8月6日から8日にかけて、広島-祝島-上関と回ってきた。
山口県の南西にある上関(かみのせき)では、計画から30年以上も反対派と推進派のせめぎ合いが続いている。しかし、3.11の福島原発事故で安全神話が崩れ、上関では街ぐるみの反対運動に発展した。
66年目のヒロシマ。
66年目の被爆アオギリ。わきの二世も成長していた。
腹ごしらえに入った平和公園近くの食堂。メニューはこれだけ。しかも「日曜日なので一品料理はない」という。それにしても安い。
280円のうどん。見栄えはともかくうまかった。
足りないと言ったら出てきたカレー。あふれている。たしか180円だったか。物価だけなら数十年前のまま停滞している。
上関に向かう電車の中。どこもかしこも赤ヘル一色だ。今年は53年ぶりに原爆の日にプロ野球の公式戦が行われた。しかしカープは負け。勝たせればいいものを原巨人は空気を読めない。
岩国。初めてホームに降り立った駅。かつては海軍で栄えた軍港の街も過疎の嵐が襲う。
錦川鉄道の観光列車。東京近郊ではほとんど見かけなくなったディーゼルエンジンの気動車だ。
柳井港駅。まるで映画のワンシーンのような駅だ。ここから祝島への船に乗る。
金魚提灯祭りだそうだ。いたるところに金魚をかたどった提灯が下がる。どんな祭りかはわからない。
祝島に向かう船。小さいが乗り心地はよかった。
祝島に上陸するとすぐ、「原発絶対反対」の看板が目に飛び込んでくる。原発は祝い島ではなく、目の前の上関町長島に計画されているのだが、いつも原発を目にして暮らさなければならないのは、上関ではなく祝島の住民である。
島内の道は坂道が多く狭い。大きな車は通れないので、交通手段は軽トラックである。特にこんな耕耘機が荷物運びに活躍している。
島の「自動販売機」。カボチャと芋が置いてあった。缶に200円入れて勝手に持っていく。このほかにクーラーボックスに入ったモズクもあった。
この島の名勝「塗り土塀」。台風など、強風から家を守るために屋根は低く重い土塀が周囲を囲む。
祝島唯一の小学校。かつては中学校との併校だったが、現在は小学校のみ。
広い校庭に原発交付金で建てられた立派な校舎。しかし、生徒数は全校合わせて7名。東北からの避難者を受け入れるまでは生徒数2名だった。
校庭から上関町長島を望む。正面やや左寄りが原発建設予定地だ。ここが完成すれば、祝島の人々は日々原発を目の前にして暮らすことになる。
案内をしてくれた上関町議会議員清水敏保さん。
海上に転々と浮かぶ黄色いブイの内側は中国電力によって漁業権が買い取られている。ここを埋め立て、施設を建設する。この中に入ると一日罰金500万円だと主張しているそうだ。「無断駐車1万円」みたいで非常に幼稚な感じがする。
まだ十分住めそうな空家。過疎の象徴だ。
戦国時代の砦のような豪邸もあった。近づくと矢で射られそうだ。
島に電気は来ているが、ガス水道はない。井戸とプロパンガスがライフラインの一角を担う。
観光客用にレンタサイクルを始めたそうだ。しかし、この島で自転車はきついと思う。
ちょっと何か買おうにも店がない。しかも日曜日は基本的にどこも休みだそうである。町議会議員の清水さんが無理に頼んで店を開けてくれた。
道ばたに落ちて朽ちた草刈り鎌。東京では考えられない。
海岸の溝に落ちて泣いていた生まれたての猫。親猫がくわえてきたのだろうか。同行のOさんが東京まで連れて帰った。
祝島を離れ、上関の原発工事現場に向かう。
道路脇に、原発推進派の立て看板。「妨害」する人は上関に来るなだと。看板が新しいところを見ると、3.11以降に建てたものか。推進派の焦りが感じられる。
山に入るといたるところに「立ち入り禁止」の札が目につく。
原発建設予定地の田の浦海岸は現在領有権を巡って係争中である。中国電力は立ち入り禁止にしているが、反対派の主張ではまだ公共の場である。
団結小屋。3.11以降工事が止まっているので、今は一休み。
団結小屋から先は、まるで獣道のような急坂を海岸まで下っていく。その途中にある反対派の監視小屋だが、工事が停止しているので、誰もいなかった。
田ノ浦海岸の工事現場。立ち入り禁止となっているが、かまわず入った。山を削り、環境を破壊しながら進められた工事の傷跡が生々しい。しかしやがて、ユンボも錆び付いていくだろう。
フェンス際を走る高圧線ケーブル。土木工事に高圧電流が必要なわけないので、脅しである。
この美しい海岸も、ほっておけば埋め立てられる。
どこかにセンサーが仕掛けてあるのだろう。すぐに立ち退けと、スピーカーががなり立てた。もめ事は面倒なので、みんなで記念撮影をして早々に立ち退く。
降りてくるときにイヤな感じがしたのだが、日頃の運動不足がたたって延々と続く急坂に膝と腰が悲鳴を上げた。
