wikipedia)
 
 山田区長が支援する田母神の講演会が、7月13日に迫っていることもあり、急遽勉強会を開くことになったのだ。
 高井戸地域区民センターの会議室に集まったのは15人ほどである。
 
Miyako_masuda
「日本軍に感謝しているなんて教科書は一つもありません」と、タイの学校教材を示す増田さん。

 増田さんは教師ということで、しゃべりなれているとはいえ、2時間半を休まず一気に話し続けるスタミナには驚きだ。田母神俊雄の作文(あれは論文ではない)が公開されてからずっと研究を続けていて、実に詳細な検証がなされていた。
 
 あの作文がでたらめであることは周知の通りだが、国共合作や満州帝国の成立年を間違えているなど、極めて低レベルな誤りもあるいい加減な文章だ。
 
 国共合作 (田母神「1936年」正しくは「1937年~1946年)
 満州帝国成立 (田母神「1932年」正しくは「1932年は満州国建国で溥儀が皇帝になって満州帝国になったのは1934年)
 
 都合の悪いことは何でもコミンテルンのせいにしているが、そのコミンテルン(第三インターナショナル)は1943年に解散している。
 それにもかかわらず、その後も「コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた」とあるのには、何をか言わんや。
 
 これ以上はいちいち指摘しないが、全編妄想と思い込みのかたまりである。
 
 問題は、彼が講演や著作でもてはやされることで、このようにいい加減な作文を無批判で信じ込む人間がますます増えるということだ。選挙で有名人だからということだけで投票する人間が多いことでも、このことは証明される。
 「ウソも百遍言えばホントになる」(増田さん)例はいくらでもあるのがこの世界だ。たとえば、南京大虐殺などなかったと、本当に信じている人間が増えていることからも言える。
 つまり、このでたらめが一人歩きすることで、「定本」化する危険は十分予測できる。
 それには正常な感覚を持っている人々が多数派であるうちに、丹念に検証して伝えていくことが大切だと思う。
 
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「反体制エスペラント運動史」[新版]

2009年06月25日 | 本と雑誌
Esperant
反体制エスペラント運動史 新版
大島義夫 宮本正男 著
三省堂 発行
 
 散歩に出たついでに寄った荻窪の古本屋、「ささま書店」の棚にこんな本を見つけた。
 エスペラント学界の評議員であった父親のことについて、何か書かれていないかと思って購入した。
 
 エスペラントとはリトアニアのユダヤ人、ザメンホフによって考案された国際語であることは周知の通りである。
 この国際語をもって全世界のプロレタリア階級の連帯を目指し、「エスペラント運動」と称されていた。
 
 著者の一人大島義夫氏は杉並在住であったために、頻繁にわが家を訪れていた記憶があり、この本でも紹介されている比嘉春潮氏も杉並在住であった。比嘉氏には『沖縄の歴史』という名著がある。
 
 今すぐに通読することはできないので、こことおぼしき個所を拾い読みすると、1930年代当たりからそこここに父親は登場していた。
 
Esperant2
 
 この写真は1935年撮影の「日本プロレタリア・エスペランティスト同盟」(ポエウ)の中核メンバーで、驚いたことに、半数以上が既知の人物だ。
 前列左から二人目が筆者の父、坂井松太郎。後列左から5人目が比嘉春潮、右端が大島義夫である。
 
 本書は日本でのエスペラント運動を中心に、それと関連した海外の動きを黎明期から詳細に書き記している。
 大杉栄や北一輝、出口王仁三郎らも登場する。ちなみに、出口の大本教はエスペラントを推奨していた。このことも、弾圧を受けた理由の一つになっていたのかもしれない。
 
 さて、拾い読みしただけだが、エスペランティスととしての父親の活動がもう少し詳しくわかりそうだ。
 とくに、治安維持法違反で逮捕されたときのいきさつが、生前父親が話していたことと幾分違っていそうな気がする。というか、理由が一つではなかったのかもしれない。
 
 しかしこの本、新版ということだが、旧版なら父親の書棚にあったはずである。しかし見覚えがない。
 最も数万冊あった蔵書の一冊だから、見覚えがなくて当然だ。
 
 ところで自分はエスペラントはできない。学びかけたことはあるが、父親も本気で学ばせようとはしなかった。まあ、翻訳者の少なかった時代ならともかく、今それができたところであまり役には立たないだろう。
 
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メモホルダー

2009年06月24日 | 通販・買い物
Memo1
 
 ちょうど、二つ折りの財布くらいの大きさである。
 大きさが手頃で実にいい。
 
 先日、打ち合わせに出かける電車の中で、隣に座った学生が専門書を広げ、縦開きのメモホルダーを開いて抜き書きをしていた。
 あ、これはいいなあと、見た瞬間に感じたものだ。
 何がいいのかというと、中味はメモなのに手帖のように使えて、それでいて縦開きだ。
 
Memo4
 
 横開きの手帖は、場所をとって思いのほか使いにくい。中味はメモ用紙だから、ばんばん書いて不要なページは気兼ねなく破り捨てられる。
 表紙に使用期間を書いて保存すれば、手軽に過去の記録を引き出せる。
 つまり、使用目的を区別する必要がないのだ。