気温は35度近い。ズボンまで汗びっしょりになり、2キロぐらい減量できた気がした。
帰りの途中、中国電力のPR施設の「海来館(みらいかん)」に立ち寄る。閉館中の東電「電力館」とは比較するべくもないが、充実とはほど遠い。
それでも3階建ての最上階には原発「安全宣伝」コーナーがあり、こりもせずに嘘八百が並べられている。
原子炉格納容器の壁を切り取ったものや、鉄筋の一部、配管のパイプの肉厚などを誇示していたが、短く小さくカットされているので厚く太く見える。
しかし、巨大な原子炉格納容器の鉄板の厚さが17センチ程度では爆発には耐えられない。
「こんなに厚いから大丈夫です」といいたいのだろうが、広島に投下された原爆は、爆風だけで鋼鉄の橋桁を飴のようにひん曲げた。
原爆に換算すると数十倍の核燃料を閉じ込める格納容器は、あくまで事故を起こさないことが前提なのである。事故が起きたらひとたまりもない。
上関原発が計画されたのは今から30年前。30年経ってようやく地ならしが始まった程度にまでしか進んでいない。反対派の努力があってこそだ。3.11以降、町民の多くが反対に回り、推進派の勢力は急速に弱まった。
これまで隠し続けてきた原発利権の仕組みや、交付金の不可解な流れが一気に暴露され、「飴と鞭の構図」が住民に知らしめられつつある。
世界中の世論にも後押しされて、2、3年後には中止になるだろう。
住民の反対で中止に追い込まれた原発計画は、住民投票で話題になった新潟県西蒲原郡巻町の巻原発が有名だが、そのほかにいくつもある。
一時的な交付金に目がくらんだ地元業者のだましに、住民が気づけば原発立地は成り立たなくなるのだ。
◆毒まんじゅうの仕組み
交付金は、計画が決まるとすぐに毎年一定の金額が交付されるが、原発が完成して稼働すると交付金はなくなる。労働機会が増えて法人税の収入が自治体に落ちるからという理由からだ。
しかし、不要な箱ものの建設に金を使ってしまった自治体は、交付金で地元を活性化することができていない。交付金が止まれば元の木阿弥である。そこで、一度原発を受け入れてしまうと、次々に誘致し続けなければならなくなる。福井県の原発銀座が例である。
やがて、これまで農業などで生計を立てていた住民は、収入のいい原発で働くようになって、原発なしではやっていけない自治体になってしまう。当然地場産業は衰退して、街の個性は失われる。
これが、毒まんじゅうたる所以である。
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66年目のヒロシマ。
66年目の被爆アオギリ。わきの二世も成長していた。
腹ごしらえに入った平和公園近くの食堂。メニューはこれだけ。しかも「日曜日なので一品料理はない」という。それにしても安い。
280円のうどん。見栄えはともかくうまかった。
足りないと言ったら出てきたカレー。あふれている。たしか180円だったか。物価だけなら数十年前のまま停滞している。
上関に向かう電車の中。どこもかしこも赤ヘル一色だ。今年は53年ぶりに原爆の日にプロ野球の公式戦が行われた。しかしカープは負け。勝たせればいいものを原巨人は空気を読めない。
岩国。初めてホームに降り立った駅。かつては海軍で栄えた軍港の街も過疎の嵐が襲う。
錦川鉄道の観光列車。東京近郊ではほとんど見かけなくなったディーゼルエンジンの気動車だ。
柳井港駅。まるで映画のワンシーンのような駅だ。ここから祝島への船に乗る。
金魚提灯祭りだそうだ。いたるところに金魚をかたどった提灯が下がる。どんな祭りかはわからない。
祝島に向かう船。小さいが乗り心地はよかった。
祝島に上陸するとすぐ、「原発絶対反対」の看板が目に飛び込んでくる。原発は祝い島ではなく、目の前の上関町長島に計画されているのだが、いつも原発を目にして暮らさなければならないのは、上関ではなく祝島の住民である。
島内の道は坂道が多く狭い。大きな車は通れないので、交通手段は軽トラックである。特にこんな耕耘機が荷物運びに活躍している。
島の「自動販売機」。カボチャと芋が置いてあった。缶に200円入れて勝手に持っていく。このほかにクーラーボックスに入ったモズクもあった。
この島の名勝「塗り土塀」。台風など、強風から家を守るために屋根は低く重い土塀が周囲を囲む。
祝島唯一の小学校。かつては中学校との併校だったが、現在は小学校のみ。
広い校庭に原発交付金で建てられた立派な校舎。しかし、生徒数は全校合わせて7名。東北からの避難者を受け入れるまでは生徒数2名だった。
校庭から上関町長島を望む。正面やや左寄りが原発建設予定地だ。ここが完成すれば、祝島の人々は日々原発を目の前にして暮らすことになる。
案内をしてくれた上関町議会議員清水敏保さん。