 メモの中味だけで、カバーはいらないだろうと言う御仁もいるかもしれないが、メモ用紙はそのままだとすぐにボロボロになるのだ。だから、カバーが必要になる。
 
 打ち合わせの帰りにさっそく東急ハンズに探しにいった。
 そうしたら、けっこう何種類もあった。
 ぼくが知らなかっただけで、以前からこの種のものは存在していたらしいのだ。
 しかも、高価なブランド物まである。そんな物は必要ない。
 布製やビニール製もあったが、ちょっぴり見栄を張って、革製のペンホルダー付のものを買った。
 
 
 ぼくは元来メモを取るのが苦手である。というよりは、後でそれを活用するのが下手なのである。
 大江健三郎氏はカードを使っているようだ。それも方法だと思ったが、持ち歩きや整理のことを考えると難しい。
 
 打ち合わせのための筆記具、とくに書かれる側の紙類はずっと試行錯誤だった。
 ファイロファックスも使ったし、タイムシステムも使ったことがある。
 いずれも持ち運びに邪魔だ。ファイロファックスは小さいくせにたちまち肥満状態になってバッグの中でゴロゴロするし、タイムシステムは大きすぎる。
 最近はレポート用紙を挟み込むホルダーを使っていた。
 これは薄くて持ち運びにはいいのだが、いざ打ち合わせとなってテーブルに広げるとえらく場所をとる。
 それに、机に置いておくわけに行かないので、持ち忘れることが頻繁だ。
 
 このメモホルダーは邪魔にならず、いつもそばにおいておけるので、必要な時には何時でも手軽に開ける。
 常に眼の前にあるので忘れることもない。
 これまでの手帖類の中で、一番のお気に入りになりそうだ。
 
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沖縄戦終結64周年

2009年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日(6月23日)は、沖縄守備隊第32軍の組織的な抵抗が終わり、約三ヵ月に渡る地獄の惨劇がようやく静まった日である。

Tokashiki
 海から見た渡嘉敷島。
 
 1945年3月23日午前8時過ぎ、那覇港を出港しようとする船の乗船合図を、数千人の疎開者たちが岸壁に荷物を積み上げて待ち受けていた。
 そのとき突然、上空に現れたグラマンの編隊が機銃とロケット弾を浴びせかけて来た。敵機の猛爆に人々はちりぢりに逃げ惑い、疎開船はもうもうたる黒煙の中、目の前で撃破されてしまった。
 
 この年の正月から爆撃機による空襲は続いていた。しかし、艦載機による低空飛行での攻撃は、敵の機動部隊がすぐ近くまで来ていることの証拠だった。
 
 この日から三ヵ月あまりに及ぶ沖縄戦が始まり、沖縄は「鉄の暴風」と呼ばれる艦砲射撃に昼夜区別なくさらされることになる。
 
 「敵の船で真っ黒になって、海が見えなくなった」
 翌24日には、兵員55万、艦船1500隻の大軍が、沖縄本島南部の沖合に姿を現す。
 攻略部隊に真っ先に狙われたのは慶良間諸島だった。守備隊の心臓部である首里を攻撃するために、まず本拠地を確保するのが米軍の常套手段である。しかし、守備隊にとって慶良間諸島への攻撃はまったく計算外であって、戦闘部隊はほとんど配備されてなかった。わずかに木造の特攻艇が海岸沿いに秘匿されていただけで、それも一隻も出撃することはなく破壊されてしまった。
 
 座間味島では「いざという時には、住民は忠魂碑前に集合し、全員自決すること」という約束が軍と住民の間でなされており、逃げ場を失った住民は家族親戚ぐるみで「自決」を決行した。(あまりの砲撃のすさまじさに、多くの住民は忠魂碑前にたどり着くことができなかった)
 
Chukonhi
 座間味島の忠魂碑。
 
 「自決」した住民、渡嘉敷島329人、座間味島171人、慶留間島53人。
 
 そしてこの惨劇は、これから起きる壮絶な地獄絵の前哨戦でしかなかった。
 
 沖縄は、アジア太平洋戦争中、日本の国内で唯一地上戦が行われたところである。
 日本軍は住民が敵に投降することを許さず、「アメリカに捕まれば女は犯され男は八つ裂きになるか戦車でひき殺される」とおどされていた。また、15年間にわたるアジア太平洋戦争の中で、沖縄では厳密な皇民化教育が行われ、日本の天皇に忠誠をつくすこと、国家のために死ぬことが誉れであると教えられていた。そのために、多くの住民が捕虜になることよりも死を選んでしまったのである。
 このことは、一部の歴史改竄派がいうように、「人々はいさぎよく自ら死を選択した」のではなく、国家による洗脳であり命令なのだ。
 
 終結から64年が経って、その時の体験を語り伝える人の数が、極めて少なくなってきている。「ひめゆり平和祈年資料館」も今日で開館20周年。
 「ひめゆり学徒隊」の生存者である宮城喜久子さんたちは、資料館で証言員を務めながら、若い説明員の養成に取り組んでいる。
 
 戦争体験者の証言をつなぐ大役をになう若い力は実に頼もしい。しかし、過去の悲劇を抹殺しようとする力も、年々強くなっている。
 先日渡嘉敷島を訪れて、戦跡を隠し、レクリエーションのみをクローズアップしようとする意図が感じられ、残念に思った。島のイラストマップに、戦跡はほとんど掲載されていないのだ。
 
 戦争体験者の減少とともに、歴史改竄派との戦いは、今後いっそう激しくなるかもしれない。
 
 右傾化し、憲法九条を改正して戦争への道を歩もうとしている日本を、経済優先で容認する前に、64年前の悲劇にあらためて耳を傾けて欲しいと思う。
 
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本格スリランカカレー

2009年06月21日 | 食・レシピ
 水道橋のひまわり館で行われた「ワンワールド・ワンピープル協会」主催のスリランカ・カレーのパーティーにカミさんと下の子の3人で行ってきた。
 「ワンワールド・ワンピープル協会」というのは、当初はあるセミナー会社が母体だったが、そこが解散してからは独自に運営を続けているボランティア団体だ。
 スリランカで理想の村づくりを推進しているアリア・ラトネ博士を支援しつつ、寄付を募って現地で不足している幼稚園の建設や、井戸掘りなどの協力をしている。
 スリランカではずっと内乱が続いているが、それに関与することは一切ないし、また政治的な関わりも持たない団体である。
 悪く言えばノンポリだが、それだからこそ長年やって来られたのかもしれない。
 路線の違いで衝突することもないだろうから。

 時には古着を寄贈したり、眼鏡、文房具などを集めて送ったりもしている。
 そうした活動を、もうかれこれ20年以上も続けていて、カミさんがスタッフをやっていたこともあった。
 「継続は力なり」と語る会長の鈴木一男さんは今年80歳になる。矍鑠としてして元気いっぱいだ。
 
Srilanka1
 
 Oさんの指導で、みんなで手分けして作るところから始める。
 この日は、5種類のカレーが作られた。
 チキンカレー、野菜カレー、豆のカレーの中辛と大辛、そして珍しい鹿の肉のカレーだ。
 
Srilanka2
 
 基本的な作り方やスープの材料はほとんど同じらしい。
 とは言うものの、スパイス類は専門店かネット通販でなければ入手できない。思いつきで作れるものではなさそうだ。
 
Srilanka3
 
 スリランカのカレーは日本で食べるカレーと違って、とろみがほとんどない。そして、具も多くない。
 必ず入るココナッツミルクが独特の風味をかもし出すが、これが苦手な人はけっこう多い。
 この日作ったなかで一種類、豆のカレーの大辛だけ、ココナッツミルクを入れずに作られていた。
 皮肉にも、それが一番人気。
 
Srilanka4
 
 ぼくもココナッツミルクは苦手なので、まずは大辛の豆カレーにターメリックご飯でいただく。
 このあと、鹿肉のカレーも賞味したが、ココナッツミルクがやはり口に合わない。
 それがなければかなり美味だと思う。
 食べ終わって、胸焼けがしてしまった。好みによるだろうが、ぼくは苦手だ。
 
Srilanka5
 
 左から二人目が、会長の鈴木さん。
 20年も続いていると、メンバーに古株の年配から大学生までいる。
 このバランスは、杉並の反戦集会の顔ぶれからすると実にうらやましい。
 重ねていうが、ノンポリの強みだ。
 
Srilanka6
 
 スリランカと言えば紅茶である。
 かつてはセイロン紅茶といわれて、特にヨーロッパでもてはやされた高級品である。
 この紅茶の輸入販売も資金獲得の手段の一つだ。
 
Srilanka7
 
 創立メンバーの一人、Fさんは紅茶おじさんと呼ばれている……そうである。
 ワインのソムリエみたいに、高いところからカップからカップへとと移しかえるのは、空気を含ませて味をまろやかにするため。
 
Srilanka8
 
 この日集まったのは30人ほどだったが、和気あいあいのカレーパーティーだった。
 
      ◇◇◇
 
 スリランカチキンカレーの拘り派の作り方(4人分)
 
〈材 料〉
鶏もも肉 2枚
玉ねぎ 1/2個
にんにく 3片
しようが 1片
サラダ油 大さじ2

カラピンチヤ(カレーリーブス) 8枚ぐらい
ランペ 6cmぐらい
レモングラス 4cmぐらい
シナモンスティック 砕いたもの3 cm 2, 3本

チリパウダー 大さじ1
カレーパウダー 大さじ1
ターメリックパウダー 小さじ1

黒胡楸 好みの量
塩 好みの量
ココナッツミルクパウダー 大さじ3
お湯 300cc

〈作り方〉
1 カラピンチャ、シナモン、レモングラス、ランペはスパイスショップで購入。手に入りにくければ、ネット通販で入手できます。それでもなければリーフ類はローリエで代用してください。
2 ターメリックパウダー、チリパウダーはスパイスショップで。ローステッド・力リーパウダーは、なければ普通のカレー粉で大丈夫。
3鶏もも肉は一ロ大にカット。にんにく、しょうがはみじん切り。玉ねぎは薄くスライス。
4鍋を熟し、サラダ油を入れ、にんにく、しょうが、カラピンチャ、シナモン、レモングラス、玉ねぎ、ランペは小さく裂いて入れ炒める。
5玉ねぎがしんなりとしたら、カリーパウダー、チリパウダー、ターメリックを入れて炒める。
6焦がさないように炒め、まんべんなく全体が混ざったら鶏肉を入れ、表面が焼けたら、水100cc(分量外)を入れます。
7塩と胡楸で調味し、15分ほど煮る。ときどき混ぜ、鍋の底で具を焦げ付かせないように注意する。
8ココナッツミルクパウダーをお湯300ccでよく溶き、鍋に加える。最後に塩で味を決める。弱火で5分ほど煮て完成!