海上に転々と浮かぶ黄色いブイの内側は中国電力によって漁業権が買い取られている。ここを埋め立て、施設を建設する。この中に入ると一日罰金500万円だと主張しているそうだ。「無断駐車1万円」みたいで非常に幼稚な感じがする。
まだ十分住めそうな空家。過疎の象徴だ。
戦国時代の砦のような豪邸もあった。近づくと矢で射られそうだ。
島に電気は来ているが、ガス水道はない。井戸とプロパンガスがライフラインの一角を担う。
観光客用にレンタサイクルを始めたそうだ。しかし、この島で自転車はきついと思う。
ちょっと何か買おうにも店がない。しかも日曜日は基本的にどこも休みだそうである。町議会議員の清水さんが無理に頼んで店を開けてくれた。
道ばたに落ちて朽ちた草刈り鎌。東京では考えられない。
海岸の溝に落ちて泣いていた生まれたての猫。親猫がくわえてきたのだろうか。同行のOさんが東京まで連れて帰った。
祝島を離れ、上関の原発工事現場に向かう。
道路脇に、原発推進派の立て看板。「妨害」する人は上関に来るなだと。看板が新しいところを見ると、3.11以降に建てたものか。推進派の焦りが感じられる。
山に入るといたるところに「立ち入り禁止」の札が目につく。
原発建設予定地の田の浦海岸は現在領有権を巡って係争中である。中国電力は立ち入り禁止にしているが、反対派の主張ではまだ公共の場である。
団結小屋。3.11以降工事が止まっているので、今は一休み。
団結小屋から先は、まるで獣道のような急坂を海岸まで下っていく。その途中にある反対派の監視小屋だが、工事が停止しているので、誰もいなかった。
田ノ浦海岸の工事現場。立ち入り禁止となっているが、かまわず入った。山を削り、環境を破壊しながら進められた工事の傷跡が生々しい。しかしやがて、ユンボも錆び付いていくだろう。
フェンス際を走る高圧線ケーブル。土木工事に高圧電流が必要なわけないので、脅しである。
この美しい海岸も、ほっておけば埋め立てられる。
どこかにセンサーが仕掛けてあるのだろう。すぐに立ち退けと、スピーカーががなり立てた。もめ事は面倒なので、みんなで記念撮影をして早々に立ち退く。
降りてくるときにイヤな感じがしたのだが、日頃の運動不足がたたって延々と続く急坂に膝と腰が悲鳴を上げた。
気温は35度近い。ズボンまで汗びっしょりになり、2キロぐらい減量できた気がした。
帰りの途中、中国電力のPR施設の「海来館(みらいかん)」に立ち寄る。閉館中の東電「電力館」とは比較するべくもないが、充実とはほど遠い。
それでも3階建ての最上階には原発「安全宣伝」コーナーがあり、こりもせずに嘘八百が並べられている。
原子炉格納容器の壁を切り取ったものや、鉄筋の一部、配管のパイプの肉厚などを誇示していたが、短く小さくカットされているので厚く太く見える。
しかし、巨大な原子炉格納容器の鉄板の厚さが17センチ程度では爆発には耐えられない。
「こんなに厚いから大丈夫です」といいたいのだろうが、広島に投下された原爆は、爆風だけで鋼鉄の橋桁を飴のようにひん曲げた。
原爆に換算すると数十倍の核燃料を閉じ込める格納容器は、あくまで事故を起こさないことが前提なのである。事故が起きたらひとたまりもない。
上関原発が計画されたのは今から30年前。30年経ってようやく地ならしが始まった程度にまでしか進んでいない。反対派の努力があってこそだ。3.11以降、町民の多くが反対に回り、推進派の勢力は急速に弱まった。
これまで隠し続けてきた原発利権の仕組みや、交付金の不可解な流れが一気に暴露され、「飴と鞭の構図」が住民に知らしめられつつある。
世界中の世論にも後押しされて、2、3年後には中止になるだろう。
住民の反対で中止に追い込まれた原発計画は、住民投票で話題になった新潟県西蒲原郡巻町の巻原発が有名だが、そのほかにいくつもある。
一時的な交付金に目がくらんだ地元業者のだましに、住民が気づけば原発立地は成り立たなくなるのだ。
◆毒まんじゅうの仕組み
交付金は、計画が決まるとすぐに毎年一定の金額が交付されるが、原発が完成して稼働すると交付金はなくなる。労働機会が増えて法人税の収入が自治体に落ちるからという理由からだ。
しかし、不要な箱ものの建設に金を使ってしまった自治体は、交付金で地元を活性化することができていない。交付金が止まれば元の木阿弥である。そこで、一度原発を受け入れてしまうと、次々に誘致し続けなければならなくなる。福井県の原発銀座が例である。
やがて、これまで農業などで生計を立てていた住民は、収入のいい原発で働くようになって、原発なしではやっていけない自治体になってしまう。当然地場産業は衰退して、街の個性は失われる。
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