〈メモ(コツとポイント)〉
季節や体調や食材によってスパイスの配合を変えます。クミンシード、ガラムマサラ、オールスパイス、コリアンダーを少々加えることもあり。辛さを抑えたいときは、チリパウダーは控えめに。ターメリックは多すぎると苦味が出るので注意。
 
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桜桃

2009年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
Sakuranbo
 
 かつてある大手量販店の販売促進部に勤務していた頃、山形の印刷会社からその季節になると桜桃が送られて来ていた。
 桜桃、すなわちサクランボである。
 ある年のこと、その印刷会社から「送ったよ」という電話があって、販売促進部員みんなが楽しみにしていたが、予定の日に到着しない。そこで、催促ではなく遠慮がちに印刷会社に問合せた。
 
 「あんれま。運送屋しょうがねっぺぇ。もいっかい送るっぺ、まってな」
 
 すると翌日、先に発送したものと一緒にダブって届いた。
 当時は今以上に高価な果物で、散財をかけたことに恐縮しつつ、内心しめしめと思っていた。みんなで一箱ずつ持って帰り、大満足だった。
 
 その印刷会社を一度訪ねたことがある。サクランボ畑に囲まれた印刷工場は、だだっ広い敷地にぽつんとフォークリフトが置かれ。こぢんまりとした社屋が建っていた。時折銃声のような破裂音がする。
 「あの音は何ですか?」
 「あ、あれ、鳥おっぱらってんだ」
 サクランボが実を結ぶ頃になると、鳥がついばみに集まってくるそうで、ほっておくと収穫前にすべて食べられてしまうという。そのため畑に雷管を埋め込んで一定時間置きに音がする仕掛けになっているのだ。
 「一日中こんな音がしてたら、落ち着いて仕事ができないのではありませんか。それに夜中に鳴ったら眠れない」
 「慣れた。それに夜は鳥は来ないっぺね。だから鳴んね」
 そりゃそうだ。
 
 今では鳥ではなく、人間様が盗みに来る。高級品の佐藤錦が大量に盗まれたニュースは記憶に新しい。
 相手が人間では偽の銃声ではだまされないだろうし、まさか本物の銃で脅すなどできない。
 サクランボ農家は見張りを立てたり、監視カメラをつけたり、経費が嵩んで大変だそうだ。
 
 訪問の目的は印刷会社の視察と作業の伝達だったのだが、昼はサクランボ、夜は馬刺を、すっかり御馳走になってしまった。

 余談だが、その馬刺の量がすごい。
 「けとばし食うか?」
 と問われて、「はい」と答え、東京の感覚でてっきり数枚が小皿に載ってくるものと思っていたら、直径50センチほどの大皿に、山盛りになって来た。
 印刷会社の社長を含む4人ほどで皿を囲んだが、とうてい食べきれるものではない。おおかた残してしまった。
 これでは馬も浮かばれまい。
 
 今日は桜桃忌、太宰治の命日であり誕生日でもある。それに今年は生誕100年だ。
 墓のある三鷹市の禅林寺では、墓前に長い行列ができているだろう。
 三鷹の商店街は、手拭だのコースターだのを作って商魂逞しい。
 
 去年のブログでこの日のことを、太宰治が入水した日と書いてしまった。しかしそれは違っていて、遺体が発見されたのが19日で、入水したのはその三日前の16日だそうだ。
 
 蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は珊瑚の首飾りのように見えるだろう。(太宰治「桜桃」)
 
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林博史『沖縄戦 強制された「集団自決」』

2009年06月18日 | 本と雑誌
090618
 
 沖縄戦 強制された「集団自決」
 林博史 著
 吉川弘文館 発行
 
 昨年、林教授にお会いした際、すでにこの本の出版についてはうかがっていた。
 「年明けには出ますから」
 「どちらから?」
 「吉川弘文館です」
 「てことは、またけっこう高い本になりそうですね」
 「いや、今度は高くないはずです」
 
 で、新事実も含まれているということで心待ちにしていたが、待てど暮らせど出ない。結局半年遅れた。
 
 それが今日届いた。
 まだ目次しか見ていないが、内容は大江・岩波沖縄戦裁判で注目の、慶良間列島における集団自決問題を中心に、シビチリガマ、シムクガマも含めた、いわゆる「集団自決」の構造を解き明かしている。
 そこで、新事実はどんなところにあるのかと思ったが、これはきちんと精読しなければわかりそうもない。ただ、住民の証言の中には、これまで話されて来なかった内容が含まれていそうな気がする。
 それとなによりも、以前大月書店から出た『沖縄戦と民衆』に比べて取っ付きやすい。
 林教授の研究は、『沖縄戦と民衆』で出尽くした感があって、そちらを読めば新著は必要なさそうな気もする。好意的にいうならば、あえて全著を補完する著作というところだろうか。
 重要なのは、教科書検定にかかわる記述である。『沖縄戦と民衆』が出版されたのは2001年で、そのころはまだ大江・岩波沖縄戦裁判は起されていなくて、渡嘉敷島、座間味島の記述に特別重点がおかれているわけではない。
 新著ではプロローグで教科書問題を扱っており、その意識をもったまま読者を本文に引き込もうとする意図で書かれているといっていいだろう。
 すなわちこの本の目的は、読者の前に「集団自決」の構造を展開することで、さまざまな情報にかく乱されているこの論争に終止符を打つことであろうか。
 
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空想と想像の違いは 「定義集」より

2009年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム
Teigishu616
 
  「朝日新聞」月1連載のコラム、大江健三郎氏の「定義集」の6月16日は、「九条の会」での加藤周一さんと小田実さんの思い出に始まり核の問題へとつながる。
 
 私は加藤さんの記憶を更新し、伝え続けることをねがって、もし今日加藤さんが出席していられたなら、聴衆は、今世界に起こっていること、そしてその焦点をなす北朝鮮のミサイル発射と核実験について話を聞きたいだろう、と考えました。私は加藤さんの語られることを想像しました。
 
 そして、次のような文章へとつながっていく。
 
 私は想像力の仕事をしています。この職業としてのモットーは、空想と想像の違いは、後者は根拠にもとづいてなされること、という柳田国男の定義です。
 
 この後に続く文章で、加藤さんや大江さんの文章が、「空想」ではなく「想像」であることが証明されるのだが、この明快な定義には目からウロコが落ちた。
 すなわち、大江さんにとっての小説は、空想の産物ではなく、根拠をもとにした「想像力」によるということなのだ。もっとつっこんだ物言いをするならば、まったくの空想で作られた文学は、大江さんにとって意味をなさないということだ(大江さん自身はもっと違った表現をするかもしれないが)。
 
 この「定義集」でもそうだけれど、大江さんはライフワークとして「核」と「平和」を明確な意図のもとに語り続けて来ていて、それはすべての大江作品にさまざまな装いをもって綿々と流れつづけている。何らかの根拠のもとにテーマの土台を置き、想像力で物語を膨らませていくことは、最近の多くの作家が学ばなければならない創作の中心だ。
 
 ここでいう「根拠」とは、作者の意志であり、意図であり、そして事実だ。当然のことだが、意志や意図は妄想とは異なる。目標としての結果が明確に想定されるものでなければならない。この「明確」であることが極めて重要だ。
 たとえば、これをここで例に出すのはいささか憚られるが、あえて非礼を承知で語るならば、彼の「田母神論文」などは、何ら根拠のない空想の塊ということになる。
 このようなものを書いてしまうと、論壇は暴走するし文学は崩壊する。読者はいくら深く読んだところで根源に到達することはなく、極めてアンバランスな状態のまま放置される。
 
 さて、話が今回の定義集の本題から離れてしまったが、今回の「定義集」は、われわれが常々繰返し自分に問い続ける必要がある言葉でまとめられている。
 
 私が親しくしていただいた広島のジャーナリスト、金井利博氏の持論に、次のような問いかけがありました。世界は原爆を威力と記憶しているか、人間のこうむった悲惨として記憶しているか?
 
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樺美智子『人しれず微笑まん』

2009年06月16日 | 本と雑誌
Kanba1
 
 あれからもう、49年が経った。
 1960年6月15日、安保条約阻止の全学連デモ隊と機動隊が衝突。当時21歳の大学生だった樺美智子さんは、国会構内で機動隊の特殊警棒によって殴打され、盾で押し倒され、土足で踏みつけられてほとんど即死で亡くなった。
 多数の目撃者がいる中での機動隊の悪意に満ちた犯罪は、現在にいたるまで誰にも裁かれていない。
 
 ここ数年、かつての全共闘の闘士たちが、高齢にもかかわらず、再び戦争への道を歩もうとしている日本の将来に危機感を持ち、活動を再開した。
 14日に行われた「憲法9条改定を許さない6・14全国集会」にも、旧ML同盟を中心に集まった同志たちが、参加者の動員に尽力を惜しまなかった。
 
Kanba2
 
 『人しれず微笑まん』(三一書房)は同年10月に発売された樺美智子さんの遺稿集である。
 小中学校の頃の日記から、高校生時代の書簡、学生時代のレポートなどが集められている。
 
 高校のころの詩にこんなのがある。
 
 
 「最後に」
 
 だれかが私を笑っている
 こっちでも向こうでも
 私をあざ笑っている
 でもかまわないさ
 私は自分の道を行く
 
 笑っている連中もやはり
 各々の道を行くだろう
 よく云うじゃないか
 「最後に笑うものが
 最も良く笑うものだ」と
 
 でも私は
 いつまでも笑わないだろう
 いつまでも笑えないだろう
 それでいいのだ
 
 ただ許されるものなら
 最後に
 人知れず ほほえみたいものだ

 
 
 本書のタイトルはここからとったものと思われる。
 この頃からすでに、彼女の一途な強さが感じられる作品である。
 しかしその強さ故に、彼女は死を早めてしまったと言えるかもしれない。
 
 生きていれば今年11月には72歳になる。そして、活動を再開した元全共闘のメンバーとともに活動しているかもしれない。
 
 この本の最後には、世界から送られて来た追悼の言葉が掲載されている。そのどれもが、彼女の平和への願いを成就させることを約束している。
 しかし、あれから49年が経った現在、アメリカとそれに追随する日本は、平和とはまったく反対の方向に歩もうとしている。
 自衛隊の海外派兵や憲法9条を抹殺しようとする動きは、その一部でしかない。
 
 
 勉強することのできる者は、やはり、勉強しなくてはいけないんだ。時間をつくり出して??と思います。解放闘争には不可欠??むしろ、正しい理論こそが今、最も欠けているんだ??と思います。
 
 
 昨今のおバカブームは、人に勉強させないための策謀かもしれない??と思うのは、考え過ぎだろうか。
 
 『人しれず微笑まん』は現在絶版で古書でしか入手できない。定価350円の新書判に、古書店で1000円から3000円もの値段がつけられている。復刊を望みたいところだが、むずかしいだろう。
 
Kanba3

 
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憲法9条改定を許さない6.14全国集会

2009年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム
 二日連続で同じようなメンバーの集会に出た。
 しかしこちらは、民主党、社民党、新社会党、国民新党など、超党派で野党を巻き込んだ幅広い集会である。
 
 社民党本部のある社会文化会館三宅坂ホールに集まったのは550名。
 準備のドタバタや内容を考えると、よく集まった。
 
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 オープニングはヤスミン植月千春さんのカーヌーンという民族楽器の演奏。
 この楽器は小さな琴のような楽器で、映画『第三の男』で有名なチターに形も音も似ている。
 
 とてもよく知っているはずの曲名をなかなか思い出せず、それが「アランフェス」であることを思い出したのは家に帰ってから。
 ずっともやもやしていた霧が晴れた。
 
6142
 
 この日のゲスト講師は中央大学名誉教授の伊藤成彦氏。
 フランスやドイツやスイスの憲法(ドイツは基本法という)と日本国憲法の改正にかかわる条項を比較しての講義はおもしろかった。
 フランスの「共和政体」、ドイツの「人間の尊厳」「連邦国家、権力分立、社会的法治国家、抵抗権」などは、改正することを許されていない。
 日本の憲法にはそうした項目はない。
 「基本的人権」や「戦争の放棄」「主権在民」は変更してはならない項目にするべきではなかったか。
 
 また、ドイツなどはファシズムを犯罪と規定しているが、日本の憲法では侵略戦争が犯罪であるという規定がない。
 
 日本国憲法第99条は「憲法尊重擁護の義務」だが、その対象となる天皇または摂政、国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この条項を守っていない。
 なぜなら、この条項には罰則がないからである。
 「憲法前文は法律ではない」という国会議員までいるそうだから呆れる。
 
 「この憲法を制定した当時は、まさか守られないことがあるなど想定していなかったのだろう」
 
 そうかもしれない。
 
6143
 
 後半のオープニングに行われた、池邊幸恵さんの「ピアノとスライドによる平和のメッセージ」は実に良かった。
 クラシックの名曲が原爆やイラクの悲惨の映像をやわらげてくれる。
 
6144
 
 安保条約無効確認訴訟事務局長の山崎康彦さんは、最近話題になっている岸信介密約が明るみに出た現在、そのような形で結ばれた日米安全保障条約は無効であると言う訴訟を起こしている。
 詳細は文藝春秋社発行の『CIA秘録』にあるそうだ。
 
6145
 
 今年も「合唱『戦争の法規』」(ベートーベン「第9交響曲」)を全員で合唱する。
 
6146
 
 3時間半の集会が終わって、5時からデモ行進に向かう。
 その出発点でひともんちゃくあった。
 竹馬で参加した若者が警官に止められたのだ。
 警官は「危険だからおりなさい。主催者はそれを指示しなさい」と若い機動隊員が権力を笠に着てスピーカーでえらそうに喚く。
 危険かどうかはこちらの問題で他に迷惑がかかるわけではない。表現の自由の侵害で、明らかな嫌がらせだ。
 坂道だけはおりるということで、決着。
 もう少しもめることを期待していたが、メットも何も用意していなかったので、一応の平和決着でまあOKか。
 
6147
 
 社会文化会館前をスタートするデモ隊。
 右翼らしき白い車が激しく警笛を鳴らしてシュプレッヒコールの邪魔をする。
 もちろん警官隊はなにもしない。
 
6148
 
 赤坂見附付近を通過するデモ隊。
 機動隊だけでなく公安が何人も張り付いていた。
 帽子とマスクで顔を隠すいかにも怪しい格好をして、それなのに無線機が胸元から顔を出しているのですぐにわかる。
 それがどいつもこいつもやたらと若い。
 そいつらにカメラを向けたり声をかけたりしてかまい過ぎたものだから、逆に写真を撮られた。
 
 元気な活動家はことごとく60歳以上になってしまったと思っていたら、今回は昨年末からの「派遣切り」のこともあって、若い参加者がちらほら。
 20代以下の若い人にもっと参加して欲しいものだ。
 今回も壇上に上った多くはアラカンだ。
 
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第7回沖縄と結ぶ杉並集会

2009年06月13日 | 昭和史
 毎年行われる「沖縄と結ぶ杉並集会」が阿佐ヶ谷の杉並産業会館で開催された。
 この日の講演者は、沖縄大学教授の新崎盛暉氏。。
 ゲストには、先日沖縄でお世話になった知花昌一さん。
 
Arasaki
 
 新崎教授は、何と杉並の天沼生まれだそうだ。しかし、物心づく前に熊本に引っ越したため、天沼での思い出はまったくないという。
 子どものころは軍国少年で、学校の教師が敗戦と同時に手のひらを返したように、反米から親米に変わるのに違和感を覚えたそうだ。
 
 「当時は右翼でしたね。それが変わったのは高校生だった1952年4月28日です。この日がどういう日かと言うと、対日平和条約と安保条約が発効した日なんです。学校では先生が『これで日本は独立できました、万歳をしましょう』といいます。しかし私は違うと思いました。これまでは、沖縄は日本でありながらアメリカに占領されていたわけですが、この日から沖縄は日本から引き離されて植民地になってしまったわけです。そのことに直面したとき、考えが180度変わりました」
 
 このような生い立ちから始まって、この後は『東アジアにおける沖縄の役割」と題し、米軍再編にかかわる問題を中心にうかがった。
 
 日米同盟はすでに手詰まり状態であること。したがって、グアム移転協定はまったく無意味な協定である。
 1. 反対派を恫喝する威喝的パフォーマンス。
   95年の住民の大反発に脅しをかけ、押さえ込むのが目的。
 
 2. 政権交代後の次期政権に縛りを掛ける。
   政権が民主党に移っても、前の政権が行ったことだと言わせない。
 
 3. 米軍再編のため、日本に金を出させることで、アメリカの議会に予算を承認させること。
 
 沖縄の負担を軽減するためとはまったくの欺瞞であることがわかる。
 沖縄の米兵1万2千人、グアム移転9千人。
 しかし、現在の人員は数万の欠員があるのだから補充するという。
 減るどころか増える。
 
 家族にいたっては現在7千人しかいないのに、グアムに移転する人数は9千人という。
 どういうことか。
 ようするに、移転を理由に辺野古や高江に基地を増やすということ。
 そんなまやかしに、日本政府は莫大な税金をつぎ込むことを決定した。
 
 続いて、基地を推進しているのはだれなのか、そして、沖縄が東アジアで果たしうる役割についても話をうかがったが、ここには書ききれない。
 
Chibana
 
 ゲストの知花昌一さんは、弾き語りを数曲。
 
Umaguwa
 
 終了後、中心メンバーだけで懇親会が行われた。
 西荻にある沖縄料理店「馬ぐわ」の狭いテーブルにぎっしりで、いささか窮屈である。
 中央が新崎教授、その左がひめゆり学徒の上江田千代さん、新崎教授の右一人おいて白いジャケットが知花昌一さん。
 
 この店はおかしな店である。後方の棚にクラシックなフィギュアがつまっている。
 中野のまんだらけの古川社長に見つかったら全部巻き上げられそうだ。
 
Atom
 
 鉄腕アトムがいっぱいあった。
 何故なのかは聞きそびれた。
 隣町だし、今度行った時に聞いてみることにしよう。
 
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BEWARE! 気をつけろ!

2009年06月13日 | 食・レシピ
Beware
 
 先日池袋で探しまわったマリー・シャープスの激辛スパイス・ソースが、地元荻窪で売っていた。
 まさに「灯台下暗し」だ。
 
 実はあのあと、発売元に電話で販売店を問い合わせたのだ。
 
 「ホームページには東急ハンズや西友でも売っているように紹介されていますが、店に行ってみると置いてないんです。確実に売っているところを知りたいんですが」
 
 「(残念そうに)ああ、そうなんですか。お客様のお住まいはどちらでしょうか」
 
 「荻窪です。新宿とか渋谷辺りで売っていれば便利なんですが」
 
 「マルエツさんはありませんか」
 
 「西友か、あと阿佐ヶ谷には東急ストアが」
 
 「じゃあ、カルディさんありませんか。確実に売っていますが」
 
 「カルディ?」
 
 「たくさん店舗があって、きっとご近所にもあると思います。こちらでしたら間違いなく置いていただいてますが」
 
 「そうですか、じゃあ調べてみます」
 
 で、ネットで調べてみた。
 するとなんと、荻窪駅の南側にある。
 
 「カルディ・コーヒー・ファーム」
 
 まてよ、この店はよく通りすがりに買い物をするコーヒー店ではないのか。
 たしかに輸入食品も売っているが、あまり店内をくまなく見て回ったことはないし、店の名前にも気を止めなかった。
 
 カミさんに訊いてみた。

 「カルディなら知ってるよ。コーヒーただで飲めるし」
 
 知っている動機が不純である。
 
 だったらさっさと教えろと言いたいところだが、カミさんは辛いものがまったく苦手。わが家の激辛系はぼくと上の子だけなのだ。だから激辛スパイスを売っていることなど知ろうはずがない。
 
 ちなみにカミさんは、チリ・ソースもタバスコも区別がつかない。
 カレーも甘口以外は「ピリピリする」といって食べられない。
 そのピリピリがいいのに。
 沖縄のコーレーグースなどとんでもない。
 まああれも、知らずにジャバッと入れようものならとんでもない辛さになる。
 
 マリー・シャープスのスパイスソースは4種類あって、その全部を販売しているとは限らないのだ。
 中辛と大辛の2種類は時々見かけるが、あまり辛くないグリーン・ハバネロとサボテンを原料にした「GREEN」と、目的の「BEWARE」は置いていないことが多い。
 
 で、さっそく出かけた。
 
 
 店頭でアイスコーヒーを配ってた。
 ホントだ。
 
 あった!
 
 しばらく探しまわって、陳列棚に目的のものを見つけた。
 嬉々として店員さんに、「いつも売っているんですか?」と訊く。
  
 「はい、いつでもありますからご利用ください」
 
 そう聞いて、まとめ買いはやめた。
 
 さてこの激辛ソースをどんな時に使うのかというと、タバスコの代用ではない。
 
 簡単なところではカレーの辛さを増したい時。
 それからこんな料理に使う。
 
    ・・・・・・
 
 【材料】
 小さめのキャベツまるごと 1こ。
 皮ごとのジャガイモ 小玉5、6こ。
 ニンジン 大きめの乱切り5、6こ。
 タマネギ 4分の1に切ったもの2こ分。 
 エリンギ、またはシメジ適当に。
 ベーコン 10~15枚。
 コンソメスープのもと1こ。
 酒 少々。
 水 1カップ。
 
 【作り方】
 ダッチオーブンの底にベーコン5、6枚を敷き、そのうえに4等分に切ったキャベツを乗せる。
 周りを野菜やそのたもろもろの材料で埋める。
 残ったベーコンを上に乗せ、コンソメスープのもと、酒、水を入れる。
 蓋をして、最初強火で蒸気が出て来たら、弱火にして30分。
 (圧力鍋でもできる。材料の量は、鍋の大きさに合わせて蓋が閉まる程度に調節する)
 
   ・・・・・・・
 
 これの料理に「BEWARE」がよく合う。
 使うときは数滴。
 タバスコみたいにザバザバ掛けると大変なことになる。
 だからBEWARE=気をつけろ、という商品名なのだ。
 辛いだけなら、世の中にはさらに上があるようだが、ぼくはこれ以上は無意味だと思っている。
 人間には辛さを感じる限界というものがあって、ある程度以上は辛いのではなく痛い。
 
 まあ、話の種にはなるでしょうが。
 
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第30回「平和のための戦争展2009」

2009年06月12日 | おしらせ
 今年は8月12日(水)から16日(日)まで。

Senso_ten1
 
 
Senso_ten2
 
 詳細は「平和のための戦争展実行委員会」
 
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そして、誰もいなくなった…

2009年06月11日 | まち歩き
 10日、仕事の打ち合わせを兼ねて、この日からサンシャイン劇場で初日を迎える、芝居というかショーというか、のゲネプロを観に池袋に行った。
 
 その内容は見るに耐えないものだったが、ファンにとっては楽しいのかもしれない。関係者だけのゲネプロはどっ白け。
 
 「女の子たちがワーワー、キャーキャーいうんですよ、これで」
 「ハア、そうですか」
 
 キャパは1、2階合わせて約800。入場料は、6,500円。主催者はグッズ販売で利益を上げたいと言っているが、装置も音響も照明もそれほど仕込んでいない、どころかチャチ。
 商業演劇なら目一杯仕込んでキャパ1,500とか2,000の劇場で1万円前後の入場料を取っている。
 そんな入場料は、彼らのファンには払えないだろうから、その分経費を抑えて利益を浮かそうという算段らしい。
 しかし、グッズだってそれほどは売れないだろう。
 
 
 まあ、その話はどうでもいい。閑話休題。
 
 
 驚いたのは、サンシャイン・シティの廃れようだ。
 このところ機会がなくて、サンシャインシティを訪れたのは数年ぶり。
 わずかのあいだに、えらい様変わりである。
 メインのサンシャインビルは上層階に会社が入っているものの下層中層はがらがら。
 その奥にある、サンシャイン劇場が入る文化会館とワールドインポートビルに至っては廃墟同然だ。
 
Bunkakaikan
 
 案内板にイベントスペースとあるフロアは、ようするに何かが撤退したあと空いたままになっている状態で、ビル全体の半分近くが使われていない。
 
 まさに、日本資本主義の荒廃を絵に描いたようである。
 
 “盛者必衰の理をあらわす”
 
 かつてのあの賑わいは何だったのか。
 
 “唯春の世の夢の如し”
 
 「そして、誰もいなくなった」
 
 
 サンシャインシティを探索したのには理由がある。
 
Gekikara
 
 マリー・シャープスの激辛ハバネロソースを探して回ったのだ。
 カリブ海沿いの小国ベリーズ原産のこのペッパーソースはとんでもない辛さで、使い方を誤ると口の中が大火事になる。
 したがって、使うときはせいぜい1~2滴だ。だから、一度買っておけば数年はもつ。
 それがようやく底をついて来た。
 
 有名なタバスコはどこにでも売っているが、これはある特定の店でしか売っていない。
 タバスコには酸味があって、料理によってはそれが邪魔になる。しかしマリー・シャープスのこれはほとんど酸味を感じることがない、というか辛すぎて酸味を感じている暇がないのかもしれない。
 
 で、今回池袋に寄ったついでに、前回購入したワールドインポートマート内の「舶来横町」で買って帰ろうと思ったのだ。
 ところが「舶来横町」が見つからない。
 どこかに移動したのかと、案内板を見たりして探しまわったものの、それらしい店はどこにもない。
 
 結局諦めて帰ることにした。
 あとで調べると、「舶来横町」は2年前に撤退したそうだ。
 不況の影響はこんなところにも出ている。
 
 渋谷の東急ハンズで売っているのを見たことがあるので、池袋店を覗いてみたが、扱ってなかった。
 ホームページでは、西友だのダイエーだのでも売っているように書かれているけれど。実際に店頭で見かけたことはない。
 きっと、一度は仕入れたものの、売れないので取扱いをやめたのだろう。
 
 今度どこかで見つけたときにはまとめ買いをしておこう。しかし、食品なのでそう何十年ももつわけではない。まとめ買いも難しいところだ。
 
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